すなば たかひろ

「元気で人に優しい鳥取」を取り戻すため、県議になった元新聞記者の挑戦記。みんなで鳥取の未来像を考えましょう!

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「ギャラリーそら」で開催中の「CLarart展」にお出かけください!

2013年10月28日 | 日記

 ギャラリーそらで開かれている「CLarart展」に行ってきました。カラフルな色使いが楽しいクララーさん=写真左=と、鉄筋アートで皆さんご存知の徳持耕一郎さん=写真右=のコラボ展です。

 

 若いアーティストを育てたいという徳持さん。その思いが形になったような展覧会です。4日まで開催されていますので、どうぞ会場へ足を運んで下さい。
 この展覧会は「鳥取JAZZ2013」のイベントのひとつでもあります。明日3日(日)は、「鳥取まちなかJAZZ」の本番。午前11時から夜まで、市街地のあちこちでジャズライブが開かれます。クララーさんと徳持さんのアートライブは本通りの路上で、12:15~、13:15~、14:30~の3回計画されているそうです。どんなパフォーマンスが展開されるのか楽しみです。

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台湾訪問4日目 帰国しました

2013年10月28日 | 日記

 台湾訪問も4日目。鼎三国際有限公司の訪問が3日目に繰り上がったため、そのまま台中空港に向かいました。スーパーやデパートを覗いて、日本の産品の販売状況を見たかったのですが、開店は10時なので、そこから駅へ移動となると難しいとのことで、しかたなく、バスで台北駅へ向かいました。

バスが駅に付くと、また、議会事務局の2人がスーツケースを開けて荷物の整理を始めました。本当にお疲れ様です。

駅にはセブンイレブンがありました。

切符売り場です。

改札口は自動です。

ホームのプラットフォームは地下でした。

列車内は日本の新幹線とよく似ています。

車内販売で売っていたミネラルウォーターのペットボトルです。新幹線のデザインがおもしく、思わず買ってしまいました。

台中駅に到着しました。定刻通りでした。

時間がないので、昼は台中駅の中のパン屋さんで買って済ませました。ヤマザキパンでした。

台中駅からはバスで、台中空港へ移動しました。その間は高速道路です。

台中空港の国際線ターミナル。とても清潔な感じでした。

定刻は14:35発でしたが、機内への案内は定刻から5分遅れでした。

機内食が出ました。空の旅の楽しみのひとつです。でも、チキンライスと羊羹の味はミスマッチでした。

東シナ海上です。雲海が綺麗です。

夕日が沈みかけています。雲海に沈む太陽は機上でしか見えない風景です。

鳥取空港に着陸していたときは、すっかり日が落ちていました。今回の台湾訪問では、たくさんの宿題をいただきました。月曜日から頑張って片付けたいと思います。県会議員の海外派遣には厳しい意見はあることは承知しています。しかし、そこに行かなければ理解出来なこと、顔と顔を合わせて人間関係を築かなければわからないこと、がたくさんあります。そのことを改めて実感しました。ご理解を賜りますようお願いを申し上げます。 

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台湾訪問3日目(1) 台湾新幹線で台中市から桃園県へ移動しました

2013年10月28日 | 日記

 台湾訪問も3日目です。この日は桃園県にある国立陽明高級中学校を訪問するため、台湾高速鉄道に台中駅から乗り、桃園駅へ向かいました。

私たちが乗ったのは、620号。9時35分発の各駅停車です。

改札は自動です。切符を挿入するとき、裏表があって、逆だと挿入できません。

在来線と連絡していました。

コンコースにはテイクアウト専門の寿司屋さんがありました。

620号は到着しました。日本の新幹線にそっくりです。

台湾高速鉄道は台北市から高雄市の左営駅までの345kmを最高速度300km/h、ノンストップ便では所要時間約1時間30分で結びます。同区間は、最速の在来線の特急では3時間59分を要していたので、3分の1近くまで時間短縮になったことになります。総事業費は4,806億台湾ドル(約1兆8千億円)。日本の新幹線の車両技術を輸出・現地導入した初めての事例ですから、似ているのは当然と言えば、当然です。

 桃園駅には定刻の10時14分に到着しました。時間は驚くほど正確です。料金は470台湾ドル(約1550円)。思ったよりも安価です。旅行代理店の人に聞くと、値上げできずに赤字が累積しているとのことでした。

 改札口を出たところには航空会社のカウンターがあり、ここでチェックインができるそうです。

議会事務曲の2人、それに後ろは、国際交流員の陳さんです。

桃園駅には新交通システム(地下鉄)の桃園捷運機場線(とうえんしょううんきじょうせん)が接続し、桃園国際空港と結んでいます。

私たちはバスに乗り換え、国立陽明高級中学校へ向かいました。」

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台湾訪問3日目(2) 国立陽明高級中学校を訪問、米子東高校との友好提携についての協力を求められました

