車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

山崎の町歩き in 兵庫県宍粟市山崎町

2023年11月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

古来から山崎藩の城下町(のち陣屋町)、因幡街道を介した山陽と山陰の結節点、揖保川水運の中心として栄えてきた山崎町。町を歩けばそこかしこに、往時の繁栄を伺わせるモノに出会えます。

佇まいの美しさに惹かれて訊ねたのは、創業天保八年創業の「山陽盃酒造」。養父市大屋町の明延鉱山坑道内に、関西で唯一の鉱山貯蔵庫「明壽蔵(めいじゅぐら)」を持つ酒蔵だそうで、日本酒大好きのご亭主殿は興味津々。

代表の銘柄は太鼓暖簾にも染め抜かれた「播州一献」。超辛口のお酒という事で、ご亭主殿はもう買う気満々。「荷物になるから帰りにね」と言い聞かせて(笑)、やっとその場を離れる事が出来ました。

兵庫県指定文化財(天然記念物)「大歳(ださい)神社」の「千年藤」のタイルプレート。花の季節は圧巻だそうです。

山崎藩の城下町として栄えた市街ですが、往時の面影を伝えるものはごく僅かしか残されていません。いかにもな趣のこの場所も、復元された虎口石垣。

こちらの建物は宍粟市指定有形文化財の「山崎藩陣屋門」。別名「紙屋門」とも呼ばれ、東二の丸から本丸に通じる正面玄関前に位置する唯一の現存遺構。

門を入って真っ直ぐ、本多公園内に建立されていた「史跡 鹿澤城本丸跡」の碑。

碑の後方に見える建物は「山崎歴史民俗資料館」

建物は、明治22年(1889)に建てられた龍野治安裁判所山崎出張所で、その後一時期法務局の庁舎として利用されていたものを移築復元。

「山崎歴史郷土館」には、山崎町内から発掘された土器や石器などの考古資料や、江戸時代の山崎藩に関連した資料などが展示されています。

展示内容は多岐にわたっており、非常に珍しい者や興味深いものも多く、こちらに関しては予定外だったのですが、かなりの時間を費やしました。

大好きな(笑)留め蓋瓦の獅子もいます。

こちらの御仁は江戸前期の儒学者・神道家・思想家『 山崎闇斎先生』「崎門学(きもんがく)」の創始者として、また、神道の一派である「垂加神道(すいかしんとう)」の創始者として知られる人物です。

宍粟市山崎町西鹿沢に鎮座される「闇斎(あんさい )神社」。御祭神は『 山崎闇斎』

昭和15年に京都下御霊神社の「垂加霊社」から分霊。

そう、先ほど歴史郷土館で遭遇した「山崎闇斎先生」を奉る神社なのです。ここ山崎の地は、彼の祖父の出身地だそうですが、そのご縁での創建でしょうかね。。

「山崎闇斎先生祖孝之碑」

この後、山陽盃酒造に立ち寄って「播州一献」お買い上げ。ついでに量り売りの酒粕も購入で、御亭主殿、物凄く上機嫌(笑)

訪問日:2014年12月6日

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一口メモ

「垂加神道(すいかしんとうorしでますしんとう)」。江戸時代前期に山崎闇斎が提唱した儒家神道のひとつ。天照大御神に対する信仰をその子孫である天皇が統治する道を神道であると定義づけ、人間の「敬(正直)」を最も大切な徳分とし、敬を全うすれば天地と合一できる「天人唯一の理」を唱えた。


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