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さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

タクシードライバー日記 どちらまでですか?⑧ 『高輪の女』

2023-04-20 | タクシードライバー日記


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

小平次は、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしていきます

本日は「高輪の女」です

*****************************


 タクシードライバーの多くは、それぞれ『主戦場』のような地域を持っている。東京23区は広いのだ、得意な地域、苦手な地域、客を拾うルートなど人によって様々だ。どこの地域でも稼ぐようなオールラウンダーもいるが、少数である。

 おれの主戦場は、銀座を中心とした中央区、隣接する港区、江東区、少し離れて品川区、主にベイエリアだった。タクシーは、客に言われた目的地へ行くのだから、自分の苦手地域や、狙っていた走り方、コース、思い通りに行かないことも当然ある、苦手な地域でも、貪欲に客を拾い、できれば客を乗せながら、得意地域に戻るのがベストだ。

 思い通りに行かないとしても、大まかな一日の走り方の流れ、のようなものも人それぞれだ。おれのいた営業所は、大田区の外れ、多摩川を渡ればそこは川崎、神奈川県、そんな場所にあった。
 朝、八時頃、営業所を出たおれは、まず環八から第二京浜(国道1号)に入り、都心を目指し北上するのが定番だった。第二京浜を使って北上するのは、この国道は、途中、地下鉄都営浅草線の終点、西馬込駅があり、そこから環八以南まで電車の駅が無いのだ。だから通勤時間帯に頭を都心に向けて走れば、高い確率で『西馬込駅まで』という客を乗せられるのだ。ワンメーター、710円(当時)だったが、まずはそこで弾みをつけ、さらに北上しながら客を乗せつつ、官庁、大企業、大商業施設のひしめく都心に入れれば最高なのだ。

 ある日のこと、日中、都心から中原街道、武蔵小山付近まで飛ばされてきたおれは、再び主戦場へ戻ろうと、そこから第二京浜方面へ向かう、第二京浜から五反田駅付近、ソニー通りを御殿山、八ツ山橋の方へ上る、直進すれば品川駅方向、おれは高台の頂上で左折、片側一車線ずつの二本榎通り、高輪付近へ入る、この時間帯ならば、品川駅前や国道よりも客が拾える、と考えてのことだ。

 少し走ると、狙い通り、女が手を上げる、少しぽっちゃり目のショートヘア、赤基調のやや派手目なワンピースに薄手のカーディガン、歳の頃はアラサーか、少し上くらい、おれは車を停める。

『おまちどおさまでした、どちらまでですか?』

『晴海のトリトンスクエアまで、少し急ぎめでお願いします』

 おれの頭の中でルートが浮かぶ、急ぎめならすぐ先の高輪警察を曲がり、坂下の国道を走った方がいいだろう、ルートの確認を女にする、最初にこれをやっておかないと、後で遠回りをした、などとトラブルの原因になる。

『それでは、この先、高輪警察署の交差点を右折、そのまま第一京浜から大門の交差点で右折、海岸通りから汐留を抜け、築地四丁目の交差点を右折、そのまま真っすぐトリトンスクエア、のルートで宜しいですか?』

『お任せします』

 まず、確実にこれが最短ルートだ、おれはメーターを入れ走り出す。女に告げた通りのルート、高輪警察署を右折、坂を下り第一京浜(国道15号)に突き当たり左折、片側三車線の道路、車線を巧みに変更しながら、女の『少し急ぎめ』に応える、さらに大門の交差点を右折、浜松町駅を通過し海岸通りを左折、同じように車線をスイスイと変えながら、汐留、電通本社から新大橋通り、朝日新聞本社、国立がんセンター、築地市場を横に見ながら築地四丁目交差点を右折、晴海通りに入り、あとはまっすぐ、順調だ、……、と思ったら晴海通りが大渋滞、しかもかなり酷い、信号が何回か変わってもほんの少ししか進まない、普段も渋滞することのある通りだが、いつにも増して酷い、事故でもあったか、ついに女がしびれを切らす。

『ちょっと!! 急ぎめでって言ったのに! なんでこんな混んでる道で行くのよ!』

『申し訳ございません、ルートはこの道で最短なんですが、この先の勝鬨橋付近で事故でもあったのかもしれません、橋を渡り始めてしまうと抜け道などに回避できないので混んでるのかと思います』

『えっ! なに、橋って? なんで橋なんか渡るのよ! いつもは橋なんか渡らないわよ!!! 遠回りしてるんじゃないの!!!?』

『あっ、いや、そんなことはございません、このルートが最短です』

『最短だろうと何だろうと、いつもは橋なんか渡らないって言ってるの!』

『あの、お客様、晴海ふ頭は人口の島ですので、必ずどこかの橋を渡らなくては行くことができません…』

『し、し、知らないわよそんなこと! 島だろうがなんだろうが、いつもは橋なんか渡らないの!!!!』

晴海トリトンスクエア

勝鬨橋

 もうめちゃくちゃである、女は地理に弱い人が多い、と聞いたことがあるが、橋を渡らない、は、無理があるだろう、水陸両用タクシーでも使ってるのか? バックトゥザフューチャーのような空飛ぶタクシーでもあるのか? と突っ込みたくなったが抑えた。

『お客様、少し遠回りになりますが、もう一本向こうの橋、佃大橋を渡ればトリトンスクエアの裏手、駐車場入り口から車寄せまで行けますけど、お急ぎでしたら料金はかかりますがいかがですか?』

『それで行けるならそっちで行ってよ!!!』

『かしこまりました』

 おれは、晴海通りをどうにか左折し、聖路加病院付近を走り、佃大橋の通りへ入り、橋を渡り、無事にトリトンスクエアの裏手に周る、駐車場入り口から車寄せまで到着、メーターは4,580円、遠回りした分、予定より結構多い、女はぶつぶつ文句を言いながら金を払い、車を降りた。

 今回のことは、おれは一切悪くない、値引きをしてやる必要もないし、仮にタクシーセンターにクレームが行ってもちゃんと説明できる、少々気分の悪い客だったが、まあ、日中の時間帯の一発4,580円はでかい、それに何と言っても、どれだけ嫌な客であっても、もう会うこともないのがタクシードライバーと言う仕事の魅力だ。俺は気を取り直して銀座方向へ車を走らせた。

 数日後か、数週間後か、日中、おれは五反田付近から、二本榎通りを流していた。ふと前方に立つ女が手を上げた。

ん…?

んん?

あっ!

あの女だ! あの時の水陸両用女だ!!