2013年10月28日 | 日記

 新幹線を桃園駅で降りた私たちは桃園市にある国立陽明高級中学校を訪問しました。台湾の学制は幼稚園、国民小学校、国民中学校、高級中学校(高校)、大学で、日本と似ています。同校は日本の高校にあたります。普通科27クラス、美術科3クラスからなり、生徒数は2700人。林清波校長以下134人の先生方が指導されているそうです。2008年以来、毎年、教師、生徒からなる交流団が来県。米子東高校とは毎回、そして、時には倉吉農高、境港総合技術高校と交流しています。

 

 本部棟の電光掲示板には「歓迎日本国鳥取県議会一行」と表示されていて、ありがたいなと思いました。

 陽明高校はこの日は運動会。儀仗隊の生徒さんたちが練習していました。銃剣を付けた模擬銃を持っていて、ちょっと驚きましたが、実にキビキビしていました。

 右が林校長先生、左は家長会(PTA)の何会長さんです。心から歓迎していただき、感激です。林校長は「鳥取県とは長いお付き合いです。米子東高校には昨年、一昨年を伺い、今度は依藤校長先生をお招きして姉妹校提携もする予定です」などと述べ歓迎。家長会(RTA)の何会長は「2800人の生徒の家族の代表として歓迎します。これから米子東高校と姉妹提携をしますが、PTAとしてうれしく思っていますし、PTAとしても微力ながら支持していきたい。陽明高校の先生方とも協力して連携を進めていきたいと思います」と話されました。

各教科主任の先生方も揃ってお迎えいただき、恐縮です。山口団長が挨拶され、同行した議会事務局の頼田課長補佐が米子東高校の卒業生であることを話すと、先生方から拍手が起こりました。「台湾にこそ、教育の原点があると思うのでしっかりと学びたい」などと話された後、意見交換に移りました。実は随行したもう1人の前田係長も米子東高校の卒業生で、後で話すと林校長は「2人も米子東高校の卒業生が来られた」と大喜びでした。

 

 林校長は「海外交流旅行だけでなく、様々な分野や交流を広げていきたいと思っています」「生徒の学力向上に力を入れています。大学合格率は99%です。50%~60%は国立大学へ進学します。それも、台湾大学、交通大学、政治大学、清華大学など一流校へ進学しています。それはひとえに教職員の努力の賜物です。それで、設備の充実にも力を入れていますし、生徒たちも頑張って勉強しています。高校3年生の16%は寮に住んでいるが、これは大学進学の勉強のためです」などと話していただきました。その後、米子東高校との交流について説明があり、県議かとしてもしっかり応援して欲しいと要請されました。

普通科の教室棟です。

「阿成廳」と名付けられた新会議です。座席数は180。134人の教員が参加する職員会議はここで開かれます。この日は、アメリカの大学7校が参加する留学説明会が開かれるための準備がされていました。

マイクのスイッチを押すと、自動でカメラが発言者の顔を捉え、スクリーンやテレビに表情を映し出します。照明や音響もボタンひとつで調整できるシステムありました。すべて、林校長アイデアを国が認めて実現したのだそうです。

校庭の中央は天然芝で、トラックは舗装されているそうです。運動会のため、校庭の回りにはテントが張られていました。

図書館です。

温水プールです。

旗は左から、校旗、台湾国旗、それに、米子東高校の校旗です。米子東高校への思いが伝わってきました。

体育館兼講堂です。

英語教室です。

手元のボタンを押すと、教員宅では集計された値と、個別の答えが表示されます。

言語教室です。陽明高校では英語、日本語、フランス語、イタリア語、スペイン語の5ヶ国語を教えています。

コミュニケーション教室です。生徒4人が1つの机を囲み、ディスカッションしながら学びます。

美術科の生徒たちの作品が壁面の映写されていました。

ギャラリーには、生徒の作品を取り替えながら展示されます。

教室棟の壁には、生徒の作品が並んでいました。

住んで居られないそうですが、校長官舎です。

中庭では生徒たちが寛いでいました。

図書館です。パソコンが並んでいて、ここでは映像資料を自由に観ることができます。

映画の映写スペースもありました。

映像資料も充実していました。

日本人入門という本もありました。

日本のマンガもありました。

書庫は開架式で、自由に閲覧できます。

パソコン教室。生徒たちは大きなモニターの前に座り、パワーポイントなどを一緒に使っていくそうです。

映像教室です。映画鑑賞などで使われます。

劇場教室です。音楽や芝居の発表などがなされます。

学内の雰囲気は高校というより、大学という感じです。

 校内を案内いただいた後、桃園県議会の萬美齢議員、桃園県政府教育局の呉林輝局長、林校長、何会長さんらと意見交換の場を持ちました。議会事務局の頼田さんと前田さんは、また、スーツケースを開けて御土産の準備です。本当にお世話になりました。

 私の娘は米子東高校の卒業生で、今は大学2年生です。東日本大震災被災救援のため陽明高校から支援金が届いたときは生徒会長で、同校にテレビ会議で感謝を伝えたり、訪問された生徒さんたちの接遇をしたりしていたそうです。来年2月には米子東高校と同校は姉妹提携を結ぶのですが、「是非とも、親子で提携のセレモニーを祝いに来てください」と誘っていただきました。本当にありがたいお話で、私の議会日程と娘の大学での授業日程が合えば、是非とも訪れたいと思います。

