すなば たかひろ

「元気で人に優しい鳥取」を取り戻すため、県議になった元新聞記者の挑戦記。みんなで鳥取の未来像を考えましょう!

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地震の一方で、100億円の市庁舎新築

2011年03月13日 | 日記
「市庁舎の新築移転に反対する住民の集い」が、西町の市福祉文化会館で開かれました。
まずは3人が問題提起をしました。
因幡万葉歴史館などの設計で知られる山本浩三さんから、建物の高さを減らすことで加重を減らし、耐震強度を増す減築という方法が提案されました。ヨーロッパでは広く採用されている工法だそうで、これだと新築移転に必要な工費の10分の1の10億円程度できるそうです。
自治会連合会の浦木副会長は、住民に十分な説明がなされたとはいえない。質疑の時間が形ばかりだったフォーラム、誘導尋問のようなアンケート、市長も出てこない住民説明会では、住民に説明したというアリバイづくりと言われてもしかたないと厳しく批判されました。
私は、地方自治法上にある住民の直接請求の制度を説明。こんなに大きな問題だから、建設の賛否を問う住民投票条例の制定を請求する住民投票をしてはどうかと提案しました。
この後、会場も交えての話し合いとなりましたが、市長の政治姿勢について厳しい意見が相次ぎました。

テレビでは一日中、東北地方太平洋沖地震の惨状を伝えています。被災して亡くなった方が時間と共に増え、1万人を超えるのではないかという報道もあり、本当に心が痛みます。
そんな時に、100億円を超える市庁舎建設の議論をしていていいのでしょうか。
財政的にも、デュープロセスからも、地方自治のあり方からも、問題の多い市庁舎建設問題ですが、感情的だと批判されるかもしれませんが、それ以上に、同じ日本人として多くの人が犠牲になっているときに、こんなことをしていていいのかという大きな疑問を感じます。
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被災された皆様にお見舞いを申し上げます

2011年03月12日 | 日記
東北地方太平洋沖地震が発生しました。
宮城県栗原市で震度7を観測し、マグニチュードは8.8と記録が残る1923年以降、国内で最大の地震ということです。
建物の崩壊や津波の被害で被災された方々のことを思うと心が痛みます。被害が少しでも小さく止まっていることをただただ祈るばかり。
鳥取赤十字など3病院の24人の医療チームが東北に向かわれましたが、被災者の皆さんの治療に頑張っていただきたいと思います。
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障がい者の皆さんとの懇談会

2011年03月08日 | 日記
視覚を失った方や知的障がいを持った方、そして、施設でサポートをしている人たち、合わせて約50人の人たちと懇談会を開いていただきました。
私自身、障がいを持っておられる人たちに直接お話しを聴きたいと思っていましたので、願ってもない懇談会でした。

審議会などで障がい者の代表として出席されている人が、障がいを持った方ではなく、障がい者団体の長である健常者であることが少なくありません。私は障がい者の代表は、やはり、当事者であった方がいいと思っていますなどと話した後、皆さんからご意見を頂戴いたしました。

「点字ブロックが壊れているところがある。視覚障がい者にとってはとても不安になる」
などといった障がいを持たれているが故の話から、
「頑張って職業訓練をしても、就職するところがないのでは意味がない」
「農作業に精を出しても、TPPで安い農産物が入ってくれば国内の農業は壊滅する」
など障がいがなくても深刻な問題までが出され、とても有意義な時間でした。

私は障がい者福祉は、障がいを持たれた人のための特別な問題とは思っていません。
県内で身体障がい者手帳をお持ちの方は3万1328人おられます。知的障がい者療育手帳をお持ちの方は4391人、精神障がいの方は3733人で、計3万9452人です。私は少数者ではないと思います。そして、両親や配偶者、お子さんという家族も居られます。5人家族としたら、約20万人で、県民4人に1人が当事者となります。こうなれば県民全体の問題です。

また、障がいがない人も、厳しい経済情勢の中、残業でハードな仕事をしておられますし、野外での危険な仕事に従事されている方もおられます。いつ、病気やけがで障がいを持つようになるか、わかりません。そうなると、障がい者福祉は、セフティーネットの役割も果たしてくれます。

小さな声を県政に届けることが県議の仕事です。私は障がい者福祉は県民全体の課題という認識に立って、障がいをお持ちの方お一人お一人の小さな声を大切に、しっかりと県政に届ける覚悟です。
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島根スサノウマジックの試合を観戦しました

