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国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

マスター、ドン・チェリーと出会う

2010年07月17日 | マスターの紀行文
「僕は自由だ!」
頭のねじが外れたわけではない。
ついに仕事が一段落どころか、三段落ぐらいしてして、
しかも今日から3連休というスペシャルな連休を迎えることができ
少々テンションが上がってしまっただけの話だ。

どれほど待ちわびただろうか。
今日は都内の行ったことのないジャズ喫茶を巡ろうと予定していた。
が、「いーぐる」で急遽連続講演が行われることになった。
原田和典氏の『ジャズ・トランペット』(シンコーミュージック)の発売記念で
著者たちの選曲会が開かれることになったのだ。
前回の『ジャズ・ピアノ』の時にも参加したのだが、
こうした様々なものがかかる講演会には行っておく必要がある。
特にトランペットアルバムというのは、なかなか選び出すのが難しい。
(僕が勝手に思っているだけかもしれないが…)

そんなわけでいつもと同じ新宿回りで四谷「いーぐる」というコースになった。
新宿では当然ながらディスクユニオンに顔を出す。
半ば義務化した行動になってしまっているのだが、
ちょうど3枚で10%、5枚で15%オフという超ラッキーなセール中であったため
普段よりも気合いを入れて、レコード、CDを選び出した。

「さぁ、どうするか?」
4時からの講演なので時間が余っている。
なのでもう一軒新宿のレコード屋に行くことにした。
「HAL’s」ジャズ専門のレコード店である。
店には本当にお宝物のジャズレコードが大量に並ぶ。
ここで手に入らない物はないというほどに商品の質は高く、また値段もやっぱり高めだ。

僕はあまり音などにこだわるつもりはないのだが、
普通とオリジナルが並んでいたら、高くてもやっぱりオリジナルを選んでしまう。
まぁ、長生きできるタイプではないだろう。
ディスクユニオンで今日の予算を遙かにオーバーしていた。
だが、「ちょっと見るだけ…」ということで訪れたのが始まりだった。

見つけてしまったのだ。
ドン・チェリーの『エターナル・ナウ』を!
前に『オーガニック・サイエンス・ソサエティー』を見つけたことを書いたが、
探していた幻のドン・チェリーを発見してしまったから大変だ。
ドン・チェリーがスウェーデンに移住した後のアルバムは本当に見かけない。
それが今、目の前にあると驚きよりも本当に運命的な出会いを感じてしまう。

予算はグンッとオーバーである。
迷った。が、迷った時点で心は決まっている。
「あんまり見かけないんですよねぇ」と店長さんが囁けば、これはもうGOだ!
視聴をさせてもらったが、とにかく感涙物だった。

ふっと今まで探していたアルバムの名前をいくつか並べてみる。
「あぁ、それ。人気盤だけどたまに入ってくるよ」
よかったぁ~。今、お店に無くって、と思うと同時に沸々と希望がわいてくる。

「また、来ちゃうなぁ」
店を出て、僕は思った。
嬉しくもあり、財布が心配でもあり、でも嬉しすぎる出だしだ。
ドン・チェリーをしっかりと胸に抱えて、次は四谷へと向かう。

穴は深すぎる…

2010年03月07日 | マスターの紀行文
昨日、3月の買い出しというわけではないが、
新宿のディスクユニオンにひさしぶりに行った。
3月というのはちょうど年度末も迫っているため仕事も忙しく、
気分転換のつもりだったのだが、
ディスクユニオンから溢れ出る熱気に押されるようにレコード、CDと漁ってしまった。

レコードはUS買い付け大放出ということで
かなりのお客が出ていて、狭い店内で押し合い圧し合いでレコードを漁る。
僕としてはジャズが聴きたいという感じだから
高価なレコードよりは新放出盤の方を中心に漁る。
「もうそろそろ抑えなければ…」と思っていても
ついつい目についてしまうレコードがあるからツライ。
最近ではセシル・テイラーやらアート・アンサンブル・オブ・シカゴなど
フリー系のものはレコードじゃないと
なかなか手に入らないということが分かるので
物珍しいと手に取ってしまう。
加えてメジャーじゃないミュージシャンだとCD化されていない物もあるので
これまた手に取ってしまう。
もう随分と買い込んだのだが、まだまだ奥は深いようだ。