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台湾訪問3日目(3) 鼎三国際有限公司と台湾外交部でお話を伺いました

2013年10月28日 | 日記

 台北市内にある鼎三国際有限公司を訪ね、林定三会長とお会いしました。鼎三国際有限公司が、島根県の中山間地の米の輸入に取り組んで居られるという新聞報道があったので、鳥取県産品の輸出についてヒントをいただけるのではないかと、広谷議員の提案で、参考意見を求めるためにお伺いした次第です。林会長のご家族の病が重いということで、急に訪米することになり、最終日の予定を3日目に変更して会っていただきました。そんな大変なときにも関わらず、会談の時間を作っていただいた林会長に心から感謝です。

  以下は林会長の話の概要です。とても美しい日本語で話していただきました。

 鳥取県は梨が有名ですね。韓国には量販店、スーパーマーケット(二等クラス。マツセイ)、そごう・伊勢丹・高島屋という日系スーパーという販売店のピラミッドがある。上の日系の店舗は約30店舗。高級志向が強いです。それぞれの店が春秋の二回、店舗で物産展を開いています。今はマスカットが人気、岡山、島根、山形から輸入していますが、700グラムが1箱で1600円。いい値段です。あんぽ柿、もも人気ですね。野菜より、果物の方が売れますね。桃は福島産が人気でしたが、今はだめです。安心安全の思いがありますかね。鳥取県でははカニも人気、水産物もイメージは島根と一緒で悪くないです。季節で販売することが大事。物産フェアでは季節に合わせて販売しますからね。

 日本の賞味期限は短すぎる。消費期限にすべきです。3ヶ月ではだめで、半年に伸ばないだろうかと思います。三ヶ月は最低でもないと買えません。だいたい二ヶ月店頭に並べ、それで返品している。だから六ヶ月か、九ヶ月にしなといけない。そうするとお店も安心だし、売れ残らない。だから海苔、缶詰などがいい。

 

 林会長のお話は具体的なので、聞き漏らすまいと、しっかりパソコンで記録しました。記者時代の修行が生きています。林会長の話は続きます。

 台湾は米を年間15万屯を入れている。WTOの関係もありますから。65%は政府米。35%は民間で5万トンくらいかな。日本に権利金を払って、当社は100~150トンを入れている。香港、シンガポールが日本米を入れていたが、香港は今、中国に遠慮して止めている。銘柄は6~7種類かな。当社は台湾の日本産米の7割を扱っています。

 日本の米の生産は農協の関係と、農業法人の関係などシステムは様々なものがある。国内の様々な調整もあるので、当社は新規需要米として契約して輸入しています。ある県の物産展に協力していますが、試食や来場者への御土産はその県がサポートしています。生産者は海外に出てくるだけでも大変。やはり、海外に売るには県のサポートが重要です。

 物産ファアをして、どれが売れるかと示すことが、貿易商社やデパートにインパクトを与える。売れないものは買わない。売れるということを示すことが大事です。ただ、その例外は台北駅の鬼太郎商店。開店前には、そうした取り組みはなかったが人気ある。そしし、それはユニークだから。しかも、それで鳥取県に行きたいという人も出てきている。こうした人気も利用して、鳥取県が県内の企業や農協に声をかけて、物産展をやるのがいいと思います。

 高雄の高島屋では、日本全国の産品を並べる物産展を春秋でやっています。単独で難しいなら、そうした機会に参加することがいいのではないでしょうか。金土日曜日だと10ワゴンが基本ですが、別のある県は私たちが間に入って2ワゴンでやっています。デパートは実演販売。別の県は蕎麦の実演販売が人気です。目の前で蕎麦を売って、茹でて食べてもらう。つくるところを見せることが、買う人の安心安全に繋がります。見て、食べて、美味しかったとなると購買力のある人は必ず買います。しかし、外国の馴染みのない食品は、どれが美味しいか分からないから、買わない。だから、県のサポートで大事になってきます。

  米は日本全国と付き合いがあります。実はデパートで売るには綺麗な袋、つまりパッケージが大事です。このファイルは、これまで売ったお米のパッケージです。

 持って帰るのは2キロが限界です。1キロでもいい。5キロはだめ。消費者の行動を考えないといけない。たくさん売りたいから、大きな袋と考えてはダメです。そして、パッケージだけでも欲しいというような米は売れます。県がサポートするのなら、県の観光PRなどに袋の裏を使ってもいいのではないでしょうか。そすると、(デザインなどに税金を使っても県民に)分かってもらえる。食味が大事だが、やはりこうした消費者に手に取ってもらう工夫が大事です。

 安くても味のダメなものはダメです。特別栽培の米はいりません。そういうことは台湾の人たちは知りません。肥料と農薬は半分にしても、2割高くなるは意味がない。どうせするなら、有機栽培です。徹底しないといけない。特別栽培米は行政機関が手続き費用を取って高くしているのが問題です。低農薬など言っても無理です。どこの農家が、どう作ったかは意味がない。栽培農家の顔を入れて、こうしてつくっています、有機栽培ですとしっかり消費者に理解してもらうまで、PRしないといけないんですよ。

