9日付東京新聞( ※1)によると、【一九九七年末以来、死刑を執行していない韓国が十二月、国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)の執行停止十年の基準で「事実上の死刑廃止国」となる。同国の市民団体は十日、ソウル市内で日本などから来賓を招き「死刑廃止国家宣布式」を開く】という。
さらに同紙は、
【韓国で死刑が最後に執行されたのは、九七年十二月三十日。金泳三政権末期で、この日は二十三人が処刑された。
後任の金大中大統領は自ら政治犯として死刑囚になった経験があり、任期中に死刑は執行されず、現在の盧武鉉政権も執行停止を引き継いでいる】
と伝えつつ、
【ただ李弁護士は「昨年十二月から今年一月にかけ、法務当局が執行を画策した」とし、死刑制度を廃止する法案が国会で可決される見通しも立っていない】と懸念を表しているらしい。
10年間執行がないというのは本当に画期的なことで、金大中氏を日本から拉致するような国からあっという間にアジアでもっとも人権先進国家入りした。取り調べの可視化の問題、メディアの寡占禁止の問題、市民メディアの問題…日本は完全に遅れをとっている。
死刑の問題についても、日本は
【「残忍な殺人なら、被害者1人でも死刑を」。携帯電話サイト「闇の職業安定所」で知り合った男たちに殺された派遣社員の磯谷(いそがい)利恵さん(当時31歳)の遺族らが、ネット上で死刑を求める署名を始め、わずか10日間で10万人以上もの賛同者を集めた。ネットで署名活動というのも異例だが、この圧倒的な数の力は裁判官に届くのだろうか。】(ライブドアニュース)
という熱狂的な死刑賛同者がいる国だ。システムとしてでなく、この人を死刑にしてくれ、殺してくれ、ということに10万人以上が賛同する…。
他方で、えん罪事件が起きても警察を非難する声はおそらく2桁くらい低いだろう…。
なぜ、日本でこのような現象が起きるのか?それは、マスメディアの差だと思う。司法システムが必ずしもえん罪を防ぐことができないこと(特に日本は、取り調べの可視化の未整備、長期勾留、代用監獄、証拠開示制度の未整備など先進国では考えられない遅れたシステム)、無罪の者を死刑にすることにつながるような制度は廃止すべきであること、そういうことについての情報が十分に市民に伝えられていないのだろう。
志布志の踏み字事件、富山無罪男性服役事件、このような事件が起きたら、普通の国だったら、メディアがキャンペーンを張り、取り調べの可視化の実現まで行き着くはずだ。それなのに、そうならない国、Japan …。 やはり、メディアのシステム上の問題(※2)がボディーブローのように効いているのだろう…。
個人的に、10万人の方に問いたいことがある。あなたはイラクの子どもたちが米軍によって惨殺されていることについてはどう考えるのか、あなたはイラクへの米軍派遣に反対の声をあげているのか、と。
■■東京新聞記事の<メモ>引用開始■■
事実上の死刑廃止国
アムネスティ・インターナショナルの分類で、軍法下など例外的な犯罪だけでなく、殺人など通常犯罪にも死刑を存置しているものの、10年間執行がなく、死刑を執行しない政策や慣例を持つ国。死刑を適用しないと国際的に公約している国も含め、今年9月現在、ロシア、ケニア、ミャンマーなど32カ国。死刑は全面的廃止国がEU加盟国やオーストラリア、南アフリカなど90カ国に上り、通常犯罪廃止国もブラジル、イスラエルなど11カ国。これに対し、通常犯罪で死刑を続けているのは日本、米国、中国、北朝鮮、イラクなど64カ国にとどまる。
■■引用終了■■
※1:http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007100890071330.html
※2:図解!これがとことん不自由な日本のメディアの全容だ~先進国とは思えない国辱的な非民主的システム http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/59df2623d2dbe2c0c3569bd9862508df
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしていましたが(あまり実行できなかったが…)、辞任したので中止します(ここ←クリック)。
さらに同紙は、
【韓国で死刑が最後に執行されたのは、九七年十二月三十日。金泳三政権末期で、この日は二十三人が処刑された。
後任の金大中大統領は自ら政治犯として死刑囚になった経験があり、任期中に死刑は執行されず、現在の盧武鉉政権も執行停止を引き継いでいる】
