工房 十一椿(toi tsubaki)

久留米絣や 大島紬など 着物を使って洋服やバッグなどの製作・販売を行っています。

100年前からのメッセージ

2012年01月16日 | 日記
着物を解いていたら

厚紙が縫いこまれていました。


それは 着物の紐の付け根をしっかり固定させるために

芯の変わりに入れられていた厚紙









よ~く見ると


“・・・知多郡旭村大草海岸・・”

の地名が読み取れます


内容は 



“早海水御入浴の好期・・水浴傍御避暑に是非共・・・

 設備も致し居り候間是非~・・御待ち申上候・・・”




(海水浴に いい時期になりました。ぜひ お出かけくださいね)


っというようなもののようです。


文体からして かなり古いもののよう・・。




この“知多郡旭村大草海岸”が

どんなところなのか知りたくなり

ネットで検索してみると



現在の

愛知県知多市旭町にある新舞子海岸のことのよう。




更に 当時の様子が書かれたものには



“明治になりレジャーが盛んになると 

 遠浅のこの海岸には 多くの海水浴客が訪れた・・



っとあり


“老松そびえるこの海岸・・”



っとありました。




 どんな海なんだろう?!っと

とても興味が湧き

現在の風景が見たくて更に検索してみましたが・・・




日本のほぼど真ん中?! 

有数の工業地帯 大都会・愛知県が

当時のままのはずはなく・・



新舞子海岸は

道路が整備され

きれいな結婚式場が建ち

遠浅の浜辺は 埋め立てられ

海水浴場ではなくなっているようでした・・・・


当時の様子が見れず・・残念な気がしましたが





偶然 見つけた紙片に書かれた町や海水浴の様子に

ほんの少しだけ

当時(明治後半?)の様子を想像することができました。



戦前まで 避暑地として栄えた新舞子海岸



遠浅の海岸に集う当時の人々の笑い声や

白い砂浜と海の青さ 立ち並ぶ松を想像しながら




今とは違う

“豊かさ”を感じます。


古き良き時代・・そんな言葉が似合う時代だったのかな







100年前 このお着物を仕立てた方は

たまたま 手短にあった紙片を

芯の変わりに着物に縫込み

そのお着物が


長い年月を経て


愛知から遠く 日本の端っこ 長崎へやってくることになるなんて

思いもしていなかったでしょうね。








そんな風に考えると


“今”の何気ない日常が


遠い“未来”の

“どこか”で

“誰か”に

繋がっているのかなぁ


なんて・・考えたりして。


そう思うと・・

何気ない“今日”も

手抜きせずに 大事にしていかないといけないなぁと

反省したりします。




100年前と大きく変わった現在

そして

100年後の未来・・

更に・・どんな風になっているんだろう・・・。











偶然 見つけた100年前の何気ない日常

100年という歳月で 得たもの 失ったもの・・

そんな風に考えると

この小さな日常も 大きなメッセージ・・なのかもしれないですね。








今日は

昔の旭村・大草海岸を想像し

現在の新舞子海岸の様子をみると

ほんの少しだけ

浦島太郎になったような気分になったつぶやきでした


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