  扱いは米の他には日本酒とお茶です。島根との付き合いは副知事が来られてから、私どもとの付き合いが始まったんです。やはり人間関係が商取引でも基本です。県が物産展をやって、県内の企業さんに勉強してもらって、考えてもらうことが大事です。繰り返しますが、米であっても、食べて、食べてと試食させて、炊き込みご飯やお寿司など、こうした食べ方があると、PRしなといけないんです。アメリカの食品安全強化法の影響は今の台湾ではありません。

 この他、具体的な様々な話をお伺いしましたが、相手先との関係もあるので、ブログにアップしませんでした。お許し下さい。

 次にお会いしたのは台湾政府外交部の皆さんです。正式な国交がないため、東亜関係協会が窓口となっていますが、実際は外交部と思って差し支えないようです。

 

 日本担当の事務方トップである羅秘書長=写真前列中央=とお会い出来ましたが、羅秘書長は在大阪経済文化弁事処長や駐日代表処副代表を歴任され、美しい日本語で話されました。外交官3人も同席、様々な分野で意見交換しました。その中で、羅秘書長は「古典的国交がないだけ。日台関係はこれまでになく良い状態が続いており、経済交流は盛んで、今ではなくてはならないパートナーです。新しい、理想的な国交を築こう」と話されたのが印象的でした。

 私も「外交は国益が基本ですが、私たちのような地方政府との間では友情と信頼が基本になります。友情と信頼の上に、経済、文化、青少年などの交流を積み重ね、お互いの地域が、お互い幸せになれるよう連携を深めていきたいものです。そして、外交が最悪の状態になっても、こうして仲良くなった関係があれば絶対、相手に武器を向けたいとは思わないでしょう。それは核兵器を持つ何倍も何倍も強い、抑止力ではないでしょうか」と話したのですが、「その通り。あとは実践です。相互に何回も合いましょう」と賛同していただきました。

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台湾訪問2日目(1)ー1 東海大学 キャンパスはキリスト教精神に満ちていました

2013年10月28日 | 日記

 東海大学では国際交流センターのChao-Min Pan博士、農学部食品科学科の王良原博士が出迎えてくれました。「東海大学はキリスト教精神に基いてできた学校です。学内を見ていただければ、そうれがどういうものか分かっていただけると思います」。そう話す王先生の案内で、キャンパスを案内していただきました。

というわけで、ミニ・キャンパスツアーに出発です。 王先生は東海大学の卒業生で、私の母港である広島大学へ留学し、博士号を修得されています。最初にご案内いただいたのが「緑のトンネル」です。

 

 1955年の建学当時、敷地の中央になだらか坂の道を作り、その両側にガジュマルの木を植え、左右に各学部を配置しました。東海大学は中国大陸に あった13校のキリスト教の学校を合併して設置されました。日本のICU(国際基督教大学)と同時期にアメリカからの同じ支援で出来たことから、緑を豊かに、その中に建物を配置するという非常に似た設計になっています。学長室のある建物です。建学当時のままですが、日本家屋に似せたとも、唐時代の建物に似せたとも聞いています。

 

 ユニークなのは、その中庭です。学生たち同士、あるいは教員と学生がコミュニケーションを取るには、お互いの顔が分かり、「おーい」と声をかけて届く範囲でなければなりません。その距離をいろいろ調べたところ、35メートルを超えると声が届かなくなり、コミュニケーションが取れなくなることが分かったそうで、それで、東海大学の中庭は35メートル四方が基本になりました。

  緑のトンネルを挟んであるのが、建学当時の図書館です。

 

 学長室の前に図書館があるということで、それだけ知識を大事に思っていたことがわかります。図書館は今、文理大道の一番上に移転しました。 

 東海大学の一番高いところにあること意味があります。知識を得るというのは大変なことで、毎日、この坂を上ることで学生たちに自実感してもらおうとしたんです。確かに歩いてきた皆さんにも思って欲しいです。建物は7階建てです。台湾で最初に開架書庫を導入した図書館です。学生を信頼しているからできることで、これもキリスト教の教えがあったからこそ。そう思います。

 

 キャンパスの広さは東京ドーム28.5個分もあります。文理太道は左右に大きく育った木が枝を伸ばし、緑のトンネルになっていることから、その中にいると気温は3度前後低。市民に開かれた大学ですから地域住民がよく散策に訪れるそうです。親日家の中には台中の軽井沢という人もいます。

文学部です。近く、台北市の指定文化財になるそうです。建学当時の状況がよく残っています。

中庭のまわりに建物が配され、中庭では学生や教員が会話できるようになっています。

東海大学では1年生は全員、寮に入ることが決まりです。だから1年生はみんな顔見知り。東海大学は団結力が強いと言われるのもそのためでしょう。

また、寮では皿洗いや掃除もします。勤勉、忍耐、愛はキリスト教の最も尊ぶべきところなのです。だから、就職の面でも、東海大学生は非常に高い評価を受けています。箱入り娘で、家の手伝いもしなかった娘が、休みになって帰ってきたら見違えるように家事の手伝いをするようになったと喜ばれる親御さんも多いですね。

