昼ごはんを食べて、何もすることがなかったので横になって 昨日図書館から借りてきた
『国家の暴力ー新聞記者が見た「高江165日」の真実』を読んだ。
フクシマも、オキナワも、加計や森友土地不正値下げも みんなおんなじやと思う。
今回の新型コロナの騒動も・・・
国や権力は僕らの暮らしを守ってはくれん・・・
それどころか、牙を剥くばっかりや。
でも、小うても やっぱり声は出していかんとあかん。
昼ごはんを食べて、何もすることがなかったので横になって 昨日図書館から借りてきた
『国家の暴力ー新聞記者が見た「高江165日」の真実』を読んだ。
フクシマも、オキナワも、加計や森友土地不正値下げも みんなおんなじやと思う。
今回の新型コロナの騒動も・・・
国や権力は僕らの暮らしを守ってはくれん・・・
それどころか、牙を剥くばっかりや。
でも、小うても やっぱり声は出していかんとあかん。
『父さんはどうしてヒトラーに投票したの?』を図書館で借りてきた。
今のこの国の状況ととても似ているような気がしながら読んだ。
こんな本はまず図書館で借りれんようになってしまうかもしれん。
孫たちが読むにはまだ早すぎるが、読む頃までには今の仕組みを変えておかんと大変なことになる・・・。
図書館で借りてきて「ごみ収集という仕事」を読んだ。
読み終わって、きちんと分別出しをしないといけないと改めて感じたのと、やはりこんな仕事は自治体の仕事として直営を維持しないとダメなんやということ。
集めてくれてはる人に感謝してゴミを出していこう。
今日は朝、『福祉は誰のために」を読んだ。
今朝の新聞は 「全世代型社会保障検討会議」の構成メンバーとやらが載っていたが、こんなもんはよう潰さんと僕らの暮らしがますます壊されてしまう・・・と思いながら「福祉は誰のために」を読んだ。
そんな私のためのもんや・・・。
序に代えて にはこう書いてある。
「福祉」とは人々の幸せであり、豊かさであり、人として当たり前に暮らすことの保障である。そしてそれは、特定の誰かのためのものではない。また、社会的弱者と呼ばれる社会の隅に追いやられた人々を最低限生き延びさせるための施しでもない。もう少し具体的に言えば、「福祉」とは、人と人とのつながりや、お金や物の再分配を通じた「人の存在と生活の安全保障」である。
そんなことなど考えることは微塵もない、全世代から金を搾り取るための検討会議はすぐにぶっ潰そう!
と思って、自助グループのミーティングに参加し、夜は先週から始まった手話サークルあすなろの手話入門講座へ。
日本聴力障害新聞の田中さんの記事をきっかけに、図書館で昨日、「広島戦災児育成所と山下義信」(法蔵館)を借りてきて読み始めたら一時過ぎになった。
田中さんの他にも何人か就籍をした人がいたよう。
ここで育った人たちの記録がないのだろう、あったら読んでみたいと思った。
おとといは 広島弁護士会の「子どもと暮らしを守る公務が貧困を生む?」に参加してきた。
県内の3人の方の体験発表が良かった。
三次では保育所の臨時保育士さんたちが職員組合に加入し、正規職員との格差を少し小さくしたことが話された。
講師の竹信三恵子さんは 行政が子どもを救えない事件が続発している、その第一線の労働者がほとんど非正規諸君、しかも女性であり、経済的な自立ができていない。。この原因は公務の軽視に財政難を女性の低賃金と不安定雇用で乗り切ろうとする行政と社会の姿勢にあると、今風長となっている民営化は公共の責任の放棄だと話されました。そして「いいことをやるんだから」と働き手に過剰な負担を負わせない文化を作り出し、こうと企業の役割の違いの再教育が必要だと話された。
そして今日の日経新聞
相変わらず、民営化をと書いてはいますが。
保育の企業化がどんな結果を生みつつあるのか・・・。しっかりした検証が必要ですね。
夜は人生初のマツダスタジアム。カープは久しぶりに勝ちました。
図書館で3回も借り直してやっと読み終えた。
ベランダのハイビスカスが咲いた。
今日は一日何も用がなかったので、先日買ってきた岩波ブックレットを2冊読んだ。
一冊は水道民営化で水はどうなるのか
なんか知らん間にさっさと国会を通り過ぎてしまっとる法律が多すぎるけど、水問題もそう。
もう一冊は高遠菜穂子さんの 命に国境はない。
雨が降っていますが、カープの試合は続いています。
僕は用があって参加できないんやけど、明日ハチドリ舎でお話しになる。
![]() |
受刑者の人権と人間の尊厳 世界標準と社会権的再構成 |
澤登 文治 | |
日本評論社 |
衝動に駆られて、こんな分厚い本を買うてしもうた。
読む言うて、いつまで書かんねんやろ・・・
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