ちょっとぽっちゃりめ、ショートヘア、少し派手めのワンピース、歳の頃はアラサー、か、ちょい上くらい、間違いない

ゲゲ! 乗せたくない、おれは一瞬回送にしようかと思ったが、手を上げられた後にそんなことをすれば、乗車拒否になってしまう、乗車拒否は罰が重いのだ、おれは平静を装い車を停めた。

『おまちどおさまでした、どちらまでですか?』

『コロンビア通り、コロンビアレコードのあたりまでお願いします』

『かしこまりました、では、この先左折し、魚籃坂下から六本木通り方面、ゴルフパートナーのところで左折、赤坂方面、でよろしいですか?』

『お任せします』

 おれはメーターを入れ、やや緊張気味に走り出す、まあでも今回は大きな『橋』を渡ることもないので問題ないだろう、無事、目的地に到着、女は金を払うと

『ありがとうございましたぁ♡』

 笑顔を振りまき降りて行った。

 そう、前回の日記で、これまでやっていた得意先を持つ営業マンとは違って、どんな嫌な客でも、二度と会うことはないのだから気楽だ、と言ったのだが、日々主戦場を中心に、同じような得意エリアを走っていると、こうしてまれに同じ客を乗せることもあるのだ、まあ、それでも客の方はいちいちドライバーの顔など覚えてはいない。


*******************************つづく
今の感想
トリトンスクエアまでのルート、今は勝鬨橋の下流にもう一本橋ができて、新橋から汐留までの道も開通していますので、違ったルートになるかもしれません、でも、やっぱり橋は渡りますww 東京の街はひっきりなしに変わります、地下鉄が延長すれば駅も増え、知っていた大企業のビルがいつの間にか別な会社の名前に替わってなんちゃらタワー、とか呼ばれたり、なかなか大変です





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タクシードライバー日記 どちらまでですか⑦ 「初めての酔っ払い」

2023-03-23 | タクシードライバー日記


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

小平次は、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしていきます

本日は「初めての酔っ払い」です


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 乗務研修1日目を終え、とりあえずデビューを果たした。乗務研修はあと2回ある。
 タクシードライバーのシフトは、昼間だけ走る者、夜だけ走る者、もいるが、大半のドライバーは朝から次の日の朝まで一晩中走る。一晩中走って朝帰ってくると、その日は「明番」といって、まあ休みみたいなものになる。次の日はまた「出番」になるので、よく体を休め、睡眠を十分にとっておかねばならない。

『寝るのも仕事だ』

 と、先輩ドライバーにはよく言われた。

 「出番」➡「明番」➡「出番」➡「明番」➡「出番」➡「明番」➡休み➡休み

 だいたいこんな感じのシフトになることが多い。「明番」➡休み➡休みのところは、3連休に近い感覚だ。これで月12乗務、まれに13乗務になる。

 この頃の都内タクシードライバーの、一日の平均運収は、43,000から45,000円くらいと言われていた。実感としてはもっと少ないように感じたが。

 おれは、前職、そこそこの給料をもらっていたのだが、その金額は望むべくもない。だが、最低でも手取りで300,000円は稼ぎたいと考えていた。おれのいた会社では63%がドライバーに還元された。手取りで300,000円欲しい、と思えば、1日50,000円×12出番=600,000円、これの63%、支給額が378,000円、法定控除などを考えれば、これが最低ラインだ。だが、当時は、一日平均70,000円を超えるようなドライバーは数えるほどしかおらず、1日の運収が、月平均、50,000円を超えれば、まあ、いい方のドライバーであった。

 さて、おれは新人だ。あまりそんなことを考えず、少なくとも1年間は総支給額で300,000円は保証されている、まだ2回目の乗務、無事故無違反が最優先だ。

 前回の出番が日曜日、明番を終え、火曜日が2回目の乗務になった。おれは、やはり自分が好きな街、銀座から日本橋周辺を流してみる、日曜と違い、朝から結構な勤め人が街に出ている。順調、とは言えないまでも、前回よりは客を乗せることができた。その度に

『申し訳ございません、まだ経験が浅いもので道を教えていただけませんか』

 そう言ってどうにかこなす。

 新大橋通り、向きは汐留方面に向け、茅場町付近、30代半ばくらいのサラリーマンが手を上げる。

『東京駅まで』

『申し訳ございません、まだ経験が浅いもので道を教えていただけませんか』

『はあ!? ここから東京駅がわからないの!?』

『申し訳ございません…』

『えっとー、このまままっすぐ、八丁堀の交差点を右折、あとはまっすぐ』

 後になればわかるが、おれがタクシーに乗って、タクシーの新人ドライバーの事情なんかを知らなければ、茅場町付近から東京駅がわからない、というドライバーに出くわしたらやはり驚いただろう。

 夜になる。タクシーの稼ぎ時だ。深夜、上野付近を流している、一人の中年男が手を上げる。見るからに「ぐでんぐでん」だ。いや「へべれけ」かもしれない、以前読んだ中川いさみの四コマ漫画で、「ぐでんぐでん」と「へべれけ」を見分けるという話があって大笑いしたのを思い出す。

(あれは…、どっちですかね) (あれはへべれけです)

 この中年男は…「へべれけ」だ、おれは心でそう決めた。

『上野からぁン、コーソク乗ってぇン…ナカハラグチんんん、まで!』

 中原口、どこだっけ? わからない…。

『申し訳ございません、まだ経験が浅いもので道を教えていただけませんか』

『ヴぁぁ!? 中原んんぐち! 目黒だよ!目黒!』

 上野から高速に乗って目黒…、それならば地図もナビも見ずに行ける!

『かしこまりました、上野から高速に乗って目黒に向かいます』

 へべれけはもう寝ている。

 上野から首都高に乗る、メーターの「高速」ボタンを押す、首都高上野線から環状に入る、銀座付近を抜け、浜崎橋ジャンクションから芝公園方面へ、そして「目黒線」に入る、メーターはどんどん上がる、大物を釣ったかもしれない、やがて目黒インター出口を降りる、降りた辺りで車を寄せ、へべれけに声をかける。

『お客様、目黒につきました、お客様!、お客様!』

 何度か声をかけ、ようやくへべれけが目を覚ます、そして辺りを見回す…。

『ああん? ここ、どこ?』

『お客様の言う通り、目黒で下りたのですが…』

『ああん! 中原口って言ったろ! 目黒方面行って中原口で下りろってことだろーが!!』

 そういうことだったのか、やっちまった…。

『申し訳ございません、高速料金は結構ですので、もう一度高速に乗りますか?』

『ああん!? 今さらどこから乗るんだよ! もういいよ! このまままっすぐ行けよ!』

『も、申し訳ございません、あの、お客様、宜しければナビを使わせて頂けますか?』

 前回に続き、会社から禁止されている、ドライバーからの「ナビ使用許可申請」をしてしまった。

『ああん!?そうしてくれよ! 鵜の木まで行って!鵜の木!』

 鵜の木…、鵜の木なら知ってる、いや行ったことがある、だが電車でだ…、おれが一度没落した時、鵜の木の司法書士先生に相談に行ったのだ、そして色々助けてもらった、それがおれが法律屋を目指そうと思うきっかけになったのだ。

 おれは「鵜の木駅」とナビに入れ、再び走り出す、へべれけはまた寝たようだ。

 目黒インターからまっすぐ坂を下り、また上る、中原街道に出る、確かに「中原口」という出入り口がある、そのまま中原街道を下る、途中左に折れ、福山雅治の「桜坂」付近を通って、やがて鵜の木駅に到着。

『お客様、鵜の木駅周辺に到着いたしました』

『ああん!? … そこ曲がって踏切渡ってまっすぐ!』

 ようやくへべれけの自宅付近、目的地についた。メーターは、10,000円には少し届かない、それでも初めての高額案件だ。だが、おれは高額を稼いだことよりも、へべれけが恐怖のタクシーセンターにクレームを入れるのではないか、そればかりが気になっていた。

