goo blog サービス終了のお知らせ 

情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

【植草さんを守るプロジェクト】知られざる真実-勾留地にて…これが取調の実態だ

2009-07-22 22:04:06 | 適正手続(裁判員・可視化など)
植草一秀さんを守りたい!「みんなでブログ・デモ行進」のお知らせ。 ブログで同日一斉に発信!
http://www.asyura2.com/09/nametoroku5/msg/208.html

自由参加です。

【 日時 】
7月22日(新月、皆既日食)
8月6日 (満月)
その後は毎月の新月、満月
「月例カレンダー参照」
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm
※無事な姿が見られるまで続行(状況次第)


【 場所 】
各自ブログ

【 ブログ内容 】
植草一秀さんに関すること
植草一秀さんに実刑判決、収監の記事を目にしてから皆さまと同様に不安と怒りにかられ、ブログを見るたびに気持ちが揺れ動き、何をどうしたらいいのか、ただ右往左往しておりました。
少し冷静になり考えたとき、応援している皆さまが同じ思いではないだろうか?
冤罪である植草一秀さんを守りたい、救いたい、危険な目にあってほしくないという思いは一緒だと。
皆さまのこの思いがつながったら、なにか変えることができるのではないかと考え、今回 同日一斉ブログ発信、ご参加のお知らせをお伝えすることにいたしました。
一斉にブログ発信することによって、「植草一秀さんの現在の状況」 を一人でも多くの方にお伝えし、偏向報道等により植草さんに対する誤った情報を正しい方向に導きくことができれば、と思っております。
皆さまには突然のお知らせとなってしまい申し訳ございません。
あと22日まで2日しかありませんが、ご参加よろしくお願いいたします。
ちなみに新月、満月は毎月やってきます。次は8月6日の満月です。


■■以下、上記プロジェクトに賛同して、2007年8月6日の記事を再掲します■■


【取り調べ検事は「否認を続ければ裁判で私生活を攻撃して家族を徹底的に苦しめてやる」との発言を繰り返した】、【取り調べをした警察官は「否認を続ければ長期の勾留となり小菅に移送される」、「否認して裁判になれば必ずマスコミの餌食になる」と繰り返した】、【「こんな所にいないですぐ仕事をして欲しいんだ」、「日本はいま大事な時期だから、こんなことに時間かけてはだめだ。大事な仕事を早くして欲しいんですよ」と繰り返し、犯罪を認めることを迫り続けた】…新刊「知られざる真実-勾留地にて-」で、ミラーマンと揶揄された植草一秀氏が2回目に逮捕されたときの状況について述べた記述である。

 2004年に逮捕されたいわゆる手鏡事件(1回目の逮捕)で、彼を有罪とした証拠は、目撃した警察官の証言だけだった。もし、防犯ビデオに残された映像があったら、彼の無罪は立証できたかも知れない。いや、逆にいえば、もし、彼が犯行を行っていたとしたら、防犯ビデオの映像さえあれば、警察官の証言など不要であった。なぜ、起訴した検察側は、防犯ビデオを証拠として提出しなかったのか…。

 私自身の経験でも、無罪ではないかと思う事件で、決定的な客観証拠となるはずのものが提出されないことは多い。しっかりと写っている防犯ビデオなどは、きっちりと証拠として提出されることが多いのに、なぜ、検察・警察に不都合なビデオはまったく提出されないのか。

 いいですか。ここがポイントです。一般的に考えれば、起訴された被告人の供述を一部裏付け、一部は裏付けないような証拠価値として中途半端なビデオが提出されてもいいはずです。そうでしょう。実際に事件を行ってはいるものの無理に否認している被告人がいたとして、そういう被告人たちはいつも100%嘘をいうとは限らない。だから、裁判所で微妙な判断をしなければならないようなビデオが提出されることもあるはずだ…しかし、そんな中途半端な証拠が提出されたことは聞かない。

 検察官は100%有罪の確信(ここにはでっち上げの場合も含む。つまり有罪にできるという確信)がなければ、起訴しない。したがって、中途半端な証拠が提出されることはないのだ。

 中途半端な証拠がある場合、検察官は、起訴をしない途を選択するか、もしくは、証拠を提出しない途を選択する。つまり、その証拠がなくても有罪にできるか?…と検討し、有罪にできるとの確信があれば起訴するし、確信がなければ起訴しないわけだ。

 では、「無罪・有罪を立証すると思われるはずだと思われる証拠がない」という報告が警察から上がってきた場合、検察官はどうするか?これも同じことだ。ないなりに、有罪にできる確信があるならば起訴するし、確信がないならば起訴しない。

 いいですか、本来、決定的な証拠となるべきものがあるはずなのに警察官がないと報告した場合、検察官は、強く「冤罪」を疑わなければならないのにそういう構造にはなっていない…。

 では、国策捜査の場合、つまり、検察官が本来、無罪もしくは起訴するほどのことではないと知りつつも、何らかの理由で起訴しなければならない場合、検察官は、無罪を立証する証拠があったとしたら、どうするだろうか…。あなたがその立場にいたら、どうしますか?私がその立場なら、その証拠を法廷に提出しない方法を選択するだろう。そして、私は、きっとこう自分を納得させる。

 「こいつが犯人であることはほかの証拠から間違いない。たまたまこの証拠はこいつが犯人ではないかのようにも伺わせるが、この証拠が正しいとしても、●●というように考えれば、犯人であることとこの証拠は矛盾しない。●●であることを裁判官に理解させるのはやっかいだから、この証拠を出すのはやめておこう。もともと、この証拠がなかったと考えれば、別に問題はない。証拠がないことはよくあることだ」

 植草氏は、2004年4月11日、逮捕された日から3日後、防犯ビデオのことに気付いた。彼は、裁判官、弁護士、取調警察官、担当検事に、防犯ビデオで無罪と立証できるはずだと訴え続けた。

 ところが、4月20日ころ、取調警察官が、品川駅の防犯カメラ映像の保存期間を超えて記録が残っていないと告げたという。最初の訴えから10日も経過してから「保存期間を超えた」と説明したのはなぜなのか…。

 この第一事件で、警察官が植草氏を本当に犯罪を実行したと考えるならば、必ず、防犯ビデオをチェックしているはずだ。それこそが、本件での有罪立証の「決定的証拠」だからだ。それにもかかわらず、本件で防犯ビデオが提出されていないのはなぜなのか?

