国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

入口から奥に進むことに喜びがある

2010年10月23日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
1年前、ビートルズのリマスター盤が世間を席巻していた(一部だが…)。
「後悔先に立たず」という教訓は常に後悔をしたときに思い浮かぶのだが、
それでも後悔をしてしまうのは、人生における判断が困難なことを証明している。

1年前の僕はリマスター盤を
「予約なしでも何とかなるさ」的に構えていたため
結局ステレオ盤とモノ盤を手に入れたのは発売から1ヶ月以上もかかってしまった。
(初回完全生産のだったはずのモノ盤が再発されたことには未だに納得がいかない)
そんなことを繰り返さないためにも『赤盤』と『青盤』のリマスター盤は、
2ヶ月前にちゃんと「密林」に予約をしましたよ。

さて件のビートルズ『赤盤』『青盤』は、いわばベスト盤ということになる。
ビートルズが解散へと流れていく中で
メンバーのジョージ・ハリスンも曲選びに参加をして作られたものである。
ビートルズ7年間の軌跡が、分かりやすく伝わってくるのが2枚の魅力である。
ジャケットも『赤盤』は、
1枚目のアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』と同じ写真を使い、
『青盤』では、7年後に同じ構図で撮った写真を使っている。
この2枚は僕が買ったビートルズ最初のアルバムだからそれだけ思い入れもある。
名曲揃いで、ビートルズの曲に親しむには最適なのだ。

だが、ここでぜひ止めないで欲しい。
確かに『赤盤』『青盤』は名曲の宝庫だ。
でもビートルズはこの2枚で収まりがつくようなグループではない。
ぜひオリジナルアルバムを聴いてほしい。
『ラバー・ソウル』や『リヴォルバー』のエネルギー溢れる製作意欲。
『アビー・ロード』の最後の燃え上がるようなメドレー。
これはベスト盤では味わえない。

2枚のアルバムはあくまでも気楽に楽しむものだ。
本当のビートルズの魅力はたった2枚では表せないものなのだ。

豪華な組み合わせに酔いしれつつ…

2010年10月21日 | 休業のお知らせ
昨日はネットオークションに夢中になってしまい
夜が遅くなってしまった。
そのせいかどうかは分からないが、
今日は電車を乗り過ごすなどとなかなかツイていない日だった。

こんな日はのんびりとヴォーカルものを聴く。
エラ・フィッツジェラルドとカウント・ベイシー楽団
それにトミー・フラガナン・トリオという豪華な組み合わせ
パブロの『ジャズ・アット・ザ・サンタ・モニカ・シビックス72』だ。
心地よくスイングするエラの歌声に酔いしれつつ…

小難しいことはちょっと脇に置いておこう

2010年10月20日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ネット上のニュースを見ると「死海文書、全文ネット公開へ」とあった。
『死海文書』とは、ユダヤ教と原始キリスト教を理解する上で
何やら大切な文書のようだ。
確かアニメの『エヴァンゲリオン』にもちらっと名前が出てきたこともあり、
僕も『死海文書の謎』とかいう小難しい本を購入したことがある。

それがたまたま今日書こうとしていたアルバムと関係していたから
そちらの方がびっくりだ。
先日の大阪での一品、ジョン・ゾーンの『マサダⅠ』である。
このジャケットにはその『死海文書』なるものがちらりと写っている。

特徴的なジューイッシュ・メロディーは、彼自身の出生と深く関わっている。
と、書いてみてもそれはあくまで一般的な解説書の説明であり、
僕にとってはそれのどこら辺がジューイッシュ・メロディーなのかを
判断することは難しい。
なぜなら僕はジューイッシュ・メロディー自体を聴いたことがないのだ。

まぁ、結局言ってしまえば
暴論だろうが『死海文書』だろうとジューイッシュ・メロディーだろうと
僕にとってはそんなことはどーでもいいのだ。
(おそらくジョン・ゾーンにとっては大切なことだとは思う)
中近東辺りに流れるような独特の旋律を
線の細いアルトサックスで表現するジョン・ゾーンは、
サックス奏者としてのレベルの高さをうかがわせる。
それにピタリと合うようなデイブ・ダグラスのトランペットは、
力強くかつ脇からしっかりと細く伸びるアルトの音色を支える。
何よりもドラムのジョーイ・バロンのメリハリがあり、
ズンズンと迫ってくるような力みなぎるドラミングは、
ただのキワモノ演奏ではないことを証明している。

