山口市の南西部に位置する山口市湯田温泉一帯。けがをした白狐が傷を癒していたという伝説が伝わることから「白狐の湯」とも呼ばれ、山口県を代表する温泉の一つ「湯田温泉」。町全体が観光客に人気のスポットです。
街歩きのスタートは今井町にあるJR西日本山口線「湯田温泉駅」から。駅前では高さ8mの巨大な白狐「ゆう太君」が出迎えてくれます。臨時快速「SLやまぐち号」の停車駅で、足湯まで併設されているとあっては、素通りなんて有り得ません!
懇切丁寧に温泉の由来を教えてくれてる「ゆう太君」
温泉街の中心地はここから約700mほど向こう。ご当地マンホールを探しつつ、のんびり足湯巡りと街歩き。まずは看板が気になった「湯田温泉料飲社交組合」。文字から察するに飲食店関連の組合みたい。
では早速飲泉場で、熱々の温泉を・・・って、違う!!
観光協会で街歩きの必須アイテム「街歩きマップ」を頂き、ついでに足湯を楽しみ。一日何時間も運転を担当するご亭主殿、足の疲れもほどけて気持ちよさそう。
私は狐君たちと一緒に手湯を楽しむ事にします😊
マンホールを探しながら湯田温泉界隈を歩いていると、明治維新に関わりの有る旧跡が残されている事に気づきます。「史跡:瓦屋跡」は、幕末から明治初期にかけて木戸孝允など維新の志士たちが利用した旅館があった場所。
道順ではありませんが「史跡:御茶屋臨野堂(おちゃやりんやどう)跡」は、萩の毛利氏が他藩の来客用に設けたお茶屋。幕末になってからは吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎らが密議の場所として利用していました。
「明治維新史跡松田屋」の碑が立つのは、延宝3年(1675)創業の「松田屋」。
元治元年(1863)、高杉晋作は松田屋玄関横の楓の幹に「盡国家之秋在焉(国家に盡(つく)すのときなり)」と刻み、松田旅館内にはその幹が保存展示されています。
続いて大きなゆう太君の遊具がある一画😆。いやいや、もちろん良い大人の二人、ここで遊ぶわけではありません 😅
ここは山口を代表する明治維新の志士『井上馨』生家の跡地に、大正時代始め頃に整備された「井上公園」。
昭和初期の再整備時に地名から高田公園と改称。その後、明治維新に大きな足跡を残した彼を顕彰するゆかりの歴史公園として、2012年に元の井上公園の名称に戻されました。
名勝:井上公園「井上家屋敷庭園」
瓢箪池と夜泣き石
「三条実美(さんじょう さねとみ)・お手植の松」
名勝を楽しんだ後は、楽しい足湯タイム。まだ11月半ばですが、この季節の山口市は意外と冷えます。
白キツネさん親子に見守られての足湯、悪く無いですねぇ~💕
のんびり寛いでいる二人の目に何か不思議なものが・・・園内に建立されていた井上馨の頭の上に・・何か・・何かいる?・・あっ!!あぁ~頭に鳩が!!
世が世であれば不届き者(鳥)と捕縛され、焼き鳥の刑にされかねない鳩さん・・何という平和な光景😅 湯田温泉街の街歩き、明日に続きます。
訪問日:2012年11月18日
伊藤博文とは終生盟友として行動しますが、井上自身は宰相の座の一歩手前まで行きながらついには手が届かなかった。
伊藤が下級藩士の出である一方、井上家は毛利元就の時代からの名門で、井上馨自体も長州志士の中では珍しい中級階層の出でした。
ワタクシの職業的興味でいえばは彼は三井財閥との関係が深く、三井が日本屈指の財閥になりえたのも井上との深い関係(悪い言葉でいえば癒着)があったからこそ。
個人的にはお金に清廉な政治家よりも商売にも目端が利く政治家のほうが好きです。
だってお金に清廉=経済が分かってない。
損得勘定が出来なければ国家運営は出来ません。
難しい事は分かりませんが、まっちさんの言う通りだと思います。
両方を併せ持った政治家・・・
今の時代では無理なんでしょうかね。
白河の清きに魚も棲みかねて
もとの濁りの田沼恋しき
お二人のご意見に賛成です。
江戸文化は栄えた・・と思います
綺麗ごとだけ、うわべだけでは
政治も世の中も回りませんよね。