 緑のトンネルを挟んで反対側にあるのが工学部です。

 どうしても大学は実学中心になりがちで、文学や哲学はおろそかにされがちです。そして、その一番の実学が工学部です。だから、文学部と違い、緑のトンネルからちょっと下げて建物を配置しました。これも、キリスト教が尊ぶ謙譲の精神の現れと思って下さい。実学を軽んじているのではなく、大事だからこその謙譲の美徳なのです。

 

 ここの空いたスペースは芝生ですから、文学部の学生と、工学部の学生が、ここで休憩時間などにコミュニケーションを取ります。ここの配置は、すばらしいアイデアです。

  緑のトンネルの途中にあるのはタイムカプセルです。「建学の思いはパイオニア精神である」と刻まれています。2000年に設置され、2050年に開かれます。

  

これは鐘楼です。ここを使うのは年に一度ですが、それでも、そのために1年間メンテナンスを続けます。これもプロテスタントの精神です。

 

 チャペルです。当初、緑のトンネルの正面に配置しようという意見もありましたが、「一番良い所は誰かの為に取っておきましょう」という意見が出たんですね。キリスト教では右は権威、左は謙遜を意味します。ですから、正面を譲ってチャペルは左に配置したんです。

 図書館から出て、緑のトンネルを抜けると、そこから視界がひられている。これは、学生たちが知識を習得すれば、明るい将来が開けていますよと学生たちに身を以って体験してもらうことでもあるんですね。

 

 このチャペルは東海大学のシンボルであり、台中市のシンボルです。かつて、密入国者が多かったころ、警察官は不審者を見ると「東海大学のシンボルは何ですか?」と聞いたんだそうです。それほど有名であり、市民に親しまれています。築50年になるのにタイルも綺麗でしょう。9月21日の台湾中部地震は大きな被害をもたらしましたがビクともしなかった。東海大学では被災者を受け入れ、構内の芝生などにテントを建てて支援しました。設計者はイオ・ミン・ベイ(貝聿銘)です。広州出身で香港を経由して渡米し、成功した設計家で、代表作はパリのルーブル美術館前のガラスのピラミッドです。滋賀県にあるMIHO美術館も彼の作品です。 この建物は壁も、柱も、屋根もない、全く新しい発想です。そこには神の働きは人間を超えているという教えが入っています。新入生を集めて、この大きな壁面をスクリーンにしてパワーポイントで映像を壁面に写すオリエンテーションも開かれています。夜間はライトアップされますが、そのライトを使った影絵のコンテストを学生たちは開いたりして楽しんでいるようです。

 

 入り口が東、祭壇が西にあり、このラインに沿ってガラスの窓と天井が一例に並んでいます。これは聖書の創世記第1章の「はじめに光あり」という言葉をイメージした表現でもあります。

 

 壁のひし形は人間をイメージします。下はしっかりと太く、上は細い。人間は力強い人たちは下部にいて、社会をしっかりと支えなければならない。これが謙遜のあるべき姿。強いからこそ、下にいるべきだという思いが大切なのです。そして、上にあがって行き、最後は天国に帰っていくのですよ。

 

大学の卒業生は、このチャペルで結婚式を挙げることを希望する人が多いのですが、結婚するいずれかがプロテストの信者でなければ許されません。ここは市民と大学のシンボルではありますが、宗教施設なのです。日曜にはもちろん礼拝が開かれますが、参列者が多いので3回に分けて開いているほどです。外形ですが、前方は手を合わせた様子のイメージで、後ろは聖書を両手で持ったイメージです。

 

 周辺の木はフェニックスです。卒業式を迎える6月ごろ、美しい花を咲かせます。日本の桜と同じです。それなのに入り口の1本が枯れかけました。今、樹木医が懸命に治療していて、とずいぶん緑が元気になってきました。

 

 右が建築学科、左が工業デザイン学科です、いずれも、東海大学の看板学科です。

 

 学内の緑を守るため、学生のバイクの乗り入れは禁止です。ただし、大学院生は遅くまで研究するのでバイクが許されています。

 

 近くに住んでいる方が、よく大学を散策されていたそうです。その方が大学の事務局に自らの意思で連絡してこられ、お世話になったので、大学に寄付をしたいと言われたそうです。実はその額が巨額でみんな驚いたそうですが、その寄付で建ったのが、この情報センターです。IT関係の学科などが入っています。

 

 付属小学校です。この裏に付属幼稚園があり、付属中学校と付属高級中学(高校)もあります。だから、東海大学のことを「K to D」と言います。キッズ(幼子)からドクター(博士)までという意味です。大学の卒業式では、付属幼稚園からずっと東海大学で学んだ学生を表彰しています。ですが、博士課程まで東海大学という人はいません。やはり、大学院くらい外で学ばいないといけないと学生が考えるからでしょう。

 