これで済めばいいのだが、CDの方まで覗いてみると
何と紙ジャケの放出をやっている。
CDの廃盤もので、紙ジャケじゃないと出ていない物もあるため
ついこれも見てしまう。
アルバート・マンゲルスドルフの『フォーク・モンド&フラワー・ドリーム』とか
グレイシャン・モンカーⅢ世の『サム・アザー・スタッフ』、
そしてジャッキー・マクリーンの『リズム・オブ・アース』などを発見。
たぶん、「ここで逃すと手に入らないかも…」
という脅迫概念めいたものにとらわれてしまうのだ。
本当におそろしい…

最後に店内にかかっていたクリス・ポッターの『アンダーグラウンド』も購入。
だってポッターのリズミカルなテナーの音には
欲望が抗えなかったんだもん。

さいたま新都心 ジャズと関係ない散歩 後編「大衆性と芸術性の間に」

2010年02月28日 | マスターの紀行文
さいたま新都心まで出たら、行っておきたい場所がある。
さいたまスーパーアリーナ内にある「ジョン・レノン・ミュージアム」だ。
今年になってライセンス満期ということで、その閉館が9月30日に決まった。
さいたま新都心ができた頃からの1つの目玉観光地だったわけだから
その終了というのは残念なことである。

僕は1度ミュージアムに足を運んだことがあったが、
フィルム上映中に職場から電話がかかってきてしまい、
その後雰囲気を壊されてしまったようで全く楽しむことができなかった。
そのため今回はじっくりと見学ができた。

ジョン・レノン像というのは、
「ラブ・アンド・ピース」の人というイメージが定着している。
クリスマスになれば彼の歌声が流れてくるし、
「イマジン」を静かに歌うビデオが流れれば誰彼かまわず「癒されるなぁ」と思うだろう。

僕は正直いうとジョン・レノン個人には大した興味を持ってはいない。
ビートルズの一員としてしか彼を見ることができないのだ。
まぁ、それがリアルタイムでビートルズを体験していないことに
あるのかどうだかは分からないが…

ということで展示の前半はよかった。
ただ後半になってくるとやっぱり違和感を感じてしまう。
特にオノ・ヨーコ氏とのつながりというのは奇妙なものを感じてしまう。
ジョン・レノン自身は非常につながりを大切にしていたことは分かるのだが、
ビートルズのいちリスナーとして見ていくと、「う~ん」とうならざるえない。
僕自身が前衛芸術を理解しようとしていないことも悪いのか、
どう対処していいのか悩んでしまう。

「ジョン・レノン・ミュージアム」なわけだから、
ジョン・レノンに視点が集まるのは当然なわけだが、
もう少しビートルズ関連のネタも見てみたいような気がした。
な~んてことを考えたわけだ。

大宮・四谷・根津極楽ジャズ巡り 最終章「仏のようなパウエル」

2010年02月22日 | マスターの紀行文
そろそろ極楽ジャズ巡りも終わりにしよう。
と、いうわけでひさしぶりに根津にある「Lacuji」に足を運んだ。
東京までは出ても根津に一端立ち寄るというのはなかなかできない。
まして土曜日「いーぐる」の連続講演会の後だと、
帰宅時間との兼ね合いから「仕方ない。我慢するか…」といった感じで
ついついその機会を逸してしまっていた。
今回もちょっと迷ったのだが、「ええい、ままよ」と思い、根津の駅で降りた。

前に行ったときは初夏の頃だったため時間は7時といってもかなり明るい様子だった。
ところが今回は駅周辺には人の姿も見あたらず、あちこちの店はすでに閉まっている。
少々不安に駆られながらも「Lacuji」に向かうと
中からはほんのりと明かりが漏れだしている。
ほっと一息ついて、それからドアを開けると懐かしい店内の様子が…

「Lacuji」は、地域というか地元というかいつも常連の人が多くいる。
この日も入るとちょうど夕食時でもあったためか
カウンター席は一杯になっていた。
端の方に一席あったためそこに案内される。
背後には大量のレコードの入った棚がある。
「Lacuji」は、ジャズを流す居酒屋である。
まぁ、今では牛丼屋でもジャズは流れているため珍しいわけではないが、
有線などではなく、マスターがセレクトしたジャズがきちんとアナログで流れる。
加えてここは料理がとてもおいしい。
ビールのお通しにカブの甘酢漬けが出たのだが、
普段は漬け物など食べない僕でもその絶妙な味がたまらなくおいしかった。

