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創発企業経営

15年目の会社の経営、事業報告

方法論

2012年09月23日 | 経営
重要なことなのでなぜ今、渋沢栄一と論語について取り上げるているかに関し、触れておきます。
これは、明治維新前後の近代的社会の成立が、現代日本社会の状況とその将来に影響しており、現代の社会現象を理解し、将来を予測する上で重要であると考えるからです。
 
ものごとには、全て原因があります。 原因に対し結果があるので、現代の日本の経営や社会を考える基盤がその時代になったと考えるからです。
このような考えに至ったのは、2つの著書を読む機会があったからです。
 
一つめは、1999年に出版された 「なぜ日本は没落するか」 です。  著者である森嶋通夫は2050年の日本の状態予測の方法論について以下のように述べています。 

いま(1998年当時)日本が直面している「金融危機」は、太平洋戦争開戦当時に日本を取り巻いていた危機に匹敵すると考え得る程度の危機である」と考え、将来の社会予測には「人間が社会の土台であり、土台の人間が予測時点までにどのように量的、質的に変化するかを考える」という方法論を提起します。
 
そして、「人口史観で一番重要な役割を演じるのは、経済学でなく教育学」であり、「人口の量的、質的変化が決定されるならば、そのような人口でどのような経済を営みうるかを考えることができる」とし、日本の将来について「土台の質が悪ければ、経済の効率も悪く、日本が没落するであろうことは言うまでもない」と予測します。
 
また、日本の年代別人口の推移から「日本の高度成長に貢献した労働人口の大部分は戦前教育を受けた人」であり、戦後教育を受けた世代ではないと述べています。
 
それはドラッカーが1959年に初めて来日し、目の当たりにした日本型経営が戦前教育を受けた世代によって支えられ、戦後教育を受けた日本人の経営とは異なるものであったと考えられるのです。
 
二つめは、奥村宏著 「判断力」から。

奥村氏はこの本の中で、太平洋戦争前夜の国際スパイ事件ゾルゲ事件で逮捕されたゾルゲが刑務所で書いた手記について触れています。
 
日本におけるわれわれの諜報目的を首尾よく達成しようと思えば、我々の使命に少しでも関係のある問題についてはすべて深い理解を持つ必要がある.. 情報の蒐集もそれ自体大切なことには相違ないが、情報を吟味し、政治を全体的に捉えてこれを評価する能力こそは最も大切だ。 (現代史資料 ゾルゲ事件1より) このためゾルゲは日本古代史から神功皇后時代、倭寇時代、秀吉時代にまで遡って研究し、逮捕されたとき家には800冊から1000冊の本があった
 
ゾルゲは当時のソ連にとって最も重要な情報であった日本が南進するか北進してソ連を攻めるかの判断(南進)をモスクワに伝えた後、逮捕、死刑になります。
 
奥村氏は、「スパイ活動にとって最も大事なことは、情報を集めると同時に、その情報を判断することである」と述べています。
 
この二つの著書から得られることは、次の通りです。
 
1) 現在及び未来は過去に生じた原因の結果であり、信頼に足る根拠となる土台の質的、量的変化の推移を観察することにより現在の社会現象の理解と将来予測が可能になる。
2) 将来予測に使用しうる過去の信頼に足る土台とは、人間であり、人間に対して与えられた教育である。
3) 現象に対する深い理解と判断には情報の蒐集に加え、判断が必要な事象に関する歴史の幅広い理解が必要になる。
 
現代の企業の経営者にとって、現代及び将来の日本や周辺国の社会を理解することは非常に重要な課題であると考えられます。
 
そのために日本に会社組織が創立された明治時代、それ以前の江戸時代を生きて資本主義の中心となって活躍した渋沢栄一から学ぶことは多いと考えられます。

三島由紀夫 - 1970 年

2012年09月21日 | 経営
渋沢栄一について学ぶうちに、 なぜここ100年なぜ日本がアジアの中で、経済的に突出して成功することができたのかが理解することができたように思います。  世界で歴史的には中国はずっと世界トップの経済大国でした。 日本が中国のGDPを上回っていたのは最近100年のことです。
 