 農学部畜産学科があり、乳牛200頭を学内で買っています。学内には乳製品加工場があり、営業許可を取っています。実験施設や実習施設を持った大学はありますが、営業許可まで取った大学は他にありません。東海大学はアメリカから資金援助を受けて設立された大学で、国から支援を受けている大学ではありません。ですから、自ら資金を得る努力をしなければなりませんし、キリスト教の教えを実践すると、大学での研究を地域に還元することが大事になるわけです。ここの乳製品は大人気で、生乳が足りず、周辺の農家を指導して買い入れるほどです。大山の牛乳に私は似ていて、とても美味しいと私は思います。まさにブランド品です。

 

 大学の周辺には高級マンションが林立しています。

 ビルの窓は東海大学のキャンパスに向いています。「東海大学の緑の全貌が見えますよ」「東海大学があなたのお庭です」というような広告が打たれ、高い階ほど高い値段が付いています。しかし、とても高いので私たち教職員にはとても買えません。「まけて下さい」と頼みにったけどダメでした。

 新築された学生寮です。

 キャンパスには何箇所も学生寮があり、計5000人が暮らしています。うち、3300人は1年生。新入生は寮でクラスのが東海大学のルールだそうでうす。

学生寮にはテニスコートもありました。恵まれた学生たちですね。

学内では鹿も飼育されていました。角は効果な漢方薬。それで飼育方法が研究されているようです。

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台湾訪問2日目(1)ー2 東海大学 餐旅管理学科でおもしろい提案をいただきました。

2013年10月25日 | 日記

 東海大学では農学部餐旅管理学科の皆さんと昼食を取りながら意見交換の場を設けていただきました。餐旅管理は、Hospitality Managementと表記されていたのが印象的でした。日本では観光やホテル運営は専門学校で教えても、大学が専門学科を設けて取り組むことは少ないと思いますので、ユニークだと思います。1200人の学生と、130人の院生を34人の教員で指導しているそうです。

 まず、農学部長の閻立平博士に、学部学科の概略を説明していただきました。

餐旅管理学科の教授陣は女性が多いのだそうです。

ここは実習室で、学内で唯一、お酒が飲める場所だそうです。

しかし、この日は、キャンパス内の牧場で育てている乳牛から搾ったミルクで乾杯です。

これが濃厚で本当に美味でした。東海大学では営業免許を持った乳製品加工場も持っています。キリスト教の学校だけでに働いて資金は自分で稼ぐという思いと、地域貢献のために営業許可を取ったそうですが、ものすごい人気商品なのだそうです。

柚子と葡萄のヨーグルトです。これも美味でした。餐旅管理学科の学生の皆さんがお世話していただきましたが、将来のエリートホテルウーマンだけあって、サービスは洗練されていました。

昼食のお弁当は大学直営のレストランで料理したもの。美味でしたし、量もかなりのものでした。

ちょっと食べてから写真を撮ってないことに気が付きました。食べかけの写真でごめんなさい。

ここではアメリカの食品安全強化法の改正から、食品添加物、観光資源の発掘まで様々な意見交換ができ、本当に有意義でした。王博士は、台湾政府の依頼で東京に物産館をつくるプロデューサーをされており、是非とも鳥取の観光、食材、自然などを紹介する施設を台中市に作るべきだと力説されていました。台湾の学生をホテルや旅館だけでなく、様々な分野の鳥取の企業にインターンシップ生として送り出し、鳥取の魅力を存分に学んでもらう。そして、そうした学生たちが鳥取を紹介する台中市の施設でアルバイトすれば、絶対、鳥取の魅力を力強く、発揮できるので、考えて欲しいというのです。帰国後、担当部局に話してみたいと思います。

意見を交換した先生方です。お世話になりました。 

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台湾訪問2日目(2) 台中市体育処 交流のネックは交通費。直行便の必要性を痛感しました

2013年10月25日 | 日記

2日目2番めの訪問先は台湾市体育処です。

 台中市役所を再利用しているだけに、立派な建物です。

エントランスも広々として、市役所の一部局とは、とても思えません。台中市教育局の王副局長、体育処の頼秘書、台湾大脚Y(ビッグフット)ジョギング協会の劉会長、楊副会長、呉総幹事らが出迎えていただきました。

 まず王副局長が挨拶されました。

 「合併前は姉妹提携し、農業、文化など様々な交流を続けており、私も2回鳥取を訪問しています。4年前は副県長と一緒に、そして、今年の8月、石岡郷の中学生を連れて行きました。鳥取の人に新設にしていただき、ありがとうございました。平井知事が多忙にかかわらず、会見していただき、感謝しております。今年のサマースクールは三朝町でホームステイさせていただきました。改めて感謝の言葉を申し上げます。今回の訪問に際し、地元で有名な台湾ビッグフットジョギング協会の皆さんをお呼びしました。これかの交流の発展を祈念して挨拶とします」などと終始笑顔で話されました。

 次に、台湾ビッグフットジョギング協会の劉金書会長が挨拶されました。

今年3月27日のマラソン大会に鳥取県から参加していだきましました。その時の団長は横山議員でした。全会長は昨年、鳥取マラソン2012に参加させていただきました。沖縄や北海道との交流は盛んですが、今後は鳥取との交流も進めたいと思っています。協会は日本との交流を進めていますが、スポーツを通じての交流を進めてまいりたいと思っています。

