東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

赤十字

2021-08-20 22:18:12 | 日記
 震災復興も、結局はカネでしょ?、カネ。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってるけど、坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけどなあ。
 
 ウィキペディアで調べると、明治維新の後の田村氏の田村邦栄という人は宮城県角田市にいた石川家から来たらしい。戊辰戦争の後に家督を譲ったみたいだけど、再び家督を継いだようだ。
 
 田村邦栄の息子の田村丕顕はアメリカのアナポリス海軍兵学校を卒業した海軍の軍人らしい。田村丕顕という人は日本赤十字社の創始者の佐野常民の娘を妻にしたみたいだけど・・・。
 
 日本赤十字社の創始者の佐野常民という人は佐賀藩の出身らしい、佐野常民の息子の佐野常羽はボーイスカウトに関わってたようだ。佐野常羽の息子の佐野常光は一条家から来た人で、一条実輝の息子らしい。
 
 明治維新の後の南部氏にも一条家から来てるらしく、南部利英という人は一条実輝の息子のようだ。今の南部氏は一条氏から来た人の系統で続いてるようだけど、南部氏の人も日本赤十字社やボーイスカウトに関わってるみたいだし、岩手県の各種団体の要職も務めてるようだ。
 
 その関係か知らないけど、昭和初期の軍の要職に岩手県の関係者が就くことも多かったようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 米内光政は盛岡の出身で海軍の軍人で、林内閣と第一次近衛内閣と平沼内閣で海軍大臣を務め、第二次近衛内閣の前に日本の総理大臣になったようだ。小磯内閣と鈴木内閣でも海軍大臣を務め、日本の海軍の最後の海軍大臣らしい。
 
 東条英機は第二次近衛内閣と第三次近衛内閣の陸軍大臣で、第三次近衛内閣の後に日本の総理大臣になり、及川古志郎という人は第二次近衛内閣と第三次近衛内閣の海軍大臣らしい。
 
 東条英機は南部藩士の家系の人ということになってるみたいだし、及川古志郎という人は出身は新潟県らしいけど、本籍が岩手県で、盛岡の中学に通ったようだ。
 
 板垣征四郎という人も岩手県の出身で、満州事変の中心人物の一人で、第一次近衛内閣と次の平沼内閣で陸軍大臣に就いたようだ。板垣征四郎という人も戦後にA級戦犯になって処刑されたみたいです。
 
 日本赤十字社のもとになった博愛社の創設の目的は西南戦争の時に敵味方関係無く医療に当たるみたいなことだったみたいだけど、嘘なんだろうか?、やっぱり。
 
 日本赤十字社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

外宮

2021-08-20 22:01:28 | 日記
 福島第一原発の原発事故で助けられなかった人もいたんだから、新型コロナウイルスで助けられない人がいても、しょうがないよね?。
 
 一緒にするなとか言われても、福島第一原発の原発事故の時の日本の総理大臣は菅直人で、新型コロナウイルスの感染が拡大してる今の日本の総理大臣は菅義偉、新型コロナウイルスも感染爆発とか制御不能とか言い始めた。
 
 岩手県奥州市の水沢の羽田というところには坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれる場所があります。田茂山という丘のような山で、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってます。奥のほうに愛宕神社があって、古塚があります。
 
 ここのことを書くと日本中の人たちから総攻撃を受けるみたいだし、岩手県に住んでる人たちも奥州市に住んでる人たちも敵みたいだ。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、ここの気がするんだよなあ。
 
 山形県飽海郡遊佐町にある大物忌神社では大物忌神を祀ってます。大物忌神は豊受大神と同じということになってるらしく、倉稲魂命と同じや豊岡姫ともいうみたいです。
 
 遊佐町に大物忌神社の吹浦口ノ宮と蕨岡口ノ宮があって、吹浦のほうは前から知ってて行ったことがあったけど、東日本大震災の後だったか、蕨岡の大物忌神社に行く途中、誰かに憑かれたみたいになって、呪い殺されそうになったもんなあ。
 