『あの、お客様、私が高速の出口を間違えましたので、高速料金は頂きません…。』

 クレームを避けようとそう言った。

『ああん!? 金はちゃんと払うよ! 払うけどよぅ、あんたさぁ、いくら新人だって言っても、中原口を知らないってなんなの? 信じらんねーよ! この仕事やるの、考え直した方がいいんじゃないの! いつもだったら寝てたら着くのに… ほんと、考え直した方がいいよ!』

 へべれけはそう言って車を降り、暗い細い路地へと消えて行った。

『はあああぁぁぁ…』

 おれは車を降り、タバコに火をつけた、そして同期の田村に電話をしてみた。

『よう、いまさ、上野から鵜の木まで来たんだけど…』
『えっ? すごいじゃん、10,000超えた?』
『いや、ギリギリ届かなかった…、それよりさ、おれ道間違えて、すげえ怒られたよ…、タクシーセンターとかに言われちゃうかな…』
『平気なんじゃないの? おれの方はさっぱりだよ、羨ましい…』

 田村は他人事感丸出しでそう言った。

 その後は、さっぱりだった。元々営業畑のおれは、客に怒られるのは慣れてはいる、慣れてはいるが、こう罵られると少しはへこむ、結局この日は50,000円なんて夢のまた夢、27,000円で終わった。営業所に戻り納金を済ませ、研修室のコワモテに、へべれけの件を報告した。

『澤田さんは、高速料金はいらないって言ったんでしょ?それでも正規料金もらったんでしょ?だったら対応が良かったってことだから、クレームにはならないよ』

 それを聞いて少しほっとする、洗車を終え帰路に着く、自宅に帰り、へべれけのことを思い出す、ふとある当たり前のことに気付く、これまでおれがやって来た仕事は、客から怒られ、信用されなくなったら、なんとかそれを取り戻すために怒られても無視されても、ストレス抱えて関係を修復しなくてはならない、だがタクシーはどうだ、あのへべれけにどれだけ文句を言われようとも、よほどの事が無い限り、もう二度と会わないのだ、二度と会わないのだから関係の修復のための努力も必要ない、仮にまた会ったとしても向こうは覚えちゃいない、そうか、その点についてはタクシーはとても気楽なのだ。なかなかいい仕事じゃないか、まあ、稼ぎがついてくればだが…。

 おれは、午後の勉強に備え、眠るために、へべれけにならない程度に缶チューハイを煽り、ベッドに横たわった。

*******************************

今の感想

今回までは、時系列に日記を進めてきましたが、次回からは、ランダムに、思い出す順番にお客様との出来事や、タクシードライバーと言う仕事への想い、などをつづってまいりたいと思います。

1日の平均運収が50,000円やれればいい方、と言っていましたが、ものすごい現役ドライバーブロガーさんがいらっしゃいますのでご紹介します

『ShoiTaxiのタクシードライバー日記さん』

Shoiさんは、1日100,000円超えとか、ものすごい売り上げを上げています






 
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タクシードライバー日記 どちらまでですか⑥ 「初めての女」

2023-02-20 | タクシードライバー日記



こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です

多忙につきまた時間が開いてしまいました

その間、コロナのことで議論記事なども書いていましたので、ようやくいつも通りの記事投稿をしたいと思います

さて、タクシードライバー日記、前回、無事に「地理試験」にも合格、いよいよ「乗務研修」です

研修、とは言っても、実際に一人で営業車に乗り、お客様を乗せお金を貰う、実質的にはデビューです

「初めての女」

などと、ちょっと艶めかしいタイトルですが、要は初めて乗せたお客様が女性だった、ということですww

では、どうぞ

***************

 乗務研修初日、朝7時、おれと田村は緊張の面持ちで、本社営業所に出勤した。まずは点呼である。

『お待ちどおさまでした』『ドアを閉めて宜しいですか』『シートベルトをお願いします』『どちらまでですか』『目的地に着きました』『ありがとうございました、領収書をどうぞ』『また、〇〇タクシーをご利用下さい』

 座学研修中、何度も言わされた決まり文句を、出庫時には、事務方の上司を前にして必ず言わなくてはならない。
 その後アルコール検知器に息を吹き、数値を確認、上司から「乗務員証」「運行記録用のカード」、手書きで記載する「運行記録書」、最後に車のキーを受け取り、指定された営業車へと向かう、そこから出庫前点検、タイヤの空気圧、オイルの残量や汚れのチェック、一通りの点検を終え、いよいよ外へと出る。

 おれはかなり緊張していた。東京で仕事をしていたこともあるから、地方から出て来た連中に比べれば、多少は道は知っているし、方向感覚もある程度はある。地理試験にも合格していたが、そんなものは実際の路上では何の役にも立たない。デビューしたてのドライバーの大半は、道など知らないのだ。

『申し訳ございません、まだ経験が浅いもので、道を教えていただけないでしょうか』

 新人の内は、こう言ってお客に道を教われ、そう指導された。その上、ナビは、客から入れてくれと言われるまで使うなと言うのだ。こちらから「ナビを使わせてください」と言って、万一ナビが遠回りしたりしたら、クレームの元になるからだ。では、客も道を知らなかったらどうするのだ?その場合、ドライバーがみんな持っている「タクシー虎の巻」という詳細地図を見て行け、というのだ。おれが客だったら、タクシードライバーが道が分からない、と言って、いきなり地図広げたらびっくりするだろう、そんなことをあれこれ考えてしまい、緊張していたのだ。

 この日は日曜日、都心のオフィス街に人はほとんどいない。教習所のホスト上がりの教官から言われていた。

『土日は人の出も遅い、まずは郊外を流し、徐々に繁華街に入るのがいい』

 また、本社の研修で、下品なしゃべり方をする教官からは、

『とにかく銀座を中心に動け、銀座にはあちこちから人が来る、道を覚える早道だ』

 

 ドライバーはそれぞれ、自分なりの走り方がある、だがおれはまだ新人、この教えを守り、まずは郊外、世田谷あたりを流し、その後徐々に北上、銀座を目指そう、そう考えまずは明治通りから国道246へと出た。

 そうそう、本社の下品な教官に言われるまでもなく、おれは銀座を中心に走ろうと思っていた。以前、仕事で良く行っていたこともあったし、何より華やかで明るい街だ。新宿や渋谷、六本木のような如何わしさも無い、そう、大人の街だ。おれは銀座と言う街が好きだったのだ。

 渋谷駅周辺から、大橋の交差点、246の高架下を山手通りが走っている、このまま国道を南下しても面白くない、おれは山手通りに下りることにした。
 山手通りへ旋回しながら降りて行くと、左に立っていた若い女が、おれの車に向かって手を上げた。

『きゃ、きゃ、客だ!』

 おれの緊張がさらに高まる、だが、そんなことを悟られないよう、努めて冷静を装い車を停め、ドアのレバーをゆっくりと引いた。

『お待ちどおさました』

 女が乗り込んでくる。

『ドアを閉めても宜しいですか?』
『あ、はい』

 ゆっくりとドアレバーを降ろし、最後にバタンと閉める。

『どちらまでですか?』
『渋谷駅までお願いします』

 えっ!