と伝えつつ、
【ただ李弁護士は「昨年十二月から今年一月にかけ、法務当局が執行を画策した」とし、死刑制度を廃止する法案が国会で可決される見通しも立っていない】と懸念を表しているらしい。
10年間執行がないというのは本当に画期的なことで、金大中氏を日本から拉致するような国からあっという間にアジアでもっとも人権先進国家入りした。取り調べの可視化の問題、メディアの寡占禁止の問題、市民メディアの問題…日本は完全に遅れをとっている。
死刑の問題についても、日本は
【「残忍な殺人なら、被害者1人でも死刑を」。携帯電話サイト「闇の職業安定所」で知り合った男たちに殺された派遣社員の磯谷(いそがい)利恵さん(当時31歳)の遺族らが、ネット上で死刑を求める署名を始め、わずか10日間で10万人以上もの賛同者を集めた。ネットで署名活動というのも異例だが、この圧倒的な数の力は裁判官に届くのだろうか。】(ライブドアニュース)
という熱狂的な死刑賛同者がいる国だ。システムとしてでなく、この人を死刑にしてくれ、殺してくれ、ということに10万人以上が賛同する…。
他方で、えん罪事件が起きても警察を非難する声はおそらく2桁くらい低いだろう…。
なぜ、日本でこのような現象が起きるのか?それは、マスメディアの差だと思う。司法システムが必ずしもえん罪を防ぐことができないこと(特に日本は、取り調べの可視化の未整備、長期勾留、代用監獄、証拠開示制度の未整備など先進国では考えられない遅れたシステム)、無罪の者を死刑にすることにつながるような制度は廃止すべきであること、そういうことについての情報が十分に市民に伝えられていないのだろう。
志布志の踏み字事件、富山無罪男性服役事件、このような事件が起きたら、普通の国だったら、メディアがキャンペーンを張り、取り調べの可視化の実現まで行き着くはずだ。それなのに、そうならない国、Japan …。 やはり、メディアのシステム上の問題(※2)がボディーブローのように効いているのだろう…。
個人的に、10万人の方に問いたいことがある。あなたはイラクの子どもたちが米軍によって惨殺されていることについてはどう考えるのか、あなたはイラクへの米軍派遣に反対の声をあげているのか、と。
■■東京新聞記事の<メモ>引用開始■■
事実上の死刑廃止国
アムネスティ・インターナショナルの分類で、軍法下など例外的な犯罪だけでなく、殺人など通常犯罪にも死刑を存置しているものの、10年間執行がなく、死刑を執行しない政策や慣例を持つ国。死刑を適用しないと国際的に公約している国も含め、今年9月現在、ロシア、ケニア、ミャンマーなど32カ国。死刑は全面的廃止国がEU加盟国やオーストラリア、南アフリカなど90カ国に上り、通常犯罪廃止国もブラジル、イスラエルなど11カ国。これに対し、通常犯罪で死刑を続けているのは日本、米国、中国、北朝鮮、イラクなど64カ国にとどまる。
■■引用終了■■
※1:http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007100890071330.html
※2:図解!これがとことん不自由な日本のメディアの全容だ~先進国とは思えない国辱的な非民主的システム http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/59df2623d2dbe2c0c3569bd9862508df
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしていましたが(あまり実行できなかったが…)、辞任したので中止します(ここ←クリック)。
管理人のヤメ蚊さんは、10年間執行がないというのは本当に画期的なことで、金大中氏を日本から拉致するような国からあっという間にアジアでもっとも人権先進国家入りした。と、レッテルを貼っているが、どちらかと言えば死刑賛成の人物が人権先進国の主権者としてどうなんでしょうね。
やめ蚊さんは次のように主張してるいます。
死刑の問題についても、日本は
【「残忍な殺人なら、被害者1人でも死刑を」。携帯電話サイト「闇の職業安定所」で知り合った男たちに殺された派遣社員の磯谷(いそがい)利恵さん(当時31歳)の遺族らが、ネット上で死刑を求める署名を始め、わずか10日間で10万人以上もの賛同者を集めた。ネットで署名活動というのも異例だが、この圧倒的な数の力は裁判官に届くのだろうか。】(ライブドアニュース)
