tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

準○○

2010-06-30 16:34:12 | 日記

そう言えば、最近気になること、なんかね。「準○○なんだから、役割として主要よりも劣るんだよ。だから削っても普通に大丈夫なんだよ。」って論調を見かけたりする。でも、これって違う気がするなぁ。


「準○○」って、単に全てにおいて2位的な意味合いじゃないよね。例えば準教授。《地位は教授に準じるが、教授と同じ役割を担うことになる》ってことなんだから。この場合、役割の部分の意味合いとしての評価は同等か、それに極めて近いものになるんじゃない。

《準○○》とはつまり、主要なある部分においての意味合いとして評価は例え同等であっても、便宜的に2位的な地位が与えられたものってこともあると思えるなぁ。もし、そうなら、これを単に「削って大丈夫。」とは言えないよね。

その《準○○》が何らかの役割を担っているのなら、それは基の比較対象が放つ意味合いと同等か、また極めて近いものがあるってことなんじゃないですか。「少なくとも代替措置を講じないと問題が生じてくる。」って意見には妥当性があると思える。




参考にしました。

「准教授」新設へ 中教審「助教授は実態に合わず」
http://www.asahi.com/edu/nyushi/TKY200411220337.html


W杯

2010-06-30 01:59:34 | 日記
素晴らしい試合でした。本当に素晴らしかった。
見る人其々色々な思いはあると思いますが、俺は感動しました。

ありがとう。本当にありがとうございます。本当に誇りに思います。そんな気持ちにならざるを得ないです。

細かいことは解らないし、戦略の評価なんて一切出来ないが、熱くなることができました。

選手の方々、関わった全ての方々。本当にありがとうございました。

参議院選挙の争点

2010-06-29 14:04:39 | 日記

参議院選挙の争点ね・・・。

個別には問わない、まぁ、総論的に言うけどね。何れにしても、おっきい政党さんは、微修正的な表現はあるものの、極力抵抗が少なく実現出来ることをやろうって言うのが路線のようだね。

「実現可能な!!」云々、当たり前のように言われるけど、結局、それって自ら、また他者であれ過去の行動・言動から起きた現象の中の何らかの前進的な変化があった部分だけを切り抜き、あたかも独自案であるかのように言っているに過ぎないんじゃないの。

つまり、その切り抜いた部分は、ある意味の成果と言える部分が認められるから、全く新たな独自の発想よりも動向を予測しやすい。だから現在に当て嵌める作業をしてもリスクが少ないって話でしょ。

自らではなく他者であれ過去に実際に起きたことなら実現し易いのは当たり前の話。結果が出ずに「迷走している。」なんて批判は確かに防げるんだろうけど、でもさ。それ以前の約は元々国民の利益になると思うから主張したんでしょ。だったら方向性や理念は一貫するべきだよね。

例えば、「現実的な修正から短期から中期に、中期から長期に期限を延ばしました。」また「一貫した理念の元、現実的な観点から、当初の案から修正し、別の形での同等の効果を模索しました。」なんて言うのなら話は解るけどさ。

「主張を180度変えて!!」なんて批判が出る状態。そう言うのどうなの。理念重視か、単なる達成重視かの違いがあるだけで、どっちにしても何らかに迎合しているだけだと思うね。

「主張を大幅に変え、現実路線を選択した。」なんて指摘が出るのは、言うなれば「当初の思いを現実に当て嵌めようとする作業を止めました。」ってことだよ。当初の方向性や理念すらも覆して実現しやすいものを単に選択したってことでしょ。

国民の思いを散々利用して党を太らせたくせに、その恩恵にどっぷりつかる議員が、今更、大衆迎合を非難する姿勢って何よ。言葉には出さないけど、つまり「国民は愚かなのだから。」ってことが言いたい訳でしょ。

あれさ。ポピュリズムはネガティブな意味合いだけじゃないよね。ポジティブな意味合いもある。そもそも民主主義の下支えになっている面もあるんじゃん。それすらも否定するのは国民の思いを否定しているに等しいよ。

おっきい政党さんの主張は何れにしても大した違いがなくなりました。どんぐりの背比べ的でさ。現実路線とか言う主張は共通し始めているよね。これ。国民は何を選択の材料にすれば良いんだと言うことでしょ。やっぱり顔とか知名度な訳かい。

彼等の言う現実路線って、結局のところ、《思いを現実に当て嵌める作業を止めても実現できるもの》だってことだよね。つまり事例が存在するもの、人類の経験則からの導きじゃない。ならば過去から今までの道筋を、また辿るだけの話なんじゃないのかなぁ。もし、そう言うことなら、多くの国民が求めるような変化は期待できないってことだろうね。





現実路線なんて方向性が免罪符だと思っているのでは日本の未来は暗いね。人が作用し現れ起きた事象には、その因果がある。ある時点で成果があったとしても、その先に失敗があることだって往々にしてある訳さ。

単に、過去の前進的な変化があった時点を切る抜き、それを現在に当て嵌めるだけでは世の中は良くはならない。成果を強調するよりも過去の負から学び、その負を解消するよう正面から挑むことの方が何倍も重要でしょ。

負から学び、新たな方向性を打ち出すってことは、今までの柵を絶ち切る作業が必要になってくる。柵、要は、多くから見て失敗と言えるような状態であっても、それから恩恵を受けている人はいるんだよね。それに権力が伴なえば、伴なうほど抵抗は厳しくなるってことさ。

権力者だからこそ影響力を持てる。その影響力が行き付く所、多くの国民に負をもたらしているのなら、そこに大きな変化をもたらそうとするほどイバラの道な訳でね。中々成果が出ないなんて当たり前。

んで、政府ならイパラの道を歩くために民意の後押しが必要になるんだけど、それはいつ吹っ飛んでもおかしくない状態。選らんだ俺達の側にも忍耐が求められるのに、国民は気が短い。

民主主義は金と時間がかかるんだと言われているよね。政治的側面だよ。本来、ものによっては何十年と長い時間をかけての交渉なり、対処なりが必要なものばかりのはずなんだけどさ。それでも期待が大きければ大きいほど国民は早期の成果を求めるよね。

んで、中々結果が出なければ国民は納得できなくなり、支持率急降下。それが批判者の後押しになり、批判者は、それを根拠に混乱を作り出す。そして混乱は更に成果を遅らせる。こりゃ、負のスパイラル。だから過去の一時的成功体験に則った現実路線なんて方向性になるんでしょ。

誰が見ても目くそ鼻くそを笑う状態だよね。相手党を批判しても、国民の目から見れば「お前にそんなこと言う権利があるのか。」ってなるのが落ちです。国民の思いが実現されない、要は政治不信を抱えたままでは、大きなことは出来ません。国民が最後まで信じることが出来ないのだから。

つまり、おっきい政党に限って言えば、現状、どの政党が過半数をとっても大きな変化はない、更に、それは俺達国民の責任でもある。個人的意見だけどね。




ちっちゃい政党さんはどうだろうね。注目点は社民、共産ってところかなぁ。その他は自民、民主より、主張がちょっと強いか、ちょっと弱いか、その程度でしょ。蝙蝠が燕を笑うって感じなんじゃない。

そうそう、ほら、先日の朝生で社民党の辻元議員が言ってたけど、共産党も一回、連立として政権参加して見れば良いんだと思うんだよ。見える景色が違うはずだよね。

朝生での辻元議員の主張は中々良かった。他の連中を黙らせる説得力が伴なっていたように思う。厚みを増した感じです。あれなら簡単に否定されない粋まで来てるんじゃない。

政権参加の経験は党としての厚みを生み出すと思うなぁ。そして、より良い政党になるんじゃない。でも共産党はやらないだろうなぁ。覚悟が必要だものね。責任が伴なわない野党の方が楽で良いよね。


俺は、そもそも、行動の動機となる理念が重要だと思っていて、それを国民が見て先々を思い描くものだと思っているんだよね。そして、その理念が、より原型を留めたまま現実に当て嵌まるか否かはやり方しだいだと思っている。実際問題、事前的に絶対的な正しさなんて見出せないよね。

更に、政治的な判断や、その概括的な意味・内容は、個人が、また国家が、国内情勢や国際情勢に適応して行動するための道具であるべきだと思っていてね。その正誤は現実に当て嵌めた場合の成果によってのみ決まると思っている訳さ。

どんなに正当性が主張されるものでも現実に当て嵌めたら成果どころか不利益しかもたらさないことだってあるじゃないですか。情勢は刻一刻と変化しているしね。例えば、過去の成果なんて、その変化について行けないことだって往々にしてあるでしょ。

政治的判断なんて、その程度のものだと俺は思っているから一貫した政治思想のようなものは持ってはいないし、固定とした支持政党も持たない。主観的に、より妥当だと思う側を選択するのみなんだけどね。

