帰ってきた伝説の報道写真家・福島菊次郎さんの講演会が6月16日(土)に明治大学リバティタワーにて行われます。
講演会のほかにも写真パネル50点の展示と代表作のスライド上映があります。
詳細は以下のサイトでご覧ください。
●日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA) http://www.jvja.net/
●講演会の詳細 http://www.jvja.net/fukusima%5Econtents.html
<福島菊次郎プロフィール>
1921年、山口県下松市生まれ。
1960年、上京、プロ写真家となる。
原爆、政治社会、軍事、環境問題などがライフワーク。
『文芸春秋』などの総合雑誌グラビアに3300点を発表。
『ピカドン ある原爆被災者の記録』『戦場からの報告 三里塚1967-1977』『戦争が始まる』などの12冊の写真集を出版。
賞歴:カメラ誌ベストテン賞(1952~54年)、山口県芸術文化奨励賞(1958年)、日本写真批評家特別賞(1960年)などを受賞。
1982年、自給自足の生活をめざし瀬戸内海の無人島に入植。
1999年、山口県下関に写真資料館を開館。
2000年、8月、同県柳井市に写真美術館を開館。
■■以上、現代人文社のウェブサイトより■■
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしています(ここ←参照下さい)。
講演会のほかにも写真パネル50点の展示と代表作のスライド上映があります。
詳細は以下のサイトでご覧ください。
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<福島菊次郎プロフィール>
1921年、山口県下松市生まれ。
1960年、上京、プロ写真家となる。
原爆、政治社会、軍事、環境問題などがライフワーク。
『文芸春秋』などの総合雑誌グラビアに3300点を発表。
『ピカドン ある原爆被災者の記録』『戦場からの報告 三里塚1967-1977』『戦争が始まる』などの12冊の写真集を出版。
賞歴:カメラ誌ベストテン賞(1952~54年)、山口県芸術文化奨励賞(1958年)、日本写真批評家特別賞(1960年)などを受賞。
1982年、自給自足の生活をめざし瀬戸内海の無人島に入植。
1999年、山口県下関に写真資料館を開館。
2000年、8月、同県柳井市に写真美術館を開館。
■■以上、現代人文社のウェブサイトより■■
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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東京での講演は約二年ぶり。前回は杖の足取りも弱々しく、難聴や目の不自由がみられ、とても気がかりだった。ところがみごと復活。長机でしつらえた演壇が遠かったため、しかと見えたわけではないが、飄々(ひょうひょう)と足取りも軽く、スタッフらとの会話も当意即妙、横道にそれがちな話を進行させる役目を務める司会の助言も、今回はときとして退けるなど強固な意志がみなぎる緊張感あふれる講演会となった。
前回は、平塚市・茅ヶ崎市での講演会を聞きつけた写真家・山本宗補さんが、せっかく関東に来られるのだからと急遽(きゅうきょ)設定、宣伝期間の短かさにもかかわらず、およそ百名が参加。広くない会場の机の間にいくつも補助椅子を用意する必要があった。内容も今回と同じく山本宗補さんがテーマを出し、それについて思いついたことを述べるという形式で、どちらかといえばインタビューに答える受身の対応であった。
ところが今回は違った。福島さんには事前に用意したテーマや目算があったように思う。そのテーマとは何か。「戦争」である。戦争をいかにして止めるかというテーマが、冒頭の紹介部分を除けば、一貫していた。話のはしばしに、政治を洞察し、現在の状況について思い巡らせ続ける不屈の闘志が見られ、ときには司会の制止(助言)を遮って話し続け、質問には即答で応える。高齢という、人間として避けられぬハンディをかかえ、いまなお闘いをやめないその姿は、あまりにも鮮烈だ。補助椅子や立ち見の場所も足りず会場に溢れた三百人がその姿を目撃した。