 渋谷駅は今通って来た、おれの感覚では逆方向だ、どうしよう。

『申し訳ございません、まだ経験が浅いもので、渋谷駅の位置はわかるのですが、ここからですとどのように行けば良いか、教えていただけないでしょうか』

『あ、それでしたらこのまま山手通りまで下りて左折して下さい、そうするとすぐにまた246に乗れますので』

 そうだったのか! 知らなかった。渋谷にはバンドの練習で以前よく車で来ていたが、全く知らなかった。

 女の言う通り、山手通りまで下り左折、直ぐに左に曲がる道があり、そこを上れば再び246、渋谷駅方向の車線に入れる。ここからはもう大丈夫だ、渋谷駅までは何度も来ている。

 無事に渋谷駅前に到着、料金はワンメーター、710円(当時)だ。千円札を受け取り、釣銭を渡す。

『ありがとうございました』

 女が降りる、ドアを閉める…

『ぷっはああああああああああ! 緊張した! 緊張した!』

 初めての客、ワンメーターとは言え、本当に緊張した、だが、実際に客を乗せ、目的地まで送り、そして金をもらった。おれはプロのタクシードライバーになったのだ。

 その後はちらほら客を乗せた。「道を教えていただけませんか?」と言っても、怒る客はいなかった。みな、親切に道を教えてくれた。だが、ハプニングもあった。
 
 銀座から西日暮里まで、老夫婦と、その息子か娘夫婦の4人組を乗せた際、まっすぐ行け、との言葉通りに行ったら、遠回りになってしまったのだ。途中、新人のおれでも遠回りをしていることに気付き、「あの、この道で宜しいのでしょうか?」と尋ねると、老夫婦の亭主の方が「いや、おれもわかんないんだ」…

 おい!最初にまっすぐ行けって言ったじゃないか!だが、そんなことを言っても仕方ない、これは無理だと判断し、「申し訳ございません、ナビを入れてもよろしいでしょうか」、研修での教えを初日から破り、無事に西日暮里駅に到着。だが、老夫婦の女房の方が言う。

『ちょっと!行きはこんなにかからなかったわよ!!!』

 メーターは4,500円弱、遠回りをした自覚のあったおれは、初日からタクシーセンター案件になっては大変だと、やむなく言った。

『行きはどれくらいの金額でしたか?』

『2,500円くらいだったかしら!』

『では、料金は2,500円で結構です、遠回りになり申し訳ございませんでした』

 事なきを得たかのようではあるが、運行記録にはしっかりとメーター通りの金額が記録される。ドライバーはその金額通りに納金しなくてはならないのだ、つまりは自腹を切ることになる。

 日曜という事もあり、タクシーの稼ぎ時である深夜の時間は、新人のおれには難しく、ほとんど客をのせることができず、午前4時頃、本社営業所に帰庫した。田村の方は、東京に住んでるだけあって、道もおれよりは詳しく、売り上げも25,000円だったようだ。
 納金を済ませ、その後は洗車、まずは洗剤と水洗い、ふき取り、タイヤなどは特に入念にきれいにする。さらに車内清掃、座席シートのカバー交換、一晩中仕事をして、これらの作業をするのは結構しんどいことであった。ドライバーの中には、小遣い稼ぎに、1回1,000円で洗車を請け負う人もいるそうだが、新人のおれたちにそんなことを頼めるわけもなかった。

 洗車を終え、着替えをして帰宅、東京へ行って、電車で帰って来て、藤沢駅を降りると、空気が明らかに東京と違うことをいつも実感した。そしてほっとするのだ。
 家について、ハムとレタスでサンドウィッチを作る、缶チューハイをあける、ぼーっとしながらプレステのゲームに暫く興じる、疲れ果てた体でベッドに横になる、4時間ほど寝たら、法律の勉強だ、そしてまた明日に備え夜10時には就寝する、しばらくはこんな生活が続くのである。


*************************

初日は緊張しましたねー、でもすぐに慣れました。ただ、道が分からない、っていうのはこの仕事をやる上で致命的なことなわけです。いくら新人だから仕方ない、と言っても最初はかなりストレス感じながら走ってました。次回までは、この研修期間中の事を書き、その後はランダムに、思い出深いお客様のお話をしていきたいと思います



 
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タクシードライバー日記 『どちらまでですか⑤』本社研修、そして地理試験

2023-01-17 | タクシードライバー日記


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

実は、この小平次、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしていきます

前回、同期4人で技能試験受検、2回目で私と田村が合格、無事に二種免許を取得した、というところまででした

では、続きです

**********************

 おれと田村、無事に二種免許を取得した、だがそれですぐにデビューできるわけではない。その翌日からは本社で研修、そして地理試験の受験だ。
 おれの入ったタクシー会社は、どちらかと言えば体育会系のノリの会社であった。朝、研修開始時には全員起立、大声で社訓のようなものを唱和、続けて、タクシードライバーの決まり文句を唱和させられる。

『お待ちどうさまでした!』

『ドアを閉めて宜しいですか?』

『シートベルトをお願いします!』

『どちらまでですか?』

『目的地に着きました!』

『領収書をどうぞ!』

『ありがとうございました! また〇〇タクシーをご利用ください!



『領収書をどうぞ!』

 と言うときは、下半身は前を向いたまま、上半身だけ大きく振り返り右手を差し出すポーズをとらなくてはならない、つまり、運転席から後部座席の客に領収書を渡す仕草をするのだ。

 研修は、料金メーターの操作の仕方、クレジットカードを利用する際の機会の操作、カーナビなどの操作の基本、乗務日誌の付け方から一日の流れ、出庫前点検、タイヤ交換などなど、その他、面接時にいたコワモテの教官を中心に厳しいマナー指導を叩きこまれた。
 そして何よりもこの研修の目的は、東京タクシーセンターでの最終研修後の『地理試験』の合格を目指した勉強である。

 タクシーセンターとは、この当時には東京にしかなく、タクシードライバーの、主にマナー教育を目的とした、公益財団法人である。元々は東京タクシー近代化センターという名称であった。『近代化』などという言葉を使うくらい、タクシードライバーのマナーは『前時代的』だと認識されていたのだろう。
 このタクシーセンターに、乗客からクレームが入ると、たとえ些細なことでも、ドライバーと上司は、運行記録を持って出頭しなければならないのだ。一日中仕事をして、ヘトヘトに疲れているのに、江東区の南砂まで出向き、事情聴取を受け、場合によっては長時間説教をされる、会社の優良ランキングポイントにも影響が出る、まさに泣く子も黙るタクシーセンターなのだ。おれは4年半のドライバー生活の中で、幸いここに呼び出されたことは一度もない。

 このタクシーセンターの研修最終日に行われるのが『地理試験』である。地理試験とは一応国家試験であり、これに合格し、タクシーセンターから『乗務員証』を発給してもらい、初めてデビューとなるのだ。この地理試験に合格することで、日本で一番稼げる地域、東京23区、及び武蔵野市、三鷹市で営業ができるのだ。