 鳥取側は山口団長が挨拶して意見交換に移りました。 

 台中市は昨年、岐阜県とサッカー交流の提携を結んだそうです、崔副市長が岐阜県を訪れ、サッカー交流をしてきました。合併後も盛んに進んでいます。今年12月、沖縄の那覇マラソンに参加していきます。スポーツだけでなく、他の領域も含め、実績を作っていきたいと話されました。 

 今週末の石岡マラソンが開催されるので、その記念Tシャツを頂きました。スポーツ交流を中心に意見交換しましたが、楊会長は「一昨年、鳥取マラソンに参加しました。風景など素晴らしいと思いますが、コースにあった東郷湖が雨でよく見えなかったことが残念です」と話されました。しかし、雨だけはどうもなりません。

 楊会長は「台中市では様々なテーマでマラソン大会を計画しています。60台、70台向けのマラソン大会を計画しています。集集郷で12月に開きますが、これは音楽をテーマにしています。10月27日の石岡マラソン大会にもいらっしゃってください。11月9日には一番大きい通りでマラソン大会を開催いたします。長青マラソンをしていて、5キロ、10キロという距離で、年配の方に向いています。鳥取マラソンは鳥取砂丘をスタートにしたが、良いことだと思っています。協会は40台、50台、60台。スポーツを通じる交流は有意義だと思っています。年配の方はゆっくり走って、ゆっくり大会を楽しむことが良いのではないでしょうか。協会は沖縄県との交流は10年になります。鳥取県とも長い付き合いをお願いしたいと思います」と話されました。

 楊会長たちは桃園空港から関西国際空港経由で鳥取にこられたそうです。年に3回くらい鳥取との間にもチャーター便が来ており、私たちもチャーター便で来たのですが、チャーター便は定期航空路に比べ割高と言っても、関空経由よりは安価です。マラソン参加者は普通の市民であり、参加しやすい環境のひとつは交通費の安さです。マラソンと観光を兼ねるとか、そうした様々な方法を考えるべきですが、ここをなんとかしないといけないと思いました。議員団からは「行って帰るだけでなく、相互に報復するようにイベントを仕掛け、チャーター便を有効利用しては」との意見も出され、これは帰国後、関係者と話し合ってみたいと思いました。 

 台中市は全国民が参加する全民運動会で昨年は1番になったそうです。全民運動会は毎年開催。順位が決まります。普通の市民が参加し、参加人数でも評価されます。全国1位は、それだけ市民の間でスポーツが盛んな照明でもあるそうです。 

 スポーツ関連の施設の整備に力を入れており、建設中の中正国民運動センターはスポーツだけでなく、リラクゼーションにも使えるものを想定しおり、市民は今から期待しているとの説明もありました。大きな試合や大会を開催する場所も整えており、ワールドクラシックベースボールも台中市が会場だったそうです。

 最後に王副局長が「今年のサマースクールで、石岡中学校が鳥取に行きましたが、体験のコースを入れていただきました。梨の栽培、大山でのアイスクリームづくりなどが好評で、また行きたいと子どもたちは話していました。サマースクールでは人数とか、回数とか増やしてみたいと思います。12人の枠でしたが、60人もありました。抽選で決めました。人数を増やすことには自信があります。こうした交流を着実に拡充していきたい」と話されました。

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台湾訪問2日目(3) 石岡区農会 穂木の輸出について大きな宿題をもらいました

2013年10月25日 | 日記

 訪問2日目、最後の訪問は石岡区農会です。

農会は農協のような組織です。非政府組織ですが、農会法の適用を受け、台湾行政院農業委員会、全国農会、台中市農会、そして、石岡区農会という上下関係はあるようです。会員数は約3000人、主要生産物はポンカン、高級梨です。対応してくださったのは呉維章理事長=写真中央、張東海総幹事=写真右=のほか、職員の皆さんでした。途中から王偉誠区長も加わりました。

 話は冒頭から、厳しいものでした。石岡区農会の主産物である梨の穂木は、鳥取県だけから輸入しているのに、鳥取県の対応はひどく、不信感を持っているというのです。これまで友好的というか、建設的な提案が多かっただけに「じぇじぇじぇ」って感じでした。2時間近く話しをしましたが、石岡区農会の不満は、4点ありました。

 1番目の問題は穂木の不足です。1998年から鳥取県から梨の穂木を輸入しているが、希望しただけの穂木が届かない。以前は希望した数量の8割前後は出荷していただいていたが、今では4割前後。これでは農家は生産できない。確かに鳥取県農林水産部の資料でも、穂木の出荷数は、2008年には4394箱(1箱=10キロ)だったものが、2009年には2633箱、2011年には1683箱まで落ち込み、昨年も2213箱に留まっています。他の梨生産地は新潟、秋田など他県の穂木を入れているが、石岡は鳥取だけで、一度も他の産地から買ったことはないと繰り返されました。鳥取産の穂木は農家の人気が高いが、必要数量が確保できないと生産が落ち込み、困っている。しかも、石岡区は后里区、新社区、大湖区と穂木を共同輸入しており、その窓口が石岡区なので、他の地区からも叱られている。中国産は輸入が禁止されていたが、穂木の不足から一昨年から輸入が解禁になった。価格は鳥取産の半分。それでも、石岡区は中国産を使っていない。しかし、農家は毎年、穂木が確保できるかどうか不安を抱えており、何とかして欲しいというのです。

