風のうわさ

気ままな私の独り言

ドーハから

2014年04月30日 | 旅行

さて、 私たちはこれからまる1日にかけて

帰ります。

マドリード空港から7時間 ドーハへ。

ドーハから10時間半 成田へ。

でも来る時よりも偏西風の関係で時間短縮です。

 

 

スペインは平均所得320万というが

ずっと豊かに感じられたのはなぜだろう。 

街中が美しく、 小さなお店も素敵だった。

思い出に浸るときりがない。

 

 

帰りの時間はそんなに長く感じられなかった。

長いような短いような旅だった。

 

 

 


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マドリード

2014年04月29日 | 旅行

スペイン旅行最終日は

 

 マドリードの市内観光

「スペイン広場(ドン・キホーテの騎馬像がたっていた。)」

 「王宮」

マドリードの中心地 「マヨール広場」へ

ここらの建造物はすべて年代物で その彫刻に驚いた。

 

 

ほとんどの建物に彫刻が施してあり、

ぞう、 ライオン、 女神など。 ビルの上には 馬車までも。

それらをアパートとして暮らしているようだ。

ユダの木(花すおう)が街路樹として植えられ、 あちこちで花が咲いていた。

キリストの「最後の審判」で裏切ったユダはこの木で首を吊ったので

ユダの木と名付けられたということだ。

マヨール広場の周りの建物もアパートになっているらしい。

世界遺産の大事な建造物を大切に大切に守りながら

暮らしていることが伺える。

 

そしていよいよプラド美術館へ。

ゴヤの「裸のマヤ」 「着衣のマヤ」 

(二つ並んで陳列、 貸し出しが多く二つあることは稀らしい)

ベラスケスの「ラス・メニーナス」(女官たち)を観た。

学生時代の美術の教科書に載っていたね。

 

ふぅ~ん。 すごいね~。

この美術館の展示品の多さにびっくり。

ゆっくりゆっくり観てみたい。

ここを全部見るには3~4日は 必要だろう。

もっともっと ゆっくりみていたいが ここがツアーの

哀しいところ。

最期の食事はイベリコ豚。 かみごたえの豚肉だった。

最期のワインで、 

歴史の重みスペインに乾杯 

心豊かになって帰途に就いた。

 

感想 : す・ご・か・っ・た。(何が?)

すべてが。

 


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トレド・マドリードへ

2014年04月28日 | 旅行

スペイン旅行7日目は

 

スペインに戻り トレド、 マドリードへ。

朝から何時間も走っているが広大な牧場が続き、

時々 こうのとりを見かけた。

なかなか 写真に収められない。

コルクの木を初めてみたが、 下の部分は

皮がはがされている。

大丈夫なの?

オリーブ畑、 コルク畑、 オレンジ畑が続く。

地平線が見えるがそこまでオリーブ畑。

 

 

広いな~ぁ。

国土は日本の1.3倍

人口は約4.6千万らしい。

(シレナデグレイト山に写っているのがコルクの木)

 

トレドに着くとそこもまた、川に囲まれた古代都市だった。

町中を歩くが 道幅がせまく 迷路のよう。

タイムスリップした。

おみやげは 象嵌細工、刃物など。

(象嵌細工はその後日本に伝わり螺鈿などに発展したという)

 

 

イスラエル、 ユダヤ、キリスト教の融合した歴史を

感じさせる古い古い街だった。

ここのサント・トメ教会には

エル・グレコのフレスコ画 「オルガス・伯爵の埋蔵」が収蔵されている。

 

夜はマドリードでタパス(小皿)料理

いよいよこの旅行も 明日で最後。

疲れてきた。

でも トレド美術館が楽しみ。

しかし、 天気には 本当に恵まれた。

 


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リスボン~ナザレ~カセレスへ

2014年04月27日 | 旅行

スペイン旅行6日目は

 

ポルトガル・リスボンの市内観光

「ジェロニモス修道院」(大航海時代の富をつぎ込んだ建造物)

「発見のモニュメント」

「ベレンの塔へ」

 

 

ヨーロッパに来て歴史の蓄積を感じる。

すべてが1日にしてならず。

 

 

そしてナザレへ 

ナザレは普通のバカンス保養地となっていて

哀愁は感じられなかった。 

(ナザレは哀愁を漂わせる漁村ということだったが…

映画の舞台となったことがあるようだ。)

お昼にイワシの塩焼き料理という事で大きなお皿に

イワシの塩焼き3匹ジャガイモ2個をごろっとした状態で出されて

えっ、 ナイフとフォークは必要なの?

これって漁師料理でしょ。

でも考えてみたら お箸はないものね.

どうも私たちは ナイフとフォークで食べるものは 

「ごちそう」という固定観念があるようだ。

ここナザレはすっかり夏で26~27度C

海岸で遊ぶ人々も多かった。

 

それからカセレスへ向かった。(310KM) 遠かった。

カセレスは街全体が古い街で ここでも キリストの行事が。

ホテルの窓からちょうど キリストと思われる男の人が

十字架を背負っていくのが見えた。

私たちの荷物はワゴン車が運んでくれることになっていたが

お祭りの為、 車両通行止め、 自分でゴロゴロ押していくことに。

しかし、 そのため 夜は飲み放題(ホテルのサービス)となった。 

(またまたワイン飲み放題)

 

ここでは朝8時頃は まだ薄暗く、夜は10時近くまで明るい。

朝、 ホテルの周りを散歩してみると

可愛いお店がいっぱい。

中世の面影がそのまま残り、 町の中心に大きな教会

1つ1つのお店には可愛らしいディスプレーが。

ゆっくり買い物をしてみたい場所だった。

私の中では印象に残るかわいらしい街だった。

 

明日はトレド マドリッドへ。

 


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シントラ~ロカ岬へ

2014年04月26日 | 旅行

スペイン旅行5日目は

ポルトガルへいった。

 

国境を越え、 シントラへ。 (国境って柵とかがある訳ではないのね)

やっと 川を見る。

岩山だらけのスペインからポルトガルへ。

(今までの川には 水がなかった。)

途中、羊、 牛、 そして豚の放牧を見る。

きっとイベリコ豚だ。 

サービスステーションで豚の足の燻製が

ずらりとぶら下がっているのを見る。

さすがに日本ではみられない。 圧巻!

ハマナスにいた白い花が満開のなだらかな丘が続く。(何十キロも)

お昼は レブラの街で豚肉とあさりのトマト煮。

ここでも大量のポテトが。 

食事のときはポテトが必ず出てくる。 う~ん ヨーロッパ。

 

 

そして シントラ王宮 ポルトガル王家の夏の避暑地だ。

ここには天正遣欧少年使節団も訪れており、

ここの台所で作ったものを食べた記録があるようです。

私たちはユーラシア大陸最西端の

ロカ岬(沢山の松葉菊が自生していた。)をまわり、

(初めて大西洋を見た。) 

リスボンへ向かった。

(この少年たち4人(13歳~14歳)は1582年(天正10年)

九州のキリシタン大名 大友・大村・有馬の

名代として信長の許可をもらい、 船を出港、

マカオに滞在中、信長は死んだ。 

その後、 2年半の時を経て

シントラ、 マドリッドへ着いた。

そして スペイン、ポルトガル国王とローマ教皇に謁見、

8年後に帰国したが その時日本(秀吉)は

キリスト教を弾圧し始めていた。 そして鎖国へ。

時代に翻弄された彼ら、 時は移っていく・・・

うぅーん、 歴史を知ると 面白いけれど悲しすぎる。)

 

 

 


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