 だが、この地理試験、何もないところから、本気で合格しようとするとかなり難しい。40点満点中、32点を取らなければならないのだが、研修では高得点を目指すのではなく、この最低点を確保するためだけのノウハウを教えられた。

 地理試験には、決まったパターンの必ず出題される問題がある。まずはこれだ。



 これは、営業エリアの主要幹線道路と、交差点に番号がつけられ、選択肢から回答する、というものである。この問題をクリアするためには、その主要幹線道路と交差点名を全て覚えなくてはならない。

 東京の道路は、皇居を中心に、環状線、と言っても完全な環状を描いてはいないが、内堀通り、外堀通り、外苑東通り、外苑西通り、明治通り、山手通り、環状七号線、環状八号線、が走っている。そして、やはり皇居付近を中心に、東西南北に向かって、主に国道が放射状に伸びている。
 
 国道は区間によって名称も変わるのでややこしい。国道1号は、日本橋を起点に、『中央通り』上を走り、『日本橋』で交差する『永代通り』に入る、そして『大手町』で『日比谷通り』に入り、『日比谷』で『晴海通り』、『桜田門』で左に折れ、『桜田通り』、やがて『第二京浜』と名を変える。

 これはとにかく受験日までひたすら暗記すれば何とかなる。お次はこれだ。



 これは、東京のある地域の地図である。地図上に記されたランドマークを選択肢の中から選ぶのだ。この二つの問題で絶対に点を落とさないようにすれば、25点が確保できる。だが、残りの7点は、パターン化されていない問題が出題され、過去問の量は膨大である。これを確実に覚えるのには、半年以上の時間が必要だろう。

 研修室では、もう1点、高確率で点のとれる方法が伝授された。それは、ある地点からある地点まで、ランダムに並べられた選択肢の交差点名を、最短ルートになるよう並べ替える、というものだ。この問題は、全て『ア』を回答欄に書け、と言うのだ。無理して考えて並べ替えて全滅するよりは、『ア』が正解の一つであれば必ず1点が取れるというわけだ。

 残りの6点は、とにかく膨大な過去問を覚え、何とか確保しろ、という指令だ。

 法律の勉強は一先ず置き、おれはひたすら地理試験対策の勉強をした。そしてタクシーセンターでの研修、いよいよ最終日、地理試験、結果は…。

 おれも田村も一発合格!

 タクシーセンターで乗務員証用の写真を撮り、晴れて乗務員証を受け取る。面接、採用から約一ヶ月と少し、まあ、割と早い方だ。おれは合格の喜びを、他の同期たちに連絡した。おれより先に合格し、すでにデビューしている同期の一人、八重樫、この男はおれと同じ営業所で勤務する、おれのドライバー生活に深くかかわることになる男だ。

 さあ、次は本社での最後の研修、乗務研修だ。研修とは言っても、実際に一人で客を乗せ、一晩走る、これを3回、実質的なデビューだ。


*******************
今の感想
まあ、ここまで長かったですね。ここまで辿りつかないと、研修中の日当や交通費、そういったものが精算されませんので、実質無給、しんどかったですよ。
さて、次回からはようやく、実際に乗せたお客様とのエピソード、他には警察に違反で捕まったりとか、そういったお話を少しずつして行きたいと思います。

 
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タクシードライバー日記 「どちらまでですか④」 技能試験

2022-12-23 | タクシードライバー日記


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

実は、この小平次、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしていきます

前回、鬼教官、岡山のスパルタ教習の成果、二種免許学科試験、一発合格、同期の山田、伊勢、田村とささやかな祝杯をあげた、というところまででした

では、続きです

*************************

 無事に学科試験に合格、本社で制服を支給され、今日からはその制服を着ての技能教習だ。

『おら! もっと左に寄せえや!』
『目視を忘れとる! 何べん言えばわかるんや!!』
『ミラー、もっと見ろや!!!』
『コーナー出たらスムーズに加速せんかい!!!!!』

 案じていた通り、技能教習に入ると、岡山のスパルタぶりは学科教習の比ではなかった。まずは、場内での教習、コースをぐるぐる回るところから始まり、普通免許と同じような、車庫入れ、鋭角、S字、クランク、などを練習する。
 一種普通免許の場合、丁寧に操作をしながら、標識等、交通ルールを守っていれば、まあOKである。だが、二種免許は、これらのことは当たり前、よりミラー、目視などの周囲確認の徹底、が求められる上、カーブや右左折で減速、停止後、再発進した際、スムーズに制限速度まで加速しなくてはならない、ここが一種免許との大きな違いである。タクシーを利用する人の多くは急いでいるのだ、だから『加速せんかい!!!!』と、岡山の怒号が飛ぶのである。

 場内での教習も終わり、いよいよ実際の道路を走る。東京府中試験場が、二種免許を取るのに一番緩い、そういう理由で住所まで都内に異動させられていた。教習所では府中の二種免許技能試験のコース、全部で3コース、それを完全に把握していた。おれと、山田、伊勢、田村はセットでコースへ出て、徹底的に重要ポイントを叩きこまれた。そしていよいよ技能試験受検にGOが出る。

 学科の時と同様、おれたちは試験場の前で待ち合わせ、手続きを済ませ、セットで受験となった。まずは場内、トップは田村、ソツなく粛々とこなす、叩き込まれたしつこいほどの周囲確認も怠らない。次はおれだ。おれも緊張しながらもまずまずの手応えで終了、次に秋田から出て来た山田、中盤まで問題無し、ところが、車庫入れで突然試験官から非情な言葉…。

『はい、ここで終了です、スタート地点へ戻って下さい』

『えっ!!??』

 理由は、ミラー等、周囲確認が不十分だったとのことだ。山田はそれこそ狐につままれたような顔をしながらもスタート地点へ戻る。次に伊勢、問題無く最後まで行けた。だが、伊勢もここで終了を告げられた。理由は全体的にスムーズさを欠いていたことらしい。同じ目標に向かってともにここまでやって来たジイサンと中年男、初めての躓きだ。

 おれと田村は、引き続き外での試験、今日まで岡山に怒鳴られながら何度も走ったコース、大丈夫だ、そう言い聞かせ、おれたちは路上コースへ出る。
 外での試験での一種免許試験との違いは、突然、試験官から『あの信号を超えた、緑の看板のところで停車して下さい』と、指示が出るのだ。つまりは、客に呼び止められたことを想定して停車するのだ。後部座席のドアが、指定された位置とずれないように、慎重に停める、おれたちは全て無難にこなせた、そういう手ごたえを感じていた。 だが…。

 合否発表、おれたち2人とも不合格…。なぜだ?何が悪かった?不合格を告げた試験官の言葉、

『ミラーの確認が甘いです。もっと周囲確認に気を付けてください』

 二人とも同じ理由だった。

 いくら府中が緩い、と言っても、一発合格者はほとんどいない、大抵は2回3回、酷いのになれば、6回、7回、なんてこともあるそうだ。それでも、神奈川や千葉は、6回、7回が当たり前だそうだから、府中はまだ良いのだろう。人様の命を預かり、車を転がす商売なのだから、厳しいのは当たり前なのだ。

