ネットを歩いていたらこんな記事と出くわした。 裁判員制度と手話通訳者に関する記事を見るとそのいずれもが、ろう者が裁判員に選ばれた時にその裁判員に情報をどう伝えるか、どう保証するか といった視点が目につくが 私は 検察や弁護側のパフォーマンスを つまり、通訳者がそのニュアンスをどう伝えることができるかといったことのほうがさらに大事ではないかと思っている。 通訳者によって、つまり通訳のやり方によって被告人の罪が重くなったり軽くなったりしては困るのだ。
障害者が裁判員制度検証 | ||
来年5月に導入される裁判員制度に向け、裁判員を選ぶ手順を検証する模擬手続きが29日、京都地裁であり、聴覚に障害のある男性が参加した。手話通訳を介して事件内容の説明を受け、裁判長の質問に応じた。男性は「専門用語にどこまでついて行けるか不安がある」と話した。 模擬手続きは、地裁が企業や団体などの協力で作成した模擬裁判用の「裁判員候補者名簿」の中から20人を呼び出し、実施した。全員を対象に事件概要を説明した後、個別に裁判長から急用などで辞退を希望するかどうかを確認する質問を受けた。 男性は終了後の会見で「スムーズに進めるためには、事前に資料などで内容を確認できる方が望ましい」と話し、手話通訳士も「手話は結論を先に伝えるので、事前に内容が分からないと訳しにくい」と指摘した。 また、男性は審理への参加について「内容が理解できないと公平な裁判ができない。聴覚障害者は目で理解するので、見やすい場所に通訳者を配置するなど、参加しやすい雰囲気づくりを期待したい」と話した。 (京都新聞) |