ときぶーの時間

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柿の実に。

2014-11-02 06:22:30 | 日記
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松村直登のブログ 「警戒区域に生きる松村直登の闘い」 

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NO705
今回、松ちゃんの所へ行った時に、少し驚いたことがあった。

家の下の牧場の餌やりを終え、帰還困難区域の牧場へと移動する前に、みなさんから支援頂いたふすまを使う分だけトラックに残し、その他を備蓄しようと松ちゃんは倉庫に入れに行った。


家に戻って来てから少し休憩を取ったのだが、松ちゃんはいきなりモモコの柵の前の柿の枝を引き、たわわに実る柿の実を一つ握りぐいッと、さらに引っ張った。

「ぱきっ」と音がしたと思ったら、弓のようにしなっていた柿の枝が小さな放物線を描き、青い空目掛け戻って行き、しばらく揺れた。


手にした柿の実を両手で擦り松ちゃんは一気にがぶりと噛んだ。
「???」と、僕の目は点になった。

彼の友人の理学博士にも以前「松村さん、内部被ばくを避けるために警戒区域内のものは、なるべく食べないで下さい」って言われ、ずっと守っていたからだ。
その掟破りの姿に一瞬怯んだ僕だった。

少し経って気を取り直して僕が言った言葉は「松ちゃん、どう?甘い?」
すぐに戻って来た言葉は「うん、甘い」
「食べて大丈夫?」
「少しは(セシウム)入ってっぺ~」
「・・・・・」
松ちゃんが家の柿の実を食べたのを、震災後初めて見た。


カプッ、シャキシャキと音を立てながら松ちゃんは2口、3口くらい食べただろうか?
その時、ずっと松ちゃんの事を見ていたダチョウのモモコが「これ、食べられるんだ」と、いきなり目の前の柿に食らいついた。

モモは堅いくちばしで突いたり噛んだりするのだが、柿を食べられないで2個の柿を落とし、それでも柿の実を突いた。
松ちゃんは「こら、お前は真似すんでねぇ!」って、モモコを止めるが聞くモモコではない。


松ちゃんは、また一齧りして「おらっ」と柿の実を、モモコの前に差し出した。
それを喜んで食べるモモコ。
これで目の前にある柿が食べられるのを覚えただろう。


モモコが来てそろそろ3年になるが、僕は初めてモモが柿を食べるのを見て、松ちゃんが警戒区域だった富岡町で「食わないで餓死するか?食べて死ぬか?って言ったら、腹いっぱいになって死んだ方がいい」と言った事を思い出した。

そんな究極の体験から、動物たちの餓死を捉えて活動してきた松ちゃん。
「俺がいる限り餓死だけはさせねぇ!」と、そこにはあのときのままの彼がいた。
今まで汚染わら餌をもらい大食漢の牛たちに与えて来たが、何を言われようとその餌を食べさせなかったら、牛たちはみんな餓死してしまっただろう。

震災直後、彼は木の実も果実も、その他の野菜や鮎・鱒などの魚も、食べられるものは何でも食べた。
警戒区域にいて活動するだけで被曝するのに、生きるために食べてまた被曝。
そこには本当に壮絶な物語があった。


「餌あげたのによっぽど腹空いてんのかな?餌足りなかったのか~」と独り言を言いながら、モモコに餌を与えた松ちゃん。

事故が起こってから3年8ヵ月になろうとしているが、多分、あの頃の数値よりは全て低くなっていると僕も思うが、びっくりしてしまった。

僕もあの柿は食べられるくらいの汚染数値だと思う。
柿は大好きなので、お腹が減ってたら僕も食べたかも?

松ちゃんは牛の餌問題を抱える中、日々、牛たちの世話をし餌の確保にも努力している。
目の前の問題を真剣に考え、一つ一つ解決して進む松ちゃんに勇気をもらい帰って来た。

みなさん、これからも松ちゃんの応援をよろしくお願いいたします。





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