 逆にもし、警察官が防犯ビデオを最初からチェックしていないとすれば、警察官が無罪であることを知りつつ、防犯ビデオが抹消されるのを待っていたということになるはずだ。

 つまり、いずれにせよ、防犯ビデオが提出されていないことだけをもっても、植草氏は無罪とされるべきだったのだ。

 残念ながら、植草氏は、控訴審で争うことを断念した。いや、彼の表現に従うならば、「拒絶」した。

 この「控訴拒絶」に関するわずか「15行」の記載で、「知られざる真実-勾留地にて-」は結ばれている。彼は言う。

「時間を費やして積み上げた膨大な証拠は完全に無視された。警官証言は二転三転し、証言の矛盾は明らかだった。しかし、判決は素通りした」

「最初から判決は決まっていたのだと思った。私は有罪判決が下れば控訴する予定だったが、判決の詳細を知り、方針を変更した。このような裁判なら、裁判を継続するのは時間と労力の無駄だ。結論は最初に決定されている。事件も作られたものだと思った。メディアは権力と連携して攻撃を続ける。報道被害から身を守ることも考えなければならない」

「控訴『断念』ではなく、控訴を『拒絶』した」…

 彼がわざわざ、わずか15行の「控訴拒絶」の項目を一番最後に書いたのは、決定的な意味があると思う。

 私たち刑事裁判に携わる者は、彼のこの痛烈なメッセージを受け止め、彼のような目に遭う人が出てこないように、

①起訴されるまでの逮捕・勾留期間合計23日間という起訴前の長期身柄期間を短縮する
②取調過程を完全に録画する
③捜査側手持ち証拠を全面開示する(もし、開示していないことが判明したら、それだけで手続は終了し、無罪とする)

ことを実現させるよう全力を挙げなければならない。

そして、これら3つのことは、真実を解明するにあたって、何ら、妨げになることではない。これらの実現に反対する警察・検察側こそが真実解明を妨げているといってよいのだ。これら3つのことが定められることで、かえって、警察・検察が変な国策捜査に関与させられることを防ぎ、真っ当な正義感を貫くことができるはずだ。

ぜひ、植草氏の著作を一読されることをお薦めします。




【PR】






★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

裁判員を辞退できるやむを得ない事由とは~アナーキストのすすめ?

2009-07-12 21:41:57 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 少し前に高野さんのところのブログで、「法曹時報」2009年4月号に、裁判員を辞退するためには思想調査されることを覚悟しなければならないという趣旨の解説が掲載されていたと書かれていた。まさか、と思いつつ、そのままになっていたが、最近になってようやく、同号を読んでみた。すると…。

 問題の記事は、【「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第16条第8号に規定するやむを得ない事由を定める政令」の解説】というタイトルで、法務省刑事局付の馬場嘉郎裁判官が書いたものだ。

 思想調査をうかがわせる記載は、「(3)思想・良心等の自由を理由とする辞退の申立てについて」という項目にあった。

 ここで馬場裁判官は、政令の「自己に精神上重大な不利益が生じると認めるに足りる相当の理由があるか否か」の解釈として、

【例えば、人を裁きたくないなどおちう申立てがあった場合に辞退が認められるか否かについていえば、人を裁きたくないとの申立てがあったことのみで当然に本号=裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第16条第8号:ヤメ蚊注=に該当するのではなく、①その者が、宗教上の教義の核心部分として、「絶対に人が人を裁いてはならない、神のみが人を裁くことができる」とされている宗教の信者であり、その者にとっては、裁判員としての職務を行うことがその教義に反する行為をすることとなり、自らの信仰と両立し得ない場合、②その者が、裁判所を含めた国家権力がそもそも存在するべきではないという思想を有し、かつ、これを実践する必要があると考えており、その者にとっては、裁判員としての職務を行うことが、裁判所の存在及びその権力を認めることにつながり、自らの思想と両立し得ない場合などのごく例外的な場合には、裁判員としての職務を行うことが困難な場合として本号に該当するものと考えられる】

と説明している。

 う~ん、アナーキストの思想を有し、それを実践する必要があると考えているかどうかをチェックするなんて、なんて時代錯誤なんだ。というか、本気で思想調査するのか、最高裁?

 そもそも、アナーキストだったら、裁判員になったうえで、あらゆる刑に反対するって主張しようと思うのでは?…などという疑問も浮かぶが、裁判員制度の謎は、今日も夜とともに深まるのであった。


■■裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第16条第8号に規定するやむを得ない事由を定める政令■■

 裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下「法」という。)第十六条第八号に規定する政令で定めるやむを得ない事由は、次に掲げる事由とする。

一  妊娠中であること又は出産の日から八週間を経過していないこと。

二  介護又は養育が行われなければ日常生活を営むのに支障がある親族(同居の親族を除く。)又は親族以外の同居人であって自らが継続的に介護又は養育を行っているものの介護又は養育を行う必要があること。

三  配偶者(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)、直系の親族若しくは兄弟姉妹又はこれらの者以外の同居人が重い疾病又は傷害の治療を受ける場合において、その治療に伴い必要と認められる通院、入院又は退院に自らが付き添う必要があること。

四  妻(届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)又は子が出産する場合において、その出産に伴い必要と認められる入院若しくは退院に自らが付き添い、又は出産に自らが立ち会う必要があること。

五  住所又は居所が裁判所の管轄区域外の遠隔地にあり、裁判所に出頭することが困難であること。

六  前各号に掲げるもののほか、裁判員の職務を行い、又は裁判員候補者として法第二十七条第一項に規定する裁判員等選任手続の期日に出頭することにより、自己又は第三者に身体上、精神上又は経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当の理由があること。

■■政令以上■■ 

※冒頭の図は裁判所ウェブサイトより

【PR】






★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

報道に関する事件は陪審制~ベルギーの工夫

2009-06-19 06:33:42 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 いま、ヨーロッパの表現の自由に関する第一人者の一人、デレク・フォルホーフ教授とパートナーで同じく報道評議会議長の経験を有するインゲール・ハート-ラスムッセン弁護士が来日中だ。18日は、デレク・フォルホーフ教授が日弁連などが共催したシンポジウムで、ヨーロッパ人権裁判所の判例などを紹介してくれた。

 やはり、国家を超えた司法権の存在は重要だなぁ、と改めて思い知らされたわけだが、そういうシステムを持ち込むことのできるヨーロッパの民主主義はすごいと、これまた、思い知らされた。

 私たちは、日本の民主主義の脆弱性について、民主主義が根付いていないという言い方をすることがあるが、お二人の話を聞くと、それは「逃げ」でしかないと思う。

 つまり、民主主義は「根性」ではなく、「システム」によって守られているということだ。民主主義が根付いていないのは、民主主義に対する意欲が足りないのではなく、民主主義的システムを知らず、導入していないことに原因があるわけだ。そういう意味で日本の学者やメディアの責任は大きいわけだが、その責任の大きい学者やメディアがしたり顔で、「日本の民主主義は戦って勝ちとったものではないからねぇ」などと嘆いているのを見ると本当に腹立たしい。