因みに、判断基準は合理だけではなく、そう言ったものとはまた別の個人の持つ良心のような部分も重要だと思っているんだけどさ。互助を実現する人の良心ほど社会を良好に運営するものはないですから。

まぁ、それとは別にだけど、現実に当て嵌めた場合の成果によって正誤が確認できると言う前提を持つなら、実際に試してみて、駄目なら修正すると言う作業を繰り返すことでのみ良好さを確保できると言うことになるでしょ。

もし、それが当のものだとするなら、事前に正しさを固定的に見る観念を持ってしまうことで、正誤を見極める作業が実に狭まったものになるんじゃない。つまり良好さを得る機会を失うことにもなると言えるんじゃないですか。

まぁ、余談だけど、理念すら覆すような安易とも言える現実路線への移行なんて言うのも下手すると修正すら怠っているなんてことになるのかもね。

個人的意見として言えば理念を実現するための案の修正は幾らでもやって良いと思うが、理念そのものを覆すことはあってはならないと思うよ。理念すら覆すなんて言うのは背信行為以外のなにものでもないよね。政権担当能力以前の人としての倫理的な問題です。

成果とはつまり、全てにより近い多くの国民が良好な営み得ることでしょう。単なる変化とは違いますよ。一部に良好さをもたらすだけでは駄目。何らかの変化をもたらしたとしても、それが多くの国民に良好な営みをもたらさないのならば成果とは言わない。

単に机上・頭の中のみで考えたことや、単に過去の成果を現在に当て嵌めても成果が出るとは限らないですよね。どこぞの本の中に成果が得られると書いてあったとしても、どこぞの国で成果を上げたと言う事実があったとしても、それを日本に当て嵌めて同じ成果が出るとは限らないでしょ。

必要なのは失敗しても理念を曲げず、萎縮せず、そこから学び修正を施し、また挑戦することだと思います。それを繰り返すことで、政党なり、個人の議員なりが放つ理念を選択した有権者だけではなく、その他、多くの国民に良好な営みをもたらすことになるはずです。そうなると信ずるがゆえの理念であるはずなのだから。

まぁ、理念を持つことは重要ではあるが、その理念に基づく案を現在に当て嵌めて、その正誤を推し量ってみる機会も重要だと思うなぁ。そうすることで日本の政治はより成熟したものになるんじゃないですか。

最低限、アイデンティティを保たなければならないのだろうけど、全てのちっちゃい政党は責任と言う覚悟を持ち、政権参加を模索してみても良いのかもしれませんね。駄目なら離脱すれば良いだけの話なのだから。




最後に、おっきい政党、ちゃっちゃい政党、まぁ、色々と思いはあるだろうけど、批判だけでは何も始まらない。身を切ってでも、世論調査で示されるような国民の思いを実現してくださいな。それが政治不信を払拭し、日本を良き方向に導く唯一の方法なのだから。


はぁ~ 危機感を人質に捕るもの

2010-06-19 02:44:14 | 日記

一般論です。


「言うこと聞かないと、○○をするぞ。」って脅す訳ですか。

そうですか・・・。そうやって恫喝する訳ですね・・・。まぁ、自らの責任で権利を行使すれば良いでしょう。それが何であれ構いませんよ。保証された権利ならね。

まぁ、貴方は必至になって《恫喝》してるつもりなのだろうが、俺からすると大した威力は感じません。そうなったら、そうなったように対処するだけの話です。

あるから利用するだけの話で、なければ無いで、別の方法を考えるだけですよ。やれば良いんです。そんな無理な脅し、困るのは結局、貴方なんじゃないですか。

だいたい、互いに、何らかを《恫喝》の材料に使い自らの意見を押し通そうとするなんて建設的じゃないですよね。だから話し合いましょうよ。

互譲を前提にした互いの話し合いの中で、答えを探し出すことこそが、多様な価値観が共存する社会の中で良好さを保つ道でしょう。



マイノリティが絶対正しいなんてことはないし、マジョリティが絶対正しいなんてことはない。そこには主観的な正義が存在するだけです。

利害調整を行い互いにとって、より利益をもたらす措置を模索すると言うことが、対立的なものには必要でしょう。

「自らの意見だけを押し通したい。対立軸を崩したくない。脅すしかない。」なんて言うのも理解するが、自らの主張を押し付けたいだけの人には、『言葉によって紛争を終わらせる。』なんてこと絶対にできないですよね。

《恫喝》、そんなことを是とするのは日本人であることの利点を捨てたも同じのような気がします。思いが強ければ強いほど、そんな根源的なことすら忘れてしまうように思う。

世界には多様が価値観が混在しているでしょう。だから争いの原因そのものがなくなるなんてことはないんでしょうね。しかし、それに対して《どう立ち向かうか》は問われるんじゃないですか。

ある人は武力を主張し、ある人は話し合いを主張する。俺はできるなら、話し合いを選択したい。武力の背景を否定するつもりはないが、重きは話し合いを選択する。

「平和って何?」だなんて問われても確かに明確には答えられません。しかし、少なくとも目の前の争いにどう対処するべきかの答えは見つけられるような気がします。それは相対する互いにです。

「自分は正しいのに、正しいことをしているのに。」なんて思うのかもしれないが、それが誰にとっても正しいとは言えないんだと思いますよ。相手にとっては、至極不当な措置に感じることもあるでしょう。

主観的正義と主観的正義をぶつけ合うことを必ずしも否定している訳ではないけどね。それは人である以上は仕方ないことだし、更に、とことん遣り合って疲れ果てて話し合いの糸口が見つかることもあるのだから、否定できるものではない。

ただ、本来は、より寛容な側が先に《互譲》案を示せれば良いんだと思うんですけどね・・・。少なくともどこまで引けるか確認することは必要なんじゃないですか。寛容なんだからさ。・・・本当は仲立ちになる存在があれば良いのだと思うんだけどね・・・。



俺の主観的意見ですが・・・。問題は互いにある場合が多いと思う。互いに譲歩しなければ解決しない問題だってありますよ。

相手を抑えつける力を持ちたくないでしょう。だったら、互譲を前提に話し合い、解決を実現するステージを如何にして作るか、それが問われるんじゃないですか。レベルたっか!

「私が正しいのだから、お前が折れろ。」「いや、私の方が正しいのだから折れるのはお前だ。」○Oo。いつまで続くんだろね・・・。世界が終わるまでだろか。


普天間問題は日米合意を踏襲だそうで・・

2010-06-10 02:15:57 | 日記

俺は沖縄の基地問題に関して同じことを表現を替え何度も書いているようです。菅政権は日米合意を踏襲するとかで、実際、俺としては不本意だけど、まぁ、これで一応の区切りとしようかなぁ。



 

まず、沖縄の米軍基地っていったいなんなんだって話だよね。要するにあれですよ。俗に言われているのが、アメリカはアジアに対して政治的影響力や外交的な威力を発揮したいと言うことで、それを可能にするためには軍事的背景が必要になってくるんだとか。

軍事的背景を維持するためには、ことが起きた時に即応として戦力を輸送し展開、そして軍事作戦を遂行する能力が必要になってくる。戦略上、距離的に、位置的に、当然、【政治的な制約】的に、それを可能にするのが沖縄ってことらしい。

んで、沖縄の基地を確保することによって、戦力を輸送し展開、そして軍事作戦を遂行する能力、つまり戦力投射能力が担保されることになるから抑止力を《持つ》ことになると言う解釈なんだね。しかし、ここの詳細は明かせない部分も大きいはず。何故なら、戦略上の関係性と対中国と言う要素が大きいから、政治的配慮が大きく作用するでしょう。

まぁ、そもそも、抑止力は相手が〔どう考えるかが。〕主なんだろうから、「相手に、どう考えさせるか。」が重要でしょうね。つまり情報の操作や政治的表明、同盟・協定、国家間の関係性、また予防的な外交、経済的な関係性・・・その他も重要になってくるはずなので一概に〔戦力投射能力=抑止力の定義〕とは言えないはず。しかし、こと軍事力について言うなら、戦力投射能力が伴なって抑止力を《持つ》と言う認識に至るようです。

 

 

 

日本は今まで、アジアにおけるアメリカの存在感。軍事的影響力、経済的影響力、政治的影響力、要はプレゼンスを日本に〔利する〕と判断して来たでしょう。まぁ、日本は、選択肢として、そう考えざるを得ない部分もある訳だよね。

何故なら、アジアに対すると言うか、そもそも日本の戦力は海外への展開を想定していないから、対外的な戦力投射能力がない。つまり、経済的影響力にしろ、政治的影響力にしろ、軍事を背景にした威嚇・恫喝に対抗する効果を持つことができない訳だ。

最近、問題だとされるのが中国の動向。中国はアジアのみならず、世界に対する軍事的な影響力を増してきていると言われていて、経済的影響力にしろ、政治的影響力にしろ、他が放つ軍事を背景にした威嚇・恫喝に対抗する効果を持つことができるって話のようです。