 伊勢神宮の外宮の祭神の豊受大神は内宮の祭神の天照大神の食事のために丹波から勧請されたことになってるようだ。伊勢神宮の外宮の別宮に多賀宮があって、豊受大神の荒魂を祀ってるらしい。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。天皇の祖先は天照大神ではない気がするけど、なんで、そういうことになってるんだろう?。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

会津

2021-08-20 20:49:10 | 日記
 東日本大震災の後、福島県の猪苗代町に行ってきた。
 
 磐梯山麓に土津神社があって、会津藩祖の保科正之を祀ってるらしい。奥に保科正之の墓所があった。
 
 不思議と権力者らしくないというか、何かに脅えてる気がしたんだけど、気のせいというか、俺の感覚が、そう感じただけと思って、あんまりなんとも思わなかった。
 
 まさか、明治維新の話や戊辰戦争の話も怪しいなんてなあ。
 
 三島通庸という人は薩摩藩の出身で、ウィキペディアで調べると、明治維新の後に酒田県令と山形県令に就いて、山形県から宮城県や福島県に抜ける道を作ったり、山形県に洋風建築の建物を建てたようだ。県令は後に県知事になったようだけど、鶴岡県と山形県と置賜県が合併して今の山形県になったようだ。三島通庸は福島県令と栃木県令にも就いて、福島県と栃木県の開拓にも携わったようだ。
 
 三島通庸は会津から新潟と米沢と日光へ行く道を作ったみたいだけど、会津の人たちを強制的に働かせて反乱事件が起こったみたいです。明治15年(1882年)にあったみたいだけど、福島事件というらしい。当時は自由民権運動も盛んだったようだ。
 
 野口英世という人は福島県の猪苗代町の出身らしいけど、野口英世もキリスト教の洗礼を受けた人のようだ。
 
 明治維新の後に熊本県には熊本バンドというプロテスタントを信仰する人たちがいたようだ。熊本洋学校の生徒の人たちだったようだけど、新島襄の同志社英学校に移ったようだ。
 
 新島襄は江戸時代に密航してアメリカに渡り、キリスト教の洗礼を受け、キリスト教の宣教師になったようだ。
 
 新島襄の妻の新島八重は会津の出身で、戊辰戦争の時に会津は戦場になって、新島八重は鶴ヶ城に籠城して戦ったみたいだけど・・・。明治維新の後に会津藩から青森県の下北半島に移住した人たちがいたみたいだけど、戊辰戦争の話も怪しいんだけどなあ。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

ユダヤ

2021-08-20 20:02:49 | 日記
 黒船で来たペリーさんもフリーメイソンらしいからなあ。
 
 日米修好通商条約が結ばれた後にジェームス・カーティス・ヘボンというアメリカ合衆国長老派教会というところの宣教師で医者の人が日本に来たようだ。ヘボンといわれるけど、英語にするとヘップバーンという名字と同じだそうです。
 
 ウィキペディアで調べると、高橋是清は江戸時代の生まれで、生後間もなく仙台藩の足軽の高橋家の養子になったようだ。高橋是清はヘボン塾で学んだ後に渡米したようだ。
 
 高橋是清は帰国後は官僚になったり、日銀の総裁に就任して、第一次山本内閣で大蔵大臣になり、原内閣でも大蔵大臣になり、原敬の次の総理大臣になったようだ。田中内閣と犬養内閣でも大蔵大臣に就任して、五・一五事件で犬養毅が暗殺された後に総理大臣を臨時兼任したようだ。五・一五事件の後の斎藤内閣と岡田内閣でも大蔵大臣に就き、岡田内閣の時の昭和11年(1936年)に2.26事件があって暗殺されたみたいです。
 
 高橋是清は日露戦争の時に日銀の副総裁として、戦費の調達を行ったようだ。日露戦争は明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあって、日露戦争の時にジェイコブ・シフという銀行家が日本に融資をしてくれたようだ。ウィキペディアで調べると、ジェイコブ・シフという人はドイツ生まれのユダヤ人で、ユダヤ教のラビの家系に生まれた人のようだ。
 