会場では、三年後に政府が目論む戦争できる体制作り=改憲に向けて檄、「改憲までの間にどのような対策・行動をとるのか」「改憲が阻止できても、何かが変わるわけではなく何の変化もない」「われわれ日本人一人一人が変わらない限り、この国は変わらない」。
この檄に応えられなければ再び、戦争がはじまる。
ガサ子ちゃん倶楽部
平井克彦
『救援』2007年7月10日第459号コラム「ガサシリーズ 心がまえ」214 転載
クリエイティブ・コモンズ(著作者表示・ライセンス継承=cc-by-sa)
当日は150点ほどの写真の展示も行ないます。講演会場は500人収容のホール。昨年と同じく、山本宗補さんが聞き手の役をしてくださいます。ご不明の点はいつでもご連絡ください。(チラシもお送りいたします)
どうかよろしくお願いいたします。
福島菊次郎『遺言part2』講演会&写真展
2008年9月15日(月・祝)
【講演会】
13時半~ 府中グリーンプラザ・けやきホールにて(京王線府中駅北口1分)
当日1000円、前売800円
【写真展】
10時~19時 府中グリーンプラザ分館ギャラリー(京王線府中駅1分・けやき通り高架下)
入場無料
*聞き手 山本宗補
●連絡先 090-5764-8713 一ノ瀬清美
ketmi-peace@docomo.ne.jp
042-369-3325(FAX)
東京都府中市天神町4-10-13
■講演会■
2010年8月14日(土)午後1時開場、2時開演
府中グリーンプラザ・けやきホール(京王線府中駅北口徒歩1分)
資料代1000円(前売り800円)
*聞き手 山本宗補(フォトジャーナリスト)
■写真展■
2010年8月14日(土)~16日(月)午前10時~午後7時(初日14日のみ11時開場)
府中グリーンプラザ5階展示ホール
入場無料
【主催】福島菊次郎講演会実行委員会:連絡先090-5764-8713(一ノ瀬) ketmi-peace☆docomo.ne.jp (☆を@に)
<勝てなくても抵抗して 未来のために一粒の種でもいいから蒔こうとするのか
逃げて再び同じ過ちを繰り返すのか……>
いちばん弱い者たちを最も苦しめるのが戦争なのだ。
この国の憲法を変えてはならない。
伝説の報道写真家、89歳。
戦後史の証言者となった人生の航路をたどりつつ、
混迷の時代に今一度、戦争の爪痕を突きつける。
2年前に引き続き、山口県から東京・府中市に福島さんをお迎えし、最後の講演会を行ないます。3日間の写真展では代表作350点以上をすべて展示します。
また、4年がかりの書き下ろし『写らなかった戦後3 福島菊次郎遺言集 殺すな、殺されるな』(現代人文社)を会場で先行販売する予定です。
なお、現在スタッフ募集中です。搬入・搬出などをお手伝いいただけるかたはご連絡を。
【福島菊次郎プロフィール】
1921年、山口県下松市生まれ。
1960年に上京、プロ写真家となる。
戦後、国に見捨てられた被爆者の苦しみを撮影し続け、『ピカドン』を出版(1961年)。上京後は三里塚闘争、ベトナム反戦市民運動、全共闘運動、自衛隊と兵器産業、公害問題、若者の風俗、福祉問題、環境問題など、多岐にわたる現場を取材。海外では中近東、アラブ、ソビエトなどを長期取材。
いかなる政党・セクトにも属さず。
『文藝春秋』などの総合雑誌グラビアに3300点を発表。写真集は10冊を超える。
その後、文字による『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』(2003年)『写らなかった戦後2 菊次郎の海』(2005年)を出版。
論評、エッセイなど多数。
また、「写真で見る日本の戦後展」など写真展を全国で開催、1989年から現在まで700カ所以上に写真パネルの貸し出しを行っている。
賞歴:カメラ誌ベストテン賞(1952~54年)、山口県芸術文化奨励賞(1958年)、日本写真批評家賞特別賞(1960年)などを受賞。
1982年、国とマスメディアに絶望し、自給自足の生活をめざして瀬戸内海の無人島に入植。
戦争責任を問い続け、文字どおり命を懸けたジャーナリスト「伝説の報道写真家」として知られる。2007年と2008年に東京で開催された「遺言講演会」では、会場にあふれる老若男女を前に、長時間にわたりジャーナリズムのあり方などをタブーなく論じた。