という熱狂的な死刑賛同者がいる国だ。システムとしてでなく、この人を死刑にしてくれ、殺してくれ、ということに10万人以上が賛同する…。
他方で、えん罪事件が起きても警察を非難する声はおそらく2桁くらい低いだろう…。
なぜ、日本でこのような現象が起きるのか?それは、マスメディアの差だと思う。司法システムが必ずしもえん罪を防ぐことができないこと(特に日本は、取り調べの可視化の未整備、長期勾留、代用監獄、証拠開示制度の未整備など先進国では考えられない遅れたシステム)、無罪の者を死刑にすることにつながるような制度は廃止すべきであること、そういうことについての情報が十分に市民に伝えられていないのだろう。
志布志の踏み字事件、富山無罪男性服役事件、このような事件が起きたら、普通の国だったら、メディアがキャンペーンを張り、取り調べの可視化の実現まで行き着くはずだ。それなのに、そうならない国、Japan …。 やはり、メディアのシステム上の問題(※2)がボディーブローのように効いているのだろう…。
個人的に、10万人の方に問いたいことがある。あなたはイラクの子どもたちが米軍によって惨殺されていることについてはどう考えるのか、あなたはイラクへの米軍派遣に反対の声をあげているのか、と。
「郵政問題は、選挙前、民営化に反対しながら、選挙が終ると、賛成にまわった政治家が居ました、これを東西南北様どう考えていますか」
これは、選んだ国民の責任ではなくて、代議士の責任です。世論調査でも郵政民営化に反対して自民党を出た議員が自民党へ復党することには反対の世論が多数でした。もちろん、郵政株式会社民営化に賛成か、反対(公社維持または国営)か、保留(公社維持で慎重審議)か、の次元ではなくです。要は、代議士は国民合意を得ながら個別法案を採決しろという世論じゃないでしょうか?もちろん、国民合意を得たから十分かといえば、全体主義と憲法の関係を認識していれば不十分だとわかると思います。正しさの基準は多数決ではないということが少なくとも真実だということですが、日本国は日本人民のものであり、代議士のものではないですから、国民合意が必要だということです。この見地から、「選挙前、民営化に反対しながら、選挙が終ると、賛成にまわった政治家」について、責任があるのであり、選んだ有権者には責任はないということです。加害者と被害者の関係で被害者を非難するのは不当だと考えます。
「死刑賛成も、反対も郵政賛成もどうでも良い。その人が本当に考えた結果なら、しかしそんな人は、少数派、殆んどの人は、何も考えずその場の雰囲気、自分の感情だけで署名し、何の責任も感じずに居るのです。それが問題なのです。」
この点は、「何も考えずに」というのが引っかかるわけです。東西は次のように既に述べております。
「大衆の署名運動も投票行動も余す所なく完全に事実と問題点を認識した上で行動している人なんかいませんよ。20才の有権者と70才の有権者を比較すれば、同じ1票でも普通で言えば70才の人は認識が深いし、広いはずです。しかし、同じ1票です。要は、大衆の署名運動、投票行動というものは今日より明日へ向けて少しづつでも認識を深め広めながら進んでいくんじゃないでしょうか?速度が遅い原因は人間の責任ではなく、やはり、メディアの制度、教育制度、会社制度、労働条件の反社会的な存在が人間の社会意識を押しつぶし、抑圧している点にあるんじゃないでしょうか?ゆえに、制度改正の運動を進めいていく中で人間は人間らしくなっていくということです。」
(2007-10-18 04:08:18)
やめ蚊さんもエントリー記事で以下のように述べています。
「なぜ、日本でこのような現象が起きるのか?それは、マスメディアの差だと思う。司法システムが必ずしもえん罪を防ぐことができないこと(特に日本は、取り調べの可視化の未整備、長期勾留、代用監獄、証拠開示制度の未整備など先進国では考えられない遅れたシステム)、無罪の者を死刑にすることにつながるような制度は廃止すべきであること、そういうことについての情報が十分に市民に伝えられていないのだろう。
志布志の踏み字事件、富山無罪男性服役事件、このような事件が起きたら、普通の国だったら、メディアがキャンペーンを張り、取り調べの可視化の実現まで行き着くはずだ。それなのに、そうならない国、Japan …。 やはり、メディアのシステム上の問題(※2)がボディーブローのように効いているのだろう…。」
ですから、反政府ゲリラさんの提起した問題の原因は人間にあるというよりは、人間を「何も考えない状態」にしている社会環境、社会制度にあるから、それを人間らしく変えていくことが問題の解決策じゃないでしょうか?
