Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

朝の連ドラ カーネーション

2011年10月13日 | Weblog
今度のNHK朝の連続ドラマ「カーネーション」をみていると
懐かしさで、胸がいっぱいになる。
 
私が、この時代に生きていたわけではない。
私の、祖父母、父が生きていた時代の大阪が
そこにある。
 
ヒロインの糸子は、呉服屋の娘なのに
ミシンにあこがれる。
父は、洋服の登場で、呉服屋の商売が
思わしくないものだから、洋服屋だの
ミシンだの、大嫌いだ。
 
ナレーションでは、「昭和のこの時期、ミシンがあるところは
珍しかった」と語られる。
その珍しいミシンを使って、糸子の父が仇みたいに
おもっていた時代の先端だった商売を我が家の祖父は
生業にしていた。
 
大正年間に、梅田から、淀川を隔てた場所に洋服店を開き
お弟子さんを抱えた大将であった。
大阪では、商店の主を「大将」と呼ぶ。
父が生まれたころは、商売もうまくいっていて
大阪市長の大礼服の注文を受けたことが自慢だった。
その写真をみたことがある。
歴史の教科書にでてくる明治のえらい人がきているものものしい
服である。
 
父とそのしたの叔母が育ったころは、我が家には
女衆仕さん(おなごし)さんがいて、祖母はお弁当なんぞ
作ったことがなかったらしい。
「卵焼きやいて、いれといたって~」といったらしまいだった。
と父は、よくいった。
 
祖母は、船場のご寮人さんほどではないが
商売人の奥さんだからか?
麻生 裕未さんが、結っているいるような小さな丸髷だった。
死ぬまで、髪を短髪することなく後ろで、自分で小さな髷を作った。
 
この時代のことを、私は、祖母や父からよく聞いたような気がする。
劇中のおばあちゃん、糸子のおばあちゃん役の昭じ 照江さん。
すばらしい! これぞ、大阪の商家のおばあちゃん。
トミーズ雅のパッチ屋の大将。
糸子の父の小林 薫のドスのきいた大阪弁。
(商売人としての台詞の間合いもすばらしいな)
こういう大将、昔は いたいた!
 
商売人ワールド!
 
最近、足ふみミシンが見直されて、祖母、母のものを
修理して、つかいたいと注文が殺到しているらしい。
 
我が家の足踏みミシンは、現役で、今日も母が、一日中
カタンカタンカタン・・。と音を立てている。
洋服屋には、音がある。
本当に味わいがある音ばかりだった。
 
90年ちかくの家業の廃業届けを七年前に書いた私は、
おじいちゃんに、本当に申し訳ないことをした・・。とおもっている。
時代の趨勢もあり、跡継ぎがいる洋服屋でも
廃業している世の中だ。
 
祖母の着物のお直しができあがってきた。
一つ紋をいれた私の寸法に合わせた着物は
祖母の面影がないかもしれないが、こういうことで
埋め合わせをしたいとおもう。
ああ、洋服屋の娘が呉服を好きなのもおかしいものだ。
 
今は、こういう世界が大阪でもないのだろうが・・・・。
私は、タイムスリップを楽しむべく、目が離せない。
 
それにしても、糸子の子役、可愛かった。
大好きなアニーみたいだった。
また、みたいな。