脚本 塙五郎、監督 辻理
小学校の同窓会に出席した船村は、当時の記念写真を見ていて、ある同級生が来ていないことに気づく。「今頃どこでどうしているのか・・・」と、旧友たちと語り合う船村のもとに、特命課から緊急の電話が入る。「若い娘の絞殺死体が発見された」との報せに、船村は中座して現場に向かう。
被害者を絞殺した縛り方は、5年前に起こった未解決の連続絞殺事件と同一であり、軍隊独特の縛り方であることから、船村と同世代の犯行と思われた。所轄署で5年前の事件を調べた桜井は、一人だけ絞殺魔に襲われながら生き残った女がいたことを知る。女を訪ねた桜井は、その証言に違和感を覚える。
その後も絞殺魔は犯行を繰り返す。5年前と同じく、被害者は少女ばかりで、いずれも売春していたことが判明。絞殺魔は少女たちの客だった可能性が強まる。そんな中、若作りして夜の街を巡回していた高杉婦警は、被害者の一人に売春を斡旋していた大学生を発見。少女と売春した客の名前を聞き出そうと大学生を連行するが、記憶は曖昧で有効な証言は得られない。
一方、被害者の一人が売春した動機を調べていた橘は、「保険外交員をしている母親のためだったのでは?」との推測。橘にその推測を突き付けられた母親は愕然とする。被害者の手帳に残されていた客の名前は、すべて母親の保険の契約者と合致していたのだ。最も怪しい犯行直前の契約者は、50年配の初老の男だった。船村はその名が同窓会に出席しなかった同級生のものと一致したことに驚くが、同一人物かどうかは判然としない。
契約者名簿に勤務先として記された会社には、該当者はいなかった。念のため、50年配の社員のリストを確認したところ、その中には桜井がマークする女性と同姓の男がいた。「二人は元夫婦で、保険の契約時には本名を、会社では妻の姓を名乗っているのでは?」そう推測した船村と桜井は、偶然を装って二人を会わせることを画策。だが、出会った二人の表情を見る限り、かつて夫婦だったとは思えなかった。
それでも二人をマークし続ける特命課。女性は港町の古びた民家に入っていく。そこはかつて、離婚した夫や行方不明となった一人娘とともに暮らした家だった。家に入ったきり、日が落ちても灯りも点けないため、不審に思って踏み込んだところ、女性は自殺を図っていた。寸前で保護した女性から事情を聞く神代。男はやはり、女性のかつての夫だった。男は数年前、愛情ゆえに厳しく育てた一人娘が非行に走ったのを咎め、口論になった際に、はずみで娘を殺してしまった。男は娘の死体を埋め、女性とは離婚し、新しい生活を始めた。だが、それ以来、娘と同世代の少女が身を売ろうとしているのを見ると、殺意を抑えきれなくなった。それこそが連続絞殺の動機だったのだ。5年前、事情を知った女性が男と一緒に自殺を図ったことで、事件は一端ストップした。そして、今、何かのはずみで再び男の殺意に火が点いたのだ。
一方、男は尾行を振り切って行方をくらます。大学生をマークし続けていた高杉が男を発見。大学生に伝言を頼み、男に接近を図る。すぐに高杉婦警を追う特命課だが、大学生からの伝言が曖昧であり、まずは盛り場で大学生を探さねばならない。その間、男とラブホテルに入った高杉が危機に陥る。気絶した高杉の首を絞めようとした矢先、男は高杉のバッグから飛び出したハガキを目にする。それは故郷の父親の健康を気遣うものだった。絞殺を断念し、立ち去ろうとする男だが、そこに特命課が踏み込んでくる。飛び降り自殺を図る男に、船村が呼びかける。「俺を覚えているか?小学校で一緒だった船村だ!」一瞬、懐かしそうな笑顔を浮かべたように思えたが、次の瞬間、男は身を投げる。呆然と立ち尽くす船村。男は本当に同級生だったのか、もはやそれを確かめる術はない。
脚本が塙五郎、演出が辻理、主演がおやっさんで、ゲストが織本順吉。これだけ条件がそろえば傑作にならないはずがないと期待していたところ、期待に違わぬ、いや期待以上の救いの無さに、視聴後に思わず呆然としてしまいました。