2011年03月05日 | 日記
島根スサノウマジックの試合を産業体育館で観戦しました。
ミニバスケットの指導者や保護者と知り合ったことから、誘われたものです。

島根スサノウマジックは昨年から日本プロバスケットボールリーグ、通称、bjリーグに昨年から加盟したチームです。
島根とチーム名に入ってはいますが、良質な世代を超えた山陰圏民が共に楽しめるファミリーエンターテイメントの創造と新しい文化の構築を目指しており、鳥取開催のゲームはホームゲームで鳥取のバスケットボール関係者も熱いエールを送っているチームです。チームには米子西高校の卒業生で、鳥取城北高校に勤務していた仲西翔自選手もいます。

試合は1Qは先行したものの、逆転を許し、一進一退の攻防の末、大阪エヴェッサに75対65で敗退しました。
「go! go! magic!」の声援が会場に響き渡り、ハーフタイムのチアリーダーも華やかです。
選手のみなさんはでかいですね。何人もが身長が2メートルを超しています。
そんな大男が走り回るので、コートがとても小さく感じました。
そして、ロングシュートやダンクシュートを次々に鮮やかに決めるのです。
一緒に観戦していたミニバスケットの子どもたちも、「すごーい」と興奮気味で、最後は「あと1分しかないよ」と声をあげていました。
子どもたちとってはプロの技が、心を強く揺さぶったようです。

サッカーやバスケットのプロチームが大都市ではなく、鳥取や島根という地方にあることの意味は大きいと思います。
その一方で、大きな企業が少ないため、スポンサー集めに苦慮し、行政に頼りがちになっていることから批判する人も少なくありません。
厳しい財政状況下、特定のスポーツを税金で応援することはいかがか、運営チームは株式会社であり、営利企業として自立すべきだなどが、その反対される理由のようです。
であhどうすべきか。
私は行政だけに頼ることなく、地方でプロチームを継続することも不可能ではないと思っています。
それは、地域の住民と企業が智恵と汗を絞ってチームを支えることと、チームも行政ではなく地域の住民に密着する努力を続けることだと思います。
ただ、寄付を集めるのではなく、運営主体は株式会社なのですから、転換社債を発行して、夢だけでなく、経済的にも期待できるものを提示して、資金集めをするのも一案だと思っています。

スサノウマジックも試合は6日もあり、午前9時30分から、ミニバスエキシビジョンマッチが三試合あり、試合開始は午後1時です。みなさんも観戦されたら、面白いと思います。
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新庁舎移転に反対する住民の集いが開かれます。

2011年03月04日 | 日記
新庁舎の移転新築に反対する集いが以下の要領で開催されます。

◇と き  2011年3月13日(日) 午後1時30分~3時30分
◇ところ  市福祉文化会館  (鳥取市西町2-311 電話0857-24-6766)
◇内 容  *市庁舎の新築移転問題について、鳥取のまちづくりの観点などさまざまな角度からの問題提起をもとに参加者の意見交換を行います。 ※参加費 無料です

主催は住民本位の鳥取市政に変える会(通称:鳥取市政を変える会)=電話 0857-29-9991。高校の先生だった田中眞吉さんや田村達也らのグループです。
田中さんたちは、
鳥取市長は、市庁舎を新築統合しJR鳥取駅周辺に移転しようとしていますが、昨年12月に実施された「市民アンケート」は、新築統合・駅周辺への移転を誘導するかのような内容で、初めに結論ありきの姿勢が鮮明です。
市民には国民健康保険料や水道料の値上げで負担を押し付けておいて、なぜいま100億円もの市役所なのか。「耐震改修しても20年後には新築しなければならず二重投資になる」と言うが、耐震改修してなぜ20年しかもたないのか。また、市民の負担を少なくするため」と言うが、合併特例債も国民の税金や借金じゃないのか。子どもたちの命を守るため小中学校の耐震強化こそ急ぐべきではないのか……など、市庁舎の新築移転に疑問を投げかけておられます。
住民の立場から自治会の浦木さん、建築・街づくりの立場から建築士の山本浩三さん、そして、住民自治の立場から私が、それぞれ問題的した後、みんなでじっくり話し合います。
「住民の集い」には、だれでも参加できますので、どうぞご参加ください。 

