Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

ドーシェル

2008年02月28日 | Weblog
さて、今回は、3回目の訪問である。

営業中に行くのは、初めて。

和歌山駅から海南にいき、そこから、タクシーでいくことにした。
(もしくは、貴志川線の終点、貴志から、
徒歩だと40分。で、いけるわけないと思うのだが・・。

ちなみに、貴志川線は、とてもかわいい電車で、今度は、
ぜひ、猫のたま駅長に会いたいと思っている。)

海南から、タクシーの運転手さんに
「ふれあい公園の近くのパン屋さんなんですけれども・・・。」
というと、
すぐ、
「ああ、あのパン屋さんね。
大阪からもたくさん、きますよ~」とすぐ、わかってくれた。

お店は、とても混んでいたので、
本当に「お邪魔しました」という感じだが、
はるばる、やってきた甲斐があった。
前日、羽田から移動し、
翌日、和歌山だったので、移動距離が
すごいのだ。
私が、飛んだり走ったりしたわけではないくせに!
という突っ込みが、はいったが、
ハードは、ハードだったのだ!

ワンプレートランチをいただいた。
いろいろと心づくしをしてもらった。

やっぱり、ドーシェルのパンは、
このお店で、食べるのが、一番だ!
プリンが、絶品で、心に残るスィーツの
一つになっている。

まだまだ、かきたいことが山ほどあるのだが、
かききれない。

一年ぶりの友人は、アスリートのように
かっこいいのだが、なんともいえないやわらかな素敵な笑顔を
みせてくれた。



ドーシェル

2008年02月28日 | Weblog
神戸の大震災があったとき、
宝塚のあの住所あたりも
避難所暮らしになったとテレビで聞いたので、
私は、公衆電話で、電話をかけ続けた。

数日後に連絡がとれたとき、
彼女は、無事だった。
しかも、パンを求めて、わざわざ、遠くの常連さんが
歩いてきてくれるのだ、といった。

彼女の旦那さまが作るパンは、
いろんなこだわりがあり、
結果的にアレルギーがある人や、
普通のパンが楽しめない人にも、
美味しく、食べることができるので、
根強いファンがいるのだった。

そこから、旦那さまの有縁の土地に
大きなベーカリーテラスを
作ることになったのだ


私が、初めていったとき、
店からの絶景に感動した。

しかし、美しい自然は、厳しいものである。
台風がきたときは、
山の下から吹き上げてくる風に、
「テラスの窓ガラスが、全部、壊れてしまった。」
と、笑いながら、彼女はいった。


ドーシェル2

2008年02月28日 | Weblog
彼女とは、高校からの友人だった。
クラスもクラブも同じ。
仲良しグループも同じ。

いろんなところに、一緒にいった中に
いつも、彼女がいた。

おっとりして、にこやかで、
おしゃれで、気がきく彼女に
いつも、助けてもらった。

クラブの仲間で、旅にいったとき、
「この中で、結婚するとしたら、
誰とするか?」という話になったとき、
私は、迷わず、彼女の名前を
即答だった。

そんな彼女が、私が、地元を離れてから、
結婚し、小さなパン屋さんになった。

地元に帰ったとき、真っ先にいった。

小さな店先に、お腹が大きくて、
子供もつれた私は、邪魔だった。

商売の難しさを、私もしらないわけではなかったから、
彼女夫婦の成功を心から願った。

時折、送ってくれるパンは、
ふわふわしたケーキのようなパンではなく、
しっかりした味がするものだった。

ドーシェル

2008年02月28日 | Weblog
そのパン屋は、和歌山の山の中にある。
車がないといけない、パン屋。

そして、「その道を通る車は、あのパン屋に
いく車だけ」という伝説もあるという。


和歌山在住の友人から、聞いた。
ご主人の会社で、知らないものはいない、
とまで、友人はいった。

確かに、車でないといけない。

その店を作るとき、オーナ夫人は、
いったものだ。

「峠に、五反ほど、借りてつくるねん・・。」

「反」の単位は、どれほどの広さを表すのか、
狭い、「坪」や「平方メートル」で暮らす私には、
皆目、見当がつかなかった。