ラストで見せた、織本順吉とおやっさんの表情。そこには、今回の脚本が提起する問題が凝縮されています。戦争を経験した世代と、戦後生まれの世代との間の、どうにも越えがたい道徳観や人生観の違い。一方の世代はその違いに苦悩し、もう一方の世代はその違いを笑い飛ばす。どうしてこんな世の中になったのか?アメリカのせいか?東京裁判のせいか?GHQのせいか?戦後のマスメディアのせいか?教育現場の歪みのせいか?食生活の違いのせいか?誰かに責任を帰することはできないが、だからといって誰もが無責任でいて本当に許されるのか?答えの無い問いかけを続けるしかない虚しさが、今回のドラマの奥底に流れているように思えます。
なかでもドラマの白眉、というか脚本のメッセージが端的に示されているのが、ドラマ中盤、被害者に売春を斡旋した大学生を尋問するシーンです。悪びれもせず捜査を茶化すような態度の大学生。「娘に死なれた親の気持ちを考えたことがあるのか?」とおやっさんに問われ、こう答えます。「そもそも親が悪いの。あんまり生活が苦しいから、あの娘が『生活保護を受けたら』って言ったのに、あそこの親父は『他人に迷惑をかけたくない』って格好つけちゃってさ」怒りをこらえて「それと、売春とどんな関係がある?」と問うおやっさんをバカにしたように「要するに、融通が利かないんだよね。うちの親父も同じ。自分がどれだけ苦労したかを自慢して、楽に生きることを不真面目みたいに言う。世の中が変わったのに、ついていけないんだよ」と毒づく。激昂したおやっさんは大学生を張り倒し「保護を受けないで頑張っている人間の気持ちが、貴様なんかに分かってたまるか!世の中、楽をしたい人間ばかりじゃないんだ!」もっと殴ってくれ、おやっさん。
「苦労は買ってでもしろ」というのは、もはや寝言に過ぎないのか?「いかに楽して生きるか」を教えるのが親の役目だとでも言うのか?もちろん、子供は親の所有物ではなく、自分で自分の生き方を選ぶ権利がある。しかし、そんなことは人の道を踏み外すことなく、自分自身の力で人生を歩いてから抜かせ!親の脛をかじって遊び暮らしていながら、ぬけぬけと言えるような台詞か!
・・・妙に感情的になるあまり、いつになく長くなってしまいましたが、傑作選DVDはおろか、ファンが選ぶベストエピソードベスト100からも漏れていようとも、私的には忘れられない一本です。
小学校の同窓会に出席した船村は、当時の記念写真を見ていて、ある同級生が来ていないことに気づく。「今頃どこでどうしているのか・・・」と、旧友たちと語り合う船村のもとに、特命課から緊急の電話が入る。「若い娘の絞殺死体が発見された」との報せに、船村は中座して現場に向かう。
被害者を絞殺した縛り方は、5年前に起こった未解決の連続絞殺事件と同一であり、軍隊独特の縛り方であることから、船村と同世代の犯行と思われた。所轄署で5年前の事件を調べた桜井は、一人だけ絞殺魔に襲われながら生き残った女がいたことを知る。女を訪ねた桜井は、その証言に違和感を覚える。
その後も絞殺魔は犯行を繰り返す。5年前と同じく、被害者は少女ばかりで、いずれも売春していたことが判明。絞殺魔は少女たちの客だった可能性が強まる。そんな中、若作りして夜の街を巡回していた高杉婦警は、被害者の一人に売春を斡旋していた大学生を発見。少女と売春した客の名前を聞き出そうと大学生を連行するが、記憶は曖昧で有効な証言は得られない。
一方、被害者の一人が売春した動機を調べていた橘は、「保険外交員をしている母親のためだったのでは?」との推測。橘にその推測を突き付けられた母親は愕然とする。被害者の手帳に残されていた客の名前は、すべて母親の保険の契約者と合致していたのだ。最も怪しい犯行直前の契約者は、50年配の初老の男だった。船村はその名が同窓会に出席しなかった同級生のものと一致したことに驚くが、同一人物かどうかは判然としない。
契約者名簿に勤務先として記された会社には、該当者はいなかった。念のため、50年配の社員のリストを確認したところ、その中には桜井がマークする女性と同姓の男がいた。「二人は元夫婦で、保険の契約時には本名を、会社では妻の姓を名乗っているのでは?」そう推測した船村と桜井は、偶然を装って二人を会わせることを画策。だが、出会った二人の表情を見る限り、かつて夫婦だったとは思えなかった。