政治的駆け引きの背景には軍事、要は威嚇・恫喝を支える前提が必要だと言う見解も存在する。前提、それはつまり戦力投射能力。それがあるから抑止力を得、抑止力があるから、相手の威嚇・恫喝を無効化でき、対等な競争や交渉ができるようになるんだそうです。

んで、アメリカの言うPower Projection capabilityを日本では戦力投射能力と訳していることが多いようだけど、その実としては、国力として政治的に自らの意向を及ぼすことや外交的に他を押さえつけ服従させる強い力を発揮し得る能力ってことになる。

国連加盟国は、憲章の2条で、武力的威嚇は《慎まなければならない》ってことになっているんだけど、つまり「度を過ごさないようにしましょう。」ってことなので、「絶対駄目!!」って訳ではないんでしょう。

対外的な戦力投射能力を一切持たない日本は、対外的な抑止力がないと解釈される。まぁ、自衛隊は抑止力なっているとは思うが、それはあくまでも範囲内の話で、相手からすれば「日本には攻め得ない。」と言う抑止力にしかならない。

他国への戦力投射能力がない以上、アジアへの影響力を担保する抑止力にはなり得ないと言うことになるんだね。

アジアにおける戦力投射能力を持つ国と競合するとして、日本が政治的影響力や外交的威力をある対象国に及ぼそうとする場合、少なくとも、その対象国を競合相手の威嚇・恫喝から守り得る効果

つまり競合相手の武力行使に対する抑止力を日本は持たなければならないのだが、日本単独では、その類の抑止力を一切持っていない。

威嚇・恫喝に対抗する効果を一切放っていない以上、軍事を背景にした〔威嚇・恫喝を使えない、また使わない国〕との競争や交渉は対等とできるが、そうでない国、〔軍事を背景にした威嚇・恫喝を放つ国〕との競争や交渉においては弱さや脆さが出て来る訳だね。

ここは俺として少し異論もある訳だけどね。例えば国連、憲章では加盟国に紛争の平和的解決義務を課している訳だから、これは、ある意味の抑止力にもなっているはずだし、また、経済的な関係や政治的要素も抑止力になるはず。従って、一概に戦力投射能力を伴なわなければ《抑止力を持たない》とは言えないと思う。

日本に限らず、現状でも、アメリカに利益に合致しない形で、ある程度は公平な競争や交渉ができるはず。〔軍事力・戦力投射・抑止力〕には多少、絶対視するかのような表現も含まれていると思います。

ただ、「これもアメリカのプレゼンスあってのこと。」なんて言われれば、「う・・・。」っとなってしまいますけどね。「これって、死刑の抑止力の議論に似ているなぁ・・・。」なんてね。

まぁ、それは置いておいて、こと軍事的な要素に関しては「必要な要素を補完するために比較的価値観の近いアメリカに依存せざるを得ない。」と言うことになる。これは一次が万事であらゆる競争や交渉に影響が出て来るとされるんだね。

自分の目で一次資料を見た訳ではないので正解かどうかは明確には言えませんが、大まかに言うとこんなところのようです。

 


まぁ、憶測すると、「軍事的な影響力を強める中国の動向に対抗するためには、何が必要ですか。」と問われた場合。そうね。「アメリカのプレゼンスの維持に協力する。」と言う答えになる人も多くいるんじゃないですか。

またまた、憶測だけど、鳩山元総理の言動の変化って、アメリカのプレゼンスの《軽視》から《重視》に移行したってこともあるんじゃないのかなぁ。そして詳細を明かにしない理由は中国への政治的配慮って言う可能性もあると思います。

他には・・・。日米安保を解消とか、別のオプションとして米韓同盟を強化とかなんとか、きな臭い噂的な情報もあるようで、この辺の信憑性は計り得ないが、もし、これが事実だとするなら、当然、鳩山元総理の耳にも入るのだろう。従って言動の変化は理解するに足ると言う見解も成り立つと思います。つまり恫喝されたってことでしょうけどね。

 

沖縄に米海兵隊がいなければならない理由についてアメリカの抵抗を見れば、公儀としてパワー・プロジェクション・プラットフォーム、まぁ、政治的影響力、外交的な威力をアジアに対して安定的に及ぼし得る根拠。言うなれば、戦力投射を担保するハブ基地、つまり戦力投射能力を確保(抑止力)として必要だと言うことでしょうけど、まぁ、距離的に言うなら台湾有事に特化していると言う体なんじゃないですか。

基本的に台湾は、国家として承認されないながらも日本と良好な関係性を築いているでしょう。まぁ、確かに日本側の排他的経済水域に調査船を派遣して来たりするけどね。それでも中国と比較すると民主主義的価値観として近いと判断できるんじゃない。

つまり日本南方の海洋利益を保証する形になっているし、中国と日米のあいだの緩衝地帯にもなっている訳さ。台湾が中国の勢力圏内に入れば沖縄が最前線になるってことでね。防衛として更に大きな負担を強いられるって言うロジックが組み立てられる。



更に台湾は中国の言うところの第一列島線。台湾側から見れば月型防衛線ってことかな、その中枢に位地していて、中国が外洋に戦略的な手を伸ばせないようにするための要としての意味もあるとか。

台湾が中国の勢力圏内に落ちれば、中国は外洋に出てこれるから、更なる戦力投射能力を確保することになり、つまり抑止力を構成することができるようになる。

要は、アメリカがアジアに政治的影響力、外交的威力を及ぼすために必要な軍事的影響の妨げができるようになると言うことさ。

んで結局、日本の海洋利権が損なわれる恐れが出て来ると言う結論に至るらしい。睨み合い、危険が増せば当然、行けないところも多くなるからね。

更に、アメリカのプレゼンスが後退すれば、日本のアジアに対しての影響力も後退するってことになる。それで、台湾防衛の重要性が出て来る訳だ。それは「日本の利益を守ることになのだ。」ってことになるんだね。

《「台湾の軍事力を弱体化するための小規模特殊部隊による限定目標攻撃に対抗するための即応を実現するべく、戦力投射を担保する根拠として沖縄の基地が必要。」》

【「一部グアム移転は、ヘリコプターを用いて派兵する戦術、つまりヘリボーンの確立によって可能になった。更に、速度・無給油航続距離・空中給油などオスプレイのスペックが、それを前進させた。」】

この辺は、まぁ、肯定派の共通の見解のようです。「作戦範囲は敵部隊潜入の初期で、航空優勢が確保されている状態。輸送はオスプレイ。展開は台湾軍との連携。従って作戦遂行が可能。つまり《抑止力》を構成する。」と言うことのようですね。

しかしね。詳細は明らかにできないだろう。戦略上の観点から見て、米中共に奇襲って位置付けでしょう。そんなもの明かせる訳ないよね。明かしたら奇襲にならないもの。それと一番は政治的配慮だろなぁ。

更に、日本との共同防衛は想定していないだろうから、基地支援・補給支援の確約だけを取り付け日本側に詳細は明かさないと言うこともあるだろね。また、そもそも日本を信用していないと言うこともあるんだろう。

こう言ったことが鳩山元総理の歯切れの悪さを生んだんじゃないかなぁ。だから結局、戦力、輸送力、国家間、また準ずる関係性から見て推測するしかないんでしょうね。




んで、基本的に俺は、それらを否定する根拠を持たないから、《互譲案》として過去に考察された〔MOB〕〔サブセミ式、またポンツーン式・メガフロート〕〔重力着底型プラットフォーム〕などを生活圏からできるだけ離れた海上に建設すると言う手もあるんだと思っています。

例えば、MOBなら、日本政府による今後の交渉や周辺情勢、国際情勢の変化で、他所への移動も可能。そう言った海上基地への移設と言う方策を採れば沖縄の基地負担は大きく軽減されるでしょう。

更に言えば、海上基地の有効性が証明されて行けば、日本における他の米軍基地も、順次海上に移して行くと言う方向性だって見出せるはずです。中長期的展望から言っても、日本にとって利になると思います。


また、単なる妄想を言えば、結局、台湾海峡での大規模な軍事衝突に対して、オスプレイ輸送を前提にした沖縄の米海兵隊の即応と言う体では対処できないはず。航空部隊の支援、強襲揚陸艦の支援、第7艦隊が最初から出張る事態に当たるでしょう。であるなら、それを除外した小規模戦闘だけに特化した戦略も可能なはずです。

距離的にどこが妥当なのか計り得ないが、総合的なパワー・プロジェクション・プラットフォームとしての機能は、例えばグアム、テニアン、済州島、フィリピン・・・まぁ、本来は国内で解決するべき問題であるはずなので、手を上げた大阪とか、また県外での海上基地建設も含むかなぁ。他所に移転する方向性を模索して、沖縄米海兵隊は限定的に台湾有事のみに特化。