「何故、犯罪の実現を選択する人間が存在するんでしょうか?犯罪者を全員死刑にすれば社会から犯罪はなくなるのか?人間社会からは犯罪はなくならないのか?いや、制度を人間らしくすれば人間社会からは犯罪はなくなるのか?」(2007-10-23 22:30:14)
とはいえ、
「たとえば、死刑賛成と反対の署名があったとして、どっちにも賛成しないし、反対もしない態度は民主主義社会では回避せねばならない他人任せ、他力本願でしょう。これは投票棄権、白票投票になるのであり、要するに、現状でいえば、死刑執行であるし、自民党・公明党連立政権の続行を意味するからです。なるほど、考える時間は必要です。しかし、署名を棄権する、拒否する、投票を棄権する、白票を投じるというのは「無責任」ではないでしょうか?」(2007-10-21 02:55:33)
要は、死刑賛成も、反対も郵政賛成もどうでも良いという態度では議論自体が無意味、無責任になりますよ。
議論するのは何故か、と言えば、死刑問題で言えば、今日現在、死刑囚が「生きるか、殺されるか」つまり、死刑に賛成するということは死刑囚が殺されるということ。反対なら生きるということ。保留なら見殺しで死刑囚は殺されるということだし、刑務官が死刑囚を「殺すか、殺さないか」つまり、死刑に賛成するおちうことは死刑囚を殺すということ。反対なら殺さないということ。保留なら見殺しで殺すということです。
ですから、議論する場合に不可欠なのは、当事者意識を持って、「自分の態度」を明瞭にした上で、「責任」をもって議論せねば意味がないということです。
左翼とか右翼という区分は、私はナンセンスだと思います。私の発言は、おそらく田仁さんからすれば右でしょうが、私自身は特に右だの左だのと考えたことはありません。
「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書検定については、家永裁判で「検定は憲法違反だ!反対!」と唱えていた人たちが、なぜか「検定で合格させるな!」と唱えていたことに奇異な感じを受けますが、ただそれだけの話です。
私自身は教科書検定そのものに反対はしません。
文部科学省が検定するところに問題があるかと思いますが、弁護士会のようなところで「教育の観点から」検証して「これなら役立つだろう」というのを教科書にすべきだとは思います。
ちなみに、私は、右の人からすれば「左に汚染されている」そうです。私は、改憲論ですけど「押しつけ憲法論」には与していません。靖国問題について、小泉さんの参拝を特に非難はしませんが、福田さんの「参拝しない」についても特に意見はありませんので。
(「お題目の教科書を書かせる気か?!」とか何とか。)
そんなこんなで、右翼利権の最盛期に自分達は思いっ切りレッテル貼り(&人身攻撃)をし、しかも「死刑廃止イデオロギー」ってのもレッテルの一種なんですが、右翼利権が整理回収に転じるや、レッテル貼りを非難する右翼諸氏等は困りモノです。
自身を「棚に上げる」というのは、靖国原理主義の最重要の戒律かお題目か何かなんでしょうか?