ドラッカーが絶賛した日本の高度成長を支えた日本型経営は戦前教育に根差すものであり、戦後教育を受けた世代の経営とは異なるものでした。
 
そうして、ここで1970年の三島由紀夫の自衛隊市ヶ谷駐屯地での自決について触れるべきではないかと思いました。 三島は戦前から戦後への教育制度の過渡期の教育を受けた世代でした。
 
これまで三島由紀夫の自決については、正直なところよく理解できませんでした。 駐屯地での演説の内容も。 しかし、1970年7月の産経新聞夕刊への寄稿「私の中の二十五年」を読んで理解できた気がしました。
 
25年間前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生じる偽善というおそるべきバチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終るだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
 
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
 
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
 
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。
 
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
 
三島由紀夫が訴えたのは忠誠心や愛国心といった戦前の倫理の復興でした。 しかし、自決を前に駐屯地での三島の演説に対し、自衛官は腕組みし、ヤジを飛ばしてまともに聞いている様子はありませんでした。
 
ここで、三島が日本の歴史と伝統と言っていたものの本体は、儒教に根差した社会貢献や礼節といったものであったと思います。  人口が10分の1の日本が、中国のGDPを100年にわたって上回った理由は仁(思いやり)、義(私利にとらわれないこと)、礼節、智(勤勉)、信(正直、誠実)といった徳であり国家や社会といった集団に対し儒教は大変な力を持つことがわかります。
 
それだけに使い道を誤ってはいけないのですが。 
 
いま、三島のいう「日本」は本当になくなってしまったように思います。

渋沢栄一 (1)

2012年09月12日 | 経営
現代の名経営者といえば、京セラ、KDDIの創業、JALの再建を成し遂げた稲盛和夫氏の名前があげられます。 稲盛氏が主体的に創業、再創業に関わった企業はこの3社です。
 
しかし、次にあげる全ての企業の設立にかかわった経営者がいたとしたらどうでしょう?
 
みずほフィナンシャルグループ
七十七銀行
東京ガス株式会社
東京海上日動火災保険株式会社
王子製紙株式会社
太平洋セメント株式会社
帝国ホテル
秩父鉄道株式会社
京阪電気鉄道株式会社
東京証券取引所
キリンビール
サッポロビール
東洋紡績株式会社
....
 
(企業名は現在の継承企業の名称を使用しています)
 
70歳に経営の現場から引退した時でさえ 東京瓦斯、東京石川島造船所、東京人造肥料他6社の監査役、日本興業銀行他5社の監査役、大阪紡績、日清生命など29社の相談役を務め、生涯設立に関わった数は500以上。
 
その人が渋沢栄一です。
 
しかも、これほどの企業の設立をしながら、渋沢栄一は自分のためにほとんどく蓄財をしませんでした。
終戦後、財閥解体の際、当時のお金で三菱財閥の資本は33億以上、うち創業家の岩崎家は半分以上の株と2億4000万円の資本金を保有していました。 また三井財閥の資本は30億円。
これに比べ、渋沢家が保有していた資本金はわずか1000万円でした。
 
また、渋沢栄一の名前を残す企業は澁澤倉庫以外残っていません。
 
晩年、渋沢は次のように語っていたそうです。
「わしがもし一身一家の富むことばかり考えていたら、三井や三菱にも負けなかったろうよ。」
 
写真は、深谷市にある渋沢の銅像です。 もとは深谷駅の玄関口にあったそうですが、今は渋沢栄一記念館に移され、訪れる人も疎らです。
 
 
 
渋沢栄一はあまりに潔く、日本の資本主義の原点で人生を生きたように思います。 

ドラッカーと渋沢栄一 (2)

2012年09月08日 | 経営
ドラッカーの理念が日本で非常に人気がある理由は、日本的経営との共通点にあると思います。
 
ドラッカーは「経営とは人を幸せにする仕組み」であり、これを達成するには、企業(組織)を維持発展させ、利益を出し続けていくとが必要であるといいます。 そしてあらゆる組織は社会の機関であるといいます。
 