普天間は返還、訓練は他所、実働は、オスプレイを搭載でき、更に継続的な整備と宿泊が可能なDDHや軽空母を必要量新造、交代制の常駐を採り、ホワイト・ビーチを主体として、嘉手納、佐世保、第7艦隊と連携しつつ、艦船による小規模部隊の展開を模索する方向性だってあるような気もする・・・。考察する材料が限定的なので結局妄想の粋ですが・・・。

 

 

 


今後はどうでしょうね。菅総理は普天間問題について「日米合意に基づいて進めなければならない」なんて言うことなので、また、岡田外相は「8月末とは技術的な検討のタイミングであり、それまでに沖縄の理解を求めなければならないというものではない」と言うこと、つまり、そう言うことでしょう。

普天間問題はインパクトが大きい割に成果を見込めないと判断した。「他に重要なことがあるジャン。」ってことなんじゃないですか。

アメリカ政府と日本政府の合意と言う事実に沿い、その後、沖縄の合意を取り付けるって方向性。ただね。保証を厚くすれば沖縄県や名護市、つまり、沖縄県民、地元住民の賛成派と言いましょうか、まぁ、妥協派と言いましょうか、そう言った人達を過半数にすることはできるとは思いますが

しかし、反対派の県民、地元住民の説得は難しいでしょうね。と言うか無理かもしれません。結局、彼等の求める答えは基地の全面返還しかないでしょうから。抵抗は続くだろうし、動機が強ければ強いほど、それは継続される。

子供のころから、そう言った危機を感じる環境にあれば、そうでないものと比べ、問題意識は強いものになるだろうし、それが育てば、その後の抵抗を支えることにもなるでしょう。

日米合意を盾にした措置。延々と続く抵抗。その先にあるものはなんでしょうね・・・。

まぁ。兎にも角にも、基本的には、「普天間基地は世界一危険な基地だから、危険性を早期に除去するべき。」と言うところから、始まっていますから、方法はどうあれ、ここをどうするかを先に考えないと行けないんですけどね・・・。

アメリカにしても何にしても、自らの希望を実現する手段として、危機や危険を人質に捕るのは余り好ましいとは言えない思います。なんとか継続協議を採りつけ、互いに互譲を目指せる方向性はないものかと思う部分も俺にはあるんですけどね・・・。







普天間問題に関しては、これで一応の区切りとしようかなぁ。

 

 

参考にしました。

 

菅首相:普天間移設、出口見えず 「日米合意を踏襲」
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100605k0000m010121000c.html?inb=yt

普天間移設 「沖縄の理解なくても工法選定」岡田外相
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100609-00000012-maip-pol

【解消に向かう日米同盟・上】安全保障を理解しない鳩山首相に心底落胆 - 政治・社会 - ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100330/plt1003301607003-n2.htm

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/

J-rcom
http://www.kamiura.com/

軍事板常見問題&良レス回収機構
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/index02.html

軍事板FAQwiki
http://www6.atwiki.jp/army2ch/

台湾駐日文化経済代表処
http://www.taiwanembassy.org/mp.asp?mp=202

第7回代替施設協議会協議概要
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hutenma/dai7/7gaiyou.html

外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/

 

 

 

 

 

 


国家間の距離感

2010-06-08 12:49:40 | 日記

いや・・・。だからさ。

だいたい。中国や北朝鮮とは仲良くしなければならないと言っておいて、どうしてアメリカとは反目するべきと言った主張に至る訳?

交渉が重要だと言うなら、それは全てにおいて交渉が重要なんですよ。仲良くすることが重要だと言うのなら、それは全てにおいて仲良くすることが重要なんでしょう。

「アメリカの言い分だけ聞く必要はない。」なんて言えないですよね。中国や北朝鮮の言い分を聞かなければならないと言うなら、アメリカの言い分だって聞かなきかなければならないんじゃないですか。

程度の問題。良好な距離感と言うものがあるはずです。そこを追及するべきであって、二元論化すること自体がおかしいんです。それでは単に対立を煽っているに過ぎない。

交渉の席に引っ張り出すと言う表現もありますよね。相手が交渉に乗ってこないなんて言うのは、こちら側の能力の問題でしょ。




思想的と言うか、まぁ、観念でしょうね。一歩も引けないから、交渉すらできないって話なんでしょうけど、一歩も引けない人が、ほら、どこぞで戦争をやってますよ。そんなものに組することが、本当に本意なんですか?




抑止力云々。間違って消しちまった。再投稿。加筆もしています。

2010-06-08 01:44:01 | 日記

いっけねぇ・・・。消しちまった・・・。再投稿です。加筆もしています。


アメリカが絡む【軍事的抑止力】肯定派・否定派、議論による極地戦をやっているようですけど、そもそも、「自分が正しい。」と押し付けの主張をしているだけで、議論による統合的な結論なんて求めてはいないんでしょうね。

肯定派と言うのは大方、アメリカ、NATO、その他、軍事同盟、また、関連の主張をするシンクタンクなどの見解を援用しているものなのでしょう。否定派は、そう言った国際的に軍事的抑止力を肯定する側を納得させられるだけの見解であるかも問われるんでしょうね。

抑止力の議論なんて言うものは、否定派が肯定派に向けて放ち、肯定派が否定派に向けて放っているに過ぎなくて、国民に向けている訳ではないようにも見えます。

結局は、単なる論争でしょう。相手を屈服させたい、それが行動の原動力のように感じる。論争である以上、重要なのは、見る側がどう判断するかですね。





軍事的抑止力なんて相手があって成り立つものなのだから、例え、専門家であっても、その見解は推測の粋を出ないでしょう。元々、そう言うものなんじゃないですか。

・・・まぁ、そもそも、軍事に関するものなんて秘密にされている部分が多いですよね。否定派と肯定派のみならず、例え、肯定派同士でも論者によって見解が違ってくるのは当たり前だと思うんですけど・・・。

「アメリカは実際の作戦の詳細を公表していないから抑止力にはならない。」なんて、安易な結論に至る人は流石にいないと思いますが、例えば、「実際の作戦行動なんて、公表すれば対処されることになるかもしれない。」なんて言う解釈は誰でも容易にできることですよね。

それに有事なんて流動的で、実際に発生した後に対処する作戦が練られるなんてこともあると思います。また、政治的配慮もあるでしょう。

日本いついて言えば、ハニトラ云々、情報朗詠が指摘されることだってあるし、9条と言う特殊な事情があるのだから、其々の部署内であれ論争に発展する可能性だってあるはずです。

情報朗詠は言うに及ばず、論争になれば、動きも出るだろうし、その動きが大きければ、マスコミが嗅ぎ付けることにもなるでしょう。

つまり日本への軍事的情報の開示は、その命題が明るみになる可能性を往々に孕んでいて、命題が明らかになれば、相手方にも作戦の動向が示されたも同じなると言うロジックの組み立ても成り立つと思います。

日本への軍事的情報開示は「危険を犯す。」と判断する可能性もあると思える。そもそも、日本防衛に特化したものでないなら、日本は必ずしも共同防衛に参加する訳ではないでしょう。

更に9条の制約もある。周辺事態法も範囲が曖昧ですからね。「その他、危険を犯してまで、日本側に詳細を明らかにする必要はないと判断した。」としても、それほど不思議ではないと思います。



〔全てが明かになってはい〕〔明かにできないものもあるだろう。〕この辺は素人目から見ても辿りつく答えでしょう。だからこそ裁判所の判断を前提に情報開示に関する法律なんて必要になって来たりするんじゃないですか。

【軍事的抑止力】なんて言うものは、抑止の対象が、相手の軍事力、戦力投射能力、同盟・協定、また行動の表明を見て詳細に分析して推測し、ある結論に至る。「ここを攻めれば、相手は、こう動くだろう。その選択肢がある以上、目的の達成は困難。」、そんな駆け引きが往々にあって成り立つものだと思います。

また、分析の末、「ある程度、能力があることは確認できるが、どう出るか解らない。」であっても、相手は安易に動けないと言うこともあるでしょう。

そもそもにして、〈ハリボテ〉だと言う可能性だってあるんです。単に〔敵性の言い分を『鵜呑み』にして〕思い止まっているなら、ハリボテをたくさん揃えれば良いんですよ。でも、実際は、それでなんとかなるものではないですよね。当然として情報収集しているでしょうから。

相手は、単に〔敵性の言い分を『鵜呑み』にして〕〈思い止まっている〉のではなくて、《敵性の戦力や動向を詳細に分析して、ある結論に至り》〈思い止まってる〉んでしょう。

将棋の対極で【先に自分の手を明かす】人なんて、まずいないはずです。それでも相手は、何手か先を読んで指してはいけない場所を判断するのでしょう。当然、【分析】ができることが前提になる。

