tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

道を歩いていて人をよけるときに「反射的に壁側に寄ってしまう」人

2012-10-11 23:17:26 | 物申す
最近立て続けに起こったので印象に残っているのだが、
世の中には、道を歩いていて対向の人とすれ違いざまによけるときに、
「余裕のある方」ではなく、「壁のある方」によけてしまう、という人がいるようだ。

一例はこう。
僕が道で壁沿いに(壁でなくともいい。生垣沿いでも店先沿いでも)歩いていて、
明らかに僕の壁側より道路中心側の方が空いているのに、
そして、その人もどちらかと言うと道路中心側を歩いているのに、
なぜか、すっと壁側に寄ってくるのである。

別の例はこう。
一群のメンバーが歩いてきて、その塊が道路中心寄りを歩いているので、
僕はその塊をよけて壁側を選んで歩いているのに、
メンバーのうちのひとりがなぜか、わざわざ塊から離れて、
僕の側、つまり壁側に寄って道を開けようとするのである。

どちらの例でも、「えっ?こっちはよけて壁側に寄っているのに、
なんでわざわざ同じ側に寄って来るの?」と
戸惑ってしまうため、よけるのも不自然になる。
すると彼らは、ものすごい恐縮してお辞儀をして見せたり、
(時に「すみません」とまで言ったり)、あるいは、
壁にへばりつかんばかりの勢いで大仰に道を開けるのだ。

…ならば、最初から「余裕のある側」によければいいじゃない?

彼らは大概、「俺(私)が通るんだ、道を開けろ」というつもりで
こちらの正面に仁王立ちしてくるわけではない。そういう悪意はないのだ。
どうやら「よける時はどんな時でも壁側に寄る」というのが体に染み付いているらしいのだ。

なんとも「不器用」と言わざるを得ない。
よけたつもりが、逆に邪魔になっている、裏目の結果を招いているわけだから。

しかも、壁側にぴったり寄る時の彼らの、あの、なんとも哀れみを帯びた卑屈な様子…

きっと、瞬間的な、反射的な反応だから、
その人の「動物」としての生き様がありありと表れてしまうのだろう。
彼らはきっと「何かあったらさっと物陰に身を寄せる」生き方をしてきてしまったのだ。
…ちょっと言い過ぎか。

もっと堂々と前を向いて歩け。そして、状況を的確に捉えて、適切な判断をしろ。

そう言いたい。

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ 

婚活の現在(2)「伝言サービス」の人

2012-10-11 15:51:41 | 雑感
現在、婚活サイトにて進展が望めそうな人は皆無。なんとかせねばならない。

いろいろな人にせっせとメールを送っている。
「種を蒔く」とか「釣糸を垂れる」とかいった比喩が思い浮かぶけれど、
“収穫”を舌なめずりして待っているようなあざとさが出てしまうので、
「花束を贈る」とでも言っとこうか。とにかく、地道に花束を贈り続けている。

自分の写真を見せているのがその一番の理由だと自分では思っているが、
(でも伏せたってしょうがない。自分だって相手の写真は判断の決め手になる)
返りは少ない。

大概は「返事なし」の反応。
定型のお断りメールを送ってくる人が何人か。
自分の言葉で断ってくる人も何人か。

ただ、昨日は初めての経験をした。

僕の登録しているサイトには、サイトの運営者(ここでは仮に“当局”と呼んでおく)
が「あなたに代わって相手に伝言を伝えます」という機能があるのだが、
その「伝言」機能で断ってきた人がいたのだ。

要するに、“当局”がA子さんになりかわって
「A子さんはあなたにお断りの意思を示しています」と返事を寄越してきた、
ということだ。

びっくりした。

「伝言」機能があるのは知っていたが、本当に使う人がいるとは思わなかった。

大の大人がスキ・キライを人に頼まなきゃ伝えられないというのは
何かのジョークのように思えたし、その機能自体が逆説的な存在
(つまり、「私は誰かに頼まないと意思表示もできないような人間です。
まともな婚活はできません」と告白するようなもの)だと思っていた。 

万が一使うにしても、なんらかのトラブルに巻き込まれそうになって、
「間に代理人を立てる」みたいな意味合いで使うのかと思った。

ただ単に「お断りする」だけの目的
(それは「返事をしない」、つまり「何もしない」ことでも充分に達成できるのに)
で使う人がいるとは。

この違和感はどう説明したらいいんだろう?

男女の交際という極めてプライベートな空間に、
アカの他人の“当局”を軽々と持ち込む安直さ、無粋さ、幼稚さ。
あるいは、「どうせ断る相手なんだからテキトーに」という、
怠惰さゆえなのか、開き直りゆえなのか。
それとも、「システム化された婚活」に毒されてしまっているのか。

僕にとっては、その未熟さにおいて、「就職活動の説明会に親が参加」というのと
同じ文脈に思えるのだが、これってわかってもらえるものなんだろうか?

こういうことが結局、「価値観の差異」ってことなんだろうな、と思う。

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