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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

犬童一心監督講演会

2008年05月29日 | 映画とか
分類は「映画とか」だけど作品じゃなくて今回は監督です。とある催しで、映画監督の犬童一心さんの話を聴いた。最初のトピックは、興行面から見た日本映画の状況について。邦画は完全に復活したように見えているがそこには危うさもあることなど、なかなか説得力のある分析。映画というものについて、よく考えている人だなと感じた。

映画ビジスネの文法がきちんと見えているという点ではプロデューサー的センスのある人だと思うし、またそれがなければプロの監督(=それで食べていける)は務まらないのだろう。熱く語る姿はふだんの飄々としたイメージとはちょっと違って新鮮だった。面と向かって話しているときとは別の顔を見せてもらったけれど、そういう意味では講演会みたいな機会は確かにおもしろい。

次のトピックは誰に向けて作るか―たとえば「Touch」は、他に娯楽のない田舎のショッピングモールで友だちと暇をつぶしているような中学生。「眉山」は地方に住む60歳を過ぎた夫婦が揃って。ただし夫はほとんど寝ている―そんなイメージから映画の性格が決まってくる。誰か特定の人に向けて作ったものが結果的に普遍になっていくように、実は正しいやり方なのかもしれない。

そしてもうひとつ「大勢が口を出すといいものができない」。これは製作委員会システムの問題点でもあるが、原理はまんま広告の仕事にもあてはまる。隙間もなくピタリと。そうならないためには「中心にいる人が『こういうものが作りたい』という思いを持ち、貫くこと」が大切。そうなんですよね、それなのにおれっちったらついついまとめに入っちゃったりして…結局我が身を振り返ってしまった講演会なのでした。

プラダを着た悪魔(2006)

2008年05月17日 | 映画とか
原題は「The Devil Wears Prada」。監督のデビッド・フランケル(David Frankel)はニューヨーク生まれで、父親は元ニューヨーク・タイムズのエグゼクティブ・エディター。まっ、生粋のマンハッタンっ子といえるだろうか。TVドラマ「セックス・&・ザ・シティ」のエピソードもいくつか担当しているのでこんな小洒落た世界はお手のものなのかもしれない。主人公アンディ(アン・ハサウェイ)の恋人の働くレストランとか(この辺、よく通ったなぁ)セントラルパークでの雑誌の撮影風景とか、街が気負わずごく普通に映ってるところもちょっとナイス。

お話自体は、ま、いまどきの少女マンガよりもシンプル。でもメリル・ストリープが重しとなってそれなりに楽しめる110分。しかしアンディとストリープ演じるミランダの狭間で、物語の鍵を握る存在ではあるもののちょっと可愛そうな役柄のナイジェル(スタンリー・タッチ)、なんか男って所在がないのね。

ところでWOWOWで放送していた「プロジェクト・ランウェイ」に結構はまっていたのだけど、ミランダを見ているとレギュラー審査員のひとり雑誌エルのファッション・ディレクター、ニーナ・ガルシアの恐い姐さんっぷりを思いだした。実際もなかなかお厳しいんでしょうね、あちらの世界。日本でもある有名ブランドの広報部の激しいイジメの噂など耳にするけれど、そんな中から美しいものが生まれるのって、なんかそういうものかもしれんねぇ。

ブラッド・ダイアモンド(2006)

2008年05月14日 | 映画とか
原題「Blood Diamond」(同じだけど)。舞台は西アフリカのシエラレオネで、少年兵が銃を撃ちまくるシーンなど先日読んだ「戦場から生きのびて」と重なる部分が多かった。

「永遠の輝き」が、場所を変えれば搾取や戦争の元凶になる。知識としては広まっている話だけれど、自分たち何かできるのか考えるとほとんどノーアイデアだ。こういった状況は他にもあって、リベリアの「ブラッド・ティンバー(材木)」やコートジボワールの「ブラッド・チョコレート」(まだ一般名称ではないけれど)など問題はさまざまだ。チョコレートの原料となるカカオの場合は、フェァトレードなどの活動がわかりやすいかもしれない。まだ量としては微々たるもの(アメリカでは全流通量の1%以下とのこと)だが、何かヒントがあると思う。