一方で、人の命を重く見ているからこそ「その重い命を奪った人間を生かしてもいいものか。命は命でしか償えない。」という感情を抱くこともあるでしょう。そういう立場に立てば、死刑廃止がむしろ人命を軽視していると評価することもできます。
死刑賛成反対、保留、いずれにしても、納得できる理由はあります。
だからこそ、どのような形にもっていくのか、ということを、もっと議論を重ねて、みんなが納得できるようにしていかなければならない。
ただ、このような議論に「先進国」だの「後進国」だのというレッテルを貼るのはやめたいものですね。
ともあれ、自発的なものですから、刑罰で強制したりすることは違法ですが、激しい討論というか激論になることも時には避けられないテーマです。
なぜなら、死刑問題も、選挙問題も「権力問題」であるからです。
でも絶対、自分が絶望して死のうとか思って書いてんじゃないでしょ!
他人に無力感を植付けて、左派やリベラル派が絶望して黙り込んでしまえば、しめたモノって意図がミエミエです。
そう言えば神の国のカバさんって政治家が「有権者は寝ててくれればイイ」とノタマイましたが、彼は今、その昔の二階堂みたいなキング・メーカーぶってんですって?
そのカバさんが首相の頃からでしたね?「死刑に10万人署名」に到る精神的荒廃の、端緒が社会的に見え始めたのって。
立憲主義を認識しておれば、国民の犯罪には教育的に、権力者に犯罪には厳罰で臨むというのが当然なのです。権力者も制度に翻弄される人間ですが、制度改正の決定権を実質的に日夜、実現しているのですから、一般国民に比べて、当然にして罪は重くなるのです。
権力が人間を潰している。だから、国民は権力制度を人間らしくしていく。だが、権力制度に押しつぶされて犯罪を実現してしまう人間が一般国民にも権力者にも存在する。その場合、一般国民にも責任があるんですが、程度問題で、権力者の犯罪はそれ以上に責任があるということで、罰条適用の際には、権力者には重く、一般国民には軽く、量刑判断も同様です。こうした立憲主義の運用をすべての法律へ間接適用して実現していくこと実質的な平等です。
無責任な一般国民の背景には必ず会社権力や政権政党の権力が存在しているということです。もっとも、この場合の権力というのは暴力ですが。憲法に合致しない権力は権力ではなく暴力です。暴力を抑え、憲法を実現するのが権力です。
一方的に事態が悪くはなるけど、状況を良くする為の行動は一切してないから!
「茶色の朝」にまっしぐら!って自虐的です。
ま、右翼には一切何の期待もしてはならない、逆効果は沢山上げられるけど!ってのが安倍政権の残した最大の教訓でしたが。
歪んだ社会と、それによって起きる人間感情の荒廃。
感情が乾いているから、自分以外の人間(とりわけ自分より弱い人間)を叩く。自分に責任が及ばない、となればなおさら増長するんでしょうね。フランス革命時の処刑場に集まってギロチン刑に熱狂していた群集のように感じてしまいます。(別に見た訳じゃありませんが;;←当たり前だ;)
人間の正義感自分の悪事がバレないようにする事せいぜいがそんなもの、シェークスピア社会に原因、人より恵まれている政治家官僚公務員の犯罪が無くならないのわなぜ、署名した人オッチョコチョイの俄か正義漢、自分の事は、棚に上げ他人を攻撃する只のゲス。
「死刑に対する市民感情」に関してですが、朝日新聞の投稿『声』欄に、ツイに「厳罰を求めて当然!弁護士が凶悪犯の弁護など怪しからん!」との80代男性の意見が載ってしまいました。
恐怖に操られる日本人のイージーさを懸念します。
生まれながらに犯罪者ではない人間が犯罪しかも殺人のような凶悪犯罪を実現するのは何故か?犯罪原因論ですが、やはり、社会環境が主たる原因であり、社会環境に押しつぶされてしまった人間が犯罪を実現してしまうのです。ですから、個人レベルの犯罪行為はそれとして刑事裁判しなかればなりませんが、犯罪行為の本質は人間を押しつぶす社会環境にあるんじゃないでしょうか?