それでも二人をマークし続ける特命課。女性は港町の古びた民家に入っていく。そこはかつて、離婚した夫や行方不明となった一人娘とともに暮らした家だった。家に入ったきり、日が落ちても灯りも点けないため、不審に思って踏み込んだところ、女性は自殺を図っていた。寸前で保護した女性から事情を聞く神代。男はやはり、女性のかつての夫だった。男は数年前、愛情ゆえに厳しく育てた一人娘が非行に走ったのを咎め、口論になった際に、はずみで娘を殺してしまった。男は娘の死体を埋め、女性とは離婚し、新しい生活を始めた。だが、それ以来、娘と同世代の少女が身を売ろうとしているのを見ると、殺意を抑えきれなくなった。それこそが連続絞殺の動機だったのだ。5年前、事情を知った女性が男と一緒に自殺を図ったことで、事件は一端ストップした。そして、今、何かのはずみで再び男の殺意に火が点いたのだ。
一方、男は尾行を振り切って行方をくらます。大学生をマークし続けていた高杉が男を発見。大学生に伝言を頼み、男に接近を図る。すぐに高杉婦警を追う特命課だが、大学生からの伝言が曖昧であり、まずは盛り場で大学生を探さねばならない。その間、男とラブホテルに入った高杉が危機に陥る。気絶した高杉の首を絞めようとした矢先、男は高杉のバッグから飛び出したハガキを目にする。それは故郷の父親の健康を気遣うものだった。絞殺を断念し、立ち去ろうとする男だが、そこに特命課が踏み込んでくる。飛び降り自殺を図る男に、船村が呼びかける。「俺を覚えているか?小学校で一緒だった船村だ!」一瞬、懐かしそうな笑顔を浮かべたように思えたが、次の瞬間、男は身を投げる。呆然と立ち尽くす船村。男は本当に同級生だったのか、もはやそれを確かめる術はない。
脚本が塙五郎、演出が辻理、主演がおやっさんで、ゲストが織本順吉。これだけ条件がそろえば傑作にならないはずがないと期待していたところ、期待に違わぬ、いや期待以上の救いの無さに、視聴後に思わず呆然としてしまいました。
ラストで見せた、織本順吉とおやっさんの表情。そこには、今回の脚本が提起する問題が凝縮されています。戦争を経験した世代と、戦後生まれの世代との間の、どうにも越えがたい道徳観や人生観の違い。一方の世代はその違いに苦悩し、もう一方の世代はその違いを笑い飛ばす。どうしてこんな世の中になったのか?アメリカのせいか?東京裁判のせいか?GHQのせいか?戦後のマスメディアのせいか?教育現場の歪みのせいか?食生活の違いのせいか?誰かに責任を帰することはできないが、だからといって誰もが無責任でいて本当に許されるのか?答えの無い問いかけを続けるしかない虚しさが、今回のドラマの奥底に流れているように思えます。
なかでもドラマの白眉、というか脚本のメッセージが端的に示されているのが、ドラマ中盤、被害者に売春を斡旋した大学生を尋問するシーンです。悪びれもせず捜査を茶化すような態度の大学生。「娘に死なれた親の気持ちを考えたことがあるのか?」とおやっさんに問われ、こう答えます。「そもそも親が悪いの。あんまり生活が苦しいから、あの娘が『生活保護を受けたら』って言ったのに、あそこの親父は『他人に迷惑をかけたくない』って格好つけちゃってさ」怒りをこらえて「それと、売春とどんな関係がある?」と問うおやっさんをバカにしたように「要するに、融通が利かないんだよね。うちの親父も同じ。自分がどれだけ苦労したかを自慢して、楽に生きることを不真面目みたいに言う。世の中が変わったのに、ついていけないんだよ」と毒づく。激昂したおやっさんは大学生を張り倒し「保護を受けないで頑張っている人間の気持ちが、貴様なんかに分かってたまるか!世の中、楽をしたい人間ばかりじゃないんだ!」もっと殴ってくれ、おやっさん。
「苦労は買ってでもしろ」というのは、もはや寝言に過ぎないのか?「いかに楽して生きるか」を教えるのが親の役目だとでも言うのか?もちろん、子供は親の所有物ではなく、自分で自分の生き方を選ぶ権利がある。しかし、そんなことは人の道を踏み外すことなく、自分自身の力で人生を歩いてから抜かせ!親の脛をかじって遊び暮らしていながら、ぬけぬけと言えるような台詞か!
・・・妙に感情的になるあまり、いつになく長くなってしまいましたが、傑作選DVDはおろか、ファンが選ぶベストエピソードベスト100からも漏れていようとも、私的には忘れられない一本です。