 たとえば、お二人から、ベルギーにも陪審員制度が取り入れられているが、それは、①重大犯罪、②政治犯罪、③報道機関に対する事件の3つに限定されているという話を聞いた。

 なぜ、報道機関が陪審員によって裁かれるのか、それは、政府が任命した裁判官に報道機関をさばかせるのは、報道機関を委縮させると考えたからだ。これはもう100年以上前からとりいれられた制度だという。

 100年以上前から、萎縮することを防ぐために、システムを駆使しようとしていたのだ。

 それに引き替え、日本では、問題点が発覚してもシステム改善の話につながらない。

 たとえば、足利事件があっても、取り調べの全面可視化が導入されない…。



 民主主義と報道・表現の自由に関心がある方は、ぜひお二人の話を聞いてほしい。


[1] 6月18日(木)18:15~20:30→済み
第52回 日本弁護士連合会 人権擁護大会プレシンポジウム
「マスメディアに本来の機能を発揮させるためのいくつかの方法 」
――ヨーロッパの工夫と人権裁判所判例から考える
@弁護士会館 3階301号会議室

[2] 6月19日(金)11:45~13:15
「国民と立法府による政府監視の進化」
――民主社会の成熟に向けたメディアとNGOの役割を視野に
@衆議院第2議員会館 第1会議室


[3] 6月19日(金)18:15~20:45
「表現の自由・知る権利」最前線
――ジャーナリストとNGOの取材・調査活動はどこまで自由か?
@青山学院大学青山キャンパス総研ビル11階19会議室


[4] 6日22日(月)19:00 ~21:00
「表現の自由/知る権利」の最前線
――フォルホーフ教授とハート=ラスムッセン教授を囲むNGOの夕べ
@新宿パークタワー30F コンファレンスルーム桔梗
共催:アムネスティ・インターナショナル日本(03-3518-6777)
   ヒューマン・ライツ・ウォッチ(03-5282-5160)
   監獄人権センター(03-3259-1558)
   A SEED JAPAN(03-5366-7484)
   グリーンピース・ジャパン(03-5338-9800)


【お二人のプロフィール】 
デレク・フォルホーフ教授
ヘント大学(ベルギー)の政治・社会学部および法学部教授。欧州人権裁判所における判例理論、メディア法、著作権法、ジャーナリストとメディアの権利と責任、表現の自由を専門とする。オックスフォード大学PCMLP/IMLA主催の国際メディア法模擬裁判大会の顧問委員会委員でもあり、1992 年降、欧州評議会人権理事会で専門家として活躍。

インゲール・ハート-ラスムッセン氏
コペンハーゲン大学(デンマーク)にて弁論法を教えるかたわら、教育学の学位をもつ弁護士としても活躍。1996年から2001年までデンマークメディア評議会の議長を務め、2001年から2005年までデンマーク弁護士会の調査・開発部門長として、教育・調停・人権擁護などの分野に従事してきた。




【PR】









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

死刑が「殺人」でない理由なんてあるの?~32万人死刑嘆願について再び

2009-06-08 07:55:45 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 昨日の記事【「殺人」の嘆願をした32万人の方へ~あなたは自殺する3万人のことを考えたことはありますか? 】に対し、死刑と殺人を同一視するのはいかがなものかというコメントが寄せられたが、死刑が殺人でない理由なんてあるのだろうか?単に、その社会でその時に合法とされるものに過ぎないのは、前回、EU諸国で死刑が禁止されていることをご紹介したことからも明らかでしょう。

 例えば、32万人の死刑嘆願署名が裁判員にも向けられたもので、あなたが裁判員だったとしよう。相場的には死刑はない、そのような事案で、32万人の署名を受け取ったあなたは、この署名をどのように受け止めるだろうか?

 あるいは、評決で、死刑がぎりぎりの判断とされているところ、9人中死刑が4:4だったとしよう。あと一人の判断で死刑となるかどうかが決まるとき、この一人が32万人の嘆願署名の影響で死刑を選択したら、それは32万の署名は、死刑を廃止した社会からすれば、まさに、「殺人」を教唆する行為だといえないだろうか?

 死刑が殺人であることを前提に死刑制度について考えないとしたら、それは何も考えないに等しい。殺人でなければ、ボタンを押したり、署名をすることに何の痛痒も感じないからだ。

 最初の問いだが、もし、私が、裁判員としてその事件で死刑までは不要だと考えたとして、かつ、32万人の死刑嘆願署名を読んだとしたら、判決の後、怖くて、外を歩くことが出来なくなるかもしれない。

 もう一度お願いする。32万人には、ぜひとも署名の意味を深く考えてほしい。遺族が殺してやりたいとか、自分の手で殺せないなら死刑にしてやりたいと思うのは理解できる。しかし、遺族に同情してその気持ちを実現させてあげたいとか、効果があるかどうかも分からないのに抑止力として死刑を望むというのは、主権者として合理的な考え方といえるだろうか?

画像は、http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/54d3e6bdb210df922b9f1d73552f65bdより。 
  



【PR】









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

「殺人」の嘆願をした32万人の方へ~あなたは自殺する3万人のことを考えたことはありますか?

2009-06-06 13:35:26 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 いやぁ、ひどいねぇ、今日の読売、【「極刑を」32万人署名】って、闇サイト殺人の古い話を持ち出して、一面、社会面に大展開し、さらに2社面では秋葉原事件だ。裁判員になる方へ、死刑判決を下すことに躊躇しないでねって言っているようなもんだ。

 一応、死刑について考える連載のような体裁をとっていながら、書いてあるのは「命には命を」、「自分の娘のことを考えた」というような趣旨の死刑存置意見のオンパレードだ(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090606-OYT1T00046.htm)。

 まぁ、読売もひどいが、殺人を促すよう署名した32万人の人たちは、いったい、どこまで「死刑=殺人」について深く考えて署名したのか?あなたがたが署名したのは、「殺人」嘆願書ですよ。

 ヨーロッパでは、死刑制度自体、EU加盟国は廃止している。廃止することがEU加盟への条件となっているからだ。それは、死刑が新たな「殺人」だからだ。

 EUのウェブサイトには次のように書いてある。

 【何のために刑罰を科すのかという観点からすれば、死刑は刑罰でもなければ、明らかに再教育でもなく、復讐にすぎません。犯罪者に刑罰を科すことの目的は、その人に自らの過ちを理解させ、自責の念を育み、その人物を更生させ、最終的には社会復帰させることにあります。社会復帰がかなわない人——多くの場合、当人の精神状態のためですが——に限って社会から隔離すべきでしょう。死刑宣告では、刑罰の究極的目標が果たせないのです。】