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郵政と行政との協働

2011年03月03日 | 日記
 民主党が成立させると約束した郵政事業の民営化を見直す郵政関連法案は、いまだに成立していません。
政治不信が募っていますが、その最大の原因は政治家の言葉の軽さにあると思います。子ども手当や高速道路の無料化など、様々な議論があることは承知していますが、まず、約束したことは実行することが大事だと思います。そして、問題があれば、「実行しましたが申し訳ありません」と国民の皆さんに謝罪して、方向転換をすべきではないでしょうか。
 私は朝日新聞の記者だったこともあって、郵政民営化論者と誤解されることが多いのですが、ずっと民営化には反対です。
民間がすれば効率的で、経費もかからないというのは幻想です。民営であり、公営であれ、冗漫な経費の使い方を許さないことです。光栄である方が経済的であることも少なくないと思います。
 どんな山奥でも、どんな離島でも、人がわけ行って手紙を届けるという社会基盤は国民の大切な財産です。加えて、郵便局は地域のコミュニティーの重要な拠点です。そして、地域に長く暮らし、地域に密着しておられる郵便局長さんは、郵便局という施設も大切ですが、それ以上の重みを持つ人的資源だと思います。もし、行政と連携を深めていただければ地域住民にとって、これほど頼もしい味方はいないと思います。
 今後、高齢化と過疎化が進むことが予想され、山間部では病院や商店も減っていきます。簡単な買い物をする、病院に薬を取りにいくという生活サポートが地域で暮らすお年寄りに必要になってきますが、こうした新しい事業を立ち上げるとしたら莫大な投資が必要です。しかし、特区を申請して、郵便局のみなさんに郵便配達と並行してやっていただけるなら、新規投資はいりません。これは一案ですが、鳥取はお年寄りの安否確認をする「ひまわり事業」の発祥の地。鳥取ならではの郵政と行政の新しい協働を提案していきたいと考えています。
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立候補予定者説明会

2011年03月02日 | 日記
橋本豊さんの葬儀に、家内と参列してきました。
家内は目を真っ赤にしていました。私たちは夫婦は1年余りの短い間でしたが、本当にお世話になりました。
出棺と同時に鳩が放鳥され、空を舞いましたが、自由に空を舞う鳩たちを見ると、会者定離という思いが募り、無常を感じました。
心からご冥福をお祈りします。

昨日は県庁で県議選の立候補予定者説明会があり、スタッフ2人が参加させていただきました。
帰ってきた2人が話すには、書かれている文章を読むばかりで説明会の意味がないと言います。
制度の趣旨説明が多いうえに抽象的で、
一番聞きたい具体的な届け出書類の書き方、選挙運動は何が許されて、何がいけないかの判断基準などが聞けなかったとぼやいていました。
選挙は市長選に続いて2回目とはいえ大学生ですから、わからないのかもしれません。そして、説明会に行くのは選挙のプロたちで、そういう人たちにはそれで十分かもしれません。
しかし、普通の市民が、政治に違和感を覚えて立候補を準備しようとしたとき、今の説明会の在り方でいいのかと感じました。
説明会は素人集団と経験者のベテラン集団に分けて開催した方が現実的なように思えました。

「で、質問したの?」
と聞くと、
「いえ」
と答えが返ってきました。
「分からないければ聞かないといけないよ。だいたい、人の話を聴く態度として……」
と話し出すると、話を遮られ、
「でも、やってみないと分かりません。その都度、聞いてくださいとのことでしたから、分からないことが出てきたら、電話します」
と現実的な答えが返ってきました。
というわけで、いろいろと質問の電話が入ると思いますが、選管のみなさん、どうぞ、よろしくお願いします。



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橋本さん、さようなら

2011年03月01日 | 日記
昨夜、橋本豊さんの通夜に参列しました。
通夜の読経が済んだ後、御棺の中で横たわっておられる橋本さんのお顔を拝見しました。
とても安らかなお顔で、まるで眠っておられるようです。
様々な思い出が脳裏をよぎり、涙が浮かびました。

愛車は軽トラック。椅子や机を運んでもらったことがありましたが、いくら若者でやりますからと言っても
「大学生には負けませんよ。私は前期高齢者ですから」
と言われ、椅子運びの列に加わってくださいました。

市長選挙の告示前、中谷都議が応援に駆けつけてくれたときには、駅前の居酒屋を予約して一緒に飲みに連れて行ってくださり、
「これからの時代は貴方たちが切り開いてください」
と激励してくだいました。

そして、この店には落選後も、連れて行ってくださいました。
一番辛い時にかけていただいた言葉がどれほどありがたかったことか。
人の情けを心から感じた時でした。

落選後、スタッフの残念会をパオという焼き肉屋で開いたときは、参加者中の最年長。
「さあ食べて、食べて、若い人は食べてね」
とずっと焼き肉奉行をかって出られ、
「若者といるのが一番楽しい」
と満面の浮かべておられました。

若者を育てようという思いが強く、決して上から目線になることはなく、丁寧な対応をなされる方でした。
1年余りの短いお付き合いでしたが、私の一生では忘れることのできない大恩人です。
本当に惜しい方を亡くしたという思いが強く、痛惜の念に胸が痛みます。

享年76歳。今日が葬儀です。これから、最期のお別れに行ってきます。





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