つまり「人を幸せにする」には、自己中心になりがちな経営姿勢を、顧客を第一とし、また従業員を大切にし、マーケティングとイノベーションを通じて社会に貢献、その結果として利益を得るという循環が必要になるということです。
 
日本の資本主義の父といわれる渋沢栄一の思想の基底には儒教的価値が存在します。 渋沢栄一は、幕末維新の変革後に早くも欲望に傾きすぎる資本主義の危険性を制御するために経済合理性を追求しつつ、経済活動に道徳を求めるという「経済道徳合一説」を訴えました。
 
渋沢栄一が暗記するほど学んだ論語の教えは、「いかにして安定した社会秩序を築き、組織や人の繁栄を継続するにはどのようにしたらよいか? 」 ということでした。
 
こうして2500年の時間を経て、ドラッカー、渋沢栄一、孔子(論語)という連関が浮かびあがってきます。
 
その根本は渋沢の言によれば「商業の目的は私利私欲でなく、公利公益たるべき」ということです。
 
しかし、個人は組織のために貢献し、最終的には社会が豊かになることが末永い社会の安定につながるという循環を切ってしまうことにより、世界中の人が不幸になる事件がありました。 リーマン・ショックに象徴される強欲資本主義といわれる自己中心的な行動です。 日本でも大幅な株価の下落が起こり、米国の失業率は2009年10月には10%を超え、その後の経済的影響は欧州に移行、欧州債務問題やギリシャ破綻危機を引き起こす原因となっています。
 
同じ時期2008年の中国では粉ミルク会社22社が、牛乳にメラミンを混入する事件がありました。
 
一部の人の利益中心主義が、他人の幸福と社会との調和をないがしろにした時の影響は、計り知れないものがあります。

ドラッカーと渋沢栄一 (1)

2012年09月03日 | 経営
これからしばらく、ドラッカー、渋沢栄一そして論語に連なる経営の社会的責任、および責任を果たすことにより得られる成果について記します。
 
もう10年ほど前、ダイヤモンド社の編集の方とお話しする機会があり、今、 本は売れていますか?  と尋ねると 「いや、ドラッカー以外は売れていません」との話がありました。  それ以降も経営におけるドラッカーの人気は衰えません。
 
うしてドラッカーが日本でこれほどポピュラーになっているのか、その一つの答は、渋沢栄一と論語との関係にあるように思います。
渋沢栄一の「論語講義」 (守屋淳=編訳)のまえがきに以下のことばがあります。
 
 
ドラッカーといえば、経営学の権威 (中略) 彼の代表作の一つである「マネジメント」の日本語版序文には、次のような一節がある。
 
率直にいって私は、経営の「社会的責任」について論じた歴史人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一氏の右に出るものを知らない。 彼は世界の誰よりも早く、経営の本質は「責任」にほかならないということを見抜いていたのである。
 
さらに、ドラッカーは、次のように指摘しています。
 
渋沢は近代的な制度を創設しました。 彼は、日本にまず近代的な銀行をつくりました。 (中略) しかも渋沢は、会社に専門的な経営者が必要であると唱えたのです。

創発企業経営 (18)

2012年08月26日 | 経営
創発とは進化論の用語で、進化のプロセスで「これまでのプロセスから論理的に説明することの出来ない進化」を意味します。 生物の歴史は発生、進化、絶滅の歴史といえます。そして、およそ6億年の間に、誕生した生物の90%以上が絶滅したといわれています。
 
この社会も、非常にたくさんの企業が誕生し、また消えていきます。 こうしたことは通常は、経営学の枠組みで解釈されます。
 
しかし、わたしは経済や市場も(人間も含め)自然法則に支配されており、その流れを理解する方がより普遍的な理解ができると考えています。 適者生存というダーウィンの進化論は、生存するものは強いものではなく環境に適合したものであることを示しています。
 