 抑止力が必要? なら、年間3万人の自殺者のことを考えたことがあるのだろうか?毎年死んでいく約3万人には死刑は抑止力にはならない。この3万人は、自らを殺すという決断を下し、行動を起こしている。それが他人に向けられないのは、死刑があるからではない。犯罪を抑止するのは、刑罰だけではない。それは倫理であったり、教育であったり、家族の愛であったりするわけだ。

 32万人の皆さん、あなたがたは、自殺することを考え、行動に起こすまでの苦しさ、想像したことがありますか?彼ら彼女らが、最後に犯罪でも何でも好き勝手して欲望を満たしてしまおうと考えないのは、「死刑」があるからですか?そんなはずはない。

 EUのウェブサイトには、【「死刑のない世界地図」で色分けされた死刑廃止国と存置国の状況を比較しても、他の刑罰に比べて死刑の犯罪抑止力が高いことは証明できません。欧州では、死刑廃止後に重大犯罪が激増したという事実はありませんでした。】と書かれている。

 サッカーを楽しみ、音楽を楽しみ、食事を楽しむ、同じ先進国の市民は、死刑廃止を当然のこととして受け入れている。なぜ、日本では新たな「殺人」が許容されるのだろうか?

 違う視点から考えてみよう。「殺人」嘆願をした32万人は、年間3万人の自殺者に手を差し伸べようとしたことがあるのだろうか?そのような自殺者が生まれないような社会をつくるためには何が必要かを考えたことがあるのだろうか?より多くの人が幸福になるような社会にしよう、せめて、すべての子供が高等教育まできちんと受けられるような仕組みのある社会にしよう、そういうことを考え、行動を起こしたことはありますか?なぜ、年間3万人を殺す政府、年間1万人を殺す自動車メーカーの責任を同じように問わないのですか?


 人の命は数ではないというのはよく分かる。年間の自殺者数と、闇サイト事件の被害者を数で比較するのはおかしいという考えがあることもわかる。また、もし、私が被害者の遺族だったら、当然、加害者を殺してやりたいと思うし、実際に殺すかもしれない。しかし、遺族がそう思うこと、遺族がそのような行為をすることと、社会が死刑=新たな殺人を容認することとは、まったく話が違う。

 前にも書いたが、私は、いまの自動車が安全面を軽視していると思うし(速度出すぎだし、酒酔い運転を出来なくすることは簡単なのにしていないなどなど…)、もし、家族が自動車事故で死亡したら、メーカーやそのような車を許している官僚を殺してやりたいと思うだろう。その思いを死刑嘆願書にしたとき、32万人の皆さんは、署名をしてくれるだろうか?


 個人的には、死刑を存置することは、死刑に該当するような犯罪を抑止するための政策(生活の安定や教育のあり方など)から政府を免除することにつながると考えている。死刑を存続させることで、実際には、死刑に該当するような犯罪を減らす機会を失っていると思う。


 話を読売に戻そう。DNA鑑定が間違っていたことが分かった菅家さんは生き延びたが、菅家さんの鑑定が間違っていることを前提とした意見書を東京高検の検察官が書いた約2週間後、同じ手法による鑑定によって有罪と認定された久間さんは、死刑台で殺された。いったんは自白したが、裁判では一貫して無実を主張していた久間さんを殺したのは、なぜか?これ以上、死刑事件での冤罪が発覚することを恐れたのではないか?

 取り調べの録画がなされていないなど、日本ではまだまだ、冤罪を防ぐ制度が不十分だ。そのことは、新聞記者と名のつく者であれば、すべて認識しているはずだ。

 それにもかかわらず、死刑判決を下そうという読売キャンペーンは、先進国の新聞として恥ずかしいというほかない。

 同じ今日の紙面で、東京新聞は、菅家さんの事件を大きく取り上げ、久間さんを死刑にしたことに疑問を投げかけている。

 読売新聞から給料をもらって恥ずかしくないですか?

  


【PR】









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

ぼくは基本的には一概に可視化すれば直ちに冤罪が減るという感じがありません(麻生放言)

2009-06-05 01:00:14 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 菅家さんの釈放を受けた首相談話が、産経新聞に掲載されているが、まったく、事態の重大さを感じていないようだ。どうせ、自分には関係ないこと、下々は冤罪出るくらい厳しく取り締まってもかまわないという意識がみえみえの発言だ。

■■産経新聞(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090604/plc0906042024009-n2.htm)引用開始■■

 --この件を受けて、冤罪防止のために、さらなる取り調べの可視化を求める議論が強まると思うが、首相の考えは

 「可視化にしたからといって、途端にそれがよくなるという感じはありません」


 --そうは言っても、無実の人が捕まって刑に服することはあってはならない

 「それ、今、答えた通りです」


 --そういった国家のあり方を考える上で…

 「国家のあり方ってどういう意味ですか」


 --冤罪が起きない国にするために可視化は必要だと思わないか

 「ぼくは基本的には一概に可視化すれば直ちに冤罪が減るという感じがありません」

■■引用終了■■

 読めば読むほど、腹立たしい内容だ。


 しかし、こんなことを許すのは、第一にマスコミの弱腰がある。

 産経新聞は、冒頭の画像のように、菅家さんに対するインタビュー記事に【釈放の菅家さん「真犯人を絶対に許さない」】という見出しをとった。しかし、実際には、菅家さんの怒りは、真犯人というよりも無理に自白を迫った警察、検察に向けられている。それにもかかわらず、【警察を許さない】という見出しを立てられないのはなぜなのか?

