車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

南宮(なんぐう)大社~其の二 in 岐阜県垂井町

2020年01月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

昨日に続き「南宮大社」境内紹介。二日目は、桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、檜皮葺丹塗りの「高舞殿」。素通しの四面には、十二本の丹塗りの柱が不思議な幾何学的美しさの空間を生み出しています。柱の上部の蛙股には一面に四枚ずつ、見ごたえのある美しい干支の彫刻。無論、この建物も重要文化財。

「高舞殿」の屋根と接してしまいそうな近くに、入母屋造・軒唐破風付の「拝殿」。 舞殿の位置がこんなに近くなのは、本殿に鎮座されるご祭神が神楽をご覧になる為と云われています。

確かに拝殿からまっすに続くご本殿の位置を見ると「なるほど」と思わず頷かされます。丹塗りの社殿群の中では「幣殿」と「本殿」のみが「素木(しらき)造」。「素木造」とは文字通り、木の地肌そのままの材木を使った建物の呼び名。 派手やかで無い事で、神の座す場に相応しい清浄さが感じられます。

拝殿の左右に続く「回廊」は、それぞれの神門まで続いており、内側を見ることはできません。

拝殿から続く回廊の入り口付近から拝見した天井部分には、何枚かの奉納額が架けられています。「鑿(のみ)に鏨(たがね)」「鎌の刃」。これらはご祭神である 金属の神にちなんでものと思われます。

同じ回廊の入り口から垣間見えた「摂社:樹下神社」、本殿に向かって右隣に鎮座し『大己貴命』を御祭神とします。本殿の両脇には、やはり重文の「高山神社・隼人神社・南大神神社・七王子神社」が鎮座。社殿はすべて重要文化財の指定を受けており、できれば間近で参拝したかったのですがこればかりは仕方ありません。垣間見られるだけでも幸せと思わなければ。

南門の隣、手水舎の後方に建つ入母屋造・本瓦葺・欅造りの神輿舎も同じく重文指定の建物。 ここまで来ると、重文以外の建物の方が少ない気がしますが・・と言うか、有るんでしょうか?😓

神輿舎には、寛永19年(1642)の社殿再建の際に『徳川家光』が寄進した神輿が安置されています。 神輿は拝見できませんが、軒下には刃物・金物を収めた沢山の「金物絵馬」が奉納されていました。

右回廊の先に奉納された「さざれ石」。荘厳な国歌の歌詞にも登場する「さざれ石」、それに謳われる言霊のように、この日の本の国が、千代に八千代に栄えますように・・

「南門」は、向かいの「北門」と一直線に繋がっており、その中央に舞殿が位置します。 それが何か大きな意味を持っているのか、単に舞を見る民衆の為の配慮でたまたま一直線の位置になったのか、それに関する記載はどこにもなく想像の域を超えません。

境内を出て駐車場に向かう途中で見かけた「数立神社」。旧称を惣社と呼んでいたことから、美濃国総社とする説もあるそうです。桧皮葺の美しい社殿は、もちろん国指定の重要文化財。

駐車場の近くに鎮座されている大岩は、何の由来でここに奉られていたのでしょうか? しっかりと注連縄による結界があるからには、それなりの理由があるのでしょう。

明治の神仏分離令によって、おそらくこの門前町の規模は相当に小さくなったと思われます。それでも参道を隔てた松並木のこちら側に広がる景色は、今も往時を忍ばせる佇まいを見せていました。

ここから大鳥居を経て樽井宿へと向かうのですが、あと三点「南宮大社」ゆかりの場所を紹介。 まずは大鳥居の神社側に建立された「五月大祭神事舞奉奏市場」と刻まれた古い碑。ここは、毎年5月5日に行われる「国重要無形民俗文化財」の例大祭の舞台となるところです。

はじめてみた時は驚きだった朱塗りの大鳥居、高さは21m。向こうに見えているのは新幹線の高架。

最期は、旧中山道から南宮参道への入り口にある、寛永十九年に築造された「石鳥居」。花崗岩を使った明神鳥居で、中央には社格を表す「正一位中山金山彦大社」の額。高さは約七メートルで、造営文書の記録によると、柱の半分は地下に埋まっているそうです。実は、この鳥居だけは画像に無く、2018年に垂井を訪問した際に立ち寄って撮影したものです。

参拝日:2012年5月13日(石鳥居のみ2018年10月9日)


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