一方社会学的に「創発」とは、ひとつひとつの小さな力が想像以上の総和をつくることを意味します。
 
社会における小さな流れがいくつも集まると大きな流れになりように、ひとつひとつの小さな流れが集積されることにより想像以上の総和としての大きな流れをつくることを意味します。
 
これは一企業が論理的には説明できない社会変化の事象をとらえて、変化の潮流に上手に乗ることにより、小さなエンジンを積んだ船を高速で動かし、予想以上の成長を遂げるとともに社会的に大きな影響を与えることが可能であることを意味します。
 
その例として、楽天の例を取り上げましたが、このほかにも ソフトバンクの創業の経緯、ヤマト運輸の宅急便事業への進出、日本電産のリーマンショックを察知した機敏な対応などいずれも経営者が現場の潮目を察知して自ら指揮をしてきたから達成できた変化です。
 
このBlogでそれぞれの事例を検証しようと思いましたが、今こうした事例の検証に時間を費やすよりも、別のテーマについて記してみたいと思います。  この文章を書いているのも、自分自身が社会や環境の変化の潮目をとらえて、創発経営を実証するためですから、能書きより実践したいと思います。
 
この項 了 

創発企業経営 (17)

2012年08月14日 | 経営
楽天の創業時の戦略

前回、楽天成功の要因は営業努力と書きましたが、2012年7月23日の日経新聞には以下のような記事がありました。

「三木谷流ではもの足りず」

ある月刊誌は日本の経営者の特集で、三木谷氏を三つ星とたたえた。 だが、イノベーションの力量を問われるグローバルなIT経営の物差しならどうか。 業界を代表するもう一人の経営者、ソフトバンクの孫正義社長も手法は三木谷氏に近い。 玄関サイトのヤフー、ネット決済のペイパルなどを日本に「輸入」し業容を広げてきた。 (中略)

日本のIT産業構造を強くする観点からは、三木谷氏や孫氏のような起業家だけでは、やはり物足りない。 独自の技術や製品で世界をリードする企業があってこそ、そこに深くノウハウがたまり、業界の血となり肉となる。

問題は「グローバルなIT経営の物差し」で測れる起業家を日本が輩出できるかということだと思います。

韓国企業が日本企業を凌駕したのはオペレーションの優秀さにおいてであり、独自技術やイノベーションの力量よりも、ベンチマーキングによる既存技術の模倣をもとにしたスピード経営で結果を残しています。 オペレーションでもイノベーションでも世界から見れば後れを取りつつある日本にいきなりスター経営者が現れて世界の実業界をリードするというのは、過去のバブル期の夢の再現を未だに忘れられずにいるのか、現実的ではないように思います。

ではどうすればよいでしょう?

「創発」とは元来、生物学、特に進化理論の用語です。 生物が生き残る原因は、非常に小さな要因の積み重ねです。どのような理由で新しい企業が生まれ、成長するのか、またその一方でどのような企業が消滅していくのか? その分かれ目は、楽天の創業期の月5-6件の顧客獲得が示す極くちいさな要因の積み重ねです。

数年前にスズキ社長の鈴木修氏が「俺は、中小企業のおやじ」という本を出版しました。スズキ社長は 「スズキは中小企業」という徹底した考え方で経営を進めています。  企業の大小は比較の問題です。 世界的に見れば大企業はいくらでもある。 大企業だと思えば驕りが起こる。 要は驕ることなく、無駄を省いて努力することが大切だと言っているのでしょう。

 
適者生存というダーウィンの進化論は、生き残るのは強いものではなく環境にうまく適合したものであるといいます。

考え抜いた論理に基づくイノベーションより、できるだけ些細で「つまらない(しかし重要な)」 - 例えば、「飽きずに頑張る営業努力」 とか「人に会う前には腕立てや走って汗をかいて門前払いされないようにする」 といった要因の方が長期的に見れば、強固な成功要因となり得ます。 なぜなら、そこから得られる成果はコップの中にたまる一滴一滴の水のようなものであり、やがてはコップを確実に満たすことが明らかだからです。  そこには努力という嘘のない真実があります。 そしてその時期に、小さな組織ながら継続的な顧客獲得の努力をしたことが社会の時流と相まって、多くの人がインターネットでものを購入するという、販売や流通を変革する創発現象を引き起こしたといえます。