例え、相手が沈黙していても検証はできるはずです。戦略上の問題もあるのに「具体的な作戦行動を表明しないから抑止力にならない。」なんて結論は流石に安易だと思いますよ・・・・・・。



だいたいにして、「日本の自衛隊を、日本政府を、アメリカが軍事的なパートナーとして信用すると思うのか。」と問われれば、俺からして、「まぁ、信用に足らない部分は往々にしてあるように思うね。」と答えるしかないですね。

あの北朝鮮のミサイル発射の時もそうでしたが、アメリカ側から自衛隊、日本政府への情報開示の不完全さが取り正されることも多い。つまり、そもそもにしてアメリカは、全ての情報を日本と共有して妥当だと判断しない場合も多いのだと思います。

秘密の厳守が必要なら、今の日本には明かせないものがあるはずです。結局、日本はその程度なんじゃないですか。だからこそ情報の共有を更に進めるために日本の中で双務化が主張されたりするんだと思いますよ。

以上のことから、情報が開示されていないことを理由に「アメリカの陰謀だ。」「抑止力にならない。」と言う結論に至るのは、あまり妥当だとは思えません。

ただ、それを裏付けるに足る、アメリカ側の公文書なり、内部文書なりが開示されるのなら当然として見解は変わります。

それでも、沖縄米海兵隊が主体となった戦略についてのみの話であって、アメリカとの良好な関係を前提にした抑止力を主張する肯定派。「内容はどうあれ、アメリカとの関係を悪化させるのは避けるべき。」って話なら、大きな影響にならないと思いますけどね。

更に言うなら、肯定派って、そもそも「沖縄米海兵隊は直接的に日本防衛を果たしている訳ではない。」としている人が多いんじゃないですか。




まぁ、抑止力云々の話に戻れば、相手が敵性を分析できない、また分析しない場合もあるでしょうね。そう言った相手には軍事的抑止力なんて意味がないものでしょう。

例えば、テロ攻撃。そんなものに対処できるのは、そもそも軍事的〔抑止力〕ではなく、直接的な軍事による殲滅とか、国内における警察力とか、交渉その他を前提にした政治的な効果なんじゃないですか・・・。

因みに、現在の日本政府は、テロ根絶法案云々と、どちらかと言うと交渉その他の政治的な効果を主張していますよね。

俺個人の意見を言えば、対テロに関して、軍事的オプションに重きをおくよりも、法と理性に基づいた方策、武装解除・動員解除・社会復帰、更に農業・産業支援などを介して対象の生活の安定を即し、また、麻薬産業などの悪果からの転換を勧め

そう言った作用により当時国民自ら統御感を獲得させ自ら安定に向けた足並みを揃えて行くよう作用するべきだと思っているのですけどね。そうすることでテロリストに組する人々を減らしていく・・・。これだって【抑止効果】であって、【抑止力】と判断されても不思議ではない。


予防外交を【抑止力】と表現する人もいるんです。元々【抑止力】なんてものは、〔固定的な概念〕として《定義》されるものではなくて、其々の『抱く抑止象』が如何に妥当か否かで判断されるものなんじゃないですか。

例えば、ワインバーガー元国防長官が言ったとされる「沖縄の海兵隊は、日本の防衛にはあてられていない。それは米第七艦隊の即応海兵隊をなし、第七艦隊の通常作戦区域である西太平洋、インド洋のいかなる場所にも配備される。」、なんて主張。

俺からすれば「あぁ、そうだろうね。で?」と思う。何故なら〔アメリカの抑止力〕に対して肯定的な人が抱く〔必要性を構成〕するだろう要素は、そんなこととば別次元のものだと思っているからです。

そう言ったものも諸々含め「なるほど、そう言った見解もあるだろうね。」とは思うが、抑止力肯定派の主張を完全否定できるだけの根拠には未だ出会ってません。そもそも、性質上、三段論法的なロジックの組み立てで完全否定できるものではないと思ってます。






嘘はつけません。俺は、例えば「日米の良好な関係が抑止力なんだ。」って主張を否定できないなら否定できないことを前提に考えます。

まぁ、それでも俺は沖縄米海兵隊に関して、アメリカの抑止力必要派ではないですけどね。それほど拘るべきものとも、「抑止力があるから、辺野古に移設して当然だ。」とも思っている訳でもなくてさ。

《覚悟》の問題としたのも、それ。「日米の良好な関係が抑止力だ。」って見解を否定はしないと言うことを前提にして、基本的に沖縄の米海兵隊は日本防衛に特化したものではなく、間接的であって、主に台湾有事用であり

更に、基地の存在そのものは、台湾、朝鮮半島、東アジア、中東などなどなど、関係地域に対しての政治的見地も含めたアメリカの影響力の安定が主だろうと思っています。それを完全否定するだけの根拠に出会っていません。

アメリカによる軍隊の駐留・進出において、軍事的、また経済的な影響力の維持・確保と言うベクトルは、アジアの軍事大国としてその存在感を一層増して行っている中国の影響もあるでしょうね。アメリカを中心とした西側諸国の影響力を維持するためには、中国による東アジアでのリーダーシップの確立を阻止しなければならない。

今までは、アメリカによる軍事・経済・安全保証上のプレゼンスは〔日本に利する。〕と判断されて来たんじゃないですか。鳩山元総理の主張の変化とは、そう行ったところも関係しているのでしょうね。

つまり、日本とアメリカとの〔持ちつ持たれつ〕の関係が成り立っている。であるなら、日米関係の良好な維持は「アメリカにとっても必要なこと。」と言う見解に達することもできるはずです。

日本が位置的に必要なら、アメリカは日本との徹底的な対立を避けなければならない。よって日本が強行姿勢を見せれば、最終的にアメリカが折れざるを得ない問題だろうと楽観的に思考しています。

日本との関係を必要としてるのはアメリカも同じなのでしょう。基地の海外移設に絡み一時は日本との関係が悪化したとしても、何れは良好さをアピールせざるを得ないだろうと言うロジックですね。

更に、抑止の対象に対するアピールとして、穴を埋めるのに自衛隊を主張すれば良いとしています。

例えば日本領内に進入して来た中国の艦船に対しての対処で、叩き、更に中国本土を占領し沈黙させるなど流石のアメリカでもやらないでしょうし、やれないでしょう。アメリカが用いるのも押し返す力であるはずです。

従って押し返す力を持つ自衛隊の増強は妥当な選択だと思います。更に、その後の自衛隊の縮小、拡大、現状維持は日本国民独自の判断が可能になるでしょう。

但し、個人の思い、内心の表明ですから、押し付ける気はありませんよ。


次に、台湾有事に関して言うなら、空爆とミサイルによる限定攻撃や海上封鎖などは沖縄の米海兵隊の規模・装備、オスプレイでの《即応》の範疇から逸脱しているんじゃないですか。

まぁ、強襲揚陸艦で行くとか、第7艦隊、海兵航空部隊、海軍航空部隊が最初から出るべき事態でしょう。沖縄米海兵隊、単独規模でオスプレイでの《即応》では対処できない場合もあるはずなんです。

あくまでも限定的に周辺事態に対する《即応》についてのみ問うなら、「そのパッケージが必要だと言えるのか。」と言う疑問があります。



素人考えですので当然否定されると思いますが、西太平洋、インド洋などなど他地域への展開・影響力なら、位置的問題として別の場所でも補うことはできるはずなので、それは除き。

是々非々に沖縄周辺でオスプレイでの《即応》に特化しなければならないなら、例えば、訓練は他所、実働は、オスプレイを搭載でき、更に継続的な整備と宿泊が可能なDDHや軽空母を必要量新造してホワイト・ビーチを主体とし、嘉手納、佐世保と連携しつつ、艦船による小規模部隊の展開を模索する方向性だってあったんじゃないかと思うんですよ。

また、アジアにおけるアメリカのプレゼンスと言う観点から言えば、日本としてもアメリカとの決定的な対立は避けた方が利するとも言えるでしょう。従って、交渉と言う手段において対処するべきとも言えるのかもしれません。

アメリカが、どうしても基地が必要だと引かないなら互譲案として、過去に考察された〔MOB〕〔サブセミ式、またポンツーン式・メガフロート〕〔重力着底型プラットフォーム〕などを生活圏からできるだけ離れた海上に建設すると言う手もあるんだと思います。

そうですね。例えば、MOBなら、日本政府による今後の交渉や周辺情勢、国際情勢の変化で、他所への移動も可能。そう言った海上基地への移設と言う方策を採れば沖縄の基地負担は大きく軽減されるでしょう。

更に言えば、海上基地の有効性が証明されて行けば、日本における他の米軍基地も、順次海上に移して行くと言う方向性だって見出せるはずです。中長期的展望から言っても、日本にとって利になると思います。