ディカプリオもこの映画の出演後は「まっとうな」ルートのダイヤモンドを買うようにしているとのこと(あんまり頻繁に買わないですけどね、我々は)。こういった個々の試みを束ねていく工夫が必要なのだろう。たとえば今のウェディング市場はそれなりの規模なので、宝石から引き出物まですべて出所の確かなもので固める「フェアトレード・ブライダル」とかね。ま、ターゲットは少し狭いかもしれないけれど。

で、映画としての感想。重大なテーマに緊張感を持ってはじまるこのストーリー、徐々にハリウッド臭が強くなっていく。ディカプリオは良い仕事をしていると思うのだが、展開がちょっと荒っぽい。監督のエドワード・ズウィック(Edward Zwick)は「ラスト・サムライ」や「戦火の勇気」も手がけているので戦闘シーンは得意なのかもしれない(どちらもただの戦争ものというわけではないけれど)。しかしそれが仇になったのだろうか、物語の後半は少し引いた気分で見てしまった。ちなみにマニアには突っ込みどころの豊富な作品のようで、IMDB(英語)にもいろいろネタが載ってます。興味があったらお試しあれ。

ザ・プレイヤー(The Player, 1992)

2008年05月04日 | 映画とか
ロバート・アルトマンがハリウッドの映画会社を舞台に描いた「業界物」。6分間以上におよぶ長回しのオープニングは、そこでの台詞でも語られているようにオーソン・ウェルズの「黒い罠(Tocu of Evil, 1958)」を意識したカットだろう。ハリウッドものだけあって、俳優たちが彼ら自身として出演する場面も多い。バート・レイノルズ、シェール、ジョン・キューザックと挙げればキリがないが、この辺も見ていて楽しいところだ。

で、そんな風に冒頭からアルトマンらしい仕掛けが目立つのだが、映画自体にはそれほどのめりこめなかった。主人公グリフィン(ティム・ロビンス)のキャラクターが薄べったく(なんかアホだし)、ストーリーも全般を通じて「あらすじ」を見せられているようだ。なんだかなぁ。

仕掛けに注力しすぎたのか、アルトマンといえども(結構製作会社とは揉めてましたからね、この人)突っ込みづらい部分があったのか、バックステージ情報はあまりないのだが(詳しい方、是非コメントを)ちょっと期待はずれな感が。ちなみに美術は息子のスティーブン・アルトマン(Stephen Altman)。オフィスとかパーティ会場とかハリウッドらしい雰囲気作りにひと役かった?のだろうか。映画の好きな人間と一杯やりながら見るにはハマる一本、てとこかなぁ。

Fool for Love (1985)

2008年04月29日 | 映画とか
サム・シェパード原作の舞台をロバート・アルトマンが監督した一本。シェパード自身もエディ役でメインロールを務め、相手役メイにはキム・ペイシンガー、そして舞台となるモーテルであてどなく日々を過ごす初老の男には名脇役的存在のハリー・ディーン・スタントン。

アメリカの辺鄙な地域のモーテルにやって来たカーボーイ風のやさぐれ男エディと、なぜかその男から隠れようとする宿泊客メイ。酷い夫から逃れた女との痴話喧嘩話かと思って見ていると、ストーリーは微妙にねじれ始めていく。その流れを書いても面白くないし書くつもりもないのだが、見ているうちにそのねじれに巻き込まれ、だんだん楽しくなってくる。この変な感覚は不条理混じりの舞台劇(そんなに見たことないけど)に近いのではないだろうか。ちょっと「ドッグヴィル」(ラース・フォン・トリアー監督、ニコール・キッドマン主演。床に線を引いた簡単なセットですべての話が展開する)を見たときの揺さぶられ方を思いだした。

ねじれる話というとリアルと反対のようにも思えるが、実は人の頭の中なんて勘違いと思いこみで成り立っていて、このねじれが真実を語る、てこともあるんだろうな。ノウハウですべてが解決すると思いがちな今の世の中に、一石投じちゃう感じが好ましいなぁ。20年以上前のフィルムだけど。

アルトマンの映画には、どこか仕掛けがある気がする。この作品の場合は舞台のねじれ感を持ち込むことだったのだろうか。昨日書いた「やわらかい生活」とは逆の意味で原作が読みたくなった。