車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

泉佐野市内巡り in 大阪府泉佐野市

2023年02月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

目的地に向かう折々に見かける素敵な景色、と言っても車中から見かけるものは、大概の場合指をくわえて見送るだけなのですが・・(^^;) 

日根神社参拝の折に見かけた立派な塀。そこに大層大きな木の化石が幾つも並べられています。最初は庭石を並べてるのかと思ったのですが、近寄ってそれが全部化石だとわかって、何というか・・とりあえず凄いです(((((^_^;)

泉佐野市本町にある「旧新川家(にいがわけ)住宅」。もとは18世紀末から同地で醤油業を営んでいた住宅で、泉佐野市の指定文化財となっています。

入母屋造本瓦葺の町家建築ですが、木割が太く豪壮な農家風の部分もあり、邸内には江戸・明治期の商いや生活の様子を伝える展示がされ、町屋の暮しぶりを間近に見ることができます。

このお宅は、きっとタバコを販売していたお宅でしょうね。壁の中央部の丸いふくらみがショーウインドウ。ほら上に「TABACCO」の文字が。

泉佐野市上之郷にある小さな児童公園の一画に残る「茅渟宮(ちぬのみや)址」。茅渟宮とは上之郷にあった古代の宮・・・。それと思って探さなければ見つからない程ささやかで、実際に車に乗ったままだった私たちは、二度も行き過ぎてしまいました。

それは5世紀中頃の話、『允恭天皇』は皇后の妹姫である『衣通姫(そとおりひめ)』を愛していましたが、皇后の嫉妬を避ける為、天皇は姫を都から茅渟宮に移しました。遊猟と言っては姫のもとへ通う天皇でしたが、皇后の怒りからそれもできなくなった時、衣通姫は【とこしへに 君もあへやも  いさな取り  海の浜藻の  寄る時々を(海の浜藻が波のままに岸辺へ近寄り漂うように、まれにしかお会いしておりません)】と詠いました。

宮の跡には、この歌を万葉漢字で記した石碑が建つのみ。古代のこの場所がどんなだったかわかりませんが、決して華やかな地ではなかったでしょう。皇后の怒りにふれて、好きな女を1人寂しくほうっておくなんて・・・男らしくない。それ以前に、妻の妹に手を出した時点で両方を納得させられない天皇って、情けない(笑)(その当時、妻の身内を愛人にするのはごく普通)

市内を走っているとき偶然目に付いたこのお宅、とても立派な鏝絵が施されています。本当は車から降りて、もう少し大きく鏝絵を写したかったのですが、よそ様のお宅なので・・・・。

泉佐野市南中樫井町、ここに慶長20年(1615)に発生した大坂夏の陣「樫井古戦場跡」の碑があります。

大坂冬の陣で堀をすべて埋められてしまった豊臣家が、江戸幕府に対して決行した最後の抵抗。樫井の戦いは、それを鎮圧する為に行われた大阪夏の陣の一つで、樫井の合戦で幕が開きました。結局この戦いによって、豊臣家(羽柴家)は滅ぼされ、徳川による「江戸幕府」が開闢(かいびゃく)しました。

樫井古戦場跡がある場所は明治大橋の北詰に位置します。「明治大橋」と刻まれたこの石柱、おそらく先代のものでしょう

訪問日:2015年10月8日

 

コメント (4)
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