この日はピアノトリオが連続でかかった。
最初にヴァーブの『パウエル57』がかかる。
油井正一氏の『ジャズの歴史』で、このアルバムが高く評価されていない。
パウエルは確かに好不調が明確に分かれているため
世間一般の評価としては『パウエル57』は不調であったのは事実だろう。
実際に剃刀でふれれば切れそうなパウエルの凄まじい狂気に満ちた演奏ではない。
だが、存在感あるスピーカーから聞こえてきたのは
「本当にパウエルか?」と思えるほど柔らかく、ほんわりとしたピアノの音である。
言葉を換えれば「好調ではない」となるのかもしれないが、
パウエルにこんな柔らかい演奏があったと知り、
ちょっとパウエルの別の一面を感じることができた。

次にかかったのハービー・ニコルズのトリオ作品である。
その間においしいビールとおいしい料理が出てくるのだから
これを「極楽」といわずになんと言えるだろう。

帰る前にマスターが尋ねてきた。

「あれ、近所でしたっけ?」
「いや、埼玉なんです」
「ああ、また来てくださいね」
「機会があったらぜひ…」

ぜひ、積極的に機会をつくって「Lacuji」には通いたいものだ。

大宮・四谷・根津極楽ジャズ巡り 第2章「なぜ彼女の歌に人は惹きつけられるのか?」

2010年02月21日 | マスターの紀行文
今回の「いーぐる」連続講演は、ビリー・ホリデイ特集だった。
ビリー・ホリデイに興味がある僕としては何が何でも参加するつもりでいた。
今回の講師は金丸正城氏で、本職のジャズ歌手ということだ。
残念ながら僕は知らなかったのだが、
本職の歌手がビリー・ホリデイをどのように解説するのかにも興味が引かれた。

金丸氏は、まずホリデイの後期作品から取り上げた。
コモドアやデッカ(どちらもホリデイの歌を録音したレコード会社)は、
良いのが当たり前で知られているが、
声質が落ちてきたといわれている後期のヴァーブなどにもいい作品がある
というのが金丸氏の考えである。
金丸氏がホリデイを聴いたのがヴァーブ盤からということだからのようだが、
これはよく分かる。
僕の場合はデッカの『ラヴァー・マン』が初ホリデイなわけだが、
常にホリデイにふれるのにいいところからふれるとは限らない。
どこを切り取ったとしてもいいのが一流というべきミュージシャンだろう。

さて、その後期のホリデイだが、
一般的に麻薬や飲酒の影響から声質が悪くなってきていると言われているが、
プロの歌手からするとどうもそれは違うようだ。
声の衰えはあるのだが、ホリデイの発声法が変わったことが大きいそうだ。
円熟期からホリデイはルイ・アームストロングの発声法を真似ているとのこと。
ホリデイは低音の発声をなるたけ使わず、高音で歌うことを得意としたようだ。
確かに歌を聴いてみると高音をしっかりととらえていて、
後期であっても高音が丁寧に歌われている。

また、ホリデイは歌に自分の感情を込めないそうだ。
歌詞に自分の感情を込めて歌うのが当たり前のように思えるのだが、
そういった「泣き」の歌い方ではなく、淡々と声とリズムで歌っていく。
実際に残っている映像を見ても、
ホリデイの目はじっと一点から動かず、見ているのか見ていないのかはっきりしない。
というか、その歌うホリデイの目に見ているこっちが吸い込まれそうなほどで
そのじっと見つめる目は歌の歌詞以上に多くのことを語っているように思えた。
金丸氏は「ブラックホールのように吸い込まれる」と表現していたが、
まさに「歌う」ということで聴客を未知の世界へ誘っている。

そのため「奇妙な果実」のように凄惨な歌詞であっても
怒りや悲しみといった感情で歌うのではなく、
その状況だけを非常に淡々と描写し、それが一層生々しさを与えているのだ。

ホリデイが他の歌手と大きく異なるのは、
声でリズムを取り、時に演奏を引っ張り、時に演奏を押し上げていくのだそうだ。
こういった歌手は古今東西なかなかいないそうだ。
その美しい声と正確なリズム感が、
ジャズに比類無き名歌手として名を残すことになったホリデイの核になのだ。