桑折町陣屋に所在する「国指定重要文化財:旧伊達郡役所」
総二階建で中央塔屋を設け、軒には化粧垂木様飾りに円形刳り蛇腹、窓はガラス入りの上げ下げ窓と、洋風を模した中にも和風を取り入れた「擬洋風建物」が特徴。
美しいシンメトリーの建物は右から見ても左から見ても、もちろん正面から見ても美しい😍 事に塔屋を頂く建物は、その存在自体が、(一応)女子のハートを鷲掴みにする不思議な魅力を持っています。
玄関車寄せから見上げる二階ベランダ部分の屋根
玄関を入った瞬間から始まる夢の世界。幾つになっても女子たるものはこういう雰囲気に弱いもの😅
内部は広々と明るく、磨き込まれた床に姿を映す窓の明かりも好ましい。こんなに広い場所で何を? そうだね、場違いかもしれないけれど舞踏会なんぞどうだろう?着飾った紳士淑女がワルツの調べに併せて、クルリクルリとステップを踏む・・・う~~~ん、悪くない😊
赤絨毯の部屋は議長室、郡役所の場合は「郡長室」と呼ぶのが正しいのかな?
そうそう、疑洋風建築につきものの素敵な設備は、シャンデリアを支えるランプ吊り。こういう建物の場合、漆喰鏝絵と相場が決まっています😊
唐花に波頭・・本当はもっと沢山の種類があるのだけど、スペースの都合で自粛(笑)
建物の一画に建立されていた「芭蕉像」
元禄2年(1689)5月3日(新暦6月19日)、芭蕉は飯坂を立ち、桑折へ。「短夜の空もやうやう明れば、又旅立ぬ。猶、夜の余波心すゝまず、馬かりて桑折の駅に出る。」
「東久世通禧:詩碑」 桑折駅にて霊山を望み感有り
海内妖氣侵闕廷 (海内の妖氣闕廷(けつてい)を侵す)
感君殉節姓名馨 (君に感じ節に殉じたる姓名馨(かんば)し
鑾輿今日経過路 (鑾輿(らんよ)今日経過の路)
仰見霊山千古青 (仰ぎ見る霊山千古青し)
明治12年(1879)、当初、郡役所は保原町に設置されましたが、桑折町の有志が誘致運動を行ったことにより、明治16年(1883)4月に桑折町より移動。その年の10月、地元の寄付金など、2万5千円をかけて現在の郡役所が建築されました。
建築当初その威容を示していた塔屋は振動が大きい理由で明治20年(1887)に解体撤去されていましたが、昭和54年(1979)の工事によって塔屋を復元。私としては、疑洋風建築に塔屋は必須。美しい塔屋を心と目に焼き付けて、桑折町に別れを告げます。
「この建物は、明治16年10月、三島通庸県令のときに、桑折町の大工棟梁山内幸之助・銀作の両氏の手によって建てられた。 洋風官衙として、東北地方に残る優品の一つであり、当時の形態と位置を同じくして現存する珍しい建物であることが高く評価されています。 大正15年(1926)7月1日郡役所の制度が廃止されるまでの約43年間、郡行政の役割を果たしてきました。その後、伊達郡各種団体事務所、更に県の出先機関としての地方事務所が設置されてきましたが、昭和44年3月県行政の改革により廃止となり、昭和49年5月7日県重要文化財に指定され、同年7月2日桑折町に移管されました。 昭和52年国重要文化財指定と同時に、文化庁並びに県の指導と援助により、半解体保存修理工事に着手し19ヵ月を経て昭和54年6月30日滞りなく完成しました。 往時を忍ぶ威厳ある風格は、町のシンボルとして、この貴重な国民的文化遺産を永く後世に伝えるものであります。」桑折町教育委員会
訪問日:2015年6月23日