まぁ、全面的な国外移設、単に「出て行け。」でも、もし、アメリカが、それを飲むなら、何か別の戦略があると言うことでしょう。なんの戦略もなく日本を言い分を飲むような国ではないはずです。

どうしても出て行かなければならない状況に追い込まれるなら、無理にでも措置を捻り出すでしょうね。何か代替的な措置があるから日本の言い分を飲む。

その後は、それこそ《覚悟》の問題で、肯定派が主張するような、何らかの問題が起き、軍事的のみならず経済的にも日本に損害が出ることになっても、それは日本の自己責任で対処するべき問題になったと言う程度の話です。

「抑止力が必要だ。」云々の話は、要するに国益が失われるか否かの問題。「全て自己責任でやって行くよ。」と言う《覚悟》が持てるなら、アメリカがどうこうなんて別に気にする程のものないのかもしれません。

総じて、沖縄海兵隊の問題は《覚悟》で乗り切れる程度の抑止効果だと思っていると言うことになります。






まぁ、何故に「抑止力・抑止力。」と執拗に言っているかの根底を言えば「日本が今後どうするかと考えアメリカに頼らないと言う選択をした場合において9条改定を否定するなら、抑止力云々は絶対にぶつかる問題であって、アメリカの政治的抑止力・軍事的抑止力の存在を認めるからこそ、周辺国に対して自らの国益を極力守りつつ不可侵を旨とした条約・協定を締結しようとする強い動機になるんだ。」って思っている訳です。

国益が守られ、そして安定するなら、それに越したことはないでしょう。国家は国益重視です。交渉である以上、互譲は許容するべきだが、一方的な譲歩は論外。国民が個人の権利を委譲しているのだから、そうでなければならないよね。

「自らの国益を極力守りつつ、交渉する。」なんて相当に難しいんじゃないですか。極めて強力な動機がなければ困難な交渉は乗り切れないと思います。

アメリカの抑止力否定派って引いては「日米の良好な関係が必要だ。」って主張をも否定すると言うことでしょう。アメリカは抑止力にならない。アジアの安定に寄与しないなんて考えたら、アメリカを追い出して今のままで良いって思うだけなんじゃないですか。

抑止力が存在していないと言うことなのに不可侵を旨とした条約や協定を是々非々に締結する動機になると言うのはおかしいよね。上辺だけで言っているだけにしか見えない。そう言う主張は一線を感じます。








まぁ、沖縄海兵隊の抑止力については、もう、この辺で良いかなぁ。俺の考えは「抑止力云々は否定しないが、沖縄の負担軽減を優先するべき。」で変わらないし、もう全て書いたし、何も出ません。

肯定派は既存の考えを引用しているんでしょう。俺としてはアメリカ、その他、また、それらを支えるシンクタンク云々、その辺を納得させられるだけの論拠は見出せないしね。

そう言えば、色々とサイト・ブログを見てきたけど、肯定派も否定派も主張を纏めたりはしているが、目新しいものはないですよね。以前、2年くらい前かな、某掲示板で議論していたころと対して変わらないみたいです。結局、焼き直しなんですかね。新しい要素もないようだしさ。


まぁ、其々、立場で色々あるだろうが、左派の主張は左翼的だし、右派の主張は右翼的。同じ事柄について分析しているのでしょう。最初から真実を追究する姿勢があるのなら、共通点が出てきて当たり前ですよね。なのに見解に全く相容れないような大きな差が生じるっておかしくないですか。

つまり、互いに、または一方が真実を追究している訳ではなくて、自分が抱く結論が正しいことを証明するためだけに論を積み上げているのでしょう。こうなってくると、右翼だの左翼だの自称している人さえいますが、政治思想が強い人の主張って、そもそも信ずるに足るのか、それさえも疑問になってきますね。

人は正しい方を選択するのではなくて、選択したい方を選択するんだと思います。その実は、第三者から見て、どっちが絶対的に正しいなんてことは言えなくて、結局、何を信じるか否かの問題だろうなぁ。

当然、俺も、その内にある訳なのだけど、そもそも俺の言っていることなんて大した意味もないです。



最後に、根本的な話をすれば、俺は夢想家で観念論者ですから、そんな抑止力があるとかないとか、そんなことに拘るよりも重要なことがあるとも思っているんです。

軍事とか政治とか興味のない一般の国民が抱くのは権威主義的と言うか、ある主張を受け入れるか否かと言った程度の問題なんじゃないですか。世論調査などを見ていると、そんな気がします。

その実は「実際に検証した答えではないんだ。本当はあるとも、ないとも、明確には言えないんだ。」と言った程度の極めて曖昧な思いに支配されているものだと感じますね。

例えば一部マスコミは【軍事的抑止力】をあると言うが、一方、同じマスコミでも懐疑的な見解を示すものもある。更に言えば絶対と言えるだけの結論が出ている訳ではないでしょう。

世論調査の結果とか、そう言ったものは、個人が抱くリアリズムだなんだ言うものではなく、もっともっと素朴な、思い遣りとか、心配りとか、そう言った人間的な良心が思いが中心になっていると思います。

一事が万事と言うのは往々にしてあるもので、自己正当化のために、例え言葉であっても、相手を屈服させたいとか、他を暴力的に攻撃することを妥当だと思うような人が、それなりの力を持てば何れ世の中に混乱をもたらすでしょう。

国民が抱く、素朴な良心に優しさを持って語りかける、そんな論者に俺は好感を持ちますね。

実現可能か否かは別として、責任を他に求め、我慢をさせない欲望をかなえる主張は人の希望を刺激するから案外簡単なのだが、その実、人は欲望を抑え我慢をしなければ世界は変わりはしないでしょう。

我慢が前提の事柄なら、人の心に訴えるしかない。結局、世界を変えて行くのは、理路整然としたロジックではなく、良心に基づいた人の素朴な思いだと思うんですよ。




俺には、ないものですから、憧れるし、惹かれるんです。


自衛隊は抑止力にならない・・・

2010-06-07 01:41:09 | 日記

そうか・・・。話が噛み合わない理由が解ってきた。つまりあれだね。戦力を輸送し、展開、作戦を遂行する能力を伴なって始めて対外的な抑止力を持つって話ね。要は対外的な戦力投射能力を日本は持っていないと言う話をしたいのか。

だから「9条がある限り自衛隊は抑止力になり得ない。 憲法で攻撃能力を持てない自衛隊はただの盾でしかない。」なんて話になる訳ね。

それでも、おかしいジャン。9条下においても、自衛の範囲は相対的であるべきでしょう。実質的であれ、潜在的で有れ、敵の能力に合わせ戦力的な備えは確保するべきでしょ。

それが出来ないなんて言うなら、自衛隊なんて、ハリボテ以外の何物でもない。「何が《自衛》隊だ、なにが専守《防衛》だ。」って話ですよ。

範囲内においては、戦力を輸送し展開、作戦遂行が可能だって言う体ですよね。「押し返すだけでは、戦争は終わらない。」確かに、それも一つの真実なのかもしれませんが、それでも結果として目的を達成することはできないように備えている訳でしょう。

もし、そうなら相手は日本の戦力と投射能力を鑑みて、「目的達成が困難・代償が高くつく。」と判断するんじゃないですか。そう判断するなら、行動を思い止まるんじゃないですか。つまり「自衛隊の戦力は抑止力を持っている。」と言えるじゃないですか。

だから・・・。日本は攻める側ではなくて、守る側ですけどね。守る能力を前提にしていても、その戦力(防衛力)によって、相手が行動を思い止まれば抑止力は発生していると言えるでしょう。



誰であれ、主観的意見として、武力攻撃予測事態における限定的先制攻撃能力ですか、敵地攻撃能力ですか、核打撃力ですか

まぁ、そう言ったものが足りないと言う話なら、自衛の範囲が相対的である以上、敵性足る相手しだいであって、9条下であれ適応は可能だろうし、当然、議論の余地はあると思いますが、ただ単に「自衛隊は抑止力にならない。」はおかしいですよね。




っね!。


アメリカに依存しない安全保障。日本の方向性か・・・

2010-06-05 00:48:03 | 日記




まぁ、アメリカとの軍事的な双務化、パワー・シェアリング、ニュークリア・シェアリングなんて方向性もあるでしょうけど、それって集団的自衛権について前向きに考える必要があって、所謂、9条改定や非核三原則の破棄が前提になるんじゃないですか。

国民の多くが望むならそれも良いのかもしれませんが、しかし、現在の世論調査を見る限り、民意として9条改定には否定的。また、民情として核兵器に対しても否定的です。それを踏まえればアメリカに依存しない方向性って、どう考えれば良いですかね。

昨今言われる抑止力なんて、要するに武器を突き付けると言うことでしょう。結局、どこかが負担を強いられたり、囚人のジレンマが発生したりする。じゃぁ、その武器を突き付け睨み合うと言う状況を打破するにはどうするかって発想ですか・・・。