 ジェイコブ・シフという人は帝政ロシアの崩壊工作も徹底していて、第一次世界大戦の時も他の国には融資をしても、帝政ロシアへの資金援助は妨害していたようだ。ロシア革命にも金銭支援をしていたようだ。1917年のロシア革命でソ連が成立したようだ。
 
 第一次近衛内閣の時の昭和12年(1937年)に日中戦争が始まったようだけど、第一次近衛内閣では国家総動員法が成立したようだ。第二次近衛内閣と第三次近衛内閣では近衛文麿は大政翼賛会の総裁になって独裁政権を目指し、大東亜共栄圏を掲げ、日独伊三国同盟や日ソ中立同盟を締結したようだ。
 
 第三次近衛内閣の退陣前後にゾルゲ事件というスパイ摘発事件があったみたいです。ゾルゲ事件ではゾルゲという人をリーダーにしたソ連のスパイと日本国内にいる協力者の人たちが捕まったようだ。近衛文麿の側近の人も捕まったようだ。
 
 太平洋戦争は昭和16年(1941年)に始まって、太平洋戦争の終盤の昭和20年(1945年)の8月8日にソ連は日本に宣戦布告をして条約を一方的に破棄し、満州や朝鮮半島や北方領土に侵攻してったようだ。
 
 ユダヤ教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

靖国

2021-08-20 19:43:03 | 日記
 明治維新の話も怪しいんだけど、天皇崇拝のカルト神道の人たちが地獄に堕ちても、しょうがない気がするもんなあ。
 
 昭和11年(1936年)に2.26事件があって、2.26事件は陸軍の皇道派の青年将校の人たちのクーデター未遂事件だったみたいだ。
 
 荒木貞夫という人は第一次近衛内閣と次の平沼内閣で文部大臣を務めたようだ。荒木貞夫は皇道教育の強化を全面に打ち出し、国民精神総動員の委員長を務め、戦時体制の思想のプロパガンダを推し進めていったようだ。詳しく知らないが、ウィキペディアに、そう載ってる。この頃から軍の大学や学園に対する弾圧が始まり、思想弾圧が行われるようになったようだ。
 
 第一次近衛内閣の時の昭和12年(1937年)に日中戦争が始まったようだけど、第一次近衛内閣では国家総動員法が成立したようだ。第二次近衛内閣と第三次近衛内閣では近衛文麿は大政翼賛会の総裁になって独裁政権を目指し、大東亜共栄圏を掲げ、日独伊三国同盟や日ソ中立同盟を締結したようだ。第三次近衛内閣の退陣前後にゾルゲ事件というスパイ摘発事件があったみたいです。
 
 閑院宮載仁親王は昭和6年(1931年)に参謀総長に就任し、昭和15年(1940年)に参謀総長を退いたようだけど、陸軍の重鎮のような役目をしていたようだ。ウィキペディアを見ると、閑院宮載仁親王の参謀総長の就任には荒木貞夫という人の思惑もあったようだ。
 
 第一次近衛内閣と第二次近衛内閣の間に平沼内閣と阿部内閣と米内内閣があったようだけど、閑院宮載仁親王は米内内閣の陸軍大臣だった畑俊六に辞表を提出するように指示して、米内内閣の崩壊の要因を作ったようだ。
 
 太平洋戦争の開戦時の日本の総理大臣は東条英機だったけど、その前の近衛文麿が総理大臣だった時から日米開戦は避けられない状況になってたみたいだし、シミュレーションで日本の敗北という結論が出てたようだ。
 
 第三次近衛内閣の後に東条英機が総理大臣になって昭和16年(1941年)に太平洋戦争が始まって、東条英機の後は小磯国昭という人と鈴木貫太郎という人が総理大臣になって、鈴木貫太郎が総理大臣だった時の昭和20年(1945年)に太平洋戦争の終戦を迎えたようだ。
 
 東京にある靖国神社はもともとは幕末や明治維新の頃に新政府軍の側で戦って亡くなった人たちを祀るところだったようだけど、だんだん戦争に行って亡くなった人や戦争で亡くなった民間人も祀るようになってったみたいです。要は天皇のために犠牲になって亡くなった人たちを祀るところのようです。
 
 靖国神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか