tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

臭ければいいってもんじゃないだろう…トップバリュの豚骨ラーメン

2016-04-24 23:00:00 | 物申す
夕食にインスタント袋麺の豚骨ラーメンを食べようと思った。
トップバリュの「なめらかな細麺 豚骨ラーメン」。
実家で賞味期限が切れそうだったのをレスキューしてきたものである。

麺の上に盛る具材として、フライパンで豚肉、キャベツ、もやし、舞茸を炒め、
それとは別に鍋でお湯を沸かし、麺を茹でた。
茹で上がった麺を丼にあけ、そこに、別添の小袋の粉末スープと「調味オイル」なるものを入れた。

ところが、この「調味オイル」のあまりにも臭すぎること。

豚骨ラーメンが臭うのは知っているが、「旨味の醸し出すニオイ」ではなく、
「臭さだけが取りだされ、強調されたニオイ」なのだ。

熱さでそのニオイの立ち上りに拍車がかかるから、比喩ではなく、本当に吐きそうになった。
ウッと、えずいた。
盛って数秒後にはもう「捨てよう」と決めた。夜闇にまぎれて、裏の空き荒れ地に撒いた。
明日には小麦粉のちぢれ麺を鳥が喜んで啄むだろう。
鍋や部屋に「残り香」を嗅ぎ取ってしまうことすら耐え難く感じたので、
すぐさま鍋を洗剤液に浸し、家中の窓という窓を開けまくった。

料理したものをひと口も食べずに捨てたのは、実に10年以上ぶりである。
前もニオイが原因で捨てた。
パスタに和えて使う粉末のソースだったが、これも吐きそうなくらい臭かった。
「バジル&チーズ」風味を謳っていたのだが、
チーズの臭さばかりが強烈にアレンジされたニオイだった。

どちらも共通するのは、即席調理用の粉末やタレなど、「人工的に合成された臭い」ということだ。
研究開発者の「豚骨はこういうニオイがするもの」「チーズはこういうニオイがするもの」という思い込みが、
ここまでデフォルメされ、暴走してしまうのか…という恐ろしい事例であったとも言える。
ラボの中で様々な化学成分をいじくり回しているうちに、
彼らの鼻もきっとバカになってしまったのではないか。

ともあれ、この商品は、今後一切、我が家には「出入り禁止」である。

<後日追記>
裏の空き地に撒いたはいいが、撒き方がうまくいかず、
麺がそれとわかるくらいまとまったまま地面に落ちてしまった。
一応不法投棄なのだから、あまり露骨に痕跡が残っているのはまずい。
…と心配したのもつかの間、翌朝には見事に跡形もなくなっていた。
鳥たちの目ざとさ、食欲の深さは、侮れない。


テレビの「使えるこの機能」

2016-04-23 13:45:35 | 雑感
テレビはHDDレコーダーへの録画で見ることがほとんどになった。

放送時間に体が空いていても、敢えて録画してから見る。
録画なら、CMを飛ばすことが可能なのはもちろん、
見逃したり聞き逃したりしても、それに、居眠りして意識がなくなってしまっても、
場面をプレイバックすることができる。
「VTR部分は面白いが、それを受けるスタジオトーク部分はつまらない」という番組は、
スタジオ部分をまるごとカット(早送り)できる。
だから僕にとって、「大改造!!劇的ビフォーアフター」に所ジョージは出ていないし、
「情報7days ニュースキャスター」にゲストは出ていない。ビートたけしはちょこっと出てるけど。

また、大事なのは僕のテレビ(東芝REGZA)についている「速見速聞き」機能だ。
(メーカーは「早見早聞」機能と謳っているが、漢字の「早い」と「速い」の本来の使い分けから言えば、
「速」の漢字を当てるべきだろう)
音声も充分聞き取れる1.5倍速の再生。
バラエティーや情報番組はほとんどこの機能で見る。
そうすると、CMカット、スタジオ部分カットも相俟って、本来の放送時間の半分くらいで見られる。

実に「使える機能」だと思う。

次にテレビを買い換えるときも、画質とか音質とかよりもまず、この機能が備わっている機種
(しかも、僕のREGZAがそうであるように、リモコンボタンの一押しだけでその操作ができる機種)
を選ぶことになるだろう。

ちなみに、映画を録画で見るときは、一応、映画作品への敬意として、
この機能は使わないことをポリシーとしている。
ただし、過去に何本かの映画で、退屈さ・冗長さ・つまらなさに耐え切れず、
途中からこの機能を使ったことがある。
僕にとっての映画の「駄作」とは、「速見速聞きボタンを押さずにはいられない作品」のことである。


映画は字幕派?吹き替え派?

2016-04-22 15:40:06 | 雑感
映画は字幕派だ。

わざとらしい吹き替え、合わない吹き替えが付いているとちょっと耐え難い。
テレビでやる映画も、音声を原語に変えて、「字幕放送」をONにして、字幕で見る。

原語と吹き替えを聞き比べるとよくわかるが、
吹き替え版は実際の役者より声を甲高くし、テンションも高くしていることが多い。
実際の役者はボソボソ…といった感じでしか喋っていないのに、
吹き替えだと抑揚がたっぷりつけられる。
そんな風に芝居がかって煽られたトーンより、落ち着いたトーンの方が好きだ。
それに、FBIの捜査用語など、声で聞くより熟語を目で見せられた方が通りがいいことも多いし。

しかし、唯一「これは吹き替えで見ないと」と思うのは、『刑事コロンボ』シリーズだ。
小池朝雄の吹き替えがあまりにもハマりすぎていて、
地のピーター・フォークの声を聞くと(結構な濁声・潰れ声だ)むしろ違和感を覚えてしまう。

そんな「映画は字幕派」の僕も、声優という仕事のプロフェッショナルぶりにはとても敬意を表している。
声だけで表情をつけなくちゃならない、魂を吹き込まなきゃいけないという意味では、
俳優よりもよっぽど高度な演技力が求められると思う。
そこら辺のタレントが「ゲスト声優」として“ぽっと出”でこなせるようなものじゃ到底ない。
あれって本当に、声優に対しても観客に対しても失礼な話だよな、と思う。


コピーロボットがあれば何したい?

2016-04-15 14:50:38 | 雑感
自分の分身。

分身だから大事にしなきゃいけない。
嫌なこと、面倒なことを一方的に押しつけたりなんかしちゃいけない。

望むのは「チームワーク」「連帯」だろうか。

引越しで重い家具を一緒に運ぶ時、息はぴったり合うはずだ。
僕が洗剤で茶碗を洗うときは、隣ですすぎ洗いをしてもらう。半分の時間で済む。
ジョギングをする時は互いが互いのペースメーカーになる。
旅に出る時は、セルフタイマーを使わずに自分の写真を撮れる。
なんか体を動かしたいんだよね、という時は、
バドミントンとかテニスの乱打とかキャッチボールの相手になってもらう。
足裏とか背中とか、自分の手では満足にできないような場所をマッサージしあう。
試験勉強をする時は、片方が出題者、片方が回答者役となって、効率よく学ぶ。
自分の仕草や所作の客観的なチェック役になる。
「お前の歩き方の姿勢、なんだか変だぞ」「お前のあの電話応対、なんだか変だぞ」などと。
悩み事がある時は、片方が喋るなら、片方は聞き手になる。

しかし、なにより大事なことは、「孤独」に悩まされることがなくなる点だ。
変な話だが、自分が病で余命幾ばくもなくなってしまっても、苦しみは和らぐかも知れない。

…いいね。そういうの、ほんとに欲しくなってきた。


安心感

2016-04-14 18:14:34 | 今日の出来事
どうしてなんだろうか。
深夜・早朝覚醒がおさまらない。

この晩も3回くらい目覚めたと思う。
1回目は悪夢で。自分が「理不尽な何か」に激昂していた。
「人名の誤り」に起因するもののようだったが、詳細はもはや思い出せない。
2回目は不快夢で。「不快夢」というのは僕の造語だが、
たとえば、部屋中にぶちまけた豆粒を全部きれいに拾い集めたと思ったら、
その入れ物をまたひっくり返してしまい、あらためて拾い直さねばならなくなった…
みたいな、シチュエーションがとにかく面倒臭く、うんざりするような夢である。
ただ、この夢の詳細ももう思い出せない。
1回目・2回目は目覚めてもまたすぐに眠りに落ちた。
3回目は尿意で。いや、たいした尿意ではないのだが、眠りの浅さとリンクすると、
覚醒につながってしまうようである。仕方ないのでトイレに行ってみる。
そうやって一度体を動かしてしまうと、意識が明瞭になってしまい、
この頃になると窓の外もうっすら明るくなってくるので、眠るに眠れなくなってしまう。
そういう時は、布団にもぐりこんだまま、過去の「あること」を執拗になぞり返してしまう。
(情けないし、みっともないので、人には言いたくないようなある出来事である)
何か別の新しいことを考えるより、その「あること」をなぞり返すルーティーンに忠実であるほうが、
「安全」であるかのような思い込みがある。
決して前向きな志向ではないので本来はやめるべきなのだが、「低位安定」状態とでもいうのか。

彼女が来てうちに泊まる晩がある。
自分の布団は彼女に使ってもらい、僕はその隣にこたつ布団をアレンジして眠る。
寝心地は決してよくないはずなのに、そして実際、やはり僕は深夜に覚醒するのに、
大きくは眠りが中断しない。

これが「安心感」というものなのだろうか、と思う。

自分一人では止められなくなる覚醒の暴走が、横にいる彼女のお蔭でなだめられる。
いや、寝ている彼女に自然と気を遣い、「リラックスしたままでいよう」と、
自ずから鎮静化していくのかも知れない。

彼女は独特な寝相を見せることがある。
「バンザイ」をするように両手を頭の上・枕の上に投げ出すのだ。
朝起きると背骨に痛みをおぼえることもあるんだよね、という。
その寝相はどこか開放的で、なんだか微笑ましい。

それを見て、僕は小さく安心して、もう一度眠りに戻ることができる。