そうですね・・・。地域的取り決めなんかどうです。

相互条約・地域的条約なんてことでしょうかね。当然、一方的破棄なんてこともあるでしょうから、もろ手を上げて云々は無理でしょうけど、それでも、ある程度の抑止効果が望めるじゃないですか。相互不可侵条約みたいな方向性だってあると思いますね。

経済を前提にした共同体は無理でも、相互主権尊重、相互領土保全、相互内政不干渉 、紛争の平和的手段による解決、武力による威嚇または行使の放棄 、この辺までの内容を締結できれば、武力的抑止力と言った面で、当然、ゼロでは駄目でしょうけど、ある程度軽減できるかもしれませんね。

まず、国境の確定などの交渉は必要でしょうけど、一旦、条約締結を前提に議論・交渉を始めれば、それを前提に諸問題の凍結も可能でしょう。

当然、過程において国益が失われることもあるかもしれないが、互譲を前提に交渉を進めると言う方向性。

結局、今すぐの締結は無理だと思います。中長期的展望です。今後、日本をどうするかと言う方向性ですね。時間がかかろうが、それを決めることは大きなことじゃないですか。

「交渉には武力の背景が必要だ。」と言うなら、俺は、それを否定する訳ではありません。「軍事的背景の相互関係が成り立ち、その状態に疲れて初めて、交渉の糸口が見つかる。」なんて言うのも一つの真実でしょうから。

日本には、そもそも自衛隊と言う軍事の背景がありますからね。自衛隊がいる限り、ここからは進めないと言う線はあるんじゃないですか。それで不足だと言うなら、国民に問うしかないでしょう。

韓国と北朝鮮はセットで交渉だね。まぁ、交渉相手が北朝鮮なら「相手しだい。」で良いのでしょうけど、中国だと仮定するなら、問題は台湾ですかね・・・。

条約が締結される以上、日本の海洋利権は保証されるでしょうが、台湾有事での介入を放棄することが前提になるでしょうから、当然、アメリカにも、そのように対処することを迫れる。ここを、どう評価するかでしょうね。

「台湾と中国の問題。」と切って捨て、ほうっておくと言う方向性もあるとは思います。しかし、どうでしょう。日本には台湾に親近感を抱いている人も多くいるようですから、「台湾を見捨てるのか。」なんて主張も出て来るかもしれません。俺も心穏やかとは行きませんね。この辺は微妙な感じだと思います。

まぁ、同時に、台湾と中国の関係性に恒久的な結論を出すよう交渉する必要も出て来るんだろなぁ。ここを片付けないと駄目だろう・・・。



核に限定するならどうです。民主党案の東北アジア非核地帯条約とかどうでしょうね。国連や核なき世界を謳うオバマ大統領、現在の米国も、非核地帯には肯定的ですから。

当然、核保有国の署名が前提になると思いますが、もし、締結に漕ぎ着けることができれば、核の傘なんて概念に縛られる度合いが軽減されると思います。

日本、韓国、北朝鮮が条約当事国で、付属議定書によってアメリカ、中国、ロシアの署名を促す。そう言う方向性ですね。

まぁ、「現状で締結なんなんて、でき得るのか。」と問われば、ハッキリ言って、俺は「無理だろうね。」としか答えられない。しかし、日本の方向性と言う前提なら、十分な意味があると思います。

例えば、キューバ危機を発端に模索されたトラテロルコ条約。1968年に条約が発効されて、問題のキューバが署名したのは2002年。対象国すべての署名、批准が完了するまでこれだけの時間がかかっているんです。だから先だって始めても良いんだと思いますよ。交渉・議論の前提は諸問題の凍結の前提にもなるでしょうから。





アメリカに依存しないなんて前提があるとして、問題は何に向かって進むかって言うことでしょう。

まぁ、世論調査を見る限り、9条改定にも否定的、核兵器にも否定的、それが民意だとして、「自前の防衛・自衛はどこまで可能か。何が必要か。検証するべき。」と言ったことを否定するつもりはないが、それとは別の可能性として予防外交と言う形を用い、ある程度形になる協定を模索すると言う方向性もあるでしょう。





学がないですから、俺個人の楽観主義的妄想の範疇ですが、それでも、日本には何か方向性が必要だと思う。そう言う話です。



参考にさせて頂きました。

《外務省》【東南アジアにおける友好協力条約】
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty159_15.html

《外務省》【非核地帯条約】
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/n2zone/sakusei.html

【岡田かつや TALK-ABOUT】
http://katsuya.weblogs.jp/blog/

【国連決議、「非核地帯」支持を明記 民主党構想に追い風】
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091801000136.html


抑止効果 私見

2010-06-03 04:32:44 | 日記

「9条がある限り自衛隊は抑止力になり得ない。 憲法で攻撃能力を持てない自衛隊はただの盾でしかない。」なんて解釈もあるようだけどね。これって、抑止効果がないってことなの。

そうですね。日本に全面的な侵略を行う国なんて現状ではないでしょう。あるとするなら、日中中間線を越えて来るとか、そう言ったことなんじゃないですか。その程度のことなら二国間の問題とアメリカを含めた国際社会は動かないかもしれない。

しかし、日本には自衛隊がいる。例え、9条下においても自衛に関する備えは相対的であるべきですよね。でなければ情勢に沿った近代化なんてものも否定しなければならないのですから。それはなんなんだってことですよ。

現状では否定される攻撃的兵器や敵地攻撃能力なんてものが将来的に必要となるなら保持するべきだし、相対的である以上、自衛の範囲になる可能性は十分にあるでしょう。それに、ある範囲における戦力投射が含まれないなんて言うのは、ただの怠慢でしかない。

なんで相対的でなければならないか。一つは実行力。もう一つは「実際に攻めて来ても、押し戻す力がありますよ。目的の達成が困難ですよ。」ってアピールしてるんじゃないですか。要するに思い止まらせる力を得るってことでしょ。

そうですね、「日本にはないのが敵地を占領し、沈黙させる能力。」なんて言う人がいますよね。それがなければ抑止効果がないなんてことはないんじゃないですか。

自衛隊の戦力にも当然、ある範囲においての戦力投射能力が含まれるだろうし、抑止効果はあるでしょう。自衛力とか防衛力とか、そう言ったものは相手に「目的の達成が困難。」と思わせるだけの力があると思います。

まぁ、例えば、核抑止力を基本として考えるなら、それは先制攻撃を前提しているものではなくて、「やったらやり返す。」ことを前提にしているのでしょう。基本的に受身じゃないですか。

もし、その解釈が妥当なら自衛隊は抑止効果に欠けると言ったことはあるかもしれないが、抑止効果がないとは言えないでしょうね。





まぁ、「実際、自衛隊にはできないことがある。」とされる言い分、確かに妥当性があると思います。だからこそ平和憲法なのでしょう。

「押し返す力だけでは決着がつかない。時間が経てば損失も回復するし、延々と紛争を続けることになる。」なんて言い分も一つの真実だと思いますが、しかし、紛争と言った状態が長く続けば、互いに疲れますよね。

攻める側にしても軍事に多くを裂かなければならなくなるのだから、内政は荒れ、経済は停滞する。情勢が不安定になれば株価は下がるだろうし、国外からの投資も減る。

また、日本に押し戻せる力があると言うことは時間を稼げると言うことでもあるでしょう。疲れは怒りにもなる。日本国民も危機があることを認識するなら考え方も変わるかもしれませんよね。

有事関連法の強化、9条改定、米国との連携強化、また、NATO入り、パワーシェア・リング、ニュークリア・シェアリング、日本版パーシングⅡ、核保有・・・。なんてことになるかもしれません。

疲れた先に残るのは何でしょう。互いの損害だけなんじゃないですか。必然的に停戦・講和に向けた交渉が始まる。そして侵攻して来た側が多くを賠償させられる。

「押し返すだけでは終わらない。」なんてことはないと思いますよ。そしてそれは十分に予見できることでもあるはずです。

もし、予見できるものなら、「目的達成が困難・代償が高くつく。」と判断するとしても、大袈裟な見解とは言えませんよね。俺からすれば「自衛隊には抑止効果がない。」と言うのはちょっと違和感があります。

核の存在を指摘する人もいるかもしれないが、だからこそのアメリカの核の傘・核抑止力でしょう。現状で核なんて使ったら、それこそ終わりの始まり。核攻撃が抑止されている状態なら、通常戦力での戦いだってことです。

ただ、「抑止力と言うのは、もっと攻撃的で進行的な解釈で、抑止効果があるだけでは駄目なんだ。」って話なら、俺の解釈は間違っていると言うことでしょう。それでも抑止効果の否定にはならないと思います。相手が勝手に戦力分析をしてくれますからね。






