今日は、阪神・淡路大震災から20年。
私が東京の仲間と一緒に神戸に言った時期は、家を失った方は仮設住宅にお住まいでした。
孤独死が相次ぎ、私たちを受け入れ、泊めてくださった被災者は「生きて仮設を出るんや」を合言葉にしていました。
その後、復興公営住宅に移されても、高層化で知り合いと隔絶され、
引き続き孤独死は相次ぎ、昨年までで1000人を超えてしまいました。
借り上げ復興公営住宅の入居者が退去を迫られていて、
早いところでは今年9月に期限が迫っています。住み続けるたたかいがヤマ場です。
当時の国と自治体は、「私有財産は保証しない」と、
個人保障を拒みました。
被災者が苦しんできた、災害援護資金の返済をめぐっては、
国が昨年3月に「無資力状態」なら返済免除と表明しました。
対象をどこまで広げられるか、問われます。
当時学生だった私が耳を疑った言葉「創造的復興」。
被災者の埼葛再建よりも、
神戸空港、高速道路、都市再開発を優先させた政治と行政。
財界の要求には最優先でこたえる政治が、まちから人を遠ざけることになりました。
しかし、被災者のたたかいで、
自然災害の被災者を支援する法律ができました。
不十分さはありますが、東日本本大震災には適用されました。
政治の力で被害を軽くすることはできます。
私の原点です。
これからも歩みを続けていきます。
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