 同記事を紹介するMSNのウェブサイトは、正しく【菅家さん「警察官ら絶対許さない」】という見出しを立てており、産経の弱腰ぶりが浮き立ってしまっている。

 


 そして、第2に、徹底的に政府批判をしない市民の弱腰にも原因がある。なぜ、17年の重さを共有しないのか?共有したら、何らかの行動を起こしたくなるはずだ。市民がこのような発言を許して放置するなんてことは、隣国韓国や欧米諸国ではありえないことだ。

 みんな~、そろそろ、怒りをぶつけようぜ~。




【PR】









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

裁判員110番、大分では実施している~日弁連ではできないのか?(反省兼ねて)

2009-06-01 06:51:42 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 前回の記事に対し、大分県の弁護士の方から、大分での取り組みのご紹介をいただいた。すでに、大分では110番を開始し、裁判員候補者からも、辞退申し入れに返事がないという具体的な相談を受けているという。候補者の不安は深刻だったらしい。

 大分合同新聞(http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_124349009537.html)によると、

【裁判員制度の改善を訴える「裁判員支援センター」(鈴木宗厳代表)は三十日午前十時から午後一時まで、市民からの電話相談に答える「裁判員制度一一〇番」(TEL097・537・7133)を実施する。
 二十一日に裁判員制度がスタートし、市民の関心が高まっていることから初めて取り組む。裁判員を辞退できるのかや、裁判員制度に対する不安、疑問など相談内容は自由。弁護士が相談に応じる。
 センターは県内の弁護士二十一人で三月に設置した。(1)参加したくない裁判員候補者に拒否する権利を与える(2)心理的な負担が大きい量刑の判断に裁判員を関与させない―など制度を改めるよう提言している。
 センターには常設の相談電話(TEL090・8910・3811)があり、留守番電話に連絡先を吹き込んだ市民に弁護士が折り返し連絡する運用方法を取っている。センターによると、常設電話への相談は現在、十数件あり「裁判員として裁判にかかわりたくない」「何とか辞退できないのか」などの声が多いという。】

という。


 この大分県の弁護士の皆さんの画期的な試みだけでなく、全国の有志による相談のホームページなどもあるようだ。東京の若手弁護士の試みもあるという。

 ただし、問題は、「弁護士会」として、いや、日弁連として何かできないのか、ということだ。もちろん、日弁連が動かないと単位会が動けないというわけではないが、裁判員制度を推進してきた側の責任は大きいはずだ。

 しかも、日弁連が交渉すれば、裁判所や法務省も相談窓口を設けることについてOKするかもしれない。もちろん、現在の法律との関係で一定の基準を設定することが必要になるだろうが…。

 現在、視察中の韓国でも陪審員制度が始まっているが、評議で結論がでなかった場合(全員一致での決定なので、結論がでないことが予測されている)、裁判官が評議に介入することになっているという。その場合、裁判官の意見に誘導されることになるのではないかという見解もあるようだ。

 よりよき制度とするためにも、日弁連の決断を求めたい。




【PR】









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

弁護士会は、裁判員110番を行わないのか?~誘導されたら苦情はどこが受け付けるのか?

2009-05-31 05:51:10 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 証人尋問などが終わった後で、裁判員と裁判官が有罪か無罪か、刑罰はどの程度にするかを決める評議が行われるが、そこで知識・経験に優れた裁判官が裁判員を誘導するおそれがあるのではないか、ということが心配されている。この心配に対し、裁判所はウェブサイトで、【そのようなことはありません。事件について裁判員と裁判官が議論(評議)する際,裁判長は,裁判員に対して必要な法令に関する説明を丁寧に行うとともに,評議が裁判員に分かりやすいものとなるように整理し,裁判員が発言する機会を十分に設けるなど,裁判員がその仕事を十分に行えるように配慮しなければならないとされています。裁判員制度には,法律の専門家ではない裁判員の経験,感覚を裁判に生かすという目的がありますので,裁判官は,評議において,裁判員が気軽に意見を言えるような雰囲気を作るとともに,裁判員の意見を先に聴くなど,裁判員に意見を十分に述べてもらえるような工夫をすることになります。】と回答している。

 しかし、誘導しないように努力しているから、その心配はないというのでは不十分だ。当然、制度上、誘導しないことを裏付ける仕組みが必要だ。たとえば、評議を録音することが考えられよう。もちろん、録音すると、評議で自由に発言できなくなるという批判がでるだろう。

 そこで、弁護士会が、裁判員110番を行ってはどうか?具体的な事件の内容を話すことはできないかもしれないが、誘導されたときにどうふるまうかという一般論であれば、十分対応できるし、そういう窓口があることだけでも、裁判官が誘導することを躊躇するだろう。

 できれば、法務省、裁判所、日弁連で協議して、守秘義務を解除してでも相談できる場を設けるべきだ。もちろん、事件の内容に踏み込んでまで相談することはでいないにしても、特定の裁判で、裁判官が誘導していることを告発できれば、その裁判官に対し、そのような告発が来ていることが伝わり、以後は、誘導を差し控えるのではないだろうか。

 評議が一日で終わることが多いため、実際には、評議途中での告発が可能かどうかは不明だが、本格的な評議に入る前の承認尋問後の軽い打ち合わせのような場における裁判官の態度などを告発することで、本番の評議の場がずいぶん違ってくるかもしれない。

 精神論だけでなく、仕組みが必要だ。裁判員制度を良くするために、その仕組みの一環として、弁護士会は、裁判員110番を実施してほしい。まじに、そうしないと、個別の弁護士のところに、いろいろな相談が直接来ることになるだろう。その際、いやぁ、あなたには守秘義務があるから、相談を受けるわけにはいかない…というわけにもいかんでしょう?

 そうそう、仕組み、といえば、遅れて民主化されたがゆえに、先進的な民主的システムが備わっている韓国の視察に、本日出発します。場所はソウルです。昼と夜は、視察で結構忙しいので、深夜でも楽しめるスポットや夜食のうまい店などあったら、ぜひ、コメント欄で教えてください。



【PR】









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

裁判員の守秘義務が裁判官のためのものであることが発覚した性犯罪事例への対処

2009-05-27 11:18:04 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 裁判員制度でいま、一番関心を呼んでいるのは、裁判員選任手続きの際に強姦(ごうかん)致死傷事件など性犯罪被害者の情報が、守秘義務のない裁判員候補者に伝わる可能性があることだ。全国の女性団体などが被害者のプライバシー保護を最高裁に要望していることが報道されている。

 毎日新聞によると【裁判所は選任手続きで、候補者らに事件の概要や被告、被害者の名前など個人情報を伝える。被告や被害者と関係があったり、不公平な裁判をする恐れがある候補者は裁判員になれないためだ。
 しかし、この仕組みでは、被害を知られたくない性犯罪被害者の名前も知られてしまう。このため、アジア女性資料センター(東京)が取りまとめ役となり、52団体と賛同者848人が改善を求めた】という(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090520ddm041040141000c.html)。

 これに対し、最高裁は、【被害者名を出さずに大まかな情報を伝え、思い当たる人物がいるか候補者に尋ねるなどの運用をし、候補者には口外しないよう求めるとしている】(同上)が、それでは当然、不安だろう。

 というのも、裁判員については懲役までの罰則付きで守秘義務が課されており、それと比較するとあまりにも扱いが軽いからだ。

 もちろん、被害者名などは公開の法廷では明らかになるから守秘義務を課しても仕方がないという反論もあろうが、それならば、裁判員だって同じことで、公開の法廷で明らかになった事実は守秘義務の範囲から外すことを法律上明記すべきであろう。

