ニルス・クリスティの『人が人を裁くときー裁判員のための修復的司法入門』を読みました。
学ぶところがとても多い本ですが、「テロリスト」についても書いてあります。
「2001年9月11日をもって、世界は一変した。それは3機の飛行機がハイジャックされたことを知ったためでもなく、その中で最後の数分間に起きた出来事を想像するからでもなく、ニューヨークで二つのタワービルが崩壊したためでもない。4000人の命が失われたからでもない。それは確かに残虐な行為であった。しかし、人類の非人間的な歴史に照らしてみれば、特別なことではない。第1次及び第2次大戦の残虐行為に匹敵するものは何もない。何者も、アウシュビッツ、ヒロシマ、長崎、ドレスデン、そしてベトナム、カンボジアの矯正収容所における残虐行為を超えることはない。
ではなぜ?
それは、単にニューヨークを、アメリカを攻撃しただけではなく、我々西欧に対する攻撃だったからである。まさに青天の霹靂であった・・・
『我々アメリカ国民は問いかける。なぜ彼らが我々を憎むのか?彼らが憎むのは、我々がこの議会で今まさに見ているもの、つまり民主的に選出された政府なのです。彼らのリーダーは、独裁者だ。彼rは我々の自由を憎む、宗教の自由、言論の時h¥夕、集会や反論の自由を憎んでいるのです・・・悪者はまだアメリカを傷つけようと企んでいる。今こそ自由市世界は立ち上がってこれら悪者が憎む自由を守るときです。」(ブッシュ大統領の教書からの引用)
しかし、こういう言葉には問題がつきまとう。悪者というのは、その言葉自体が説明になっているということにある。この言葉を持ち出すと論議はストップする。自体はわかりきっているのだから、もうそれ以上考える必要はないということになる。
同時に悪者に対しては、次にとる手段はほぼ決まっている。彼らは根絶されなければならないのだ。戦争が自然な対応策になる。戦争と根絶。
・・・・・
犯罪学の古くからのテーマに戻ろう。彼らはテロリストとみなされている。しかし、人の存在はその行為のみによって定義されるのか?結局、行為のどの部分がその人そのものと言えるのか?泥棒は絶えず盗み続けているのだろうか?殺人者は絶えず人殺しを続けているのだろうか?あるいは、恋人たちは絶えず愛し合っているのだろうか?
・・・ほとんどの人間は多様な側面を持っている。嘆かわしい行為をするかもしれないが、別な側面もあるのだ。
人間にも怪物がいる。犯罪学では精神病質者(サイコバス)と呼んでいる。・・感情を持たない精神病質者・・私自身はそのような人物には一度も出会ったことがないが、精神科医によっては繰り返しであっている人もいるようだ・・・」
人が人を裁くとき―裁判員のための修復的司法入門 | |
クリエーター情報なし | |
有信堂高文社 |
先日、「テロリストとの闘いは待ったなしだ!」と国会で述べていた公明党の山口委員長にも是非読んでもらいたい一冊です。
狭いところへ毎日1000人(県外から500人)もの機動隊を派遣して自然の豊かさと人々の暮らしを破壊しよる警察に抗議!