後、別の視点で言うなら、国連加盟国は紛争の平和的解決義務を負っているし、安保理決議があるもの以外、要件【急迫性、違法性、必要性、相当性、均衡性】を満たさない自衛権の行使(武力行使)は違法でしょう。

確かに違法性を追及されるものや賛否もあるが、それでもアメリカは武力行使の際、安保理決議か自衛権行使を根拠にする。アメリカが行う武力行使は、国際法上、国際慣習法上、違法なものかと言えば必ずしもそうではないはずです。

安保否定派とか米国の抑止力否定派とかいますが、主観的に見て過剰か否かの判断はできると思うが、アメリカとの良好な関係性、そのものに抑止効果があると言う話なら、既に、それを採用している、更に、敵性の明確な侵攻が確認できないと言う現状があって、何を前提に完全否定するんでしょうか。何となく違和感があります。

例えば、こう言うことでしょうか。抑止力と言うのが抑止効果よりも攻撃的な解釈だとして、「アメリカの主張は抑止力、でも本来は抑止効果で十分。だからアメリカの存在は必要ない。」と言うロジックでしょうか。しかし、そう結論付けるのは少々強引な気がしますね。

日本が9条を堅持する以上、できないことがあるでしょう。その〔できないこと〕を補う必要があるか否かが、ごっそり抜けていると思います。

抑止力と抑止効果が違うものだと仮定しても、現状で他方が必要で他方が必要ないと言う結論にはならないでしょう。





まぁ、実際は何が正しいとか、間違っているとか、そう言うものではないと思いますけどね。

権利を持つ説・解釈が存在すると言うことなんじゃないですか。国際社会には、ある意味の強者の権利のようなものが存在するようです。

例えば、国連憲章では自衛権行使に関して「武力攻撃が発生した場合」と規定されていますから、先制的自衛権の行使は認められないとする説も有力なのだけれども、実際は、慣習国際法上認められるとして、行使される。予防自衛まで拡大してね。

沖縄基地問題に、また戻っちゃいますが・・・。

抑止力でも抑止効果でも、まぁ、良いのですが、目の前にあるのは、〔正しさ〕ではなく、例えば、鳩山総理が勉強したとするような、【権利を持つ解釈・説】が存在するだけなのだと思います。

だから、公約としたような元々の思いを後押しする民意が必要だったと思うのですよね。それが弱かったことは否めないんじゃないですか。






自己正当化の応酬は人の常。まぁ、性と言って良いものなのかもしれません。俺も当然、その中にあるので、偉そうには言えませんけどね。自らを顧みないものの個人的意見です。


日米同盟への影響心配なんて記事

2010-06-02 23:19:25 | 日記

『「日米同盟への影響心配」首相辞任に米も衝撃』なんて記事が上がっていましたね。【読売】



ちょっと情報が古いかな・・・。『5月31日【世論調査】支持率続落19%、初の2割割れ 政党支持率も自民と並ぶ』【産経新聞】

『《引用》鳩山内閣が政府対処方針として普天間の移設先を沖縄県名護市辺野古周辺としたことに「評価する」と答えたのは21・2%で、70・4%が「評価しない」と回答した。』ってことですよね。

まぁ調査対象者の70・4%が普天間の移設先を沖縄県名護市辺野古周辺としたことを評価しないと解答したのは大きいでしょう。更に、ある意味で、日米合意にNOだってことでもあるんでしょうね。

社民の連立離脱や瑞穂議員の罷免は仕方ないと判断している人が多いようですが、「5月末の決着」を果たしたとは思わない人が81.4%いたりとか、そもそも「5月末の決着」を掲げたことを適切だと思わない人が78.9%いたりとか、この感じは何でしょうね。

調査対象者の70・4%が評価しないとしたことから察すれば、要は、時間がかかったとしても、もっと別の決着を望んだと言うことでしょうか。別の決着とはなんでしょうね。

『《引用》県内移設になったことで約8割が昨年の衆院選の公約違反に当たると考えているほか、9割近くが沖縄県民の負担軽減になっていないと判断している。』

要するに、これは期待の裏返しでしょう。何を期待したか、それは公約の履行であったり、沖縄県民の負担軽減であったり、多くはそれを望んだと言えるのだと思います。

総じて言うなら、『時間がかかったとしても、公約の履行や沖縄県民の負担軽減など、もっと別の決着を望んだ。しかし、望んだことがなされていないから、7割を越える多くの人が《評価しない》と否定的な解答をした。』と言うことではないですか。


単なる世論調査ではあるが、ある意味の民意でもあるはず。日本は民主制です。アメリカだってそうでしょう。民主主義の拡大云々言いながら、それに反するのはダブルスタンダード以外のなにものでもないでしょうね。

「政府は民意に反しても決断が必要だ。」なんて言う人もいます。確かに、それも真実でしょう。しかし、多くが望むことを実現するのも政府の役目でしょうね。






話は『「日米同盟への影響心配」首相辞任に米も衝撃』に戻りますが、【《引用》「米国の責任で首相が辞めることになってしまった格好で、大変な事態だ。日米同盟への影響が心配だ」と深刻な受け止めを示した。】なんてありましたね。

産経の世論調査では【鳩山政権で普天間飛行場移設問題が難航した最も大きな要因は】と言う問いに《鳩山首相自身》と答えたのは43.1%ですから、決断力の欠如とか、八方美人的な動向が不適切だとか、そう言うことなんだろうけれども、確かに、《米国政府》と答えた人も10.1%いた訳ですから、日米関係に何らかの影響があると言うこともあるかもしれませんね。

まぁ、それよりも日本の政治家で【「こんなにメチャクチャになって、首相まで止めざるを得なくなった。触らぬ神に祟りなし、今後、沖縄基地問題には手を着けてはいけない。」】なんてトラウマにならないかの方が心配です。

ウヤムヤ、立ち消えにならないように、世論形成を行う必要があるんでしょう。それは過激派には無理ですから、説明する力を伴なった中道派、穏健派の台頭が必要でしょうね。


【世論調査】支持率続落19%、初の2割割れ 政党支持率も自民と並ぶ
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100531/stt1005311141005-n1.htm
「日米同盟への影響心配」首相辞任に米も衝撃(読売新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20100602-567-OYT1T00381.html


首相の親指

2010-06-02 10:27:19 | 日記

鳩山総理の親指の理由って、小沢幹事長も一緒に連れて行くってことだったんだね。

中々立派な演説だったと思う。自らの政治理念を語り、普天間・社民党の政権離脱・政治と金、問題点を挙げ、そして責任をとったってことでしょう。本来は4年続けて然るべきだと思うのだけど、まぁ、仕方ないのだろうねぇ。

政治と金の問題は、当然と言えば当然の措置かもしれない。ん・・・。

普天間問題。まぁ、今回の演説を見る限りで言うと、鳩山総理は本心で県外・国外と言っていたんだろう・・・。

政治的判断で日米合意がなされた、まぁ、過ぎてしまったこと、これは仕方ないでしょうね。そう考えなければ先に進めません。

そもそも日本とアメリカの関係とは、一変に変えられるものではないのかもしれない。「変えるにはどうすれば良いか。」と言った極めて大きな命題だったんだと思うよ。従ってメチャメチャになって当たり前なんでしょう。

後は、今回のことで「沖縄の基地問題には手をつけられない。」と言ったトラウマができあがらないように、国民間も含めた世論形成が必要でしょうね。

何もしなければ自民党の日米合意のままだったのですから、国民に問題意識を持たせた鳩山総理はよくやった方なんだと思います。





まぁ、元々、沖縄基地問題は長い時間をかけて解決していかなければならない問題だったのに性急過ぎたようにも思うよ。

住民の反対があるなら移転は難しい訳だからね。結局、普天間のままと言った状態が今後も続くんでしょう。先送り先送りで交渉を続けても良かったように思う。

所謂、有識者から普天間の危険性を盾に結論を急がされた面もあるんじゃないかなぁ。また、結論を急いだ。それは国民が求めたものでもあるんでしょうね。

そう、そうね。確かに「5年後、10年後には」と言う形で今回のことは第一歩と捉えるべきなのかもしれない。

肯定派・否定派と色々いるんだろうけど、批判だけしても何も始まらない、沖縄の基地問題だけではなく、日米関係の在り方とか、周辺情勢云々とか、そう言ったものも含めて、共にどうするべきなのか考えることが必要なんだろう。

そうね。周辺情勢に関する民主党の主張。例えば、東北アジア非核地帯とかアジア共同体とか、まぁ、日本の国民間でも其々思いはあるだろうけど、考える材料にはなるんでしょう。






代表選挙の後、新政権誕生、参議院選挙ってことでしょうか。どうなるかによるだろうけど、まぁ、今回の演説も良かったよね。支持率が好転する可能性は十分にあるのかもしれません。