 翌週、おれたち4人は再試験に向かう、今回は山田も伊勢も無事に場内通過、路上試験に臨む。
 トップはおれだ。前回の不合格理由を胸に刻み、嫌味なほどの周囲確認をしながら順調にコースを走る。しかし、…、アクシデント…。

 右折をしようと、前に車を一台置き、交差点内で対向車が切れるのを待つ。歩行者専用信号が点滅を始める、対向車が切れる、今、まさに右折のタイミング、しかし、前の車がなぜか発進しない、試験中だからクラクションを鳴らしていいかもわからない、早く行け!早く行け!心でそう叫ぶ。ようやく前の車が発進、だがその瞬間、前方の信号は完全に赤、おおおお…、ここは行くべきか、止まるべきか!おれは後者を選択、だが、完全に停止線をはるかに超え、交差点内に停車状態…。

『あの…、…、バックしてもいいですか?』

 おれは試験官に尋ねた。しかし、試験官、無情な返答…。

『ご自分でご判断して下さい』

 そ、そう来たか! おれはめまぐるしく頭を働かせる、今、とにかくこの状態のままでは左右からの車両の通行を大いに妨げる、かと言って、完全に赤信号状態で今更先には進めない…。おれは決断した。

『バックします!』

 左右のミラー、ルームミラー、目視、首をめまぐるしく回し、入念に周囲確認を行いながら、どうにか停止線付近に戻る、すでに後ろに車両がいるのでこれ以上は下がれない。これは…、アウトか?

 だが、その後も試験は継続、どうにか最後まで乗り切った。

 あの交差点でのバックがどう判断されるのか、おれの頭はそれで一杯、続く3人の試験の最中も放心状態、唯一、田村が制限速度60キロの幹線道路を50キロで走っていたのが気になった程度だった。

 結果

 おれと田村は合格!!! あの交差点での決断は正しかったのだ。山田と伊勢は撃沈…。まあ、路上試験一回目だから仕方あるまい。

『澤田さん、藤沢に帰るんですよね、新宿で軽く一杯やって行きませんか?』

 チンピラのような見た目、同い歳の田村から誘われた。まだ昼を過ぎたばかり、新宿南口の小汚い居酒屋が開いていた、学科の合格時、四人で挙げた祝杯は、二人となり、よりささやかなものとなった。さあ、次は本社での研修、そして最後の難関、地理試験だ。


*****************
今の感想
本文でも書きましたが、やはり人様の命を預かり運転する職業に就こうというのですから、警察も一発合格なんて簡単にはさせられない、というのがあるのかもしれません。この後、地理試験、それに合格して初めて、乗務員証、タクシーの助手席前に掲示している、顔写真付きのアレ、を交付してもらい、デビューとなります




 
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タクシードライバー日記 「どちらまでですか」③ 学科試験

2022-11-28 | タクシードライバー日記


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

実は、この小平次、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしていきます

前回は、慌ただしい入社手続きを終え、二種免取得のために会社指定の教習所に入所した、というところまででした

では、続きです。

*******************

 二種免取得のために、会社指定の教習所にやって来たのはいいが、おれは前職の関係でちょっとトラブルがあり、一週間ほど休まねばならなくなった。本社へ事情を話し了解を得て再び一週間後に教習所へ行った。
 一週間前に一緒にここにやって来た井川は、もう学科試験を受ける、そんな段階になり、差をつけられてしまった。代わりに、この日から新たに加わった3人の男と、親しくなった。

 一人は秋田から仕事を探しにやって来た、という50少し手前の山田、同じ東北、仙台からやって来た初老の男、伊勢、もう一人はおれと同い年、ここでは若手とも言える田村、と言う一見チンピラ風の男であった。

 学科試験に向けた教習は、毎日100問の模擬試験を受け、その解答について、鬼教官の岡山を中心に、ホスト教官や、ジイサン教官の解説を受けるものであった。
 模擬試験は、普通免許の学科を思えば相当に難しく感じた。この難しい模擬試験で90点以上を取らなければ実際の学科試験受検のGOはもらえないのだ。

 一週間程度勉強をして、ようやく岡山から受験許可が出た。山田、伊勢、田村、そしておれの4人、同時受検だ。受検当日、教習所の仲間たちから携帯にメールが入る。

『学科頑張れ!』
『絶対合格!』
『吉報を待つ!』

 その他諸々、いい歳をしたオヤジ達、ジイサン達、この歳になって数十年ぶりに机を並べて、同じ目標に向かって勉強する、自然と、自分たちは同期だ、そして同志だ、そんな仲間意識が芽生えていた。

 府中試験場、おれたち4人は、多少の緊張を持って門をくぐる。落ちるわけには行かない、2回までは会社の負担で受験費用を持ってくれるが、それ以上は自腹だ、この歳で転職してタクシードライバーを目指すヤツなんて、大概は金なんか持っていない、落ちて自腹で受験、そんなことは絶対に許されないのだ。

 試験は、普通免許の学科試験に比べれば多少は難しかったが、教習所の模擬試験に比べればずっと簡単なものであった。俺たち4人は、それぞれに手応えを感じて試験を終えた。

 合格発表、全員合格だ。手応えは感じてはいたが、実際の発表を受けて、おれたちは安堵の溜息をついた。すぐに鬼教官岡山と本社に報告、この後は教習所には戻らず、そのまま本社へ向かうよう指示を受けた。
 本社では、若い総務課の男に倉庫に案内され、そこで淡い紺色の上下のスーツ、指定のワイシャツ2枚、そして紺と金のストライプ柄のネクタイが支給された。いかにもタクシードライバー、と言う感じの制服だ。

『明日からは、その制服を着て実技講習を受けて下さい』

 総務課の男からそう指示を受けた。

 大学を卒業して最初に入った会社はファッション業界、ブランドスーツを身にまとい仕事をしていたおれから見れば、ダサダサの制服だったが、それでも目標に向かい一つ前進したことを十分に実感させてくれた。

 本社を出ると、東北訛りの山田が言った。

『ね、みなさん、まだ最初の一歩目ですけど、どうですか、少しだけ自分にご褒美、軽く一杯やって行きませんか?』

 伊勢、田村、そしておれも二つ返事でその誘いに乗った。明日からはまた、岡山の怒号交じりの教習、それも実技教習となれば一層厳しいだろう、今日くらいは同期、同志で、ささやかに祝杯をあげようじゃないか。

 おれたちは、まだ先は長いことを思いながらも、それでも少しうれしい気持ちが湧いてくるのを感じながら、早い時間から開いている居酒屋を見つけ、その暖簾をくぐった。

*******************つづく

今の感想
ほんと、デビューまではまだ、と言うよりはこれからの方が大変なんです。実技試験の合格はもちろん、その後にある、「地理試験」の合格、先は長いのです。




 
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タクシードライバー日記『どちらまでですか?』② 教習所

2022-11-08 | タクシードライバー日記


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

実は、この小平次、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしてみたいと思います

前回、法律の資格をとるまで、タクシードライバーになることを決断、面接後慌ただしい入社手続きを経ていよいよ正式採用が決まった、というところまででした

つづきをどうぞ

******************

 慌ただしく住所を移転、健康診断、血圧治療、警察からの違反履歴書類の取り寄せ、などを終え、正式に採用の決定の連絡を受けた。その電話で明日の午前11時に本社へ来いと指示を受ける。
 翌日、指示通りに本社へ行くと、コワモテから契約書等の書類を渡され署名、年金手帳の提示、その他必要な入社手続きを済ませた。