 次の問題は、鳥取県は正確な情報を出さないというのです。その年の生育状況のレポートが、送られてきて、そこに穂木の生産量が書いてあり、この数量をベースに農家の希望を聞いているが、届く穂木の量は、毎年、この数字より少ない。不信感に近いものがあるとまで言われました。

 3番目の問題は、穂木を輸出できるのは、台湾の植物防疫検査官の検査に合格した果樹園の穂木だけです。これまでは鳥取県の国際交流員が検査現場にずっと居てくれて、通訳してくれて本当に助かったが、今は対応してくれる時間が短い。その結果、コミュニケーション不足になり、検査がうまくいかないのだそうです。以前のように協力してくれないだろうかと希望されました。

 最後の問題は、鳥取県の農業試験場が開発した新品種の「新甘泉」「なつひめ」に非常に大きな関心を持っている。その穂木が欲しいが、取り合ってもくれないというのです。

 これらの問題について、正確な情報を持っていませんので、帰国後、関係者から事情を聞いてみるとお約束しました。しかし、梨の農家の減少と高齢化が穂木生産を減少していることが、この問題の根底にはあり、簡単に解決できる問題ではないようです。それでも、石岡区農会の皆さんは最後は、「自分たちの思いを丁寧に聞いていただき、本当に良かった」と口々に話されました。ただ、「議員の力は大きい。これで問題の解決に前進した」と言われましたので、「台湾と日本は政治制度が違う。日本では議員は行政府に言ったからと即時に変わるような制度にはなっていない」と誤解だけはされないように説明はしました。しかし、本当に大きな宿題をいただきました。帰国後、農林水産部や関係者と話してみたいと思っています。

 梨の果樹園も見せていただきました。

異常気象の影響での開花だそうです。これから穂木を挿し木するそうですが、前年の挿し木がいくつか残っていました。

果樹園の近くに橋がありました。

恋人の橋というのだそうです。

毎年、この橋の上でアベックが氷の上に乗って抱き合って口吻をし、一番長口吻を続けたカップルには、香港への往復エアーチケットが送られるそうです。地域おこしのイベントに知恵を絞るのは万国共通のようです。

橋の近くに、農会経営のカフェがあり、鯉幟が泳いでいました。日本で見て可愛いと思ったので、台湾の河川に多い、豆魚という魚をモチーフに作ったそうです。

 この晩は、石岡区役所主催の歓迎会がありました。王区長ら区役所幹部、石岡区農会の皆さんに加え、現住民族である客家の皆さんのお世話をしている台中市政府客家委員会の頼朝暉主任委員、僑光科技大学の王博士、謝前区長、議員だった連氏などたくさんの方も参加され、日本側も日台親善協会の方々も合流し、様々な話と鳥取への期待を聴かせていただきました。王博士は横浜国立大学で博士号を修得されただけあって日本語が堪能。ずっと通訳いただき、本当に助かりました。

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台湾訪問1日目(1) 鳥取空港を飛び立ち、台中市に来ました

2013年10月24日 | 日記

 鳥取県議会は台中市との交流を続けていますが、今年は山口議員、藤縄議員、広谷議員、それに私の3人が派遣されることなりました。鳥取空港と台中空港を結ぶチャーター便が飛ぶので、その利用促進の一助にと、私たちもそのチャータ便を利用することにしました。集合は鳥取空港の国際会館です。

国際会館の待合室です。初めて利用しました。搭乗機はブラジル製のEMBRAER190。4席のシートが27列という約100人乗りの小さな飛行機です。機体整備に手間取ったため、東京便の着陸と重なり、鳥取を出たのは定刻から約40分遅れでした。

機会はこんな感じです。とても狭く感じました。テレビなどの設備もなく、国内線のような仕様です。

フライトは約3時間。台湾の山並みが見えてきました。雲の上に顔を出し、神々しいという感じです。

高度を下げると台北市の町並みが見えてきました。人口は270万人。大都会です。

定刻から35分遅れで、無事到着です。とても綺麗な空港です。

台北市役所秘書處国際事務課の職員の皆さんが出迎えていただきました。温かい歓迎が嬉しいです。

空港のターミナルも近代的です。

消防局の前を通りました。消防車は2台とも、いすゞ製です。

バスは中心市街地へ入ってきました。近代的なビルが乱立しています。台中市は、鳥取県と交流の深かった台中県と3年前に合併し、台北市、高雄市に次ぐ、3番目の直轄市になりました。日本でいう政令指定都市と考えればいいと思います。

三越です。日本資本が多くに入っている国のひとつです。

市役所前の様子です。これから公式行事が始まります。どんな交流ができるのか、頑張って具体的な果実を得られるよう努力します。

 

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