週刊サッカーダイジェスト10月14日号
植木監督の特集、「私はこんなサッカーが好きだ」を読んだ。
今回は後編で、現役時代からトップの指揮官になるまでの道のりを振り返っている。
前編はポゼッションスタイルへのこだわりについてだったそうだが、僕は見逃してしまった。
1996年シーズン途中から退団した前任者のあとをうけてベルマーレ平塚の監督に就任。
Jリーグ植木繁晴監督の誕生。
96シーズンは、平塚の中盤にはベッチーニョと中田英寿というふたりの優れたゲームメーカーがいた。
当時の平塚はベッチーニョのチームで、彼をはずせずヒデがうまく生きなかったそうだ。
97シーズンは、「ヒデのチームにするんだ。」と決めて彼を生かすためのチーム作りや練習に頭を悩ましたそうだ。
向上心の強い若者は、毎日練習の意図を監督に聞いてきたり、起用法にまで言及したそうだ。
「自らのビジョンを選手に対してハッキリと提示する。その大切さは、ヒデを納得させるための対話を通じて学ぶことができたと思う。」
ヒデは、監督業の楽しさと辛さを同時に教えてくれた選手だったそうだ。
ということは、植木繁晴の監督としての原点は「中田英寿」だったということか。
植木さん、ヒデ、草津に呼べませんか............ダメかぁ。
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