 裁判員制度による手続きを考えるとき、女性団体が指摘するような問題が生じることは制度設計担当者であれば、容易に知ることができただろうし、だからこそ、最高裁も一定の対策をとっていると答えたのだろう。しかし、その対策は、あまりにも性犯罪被害者のプライバシーを軽視するものだった。

 このことから、なぜ、裁判所が裁判員に評議の秘密を守らせるようとするのか、その理由がはしなくも表ざたになったといえる。そうでしょう、だって、犯罪被害者のプライバシーは軽視して、評議の秘密を重視している以上、本当に秘密にしたいのは、被害者のプライバシーなどではなく評議の際の裁判官の議事の進め方ってことになるからだ。

 そもそも、裁判員制度は、全員一致でしか結論を下せない陪審員制度とは異なり、原則単純多数決だから、議事の進行の方法で、結論は大きく左右される。しかも、評議の時間も、陪審のように無制限一本勝負ではなく、制約が課されている。それだけに裁判官は、強引な議事進行をしたいという誘惑にかられることだろう。

 したがって、この議事進行を表にされたくない…ということになり、評議の秘密は懲役をもって守られることになった…。

 そういう意味で、性犯罪被害者の問題は裁判員制度全体の問題だといえる。











★キャンペーン中「私は、民主党が導入しようとしている政治家の相続税脱税防止規定(世襲防止強力対策)に賛同します。民主党がこの規定を実効的なものにすることを期待します」







【PR】









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

「秘密の中の裁判員制度」、生放送は無音声だったようで<(_ _)>~日本ビデオニュースで流れます

2009-05-21 06:12:25 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 昨日20日に行われた裁判員の勉強会 ・「前夜」~秘密の中の裁判員制度~は、平日夜にもかかわらず、150人以上も参加、3時間にわたったシンポをほとんどの方が帰らず、最後まで聞いてくれた。しかも、質問が50通くらい(?)来ており(NPJで紹介予定)、関心の高さをものがたっていた。

 急きょ、行ったスティッカムによる生中継は、なんと無音声だったようで、本当にごめんなさい。出演者のなかには、裁判員候補者もおり、非常に盛り上がった議論になっただけに、申し訳ございません。

 しか~し、見逃した方、日本ビデオニュースがすべてを撮影してくれたので、間もなく、そちらにアップされるはずです。ぜひ、ぜひ、御覧ください。URLは、http://www.videonews.com/ です。(もし、見れなかったら、コメントください。問い合わせてみますので)


 冒頭の画面は、私が行った前座で使用したパワポの一つ。公判前整理手続きで、争点を絞り、証拠の採否を決定し、審理計画を立てる…こういっても何だか、いま一つ分からない。そこで、実際に、公判前整理手続きの結果、どのような審理計画が立てられるのかを紹介した。

 ここまでの「シナリオ」が決まったうえで、裁判員が舞台に登場することになるから、「裁判員の負担は軽いから大丈夫ですよ~」ということになるわけだが、ここまでのシナリオ、じゃなかった「審理計画」ができているものに参加することをどう、考えますか?

 しかも、審理計画をつくった裁判官3人とまったくそのような経過を知らない市民6人が判決をどうするか一緒に考えることになるが、この情報格差をどう考えるのか?

 そして、そして、判決の発表までに議論(評議)の結果がまとまらなかったら、どうするのか?いや、評議がまとまることを前提にした審理計画は、結果のわかっているドラマにならないのか?

 たとえば、証人尋問が30分となっていても、裁判員がもっとあれこれ聞きたいということになったら、それを途中で打ち切ってしまうのか?「そんな質問はもうやめてください」と裁判官が裁判員を止めるのか?

 やはり、謎だらけだ。

 施行された以上、実際に、どのようにこの制度が運用されていくか?はっきりいえば、シナリオの決まったドラマにするのか、それとも、生き生きとした証拠調べ、弁論などによって、刑事裁判が絶望的な状況(平野教授)から生まれ変わることができるのか?

 ぜひ、裁判員裁判を傍聴し、そのあたりを見て聞いて、そして、伝えてほしい。

 そして、裁判員になった方、あなた方は、一度しか、裁判官と討論をする必要はない。つまり、言いたいことを言い放って徹底的に議論をしても、なんら、あとを引くことはない。そのことを念頭に置いて有意義な評議を行ってほしい。そう、議論をつくせば、あとは、逃げることができるんだから。誤判をしたら、一生逃げられないのだから。





 
★キャンペーン中「私は、民主党が導入しようとしている政治家の相続税脱税防止規定(世襲防止強力対策)に賛同します。民主党がこの規定を実効的なものにすることを期待します」







【PR】









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

「前夜」~秘密の中の裁判員制度、明日午後7時、スティッカムで生中継も(予定^^;)

2009-05-19 17:19:10 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 昨日、20日に行われる裁判員の勉強会 ・「前夜」~秘密の中の裁判員制度~(情報下記再掲)をご紹介したところ、東京だと行けないという声をいただいた。市民の表現の自由を大切にしているNPJが共催している集会として、やはり、それは恥ずかしいだろうと思い、急きょ、スティッカムによる生中継(出演者の許可がとれない場合は、一部のみ。私の前座部分は少なくとも可能…「あっ、それはパス」とか言わないでね~)。というわけで、冒頭は、前座部分で使うパワポの一部。裁判員制度の概要を説明しつつ、謎の数々をご紹介し、熱い議論の導入となれば…という趣旨で行います。

 ステッィカムによる生中継は、ステッィカムのウェブサイト(http://www.stickam.jp/)で、「秘密の中の裁判員制度」もしくは「ヤメ蚊」で検索していただければつながるようにする予定です。

 何分初めてのステッィカムですし、マイクなどの機材が十分ではないため、おそらく画像的にも音声的にも不十分だとは思いますが、内容は面白いものになる予定です。

 近くば寄ってご覧ください、遠からん者はステッィカムでどうぞ…。

そうそう、ステッィカムは録画も見られますので、見逃した方はぜひ!

