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広通研 平和と手話通訳を考えるつどい

2018-12-10 | まいにち

 僕は松江へ行ったんで、参加でけへんかったんやけど、NPO法人広島県手話通訳研究会の「平和と手話通訳を考えるつどい」が12月8日に東区地域福祉センターであった。

 ここ何年かは 7月終わりの県手連の平和公園碑巡りに合わせて開かれとったんやけど今年は会場の都合などで開戦記念日のこの日の開催となった。

講師は 県被爆教師の会会長の江種裕司さん(1927年のお生まれ)「"今日"を戦前としないために」と題してお話しくださった。

案内を見たから・・と江種さんの教え子の方も聞きに来てくださっていたとか。手話の学習や手話通訳活動ができるのも戦争がないからやし・・・平和への取り組みと繋がっていかんとあかんと思う。

アンケートをいただいたのでアップ

・被爆体験だけでなく、軍都広島の歴史についても話していただいたことが良かった。

・投下後の様子が具体的に話され、よく分かった。平和公園の碑巡りガイドで生徒さんに訴えていきたい。

・体験者の語りは迫力がある。原爆と枕崎台風の作用はすごい。

・ベニヤの船、目的地まで届くのでしょうか?

・体験談ありがとうございました。

・勉強になった。

・もう少し聞きたかった。ご高齢にもかかわらず、よく通る声で聞きやすかったです。爆発の瞬間や直後の人々の姿が目に浮かぶようでした。「うごめく」広島湾の海深く亡骸があるという話は忘れることはないでしょう。とても貴重なお話、江種さんが語る姿をもっと多くの人に知ってもらいたいと思いました。

・具体的な戦争時の広島市の状況がよくわかりました。

・住んでいながら体験者の話は初めてで聞き入ってしまいました。原爆投下時はもちろん、それ以前の話はなかなか聞くことがないので勉強になりました。

・貴重な体験・平和の大切さを聞かせて頂きありがとうございました。改めて核の恐ろしさ・原爆の怖さを実感いたしました。

・日清戦争から太平洋戦争、原爆の実相、ご本人の被爆の状況と大変詳しく生々しさが伝わってきました。沢山の失われた命の上にある今の平和、これからの平和について、今一度考えたいと思いました。

・貴重な体験をお聞きしました。若い人に是非伝えないといけないと思いました。

・貴重な被爆体験を聴くことができて良かった。

・明治以降からの歴史から今日までの広島の島々の役割をお聞きし大変驚きました。宇品軍港の事も全く知りませんでした。江種さんのおっしゃる通り、誤った方向へ進んでいった責任は日本人皆それぞれあると思いますが、教育の恐さを改めて感じました。

・原爆投下時の現状悲惨な状況が大変よく理解できた。原爆の存在を決して許してはいけないと強く思いました。今、細々と続いている本当の意味の平和を持続して行かねばならないと感じた。

・先生の力強い声が聞けて良かったです。これからも自分自身を考えて生きていきます。

・いろいろな話を聞き感動や悲しみがありました。ありがとうございました。

・被爆体験の話が生々しくて怖いくらい。平和の大切さがよく分かった。

・良い話でした。

・教育の大切さ、また教育の恐さを思います。私にとって大変貴重なお話でした。ありがとうございました。お体大切になさってくださいませ。

・初めて知ったことが多かった(金輪島について)ので、また本や資料を読んでみようと思います。平和教育の現状についても知りませんでした。

・広島で育ち何度も話は聞いた事がありましたが、今日のように詳しく聞いたのは初めてで大変勉強になりました。日清戦争~日露戦争~広島へ原爆投下までの広島の状況、市民の生活、教育法等自分でも一度調べてみたいと思いました。

・大変貴重なお話を拝聴させていただき、ありがとうございました。

・飛行機の特攻隊や人間魚雷の話は聞いた事はあったが、ベニヤの特攻船を作っていたとは知らなかったし驚いた。戦って死ぬより餓死で死んでいく人の方が多いのは驚いた。教育勅語、当時の教育は恐ろしいと思った。今もなお川底・海底には、多くの遺骨が誰からも拾えてもらえず眠っていることを忘れてはいけないと思った。「憎むのではなく、戦争や核を許してはならない。核兵器がある限り、人類は破滅に向かっている」という言葉は心に刺さった。のほほんと何も考えないのは危ないと思った。

・戦争は、絶対してはいけないと思いました。戦争の被害などの話がとても心に残りました。今日はありがとうございました。

・江種さんのお話を以前親子で貸切バスの夏の碑巡りで聞かせてもらいとても感動してもう一度聞きたくて今日来させて頂きました。とても良い話が聞けてまわりの皆さんに話をしたいです。

・以前、平和資料館で韓国人の方のお話を聞きました。その方も猿猴橋付近で被爆されたそうです。東区の鉄道機関区から夜勤明けから帰宅途中だったそうです。歩いて帰るときに、猿猴橋あたりで誰かが「顔と頭を覆って伏せろ!!」と叫んだので、同じ姿勢を取った後、背中がチリチリと痛んできたそうです。それから、金輪島が日本軍が毒ガス製造時に大久野島を地図上から消したことを聞いたとき、金輪島も同じ扱いをしたんだなあと思いました。ちなみに講演のなかで岡山の「小豆島」の養成学校から広島へ送り込んだと言われましたが、「小豆島」は香川県ですよ。

・今まで知らなかった話がいっぱいありました。ほとんど、はだしのゲンの知識しかなかったので。

講師に聞いてみたいこと

・江種先生は爆発地点を地上567mと言っておられますが、現在では地上600mということに訂正されています。およそ600メートル 参照

・講演の様子を本に著してほしい。以前に朝日新聞だったか記事で読んだことがあります。今日聞けて良かったです。

・もっと詳しく聞きたい

・広島の平和教育をどうとらえるのか?

・金輪島へ運ばれた被爆者はおよそ500人と言われているが実際は何名位でしょうか

・運ばれた場所等どこら辺りですか

・小さな一つの力。何をしたら良いのでしょうか。

 

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