以上、創発経営の視点から見た楽天創業期の分析です。

最近、楽天の電子書籍コボ発売時、利用者の書き込みを全て消去したという行動は残念に思います。 今後は楽天の競争環境は、グローバル市場で勝ち残った強者と競合に移りつつあります。  本格的競争以前に、既に大企業の驕りが出たということでなければよいのですが。 


創発企業経営 (16)

2012年08月13日 | 経営
楽天の創業時の戦略
 
楽天創業の 1997年、米国で amazon.com の累積顧客数は150万に達しました。 売上は前年の$15.7 million から $147.8 million (838% 増) に急伸しました。
当時のamazon のサイトの訪問数は、米国でトップ20位でしたから、既にこの時点で米国にはインターネットショッピングは定着していたといえます。
 
この当時、三木谷氏は米国での留学経験等により、インターネット経由でモノを購入するという流れは確実に日本にやってくると確信していたことでしょう。
 
ショッピングモールの発展は、時代のトレンドであり間違いなく日本にもやってくる。 この当時インターネットの世界では クリティカルマス(臨界量) といわれる多数を握ったものが勝利するといわれており、楽天も出店者数とユーザ数で突き抜けたショッピングモールが全てを握るとの戦略のもと、店舗数の拡大を進めます。 このクリティカルマスという考え方は当時良く知られていたことです。
 
では、楽天の成功要因は何でしょうか?
 
三木谷氏は、「インターネット上に出店者やユーザーが使いやすいと感じる"仕組み"さえ構築すれば、絶対に成功」し、「出店者の店舗に魅力的なコンテンツが集まればショップへの来客数が増加し、来客数が増加すれば問い合わせや売り上げ、収益が増加する」という考えます。  一般には、これが楽天の成功要因であるとされ、三木谷氏本人もそのように語っているようですが、本当に楽天のサイトが「使いやすい」から集客できたと言えるでしょうか?
 
2012/8/3 日経電子版「アマゾンの引き立て役になりかねない楽天コボ」に以下のような記事がありました。
 
米アマゾン・ドット・コムが1995年にインターネット上の書店としてサービスを開始したとき、まず人々をとらえたのがその使いやすさだった。もっと分解すると、ウェブサイトの各ページの設計、ブラウジングによる本のショッピングのしやすさ、検索による本のみつけやすさ、各書籍の各種情報の充実度、商品の価格と購入決済のしやすさなどなど、多くの要素で構成される使いやすさだ。ウェブ上の店に来店した瞬間から、本を買って届くまでの一連の体験全体、つまりUX(User Experience)が優れていた。同社が創業以来何年も債務超過を続けているあいだも株式市場が見捨てず一定の時価総額を維持させ続けたのは、投資家や投資銀行のアナリストが実際に使ってみて直感的にサービスの競争力の強さを感じていたからに違いない。
 
アマゾンのサイトを洗練された百貨店とすると楽天のサイトは、検索し難い、建て増しの雑居ビルのように感じます。
 
では他に成功要因があるとすると..
「楽天の開業当時の出店数は13店舗。 その後1か月に4, 5店の出店者を獲得するのがやっとだったそうです。 しかし、創業1年後に出店数が100を超え、これを境に出店者数が急増し始めた... 」といいます。
 
最大の成功要因は創業後の1年間を地道に営業努力を重ねたことだと思います。 その後の楽天の強さも実際のところは営業力であり、それは開業当初、飛び込み営業の門前払いを防ぐために走ったり、腕立て伏せをしてから営業先に飛び込むという「つまらない(けれど重要な)」方法であったと思います。
 
