昨日に続いての施設見学は碧南市浜寺にある「九重みりん時代館」。ここには、三河みりん及び九重味淋の祖・石川家に伝わる古い道具や古文書が展示されているとの事で、楽しみにしていたのですが・・・例によって例の予約を(ーー゛);
こちらは「九重味淋株式会社」が見学を許可するもので、となれば、当然前もっての連絡が必要です。今更ながら、どうしてもこうも下調べを充分にしておかなかったのか・・反省しきりの二人。ありがたいことに、こちらでも「こんな雨の中をわざわざに・・」という事で、見学を許可されました。(この日以来我が家の味醂は、九重味醂に変更されたのは言うまでもありません。)
「三河みりんの醸造を最初に始めたのは、三河國大濱村(現:碧南市)で廻船問屋を営んでいた石川八郎右衛門信敦。九重味淋の創始者となった人物です。信敦は、廻船問屋として全国各地から仕入れた情報から、三河地方が本みりん醸造に適していると考え、安永元年(1772)に碧南の地で初めて味醂をつくり始めました。そうして作った味醂を自分の船に積み込み、江戸の新川へ水路で運んでいったのです。この本味醂に注目したのが、当時繁盛していた鰻屋や蕎麦屋です。調味料として使い、その品質の高さを評して「三河味醂」と呼び、親しまれるようになったといいます。」公式ホームページより
係りの方の案内で入り口にある階段を上った先が、みりんの専門博物館「九重みりん時代館」。長い年月、味醂づくりの為に頑張ってきた道具たちが静かに私たちを出迎えてくれます。
明治の頃に使われていた足踏み式精米機。
「時代館」の壁に掛けられた賞状の数々
明治33年(1900)の「パリ万博」に出品した際の受賞額。この当時の日本の企業が、西洋の万博で賞を取った・・・きっと大ニュースだった事でしょう。美しいデザインの賞状の中に書き込まれた「JAPAN」の文字、思わず頬が緩みます。
ケースの中に納められた数々のメダル
歴代の味醂のラベルや当時の世相を反映したパンフレットの数々。元々、商業デザイン、特に昭和の時代までのラベル類が大好きな二人には、垂涎物です(^^;)
延享三年十月 初めて「みりん」の文字が登場した際の、石川家古文書。
展示室の真ん中に展示されている「和漢三才圖會(わかんさんさいずえ)」は、正徳2年(1712)頃に出版されたといわれる日本の百科事典。中国の「三才図会」を手本とし、和漢古今に渡る事象を天文、土地、山水など105部門に分けて記されています。
ケースの中には沢山の古文書が・・
個人的に一番のお気に入りは、この重厚な看板二種
派手ではありませんが、歴史を感じさせる看板も捨てがたい。
時代館の中に展示されている道具の使い道を尋ねれば、実際に使われていた使い方を実演してくれます。何もかも物珍しく、心惹かれる道具の数々、来られて良かった!!心からそう思いました。
時代館の見学が一通り終わったら、味醂醸造の工場内の案内もしてくださいました。
宝永3年(1706年)に建築され、天明8年(1788年)に移築された黒塗総下見板張の土蔵造りの大蔵。蔵のタンクは、床から少し浮かせた状態で置き、上部には木の蓋をかぶせています。地面の温度から直接影響を受けないように底上げし、みりんが呼吸できるよう、木製のふたを使っているのです。巨大なタンクの中で、じっくりと醸造されてゆく味醂・・・出荷の時まで静かに眠っています。
昭和23年(1948)には『三笠宮殿下』が、また2000年には『秋篠宮同妃両殿下』が御視察された由。もしかして今私が見ているものと同じものをご覧になられたのかと思うと、感動さえ覚えます。
見学を終えて記念に写していただいた一枚。ヘアーキャップを着けたままなのは、工場見学をしたと云う証のようなもの(〃∇〃)
味醂館を後にした私たちを追い立てるようにまたしても雨が・・・今はまだ小雨の状態なので、ほんの少しだけ周囲を散策することに。
しっとりと雨に濡れた白漆喰と黒板塀のコントラストは、これ以上ないほど日本的で美しい。長い歴史によって受け継がれてきた最高の技術が、今もこの中で作り続けられている事に感動さえ覚えます。
本当は「大蔵」も含めて、この一帯をゆっくりと歩いてみたかったのだけど・・・そんなに遠い場所ではないのだから、またいつかチャンスがあるかもしれないよ。・・・・又いつか、うん、きっとまたね。
訪問日:2011年9月20日
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