 もう一人、おれと同年代と思われる、井川と言う小柄な男もおれと同じ手続きを済ませていた。

『では、井川さん、澤田さん、あなたたちは今日からウチのタクシードライバーとして、まずは二種免許の取得のため、教習所へ行ってもらいます、教習期間、研修期間は手当として一日1万円が支給されます、午後の授業に間に合うよう、急いで行ってください』

 と、コワモテから地図を手渡された。最寄り駅は東京都内であったが、東京都下、ここ、東京の中心地からは電車で一時間以上はかかりそうだ。おれと井川は急いで本社ビルを後にした。

『澤田さん、結構慌ただしいですね、午後からの授業と言うと、お昼食べてる時間もあまりないですね』
『ええ、乗り換えで新宿を通りますので、地下街で何かさっと食えるもの食って行きましょう』

 おれたちは乗り換えの際、新宿の地下街でカレーを急いで流し込み、教習所を目指した。
 井川はおれより2つばかり年上で、前職は「戦場カメラマン」だったそうだ。安定して食っていけないので、ここらで定職につこうと決めたらしい、いろんなやつがいるもんだ。

 教習所は、さびれた感じの建物に、せまい教習コース、敷地の左端にプレハブがあり、そこに数人の男たちの姿が見えた。おれと井川はまずはそのプレハブを目指した。
 プレハブの外のベンチには中年から初老の男が腰かけ談笑していた。中には数人の「生徒」たちが教習本のようなもの開き勉強していた。その奥に、おそらくは教官席、そこにはまるでホストのような顔といで立ちの、にやけた顔をした比較的若めの男が座っていた。おれたちは周囲のうだつの上がらなさそうな「生徒」たちに軽く会釈をして、ホストに声をかけた。

『ああ、新人さんね、二人は教習の前に適性検査を受けて』

 そう言われ古びた建物の方へと案内された。
 適性検査、最初にモニター画面を見ながらの模擬運転であった。免停になると受けさせられるやつだ。画面を見ていると気持ち悪くなるアレだ。



 その後は「動体視力検査」、前後左右から線が動いてきて、線と線が重なったところでボタンを押す、これも少し気持ち悪くなる。

 適性検査終了後、おれと井川はプレハブの「校舎」でいよいよ二種免取得に向けて勉強の開始だ。まずは学科の講習、大の大人、それも半数はジイサン、中年初期のおれはこの中ではおそらく最若手だろう。

 主任教官の岡山という男の授業だった。まずは100問の模擬試験を解き、その後解説付きで答え合わせをする、という授業だ。
 岡山は小柄ではあったが、関西弁で、実に厳しいスパルタ教官だった。

『おれは、この仕事に命かけてる、一日でも早く、優秀なドライバー送り出すのがおれの役目や!そのためにはビシビシ行くで!』

 机並べて「授業」を受ける、そんなことは数十年ぶり、というやつがほとんどだ、さらにおれを含め、一般社会でうまく行かなかったうだつの上がらないやつが大半だ、厳しくせざるを得ないのだろう。

『何かここまでで質問はあるか?』

 だれも質問をしない。

『ほー、質問無いんか! ほな、田中、これこれこういう場合、車はどこに停車させたらええんや?』
『え、? えっと、、、わかりません…』
『わかっとらんやないかい!!わからんのやったら何で質問せえへんのや!』
『あ、あ、すみません…』

 これから学科試験の合格、その後の実地試験の合格、早いやつでも1か月はかかるらしい…。その間このスパルタ教育に耐えなければならない…。少しばかり辛いかもしれない。それでも、本当に数十年ぶり、周りはジイサンと中年ばかりだが、同じ目標に向かって机を並べて勉強する、切ないような、恥ずかしいような、よくわからない、教室の一番後ろの席で、目の前の光景を眺め、おれは複雑な気持ちになりながらも、同じ目標に向かって共に学ぶ「仲間」がいること、少なくともこれは幸せなことだ、そして家族のためにも頑張るしかないのだ、おれは岡山の怒声交じりの講義に耳を傾け、鉛筆を強く握りしめた。


*********** つづく

今の感想
もちろん全てではありませんが、いい歳してタクシードライバーになろうって人は、なんかしら人生うまく行かなかった、とか、組織での人間関係がいやになったとか、もちろん自分も含めてそういう人が多い、というのは今後実感していきます。本来書きたいのは、デビュー後のお客様のことなんですが、もう少しデビューまでかかりそうです



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タクシードライバー日記 どちらまでですか ① 『決断、そして面接』

2022-10-25 | タクシードライバー日記


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

実は、この小平次、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしてみたいと思います

主に、お乗せしたお客様のお話を中心にお送りしたいと思いますが、初回から数回はドライバーデビューまでの思い出などを、まずはお送りしたいと思います

インドの時のように、日記を付けていたわけではないので、記憶を頼りに、気の赴くままに書き綴ります

では、第一回目 初回、ちょっと長くなりましたが、お付き合いいただければ幸いです

*******************

 そう、おれは決断した。
 もう嫌だったのだ。

 管理職、部下60名、ある企業のグループ会社を一つ任されていた。当たり前のことに今更気づいた。給料をたくさんもらおうと思えば、それだけ責任もプレッシャーも大きくなるのだ。実に当たり前だ。おれの立場は会社を任されているとは言え、社長の方針を、多少無理があっても部下たちに理解させ、その不満を一身に背負い、上から下から常にプレッシャーをかけられるような日々であった。

 おれの才覚の問題もあり、おれはその双方の信頼を失い、おれ自身、もう人の上に立つのは嫌だ、そう思って決断したのだ。

 給料はそこそこだったが、「辞めよう、そして法律屋の資格をとろう」

 資格をとったからと言って、それでどうにかなるわけでもないことくらいはわかっていた。だが、やってみなければ何も始まらない、とにかくおれはそう決断したのだ。決断して、妻にその決意を話した。

『仕事を辞めて、法律の勉強をして資格を取りたい、その間働かないわけには行かないから、タクシードライバーをやろうと思う』

 なぜ、法律屋なのか、この時より数年前、おれはまあ、とにかく色々あって一度大きく没落しているのだ、無理して買ったマイホームも売りさばき、借金に追われ、寝床に入れば、乳吞児の明日の飯代もどうするか、そのくらいに没落したのだ。その時におれを助けたのは法律屋だったのだ。法律を知っているのとそうでないのとでは、時に人生も家族も、天と地ほどに道が変わる、そう思い、「法律屋になりたい」、漠然と思い描いていたのだ。

 それでも何とか復活し、どうにか這い上がり、以前いた大手企業の同僚よりもいい給料を取れるようになり、法律の資格のことなど頭から離れていたが、何年かが経ち、いつの間にか精神がボロ雑巾のようにグシャグシャになっていたようだ。