一生懸命頑張っている営業マンを、簡単に門前払いできる人は少ない - 差別化とは微差力だと思います。
 

創発企業経営 (15) 楽天の事例

2012年07月24日 | 経営
ケース1 楽天の創業時の戦略
 
地球上にいる生物の種類は、150万種を超えるといわれています。 生物は30億年前に発生し、多くの新しい生物が誕生してきたと考えられます。 その一方、絶滅した生物の数は150万種類の100倍、1億5000万種にのぼると考えられています。 これだけ多くの種類の生物が誕生し、絶滅した理由を解く鍵が進化論です。
 
「創発」とは元来、生物学、特に進化理論の用語であり、進化のプロセスで「これまでのプロセスから論理的に説明することの出来ない進化」を意味します。
 
企業にしてもこの社会で非常にたくさんの企業が誕生し、また消えていきます。 どのような理由で新しい企業が生まれ、成長するのか、またその一方でどのような企業が消滅していくのか?
こうしたことは通常は、経営学の枠組みで解釈されます。
 
しかし、わたしは経済や市場も(人間も含め)自然法則に支配され、その流れを理解する方がより普遍的な理解ができると考えています。 適者生存というダーウィンの進化論の考え方や生物の感覚の認知に起因する棲み分けがマーケティングでいう差別化に通じることなど、殆ど経営学としては語られない理論の構築をしながら、実践面での成果を追及しています。
 
さて、楽天が創業された1997年、米国で amazon.com は累積顧客数を150万、売り上げを前年の$15.7 million から $147.8 million (838% 増) に急伸させます。
この規模でサイトの訪問数は、米国でトップ20位でしたから、既にこの時点で米国にはインターネットショッピングは定着していたといえます。
 
三木谷氏は米国での留学経験等により、インターネット経由でモノを購入するという流れは確実に日本にやってくると確信していたことでしょう。
 
ショッピングモールの発展は、時代のトレンドであり間違いなく日本にもやってくる。 この当時インターネットの世界では クリティカルマス(臨界量) といわれる多数を握ったものが勝利するといわれており、楽天も出店者数とユーザ数で突き抜けたショッピングモールが全てを握るとの戦略のもと、店舗数の拡大を進めます。
では、創発経営的視点で楽天の成功要因を分析するとどのようになるでしょうか?
 
 
 

創発企業経営 (14) 楽天の事例

2012年07月18日 | 経営
現在この世に創発経営という方法論がある訳ではありません。 現在進行形で経営理論を作りながら、実際の事業に応用する方法論を模索しています。
 
そのために過去にあった創発的といえる経営者や企業活動の例を学ぶことは有益であろうと思います。 そうした例を幾つか挙げてみます。
 
ケース1 楽天の創業時の戦略
 
以下、三木谷浩志著 「成功のコンセプト」からの引用です。

この本が書かれた2007年は、楽天の出店者は20000店。 流通総額は1兆円。 インターネット企業としては世界6位の規模になったと述べています。 しかし1997年の時点、開業当時の出店数は13店舗。 1か月に4, 5店の出店者を獲得するのがやっとだったそうです。
 
当時、三木谷氏は楽天の出店料を当時としては格安の月5万円に設定しました。 当時、三木谷氏はインターネットの世界では、出店者数とユーザ数で突き抜けたショッピングモールが全てを握ることになるとの戦略のもと、店舗数の拡大に突き進みました。
 
三木谷氏はこの出店料の大幅値引を 「僕の予想した "未来へのビジョン" 通りに世の中が動き、インターネットショッピングが日本で普及して初めて成り立つ戦術だった」と述べています。
 
そして、「10年後の世界を想像しながら現在のビジネス全体の戦略を立てることはスキーをすることに似ている」といいます。
 
「スキーに喩えれば、目的地の遠くの森を眺めてコースを決めると同時に、足元のスロープ状態はいつも正確に把握しておかなければいけない。つまり、足元に現れる予測不能のコブやアイスバーンを上手に乗り越えていかなければ、どんなに遠くまで見通す鋭い目を持っていても目標である森に到達することはできない。 同時に遠くの景色を眺めていなければ、いくら足元のコブを上手に滑ってもやはり森に到達することはできない。」
 
そうして毎日営業努力を続けるうち、創業1年後に出店数が100を超え、これを境に出店者数が急増し始めました。