マスコミが被疑者と言えども一般市民なら「仲間」であるという報道姿勢になれば市民感情も変わってくると思います。
ついでに、厳密な法解釈って意味では、民主の小沢さんの「米軍艦間接給油は戦闘行為と同様の兵站支援で、憲法違反」との見解は正しいが、同時に「国連のISAFに参加しても憲法違反に当たらない」とは、「国権の発動たる戦争を放棄」には違反しないものの、やはり「陸海空軍を保持しない」には障りますね?武器を持った軍隊としての行動だから。
従来の憲法解釈で誤魔化せると踏んでるのか知れないけど、やはり厳密な意味では。
『「戦争放棄」が厳密なら、「軍を保持せず」モナー!』でしょう。
ま、統一教会もだけど。
国家の犯罪と個人の犯罪は同じレベルで裁けるのか? それが死刑廃止につながるのか?
罪の無い人が殺されるのは同じでも死刑廃止と戦争を結びつけるのは矛盾してると思う。
実際問題として、もしも仮にネットがこの世に無かったとしても、「裏の職安サイト」に類似のものは、何処かの店舗等で知り合った形でも、成立し得ます。
偶然狙われた磯谷さんが、もしも助かる方法があったとすれば、護身術でも習っていて男三人相手に「正当防衛」を発揮する以外には無いでしょう。
当然ながら、とても殺伐とした世界観にならざるを得ず、イザ!何かあったら常に「命のやり取り」との、まるで「西部の無法者」の世界へ(世界一治安の良い国から)急降下。
しかしこのヒステリックな死刑の大合唱は、西部劇の世界観に近いと言えるのでは?
そもそも犯罪者個人が3人、仮に死刑になったら済む問題ではないでしょ?
署名したヒトは、もしも3人が死刑になりさえすれば、後はとっても安心な社会生活が送れますか?
まさかね!だって、根底には日本の『経済格差』と、他には特にテラー(恐怖感)の問題があるんだから。
ココで又、日本人のある特性が顔を出しているのでは?
自分より目上と考え、ヘリクダれば自分を庇護してくれると妄信する政府や警察のあり方ではなく、弱者を責め立てれば事が済むのだ、という。
愚かな罪を犯した犯人が、日本の経済機構や富の偏在に何ら関わっている筈など無い!と断言できますが、結局、虐め易い対象には違いない!既に逮捕されてるし。
所が、大きな社会問題として捉えようものなら、戦う相手が非常に巨大で、勝ち目が無いと考えるのだろうけど、しかし根本解決には程遠くなるばかり~。
見事にテラー(恐怖感)に操られていて、自虐的です。
正直俺は気持ち悪いです…。
まだ本格的に裁判も始まってなく、
情報もほとんどマスメディアだけ、
しかもそれも基本的には警察や検察の発表やリークな訳で、
一方からの情報だけで、まだほとんど何もわかっていない段階なのに、
「殺せ!」
と意思表示してしまう…。
中には
「こんな奴等弁護するな!」
とさえ言ってしまう人が居る…。
(司法手続きへの理解の有無は、また別の話として)
一体これはどうした事なんでしょうね…。
被害者に同情するのはわかるとしても、
「殺せ!殺せ!」と大合唱してしまう事は…、
…何か違う。
純粋すぎる正義感からなんでしょうが、どこか酷く歪んでいて、
そこにはある意味、
その正義感の純粋さゆえの
「イノセントな悪意」
とでも呼べばいいんでしょうか、そんなものが芽生えている気がします。
一人一人は、ほんとに普通に正義感を持った、いわゆる「普通の人々」でしかないんでしょうが…。
酷く危うさを感じるんですよね、俺は…。
このナイーヴさはなんなんだろうなぁ…、と…。