『あんたがそうしたいならそうしな、丁度いいよ、鏡見てごらん、人間の顔していないから、そんな顔しているくらいなら好きなようにやりな!』

 こう言ってくれた妻の言葉もあり、娘には、転校させることになり、すまないことをしたが、妻の実家に頭を下げ二人を一度帰らせしばらく面倒をみてもらったのだ。
 一人になり、勉強する時間を確保すること、今の仕事を辞めれば当然収入が下がる、その上で三人一緒に暮らすのは経済的に苦しいこと、それが理由だ。仲の良い家族だったから、おれの勝手ではあったが、それぞれ寂しい思いをすることとなった。

 妻と娘と、最後に横浜へ遊びに行った。横浜駅で、妻と娘はそのまま東京へ向かう、おれは藤沢へ帰る、娘が泣きじゃくった、おれも辛かった、絶対に資格を取ってやる、そして迎えに行ってやる、まあ、東京と神奈川だから、会おうと思えばすぐにでも会えるのだが、この時はやはり辛かった。

 翌日の朝、おれはコンビニでガテン系の求人誌を買い、「車のお仕事」のページを探す。

 なぜ、タクシードライバーなのか、理由は簡単だ。おれのような文系営業畑の人間は、年齢的にもつぶしがきかない、いつでも募集しているタクシードライバーは話が早い、そしてそこそこ給料もいい、おれはずっと以前から、もしこんな日が来たら、タクシードライバーをやろうと決めていたのだ。免許証さえあれば、腕一本で稼げるのだから。

『月給30万円!1年間保証! 二種免許取得費用全額会社負担!』

 そんな広告が目に入った。月給30万円、今のおれが転職してそれだけ貰える会社を探すのはきっと厳しいだろう、それも1年保証、その会社の名前は、おれでも聞いたことがあるくらい、そこそこ大きなタクシー会社だ。本社は東京のど真ん中、おれは早速その会社に電話をした。

『あのう、求人広告を見たんですけど…』
『ああ、面接希望の人?、ちょっと待って… 今日!、今日の13時、来られますか!?』
『えっ? きょ、今日ですか? えっと… … あ、大丈夫です、13時、お伺いさせていただきます』
『履歴書と、免許証、職務経歴書とかはいらないので、お待ちしております!』

 タクシードライバーの仕事はいつでも募集していることは知っていたが、それでも面接が今日の今日とは少しばかり面食らった。だが、昨日の娘の涙を思えば、こんなことでトロトロやってはいられない、おれはスーツに着替え、ネクタイを締め、東京の中心地にあるその会社へ向かった。
 
 そこそこ有名な会社であったが、本社ビルはかなり古く、小さなものだった、いや、数百台のタクシーを停めたり、整備したりするスペースがあるのだから建物自体は大きかった。事務所が小さいだけのことだ。
 
 人事総務のある3階へ上がり、開けっ放しの扉から中を覗き、挨拶をする。

『こんにちは!失礼いたします!本日13時に面接をしていただくことになっております、澤田と申します。よろしくお願いします』

 こんな挨拶は何年ぶりだろう、奥から体格のいい、強面の男が出てきた。

『澤田さん? 今日はいっぺんに4人面接をします、そちらの方で座って待っていてください』

 案内された同じ部屋にある応接セット、おれの他に二人の男が座っていた。一人はおれと同じ歳のころ、もう一人はいかにもタクシードライバーっぽい、早期高齢者程度の歳のころの男であった。
 四つあるソファーの一つに腰を下ろした。ややもして、「四人目」の男が来た。男はやはり早期高齢者、という年齢に見えた。
 最初に来ていた男二人、そしておれは、当然「面接」であるので、スーツにネクタイ、もちろんビジネスシューズ、だが最後に来た男は、ピンクのポロシャツをだらしなく着て、下はジーパンのようなズボン、そして靴はなんと「サンダル」……。
 その男の姿を見て、体格のいい強面が言った。

『あなたねえ! 一応面接なの! その恰好では面接はできません、スーツに着替えてネクタイを締めて出直してきてください!』

 まあ、当然だろう…。サンダル男はブツブツと不満げなことを言いながら帰って行った。
 一人減り、別室で3人同時の面接が始まった。
 面接官は、さきほどの強面と、同じように体格の良い男で、眼鏡をかけているが、やはり同じように強面の男だった。

『ではみなさん、最初に免許証を見せてください。』

 おれたちは免許証を出し差し出す。
 まじまじと眼鏡の強面がそれを一枚一枚食い入るように見つめる。そして、

『澤田さん、あなた免許証3回無くすか失効してますね?』
『えっ?』
『どうしてわかるのか、不思議ですか? 免許証のこの番号、この末尾の番号は再発行した回数なんです! あなたはここが3! になっています 普通は…、ゼロ! です』

 なんと!そうだったのか、免許証を3回も無くす奴はやはりどこかに欠陥があるということか。

『どうして3回も再発行しているんです?』

 おれは記憶を辿る。

『えっと… 最初の更新のとき、私の誕生日が1月の4日で、3日まで警察が休みでして、期限最期の日、都合が悪く行けなかったのです、次は…、釣りに行ったとき、テトラポットで転びまして、そのとき勢いでカバンの中身が、財布も含め海に落ちたのです、最後は、いつの間にか無くなっていて記憶にないのです』

『そうですか…、では次の質問、皆さん、身体に刺青がある方はいますか?』

 就職の面接で「刺青の有無」を聞かれるとは思わなかった。三人とも無いと答える。

『みなさん、借金はありますか?』

 おれはこのとき、一度没落から復活していたとは言え、少しの借金が残っていたが『ありません』と答えた。

 その後は、基本的には3人とも採用の方向で進める、とその場で告げられ、採用にあたり、警察で過去5年間の違反、事故の記録を申請して取得、その提出、それから、これも驚きだが、このまま近くの病院で健康診断を受けろと言う、さらに! 神奈川や千葉は、二種免許の試験が非常に難しいので、東京のこの本社へ住所を移せ、という、東京の方が緩いそうだ。

 健康診断の結果、おれは血圧が高い、と診断された。強面から

『この数値では車に乗せられない、もう一度行って薬をもらって、一週間後もう一度検査、その間、警察の書類、住所の異動、同時に進めてください』

 おれは言われるがままにもう一度病院に行き、薬をもらい、その日は帰宅した。
 正直、こんな面倒な手続きを含め、それを同時進行であわただしく行うなんて全く考えていなかった。とにかく早く現場へ送り出したいのだろう。

 薬で血圧も下がり、警察の書類も、違反は多かったので少々心配したが無事にクリア、住所の異動も終わった、そして正式に採用が決定し、いよいよおれはタクシードライバーへの道を歩み始める。


*************つづく

今の感想

もう本当にまずタクシードライバーになるまで、とてもあわただしく、このあと、専用の教習所へ通うことになりますが、そこがまた慌ただしく…。まあ楽しかったですけど。あ、ちなみに今の免許証、末尾の番号は「4」になっていますww ゴールドですが。。


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