映画『汽車はふたたび故郷へ』を観てきました朝は曇っていましたが晴れてきました。 10時からの『汽車はふたたび故郷へ』を観に行ってきました。ソヴィエト体制下で思い通りの映画が作れなくなったニコラスがフランスへ出国し...
一年前の今日は、「汽車はふたたび故郷へ」を観にいっとるんやなあ。今日は「キューポラのある町」を見てきました。
僕が進学希望に日社大を選んだ頃に キューポラのある町の続編・未成年 が 上映されました。その中で吉永小百合の進学先が日社大だったので強く印象にのこっとるんや。高校の同級生からも「オウ、おんなじとこやん」と。ただ、関西ではマイナーな名前だったので高校の大学合格一覧には「日大社会学部」なんて書かれたりして。学生寮まで入ることにきまっとったんやけど、いろんなことがあって結局行かんかった。ほいでもまあ、振り返ってみるとその周辺の仕事をしてこれたんで…喜ばななあ。
赤十字の人なんかも熱心になって 朝鮮民主主義人民共和国への「帰国運動」いうのんもありました。朝鮮のお正月の日になると我が家の家の前で総連の人たちが鉦や太鼓を鳴らして踊ってくれはったり、親父のところへ帰国した人から手紙がきとったんを なんでか覚えてます。
映画の中で歌われている 手のひらのうた よう 歌ったもんです。
作詞 作曲 |
伊黒 昭文 寺原 伸夫 |
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1 |
苦しい時には見つめてみよう 仕事に疲れた手のひらを 一人だけが苦しいんじゃない みんなみんな苦しんでる ■話してみようよ 語り合おうよ ■積もり積もった胸のうちを |
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2 | 悲しい時には見つめてみよう ひどく荒れてる手のひらを 一人だけで泣くんじゃない じっとじっと我慢しろ ■話してみようよ 語り合おうよ ■積もり積もった胸のうちを |
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3 | みんなで笑いあって見つめてみよう 汗に塗れた手のひらを 一人いては何にもできぬ みんなみんな手を結べ ■話してみようよ 語り合おうよ ■積もり積もった胸のうちを |
映画「キューポラのある街」
最近は、違法薬物の使用に対する取り締まりも少しずつ変わってきて、ただ罰するだけではアカンなあ…という考え方がちょっとずつやけど広がってきた。
そのことはとってもええことやと思う。ただ回復や更生へ向けての司法関係者や福祉関係者の取り組みがなされないままダルクなど当事者の「回復施設」へ丸投げされているような気がするんやけどちゃうやろか。
「回復(支援)施設」やというだけで何でもかんでもできるわけではないし、行政や福祉、医療にはそれぞれの役割があるやろがな。それをまずやっていかなあかんわなあ。
また、回復施設も少しの税金や人々の善意の募金を受け取る以上、ほんまに「回復」に役だっとるんかどうかの振り返りがなされんとアカンと思うわ。
人が暮しを建て直し、もういっぺん人生をやり直すためには、本人のすごい努力とほんまに多くの人の支えと長い時間がかかるやろうから短い時間で成果を出してやとは思うとらん。ただ回復とは「薬を使わんかったらええねん」ということとは違うやろ。施設を舞台に違法な行為が続いておこなわれていたり、ギャンブルなどのほかの依存に はまり込むんやったら、それは「回復」と言えるんかどうか、少なくとも施設の運営責任は問われなあかん、そういう行為はなくすいや少なくしていくための努力がどうなされているかどうかが問題やと僕は思うてます。そういう意味では周りの支援者も問われとるわけですわな。
僕自身がそんなに自慢できる人生を送ってきたわけやないし、失敗や恥ずかしいことだらけなんやけど「支援しとるから」それらが帳消しになるわけでもない。