■再掲■

「前夜」~秘密の中の裁判員制度~

    5月21日、いよいよ裁判員制度が始まる。
    なぜこのような制度が始まるのか?
    誰が裁判員に選任されるのか?
    どのような議論を経て判決が下されるのか?
    核心は「非公開」のベールに包まれている。


~裁判員制度前夜、5月20日夜~
   秘密の中にある裁判員制度のパンドラの箱を開け、
   タブーなき議論を経て裁判員制度の真実に迫る。


●日時
  5月20日(水) 開演・19:00 開場・18:30
●会場
  立教大学 ・池袋キャンパス7号館 7101号室
●資料代
  500円 (学生 ・ NPJ賛助会員は無料)
   (NPJ賛助会員の方は受付でお申し出ください) ●参加者
  パネリスト
   ・ 斎藤貴男 (ジャーナリスト)
   ・ 泉澤  章 (弁護士、堀越事件弁護団)
   ・ 梓澤和幸 (弁護士)
   ・ 加藤  幸 (弁護士)
   ・ 裁判員候補者
  コーディネーター
   ・ 砂川浩慶
    (立教大学社会学部メディア社会学科准教授)
●共催
  ○立教大学 ・ 服部孝章ゼミ/砂川浩慶ゼミ
  ○社団法人NPJ
●協賛
  週刊金曜日







★キャンペーン中「私は、民主党が導入しようとしている政治家の相続税脱税防止規定(世襲防止強力対策)に賛同します。民主党がこの規定を実効的なものにすることを期待します」



【PR】









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

「前夜」~秘密の中にある裁判員制度のパンドラの箱を開け、タブーなき議論を経て裁判員制度の真実に迫る

2009-05-18 02:47:34 | 適正手続(裁判員・可視化など)
★裁判員制度施行前夜、仕事や学校からの帰りで十分に参加できる19:00スタート。裁判員制度の謎解きにぜひ、参加してみてください…なお、私は前座を担当する予定で~す★


「前夜」~秘密の中の裁判員制度~

    5月21日、いよいよ裁判員制度が始まる。
    なぜこのような制度が始まるのか?
    誰が裁判員に選任されるのか?
    どのような議論を経て判決が下されるのか?
    核心は「非公開」のベールに包まれている。


~裁判員制度前夜、5月20日夜~
   秘密の中にある裁判員制度のパンドラの箱を開け、
   タブーなき議論を経て裁判員制度の真実に迫る。


●日時
  5月20日(水) 開演・19:00 開場・18:30
●会場
  立教大学 ・池袋キャンパス7号館 7101号室
●資料代
  500円 (学生 ・ NPJ賛助会員は無料)
   (NPJ賛助会員の方は受付でお申し出ください) ●参加者
  パネリスト
   ・ 斎藤貴男 (ジャーナリスト)
   ・ 泉澤  章 (弁護士、堀越事件弁護団)
   ・ 梓澤和幸 (弁護士)
   ・ 加藤  幸 (弁護士)
   ・ 裁判員候補者
  コーディネーター
   ・ 砂川浩慶
    (立教大学社会学部メディア社会学科准教授)
●共催
  ○立教大学 ・ 服部孝章ゼミ/砂川浩慶ゼミ
  ○社団法人NPJ
●協賛
  週刊金曜日







★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

1審の考え方もあり得るところとして許容>合理的疑いを超える証明

2009-04-10 05:27:06 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 裁判員制度の実施を前に高裁の裁判官が、裁判員が関与して下された判決について控訴審でどのような審理・認定をするかについて研究をしている。その研究の成果が判例タイムズ1288号に掲載されているが(「裁判員制度の下における控訴審の在り方について」)、この中で、「控訴審が1審判決と異なる心証を抱いたとしても、直ちに破棄してきたわけではなく、1審の考え方もあり得るところとして許容される幅の範囲内と考える場合には、1審判決を維持してきたのであり、事実誤認として破棄するのは1審の判断が明らかに不合理な場合に限られていたのではないかとの指摘もある」と書かれている。

 う~ん、確か、「有罪」にするには「合理的な疑いを超える証明」が必要なはずだったよな…。最高裁の判例は、合理的な疑いについて、「通常人であれば誰でも疑いをさしはさまない程度に真実らしいとの確信」(昭和23年8月5日最高裁第一小法廷判決)という表現をしている。つまり、ほかの選択肢があり得ると考える場合は、無罪としなければならないということだ。

 ところが、高裁の裁判官は、高裁の判断は、たとえ無罪との心証を抱いても、1審の有罪の判決も許容される範囲だと考える場合には1審を維持してきたという…。

 もちろん、これまでの自分自身の残念な経験でもそのとおりだが、こうまで明確に言い切られるとやはり引っかかる。

 有罪方向と無罪方向では違う基準が必要なのではないだろうか?

 1審の無罪判決に対し、「どうも有罪のようだが、無罪という判断も成り立つな」というなら1審無罪を維持するのはかまわないが、1審有罪判決に対し、「どうも無罪のようだが、有罪という判断も成り立つな」という程度で、有罪判決を維持されるのは、合理的疑いを超える証明があったといえるのだろうか。

 というか、無罪のようだけど、有罪もありうるという場合に有罪にすることができるのは、いったい、どのような信念に基づくのだろうか?

 何を今更、と言われるかもしれないが、立証責任は被告人にはないんだ、という原則を踏まえた認定をしてほしいし、少なくとも建前ではそのような議論をしてほしいところだが…。



【PR】







★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

すべての司法関係者に読んでほしい司法スタンプラリー経験者の投稿~印刷して張り出してほしい

2009-03-18 07:31:22 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 司法スタンプラリーに参加したと言われる方から、とっても貴重と思われるコメントを寄せていただいたので、ご紹介します。辛口ですが、このコメントに真摯に向き合うことができるかどうかが、司法の信頼を得られるかどうかの鍵でしょう。市民を見下してはだめってこと。

■■引用開始■■


昨年、司法スタンプラリーというのに参加して、司法って、怖いなと思いました。近寄りたくありません。(近寄らざるを得ないので近寄っています泣)

検察庁の広報ビデオは、これでは起訴されたら絶対有罪になってしまうと感じる内容でした。
(起訴を決める期間は非常に短いのに、日本の裁判はどうして長い時間がかかるのですか? )

家裁でもビデオの内容がおかしかったです。
恐喝された中学1年生の母親の証言で「怖くて修学旅行に行けなかった」というので、「半年程度で終わるという説明だったのに、おかしいですね(まさか母親が嘘をついている設定ではないだろうし)」と指摘したら、誤りを認めてもらえず、逆に高圧的な態度をとられたので、びっくりしました。最後に案内役の弁護士さんが、「中1で修学旅行に行く学校なんですかね? 」と切り上げてくれました。《ヤメ蚊注:ここは少しわかりにくいが、家裁の担当者から「少年事件が半年ほどで終わる」という説明があったので、コメント投稿者が「中1の被害者について中2で行く修学旅行のことを話題にするような設定は不自然ではないか?」という趣旨の指摘をしたところ、逆ギレされた、ということのようですね》

地裁の見学では、「法服着ますか? 」と言われて、コスプレをしたいわけでないし、白けました。
本当に少しでも司法について知りたいと思っているのに、馬鹿にされているような気がしました。
(誰も質問しないのに「黒いのは、何色にも染まらないからとも言われています」と説明がありましたが、理由のはっきりしないことを言う必要はないと思いました。既に黒く染まっているという説明だって成り立ちます。思うに、黒は改まった場所や権威を感じさせる場合にふさわしい色だから、なのではないでしょうか?)

