tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

核軍縮と廃絶

2010-11-10 10:35:44 | 日記




 

基本は抑止力と考えるのだろうけど、覇権を前提に核保有を考えている国民や国家指導層もいるだろうからね。つまり何れにしても対する側は核保有の正当化事由はある訳さ。

オバマ大統領負けちゃったよなぁ・・・。多分、核なき世界も後退すると思うよ。まぁ、自らの語る正義に酔いしれ人を導いていると言わんばかりに見下して仰々しく如何にも意味ありげに演説を打たなくても、核軍縮、更に核廃絶の方向性自体は簡単なものでしょう。

国家の核兵器保有を支える有権解釈が敵性が核兵器を保有していると言う前提において「核兵器には核攻撃に対する抑止効果があり、ある一定の平和を維持している。」と主張するなら保有国が一斉に保有レベルを下げ、更に皆で手を引くと言う方向性が見えますよね。つまりグローバル・ゼロ。

問題は如何にして全核保有国が参加する交渉のテーブルを作るか。中には覇権のため核兵器を保有している国もあるのかもしれない。明確な方向性は見えるが道則自体は険しいものになるでしょう。

民間の核廃絶運動は、その一助と言った位置付けじゃないですか。ただ、核保有に「ある一定の平和を作り出している。」と言ったような意味を見出す人を批判するだけの運動なら逆効果になることもあるでしょう。

批判は相手の自己正当化を引き出し、逆に今度は批判者を批判するようになる。それが対立を生み事態は動かなくなる。相手も正義を前提に主張していることを忘れちゃいけないんだ。

簡単な話。核抑止力を否定するってことは「貴方が私に核攻撃を行っても私は貴方に報復を行うことは一切ありません。」と宣言することですからね。外交上、相手国と対立することもあるでしょう。領有権とか。その度合いによって相手は「あらゆる手段を行使する用意がある。」と言う訳ですよ。よく聞く話ですよね。

なんら三段論法的な理由をつけて相手は如何にも攻撃できないようなことは言えるだろうが、通常兵器と違って、実際に攻撃されたら本当に終わりなんですから慎重に考えるのは当たり前でしょう。絶対なんて存在しないのだから、流石にこのくらいの心情的な相互理解はできると思うんですけどね。

最近は政治や軍事に一切絡めずに核保有国を批判するものではないと言う位置付けをした上で、心情的に核兵器自体の持つ残虐性などを訴えることだけに努めている人もいるようです。そう言った人はやっぱり先が見えているんでしょう。

どうしても軍事や政治に絡め観念的に体制批判をしがちですが、そもそも普遍的正義なんてありません。正義は其々が持つものです。敵性が核兵器を保有していることを前提に「核兵器には抑止効果があり、ある一定の平和を維持している。」と言う正義を見出そうが、別の正義を見出そうが、思想や過程や理由などどうあれ、世界全体で核兵器廃絶に向けて歩み出せば良いだけの話。

どのような思想に立脚しようが、実際の核廃絶の過程は、そうは変わらないでしょう。全核保有国が参加する交渉のテーブルを作り、まずは全体で保有レベルを下げて行く、更に先に進め皆が一斉に核兵器から手を引くと言ったものになるはずです。

後は各国の努力の問題になりますか。核抑止力を否定せずに交渉を進めるのなら必要派も賛成するかもしれないし、そうでなくとも、それほど文句はないでしょう。

全ての核保有国が一斉に核軍縮・核廃絶に向けて動き出すと言う方向性なら、核抑止力を否定する必要なんてないんですよ。必要性派にしても、核兵器による抑止効果を狙った不安定な状態から解放されるだけでも大きな意味があるでしょう。

他の思想を自らの思想に染めようと言う行為そのものが対立を助長するなら、それは核廃絶を遠のかせるものになるのかもしれないですよね。