Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

見守る

2008年11月22日 | Weblog
先日、実家に泊まった翌日のこと。
私が、朝食を食べていると、
母が、
「相談があるねん・・。」と
トウトウと、心配事を並べた。

家のこと。
自分が、独りで生活できなくなったら、
老人ホームにはいろうと思っていること。
透析が、始まる体になったら
○○病院と○○病院があるが、
父が亡くなったあの病院はいやだが、
一方の病院は、大きな総合病院で
バスでいかねばならない。
そこで、○○診療所の巡回バスに
のって、透析に行こうか・・。と思っていること。

時折、私は、
「他人と暮らすのは、性格的に無理だと
思うよ。」
とか、
「心配しなくても、行き倒れには、させないから・・。」と
口を挟んでいたが、終いに、聞くだけ聞くことにした。

この近所に、グループホーム(?)や
透析のために、バスをだしてくれる診療所が
あることは、まったく知らないので、
話を理解できなかった。
なにをいっているのか?
と思った。

かつて、10人くらい住んでいた
狭い家に、母が1人で暮らしている。
老若男女、取り混ぜての暮らしで、忙しく動き回っていた母は、
今も細々と仕事をしていて、普通の1人くらしより
人としゃべる機会が多いはずなのだが、
「雀のおまつ」と父に揶揄されたおしゃべりは
現状では、物足りないのだろう。
しかも、「杞憂」もいい加減にしたら?
といいたくなるくらいの心配症なので、
たくさんの愚痴や心配が、たまっていた。

「まあ、聞くだけ聞いて!」と母はいった。

私は、パンを食べならが、聞いていたが、
気がつくと、母は、さっさと朝食を追え、
話を終えた・・・。

「もう、いいの?答えがでてないけれども
もう、いいの?」と私が、聞くと、
「うん、もう、ええねん。」と晴れ晴れとして
さっさと出て行った。

残った私は、自分は、どうして、こんなに食事をするのが
遅いのだろう・・・。と思いながら、急に美味しくなった朝食の
残りを食べた。

母と姑に2~3週間に一度くらいは、電話をする。
他愛のない話をして、様子を聞く。

娘や嫁がいなくて、不安はあるのだろうが、
「あんたに迷惑はかけられない」といって、
がんばっているのを強調する。
それを聞くと、私は、申し訳ない気持ちになる。

一緒に暮らしていたら、私が迷惑をかけて、
母たちのストレスは、すごいものになるのだが・・・。

介護に「見守り」ということばがある。
なにもしないように見えて、見守っている。

今、私は、母たちを自立するお年寄りでいてもらえるよう
見守っている。
もし、なにかあったら、どうなるか?わからない。
とにかく、寂しくて、つらくても、
自分で、生活のリズムをつくっていっているんだ!
と張り切る母たちを、みている。

娘がなにもしてくれない、
嫁の世話にはなっていない。

そんなプライドや自負が、
生き生きするエネルギーになってくれたら、と思う。

子供もそう。
手をだし、口をだし、自分がしたほうが
どれだけ、楽か・・・と思うことがある。

しかし、私は、できるだけしないことにした。

手をだし、口を出されて、親の家をでたときに
困ったのは、私自身であったので・・・。
育った性格というのは、恐ろしいもので
なかなか、修正できない。

おかげさまで、母たちは、「ぼけた」といいつつ、
さほど、深刻なボケにいたらず、今日も
忙しく、動き回っているはず。

電話をしたら、私が、怒られることが
たくさんあるので、今日は、電話しな~い!




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