車泊で「ご当地マンホール」

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吉備津彦神社~其の二 in 岡山県岡山市北区

2021年08月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

備前国一宮「吉備津彦神社」、御祭神の『大吉備津彦命』と共に相殿神として『若日子建吉備津彦命(弟)・孝霊天皇(父)・孝元天皇(兄弟)・開化天皇(甥)・崇神天皇・彦刺肩別命・天足彦国押人命・大倭迹々日百襲比売命(姉)・大倭迹々日稚屋比売命(妹)金山彦大神・大山咋大神』御縁者他十一神。

鳥居を潜り参道を進むと、左右には濃い緑に染まった神池が広がり、まるで緑の水を恋い慕うかのように木々が水の面にその影を落としています。

参道を挟んで左手の神池に浮かぶ亀島の東には五色島があり、その中央に大小の岩を円環状に並べた古代祭祀場と伝えられる「環状列石」が残されています。無論立ち入りは禁止されていますが、写真撮影は大丈夫のようです。

参道突き当たり、随身門の左右には、高さ11.5m、笠石8畳の「石造大燈籠」。これは安政6年(1859)に天下泰平を祈願して建立されたもので、6段づくりの石段には1670余名の奉納者名が刻まれています。

普段であれば手を清めて特に気にもかけない手水鉢。実は元禄10年(1697)の『池田綱政公』社殿造営の折、有名な石工『河内屋治兵衛』が奉納した手水鉢なんだそうです。

「この大杉に龍の宿る」という伝承をもつ、樹齢千年以上の御神木「平安杉」。昭和5年の社殿火災の火に晒された幹の空洞化に、更に老朽化が進行。倒木の恐れがありましたが、2004年に大治療を行ない見事持ち直したそうです。

岡山市指定文化財の石灯籠と随身門、その右手に見える緑の法被の方は神社案内の方で、手水鉢や御神木、石灯籠等々・・色々と楽しいお話を聞かせてくださいました。

本殿から右手に進むと岡山市指定文化財の「子安神社」の社殿。『伊邪那岐命・伊邪那美命・木花佐久夜姫命・玉依姫命』を御祭神とし、岡山藩主池田氏の崇敬が篤かったことから摂社になったとされています。

子安神社の北側には「下宮・伊勢宮・幸神社・鯉喰神社・矢喰神社・坂樹神社・祓神社」の七末社が鎮座。「鯉喰神社」の御祭神は、『楽々森彦、命荒魂』「矢喰神社」の御祭神は『吉備津彦命御矢』で、この二社は、『吉備津彦命』と『温羅』の伝説に因んでいます。

「末社:温羅神社」『温羅属鬼之和魂(大吉備津彦命に討たれた鬼・温羅の和魂)』を祭神とします。

他にもまだ15の末社が鎮座されていましたが、残念な事に画像には残していません。境内の一画にあった「古代御社図」。そこには備前国一ノ宮の在りし日の姿が書き残されています。

鶴島の一画に建立されていた『服部忠志』の歌碑【素枯れたる しもとさびしき山窪に はだれは白し すぐるしくれも】

2015年の参拝時が初見であった「吉備の巌」。注連縄で守られた結界の中の二つの石が意味するものは・・。御神体山である「吉備の中山」の山上には、その昔の神の磐座があると言われています。もしかしたらここは、磐座を遥拝する為のものかも・・等と勝手な想像です。

参拝日:2007年9月22日&2011年8月16日&2015年4月27日

明日のブログは岡山県を離れて、広島県福山市に鎮座される「備後一宮:吉備津神社」を訪ねます。


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