嫌になったので、被告席に座ってみたら、「そこは普通座らないところですよ」と言われました。《ヤメ蚊注:「被告人席」が正確。民事は「被告」、刑事は「被告人」。新聞がどっちも「被告」っていうから混乱する人が多い。これも民事と刑事の区別さえつかないようにしてしまえっていう魂胆?》

裁判員制度についてのDVDもいただきましたが、「それでもぼくはやってない」の方が、意味があるのではないかと思いました。

弁護士会館では日弁連の作成したマンガを2冊いただきました。1冊は法学を学んだ裁判員が何日も一生懸命考えたことを発言すると、裁判官が実はこれから説明しようと思っていたところですと言う内容で驚きました。
もう1冊は裁判員の素朴な質問が重大な決め手になるというストーリーでしたが、検察官や裁判官が気がつかなくてどうするのと感じました。

結局、裁判官の判断を世間に承認させるために裁判員制度が利用されるのかなと思いました。それより裁判官は、自分で判断することに集中した方がいいと思います。私が被害者だったら、事件の裁決に素人に混ざってほしくありません。
裁判員の負担も大きすぎると思います。偉い人が「試行錯誤しながら定着すれば……」と言っているのを新聞で読みましたが、本番を「試行」にする以前に、もっと慎重に導入を検討すべきだったのではないでしょうか?

なぜ、こんなことになっているのですか? 「知らなきゃ判断できない」ので、そのうち、分かりやすく説明してください。

■■引用終了■■

「知らなきゃ」人は裁けない!

 最高裁、法務省、日弁連は、分かりやすく説明する義務を負っている。もちろん、バカにするような分かりやすさっていう意味ではない。







【PR】







★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。

警察が取調べを録画できないのは、身柄拘束状態を利用した情報収集ができなくなるから?!

2009-03-14 11:17:17 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 警察庁刑事企画課所属の担当者が、警察時報4月号において、取調べの全面可視化(取調べ状況をすべて録画すること)に反対する理由として、「組織犯罪の検挙、情報収集が困難になる」と説明していることが分かった。組織犯罪という限定をつけてはいるが、このような説明を聞くと、取調べの現場では、「情報提供すれば、今回の件は故意ではなく、過失だったことにしてやるから…」などというやりとりがなされているのだろうな…と想像してしまう。逮捕された者から第三者の犯罪に関する情報提供を得ること自体は、本人が任意に話すのであれば、問題はないだろうから、本来は、録画してもかまわないはず…。それが録画できないというのは、明らかに、通常の聞き方をせず、私が想像するような取調べが行われているからではないのだろうか。

 問題の論考は、「警察における取調べの一部録音・録画について」と題するもの。可視化(録音・録画)することによって、「取調べの機能が大きく阻害される理由」として、

1:被疑者との信頼関係の構築が困難となる
 (時間をかけて被疑者と信頼関係を構築することで真実の供述を引き出すことが重要だが、録画・録音すれば、被疑者が第三者に知られることを意識して、人間的な信頼関係を構築することが困難となる、ということのようだ)

2:組織犯罪の検挙、情報収集が困難になる
 (取調べでは犯罪の組織的背景を聞き出したり、内部告発的な供述を得ることも重要であるが、被疑者が取調べの状況を第三者に知られることを意識するようになれば、仲間からの報復や組織内での信用の失墜を恐れるようになり、そうした供述を得ることも極めて困難になる、ということのようだ)

3:第三者のプライバシーが侵害される
 (犯罪立証には必ずしも関係のない、被疑者等の第三者のプライバシーに関する情報が不必要に公判において晒される危険もある、ということのようだ)

の3つを挙げている。


 しかし、1~3のいずれの理由に対しても、利益を誘導したり、騙したりして、自白の任意性に問題があるような取調べをしさえしなければ、録音・録画したものを再生することはないのだから、まったく問題がないと反論することができる。警察側の可視化反対には説得力がないというほかない。

 で、それだけで放置できないのは、警察庁企画課が、2のような主張をすることだ。この主張は、冒頭で述べたとおり、利益誘導型取調べがなされていることを警察が自ら認めるようなものだと思う。

 「なぁ、お前、あの池袋の殺人事件、知ってるだろう。あの事件に関係ある者を知っていたら教えてくれ。教えてくれたら、この件は不起訴にするよう検察官に頼んでやるから」

 ていうのはまだましなほうで、

 「お前、チャカ(けん銃)扱ってる奴を知らんか。最近、上がけん銃を押さえるよううるさいんや。いやね、チャカ所持で挙げる必要はないんや。ただ、ロッカーなんかで見つかってもいいんや。どうや」

 などと言って、けん銃の押収を演出するとか、

 「お前の近所で殺人事件があったやろ。そのときに、黒い服を着た男性がいたのを目撃した人がいるんやけど、お前見ていないか。この捜査に協力したら、この件はうまくやるように検事さんに言ってやれるんだけどなぁ」

 などと言って、見てもいない事件の証人にさせてしまうとか、いろんな状況が頭に浮かんでくる。

 可視化できないのは、できないなりの事情があるわけだが、警察庁企画課担当者の論考で、警察の違法捜査を覆い隠したいということがその事情の1つであることが明白となった。

 こういう取調べを前提としつつ、裁判員になることについて、あなたはどう考えますか?



★なお、まったく違うテーマですが、ミサイル迎撃ミサイルSM3がいかにばかかしい税金の無駄遣いとなりかねないかを図解した記事(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/345c8c44e718241df327374b94934861)を書いたことがあるのですが、そのときSM3の高度が議論になりました。このたび、産経新聞が「SM3の迎撃可能な高度は100キロ程度」と明記したため(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090313/plc0903130000000-n3.htm)、私の図解が正しい可能性が大きくなりました。費用対効果の点からいってもまったく不明確なこんな兵器に1兆円もかけようとしている。



【PR】







★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。なお、多忙につき、試行的に、コメントの反映はしないようにします。コメント内容の名誉毀損性、プライバシー侵害性についての確認をすることが難しいためです。情報提供、提案、誤りの指摘などは、コメント欄を通じて、今後ともよろしくお願いします。転載、引用はこれまでどおり大歓迎です。