国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

「音楽」が積もるとき

2010年10月05日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
当たり前のように音楽があふれかえっている。
耳を澄ませばどこかで聴いたことのあるような
クラシックやらポップスやらジャズやら僅かな添え物のように流れている。
フッと気づかなければそれはただの垂れ流しであり、
「宙に消えた音楽は二度と取り戻すことができない」という
エリック・ドルフィーの教訓めいた言葉の通り、
二度と「その時の音楽」は聴くことができないだろう。

僕らはそんな大量の音楽を聴きながら「いい」か「悪い」をいつの間にか感じ、
そして心の中に何かを蓄えていく。
音楽はそういうものだと僕は思う。
高尚の芸術かもしれない、一方で消費されるただの音かもしれない。
でもその一瞬に耳の鼓膜を振るわせる音楽は着実に僕たちに何かを与えてくれるのだ。

そんなことを考えた後に僕はチャーリー・パーカーの『オン・ダイヤル』を聴く。
チャーリー・パーカーは破天荒な伝説の多いアルトサックス奏者だ。
このアルバムの中でも「ラヴァー・マン・セッション」といって
薬でメタメタになりながらも何とかレコーディングをこなし、
でも終わった後にホテルで騒動を起こして、病院に入れられてしまったという伝説がある。

確かに「ラヴァー・マン」はメチャメチャだ。
同日に録音された4曲は吹けていない。
トランペットのハワード・マギーが必死に体裁を整えようとしているのが涙ぐましい。
でもパーカーはそんなことを意にも介していない。
フラフラになりながらも自分の場所で吹こうとして、でも吹けない。
それなのに反省の色も見えない。

だが、それなのに「ラヴァー・マン・セッション」は僕たちに何かを感じさせる。
その後の伝説のせいだけではないだろう。
メタメタなアルトの音色には確かに僕らの心を揺さぶる何かがあるのだ。
すばらしい演奏ではない。誰もが納得のいくような演奏でもない。
それなのにパーカーのアルトは、空気の色を変えていく。
音色? 即興技術? リズム感? 
その正体は今もって僕には分からない。
だからいつまでも聴き続けようと思えるのかもしれないなぁ。