僕のお気に入りトラックは5曲目の「TAHAH」である。
カッカッカとドアノックを繰り返すジョーイに
2人のホーン奏者がしつこいほどテーマをリフする。
絡みつくようなホーンのアドリブはまさにジャズの快楽だ。

世界が広がるということは難しい問題も様々生まれてくる。
だが一方でそうした理屈を抜き、昇華されていくものもあるのだ。

道は今まさに作られている

2010年10月19日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
今注目のジャズ系ピアニストといえば、ヴィジャイ・アイヤーがいる。
インド系出身であり、独特な風をジャズ界に入れている。
ここにおいてジャズというのが、ワールド・ミュージックと結びつきながら
様々な方面へと枝を広げ始めたことが分かるだろう。
21世紀において画一的な方向への進歩ではなく、
ある種人がいればいるだけ、ジャズという音楽がより広がっていっているわけだ。

前にもアイヤーの『リイメージニング』を取り上げたことがあるが、
ヴィジャイ・アイヤー自身の評価やアルバムの評価というのは、
まだまだこれからされていくものであり、
彼の音楽これからのジャズを引っ張っていくというわけではない。
だが確実に言えることは、ヴィジャイ・アイヤーが奏でる旋律は、
それまでのジャズとはまた毛色の違ったものであることは誰の耳にも明らかだろう。

『ソロ』というアルバムがこの夏に発売された。
まず度肝を抜かれるのが1曲目が
マイケル・ジャクソンの歌った『ヒューマン・ネイチャー』である。
この曲はマイルスが後期によく取り上げたりもしているため
ジャズでやるのは全くおかしなことではない。
でもインド出身の肩書きから「ヒューマン・ネイチャー」とはなかなかの不意打ちだ。
次のセロニアス・モンクの「エピストロフィー」も
モンクのピアノタッチとはかなり違うアイヤーの曲の解釈が面白い。

聴いていくと4曲目まではそれまでの名曲を取り上げている。
5曲目から8曲目までがアイヤー自身の曲であり、ここにアイヤーの世界観がある。
どっしりと重い低音やごぞごぞと動き弾け飛ぶような旋律は
フリーの曲さながらの混沌と不安を与えてくる。
一方で力強く鳴るアイヤーの音がしっかりと主張をしているのが特徴的だ。

ヴィジャイ・アイヤー、これからも注目していくピアニストだろう。

アルバムにはそれぞれの世界観が隠れている

2010年10月18日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
キース・ジャレットのアルバムが後回しになってしまうのは、
いわゆる叙情的な演奏が多いからだと思う。
キースのアルバムはそうした「聴きやすさ」から多くの人が購入するのだろう。
そのため常に市場には廃盤化することもなく、
ある程度ならばすぐに手に入れることができる。
そうなってしまうと普段なかなか手に入らないアルバムに目が向いてしまうから
キースのアルバムは結局「まぁ、あとでいいか」となってしまうわけだ。

極めつけの『ケルン・コンサート』などは、
ちょっと聴いただけでもその耽美なメロディーにぐぐっと引き込まれ、
「これもジャズなのか?」と疑問符を付けながらも、
どことなくジャズを聴いた感じがするから手軽さ感がある。
(実際に聴けるようになると、その後ろにある緊迫感や絶妙な間合いなどが
 たまらなくスリリングなえんそうなのだが)

今日のアルバムもキースの中では聴きやすい部類に分類される。
『マイ・ソング』だ。
まずこのジャケットがいい。
ジャケット三原則の「子ども」が入っている。
(その他は「動物」「シュールレアリズム的な絵画ジャケ」が僕の中での三原則だ。
 美女や裸、生足等は別の意味でスバラシイ!)
ジャケットに惹かれまいと思っても、
子どもジャケは何かほんわかとした印象を与えてくれてしまう。

さて聴いてみるとキースのさらりとしたピアノと
ジャン・ガルバレックのサックスの艶やかさが絶妙に混じり合い、
澄んだ空気を届けてくれる。
ECMということで音は想像しやすいのだが、
それ以上にリラックスした気配に辺りが包まれていくから心地よい。

特に4曲目「カントリー」や6曲目「ザ・ジャーニー・ホーム」は、
耳当たりもいいし、キースのピアノが最大限に生きている。
その中で5曲目の「マンダラ」。
その名の通り混沌がポッと組み込まれている。
曲の善し悪しは別として、聴きやすさだけではなく、
アルバムとしての世界観がまた独特な空気を運んでくれる。
キースがただロマンチックに歌い上げていただけではないという1枚だ。