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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

寿司屋のカラクリ/大久保一彦

2018年02月27日 | 読書とか
著者の大久保氏はフードコンサルタント。「カラクリ」とあったので、てっきり裏話系の話かと思ったら、すこぶる真面目な、そして寿司屋ラブのこもった一冊だった。この本のメインは、どちらかというと回転寿司チェーンや各地の地元に根ざした企業としての気取らないお店。でもだからこそ、価格と味、そしてサービスへのさまざまな工夫が見られるのだろう。

で、やっぱり読んでるうちに寿司が食べたくなった(わかりやすいなぁ、オレ)。まずは寿し常(割と近くにある)、銚子港(あまり近くない)、さかえ寿司(千葉に行くことがあれば)、活種鮮寿(岡山の親戚を訪ねる機会があれば)あたり、行ってみたい。

自分がSNSでフォローしている方で、やはりフードコンサルタント的な方がいらっしゃるのだが、その方の投稿にも、同じような趣があって興味深い。食のビジネスには、マーケティング感性と職人のこだわり、そして作り手としての思いやりのバランスが欠かせないのだろう。だから食べ物屋さんの仕事は奥が深く、楽しいのかもしれない。ま、オレはバランスの悪い人間なので、今生では食べる方に専念いたしまする。


寿司屋のカラクリ (ちくま新書)
大久保一彦
筑摩書房

「生命科学者ノート」のノート/その3

2018年02月25日 | 読書とか
三人目のロッテ(p95-97)
エーリッヒ・ケストナー著の『二人のロッテ』は、中村氏の子供の頃からの愛読書だったそうだ。1974年に初めてミュンヘンに行く機会を得た際、ケストナー氏に会いたい旨の手紙を書いたところ、その数日後に同氏が75歳で亡くなったことを知った。未亡人からは招待の手紙が届いたが、会えなかった人として心にとどめておきたく、訪問はしなかったそうだ。

そんなエピソードを受けての一節は、高橋健二著の『ドレースデンの抵抗作家、ケストナーの生涯』の紹介。ナチス・ドイツ下の体制で作家としてだけでなく、協力を拒否することで生命の危機にもさらされた生活を経て生まれた『二人のロッテ』に、あらためてケストナー氏の心情を思ったという。「(今の世の中に)厳しい批判だけでは息苦しい。それをユーモアで包み前向きとらえるやり方、私はやはり女の子ロッテの気持ちで事に当たって行きたいと思う。楽天的に過ぎると言われるかもしれないが」という一文は、著者の人柄と志を感じさせて素敵だ。


生命科学者ノート (岩波現代文庫―社会)
中村桂子
岩波書店

博報堂のすごい打ち合わせ

2018年02月20日 | 読書とか
広告関係者の間では、博報堂の打ち合わせは、「(時間が)長い、(開始が)遅い、(やりとりが)キツい」とよく耳にした。実際、同社の知人や協力会社の人たちからも聞いたので、ある部分では事実なのだろう。でも、それにあらためて着目し、本というコンテンツに仕立てたところ、これもひとつのクリエイティブ・ワーク。編集、出版にあたっては、どんな打ち合わせがなされたのか気になる。

語り方はきわめてオーソドックス。「会議はアジェンダとゴールを定め、無駄なく効率的に」というメソッドが定着化しつつある(ま、まだまだのケースも多いと思うけど)流れのなか、打ち出したのは真逆のコンセプト。一方で、ひとつひとつの事例はシンプルで腑に落ちやすい。意外性と明快さのコンビネーションは、ある意味鉄板の話法だ。相変わらずスマートな人が集まってるなぁ、という印象。

ただ、ちょっと逆説的な感想だが、この本の整然としたロジックや構成からは、無駄口も悪口の気配があまり感じられなかった。お酒でいうと、澄んだ味わいの吟醸酒より米の力を感じる素朴な純米酒が好きな僕には、そこが物足りないというか。あ、登場する方々、皆さん優秀で、かつなかなか厳しい方々だというのは存じあげております。今度は「裏バージョン」が読みたいであります。

博報堂のすごい打ち合わせ
博報堂ブランド・イノベーションデザイン局
SBクリエイティブ

「生命科学者ノート」のノート/その2

2018年02月15日 | 読書とか
前回の覚書2回目。つらつら書きます。

ポマト(p32-36)
ポテトとトマトの細胞を融合させてつくった両方の性質を備えた植物——そういえば、聞いたことがある(実物を見たことはない)。このエピソードは、遺伝子組換えの話につながっていく。著者は、この技術について「遺伝子組換えという技術そのものが危険なのではないのだから十把一からげで遺伝子組換え食品は危険だというのは筋違いだと思う」と述べる(文庫化にあたっての追記部分)。
技術を正しく活かせば、飢餓や環境の問題解決に生かせるのかもしれない。正確な情報を知ること、科学的、客観的に考えることをあらためて意識する。

一枚のスカート(p42-44)
パーティなどのあらたまった場のためのスカートが欲しかったのだが、これだと気に入った一着は予算をはるかにオーバー。一度あきらめたが忘れられず、一晩考え再度デパートに向かった。最初気づかなかったが、そのブランドは著者が憧れていたオードリー・ヘップバーンも愛用したブランドだった。ここで垣間見える著者には、科学者というよりひとりの女性としての側面が強く感じられる。しかし、この情緒的なエピソードを明解でバランスの良い文章でまとめるところが素敵だ。自分がオヤジだからかもしれないけれど、こういう話をサクっと書くの意外に難しいんだよね。
生命科学者ノート (岩波現代文庫―社会)
中村桂子
岩波書店

「生命科学者ノート」のノート/その1

2018年02月12日 | 読書とか
中村氏の名前は存じあげていたのだけど、文章を読んで驚いた。なんと知的で流麗なのだろう。まずは自分が惹かれた箇所を取りあげ、あらためて味わっていきたい。

生命科学者ノート (岩波現代文庫―社会)
中村桂子
岩波書店


若さの秘訣(p3-4)
著者が出会った活き活きとした老人二人、ひとりはピアノ、もうひとりは陶芸を嗜んでいる。「手を使いそれを楽しむことの意味」を感じた著者は、「手の感触を充分に発揮し、楽しめる人間を育てておかなければいけないのではないか」と述べる。科学者によるこの感想は、身体の力の意味を考えさせてくれる。

おふくろの味(p5-6)
著者の家庭は三世代同居、明治生まれの母親と自分の息子が同じ食卓を囲む。話題のひとつは表題どおりの「伝統的な家庭の味」の話なのだが、もうひとつはその母の「特技」ともいえる「廃物利用」。衣類だけでなく食器や家具など、なんとか工夫して再利用する。この光景を豊かに感じるのは、自分も歳を重ねたからだろうか。最後の「今夜も、『時代が違うよ』といって衝突しながらも、母と長男が一緒にナスのシギ焼きをつついている」という締めは見事な一文。向田邦子の世界を彷彿とさせられた。

身体で測る(p14-15)
主題は料理をしたるカラダを動かしたりする場合に、勘というか身体感覚でものごとを測る、という話。この後半、「最近、電車の座席に座る場合に目測を上手にしない人が多いのが気になっているからだ」という一文がある。それは詰めて座らない乗客への疑問というか苦言なのだが、著者はそれを、マナーや年代のせいにするのではなく、身体感覚という視点で考える。異なる題材を結びつけてひとつの思考を提示する姿勢はクリエイティブで素敵だ。見習いたい。

こんな感じで、ちょこちょこ抜き書き的に反芻していきます。原書は私のメモなどより数億倍味わい深いので、興味を持たれ方は是非ご一読を。