きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

後を絶たない学歴詐称

2009年05月30日 | 政治・社会・経済
 総理大臣を含む政治家、宗教家、企業家、作家、芸能人・・・などなど、どの分野、どの業界に関わらず学歴詐称が後を絶たない。

 従来は、実際より高い学歴を名乗ることで肩書きに箔をつけることが狙いであったのが、最近は大卒であるにも関わらず高卒にして県や市の職員の高卒枠で採用されるなど(大阪市職員400人以上が有名)、低学歴への詐称も問題となっている。 低学歴詐称は就職難の時代の対応策として許せる部分もあり、そもそも学歴で採用枠を決めること自体が時代遅れで、問題であろう。

 30年程前までは、平均的に見て、高卒と大卒では知識レベルや社会性などで明らかな差があったのだが、最近はどうも違うらしい。「知識偏重で行動力が無いやつはだめだ、頑張りの効く体育会系の大卒が良い」などと言われた高度成長時代もあったのだが、最近のように異常増殖(培養?)した大学生は知識も体力も乏しくて、実力的には高卒レベルの大卒も多いし、逆に大卒レベルの高卒もいるのだから。

 それにこの不況下で、博士号取得者の就職率が6割しかないという現実もあり、乱発された博士号の価値は昔ほどでは無くなっている訳で、 末は博士か大臣か!といわれた昔でも、叩き上げの中卒社長の下で博士が働いたりしていた訳だから、学歴なんか意味が無いと思いたいが、実はそうでもないのが現実で・・・

「箔をつけるための学歴詐称」に走る権威主義者達に取り入ってぼろ儲けしているのが、ディプロマミル(diploma mill;証書工場)(degree mill;学位工場)である。
 実際に就学せずとも金銭と引き換えに高等教育の「学位」を授与する(と称する)機関、組織、団体で、その活動は「学位商法」といわているようである。世界中にあるようで、まれに、正当な学歴や実績をもつにも関わらず、ディプロマミルから学位授与されている大学教授などもいると聞くので話はやっかいです。

 つまり学位を金で買ったと自覚している人と、正当な学位を授与されたと信じている人がいるということですね。そんな風にまぜこぜにしておくことがディプロマミル側の作戦なのでしょうね。「こんな有名な先生も当大学から博士号を授与されているのですよ!」というのは良い宣伝材料ですから・・・。

 ディプロマミルの発行した学位を使用していた場合、軽犯罪法第1条15項(称号詐称の罪)で処罰される可能性もあるらしいのですが・・・ 最近も、たまにテレビに出ているウオーキングのデューク更家さんも「ドクター更家」などといわれ(自称?)ていましたが、博士号は国際学士院大学から授与されており、もちろんこの大学もディプロマミルなのですが、和歌山県民賞?かなんかもらったりしたせいか、最近は「ドルター」はあまり使わなくなっていますね・・・気のせいかな。

先代の砕氷艦「しらせ」

2009年05月22日 | 日々の暮らし
2隻の護衛艦DD-102「はるさめ」、DD-111「おおなみ」と並んで先代の砕氷艦AGB-5002「しらせ」が停泊していました。ちなみに新型「しらせは」AGB-5003で近い内に横須賀港に来るそうで、その時は新旧「しらせ」が並んで見れるそうです(最初で最後)。

 私たちのイメージでは南極観測船「しらせ」で、なんとなく文部科学省の管轄かな・・・と思っていましたが、「砕氷艦」と呼ばれるれっきとした海上自衛隊の艦艇なのですね。

 他にも艦番ASY-91・迎賓艦「はしだて」という、内外のお偉いさんが来た時に、パーティー(ディナークルーズかな?)をするための船もあったりして、まさに何でも有りの海軍さんですね。
 言い訳がましい感じがしますが、「はしだて」は災害時等のいざと言う時には病院船として使われるそうです、念のため。インフルエンザの患者の隔離などには最適でしょうね、歩哨つきですし・・・。

シーフレンドⅤ

2009年05月22日 | 三浦半島ぶらり散歩
「YOKOSUKA/軍港めぐり」はこの船に乗って行います。
全長24.5m、旅客定員177名、19トンの小さな船です。
横須賀本港は日米安全保障条約に基く制限水域に指定されているため、一般の船舶の航行は禁止されていますので、このツアーでしか港内は見れません。
45分間のツアーですが、結構楽しめました。お奨めです。

磁気感応式機雷に注意

2009年05月22日 | 日々の暮らし
「YOKOSUKA軍港めぐり」で最も関心を持ったのが「横須賀消磁所」である。
横須賀本港出口あたりの相当広い範囲に、海中から突き出した沢山の柱があって、ここが「消磁所」である。
 船体が帯びた磁気の強度を測定して、消磁する作業を行う日本で唯一の施設で、日米で共同使用しているらしい。戦前から大日本帝国海軍工廠として使用されているらしい。

 艦船のほとんどは鋼鉄製であるため、長時間使用すると磁気を帯びる(磁化される)ため、定期的に消磁作業を行わないとならないそうだ。すなわち海上自衛隊の艦船のほとんどが、この作業の為に定期的に横須賀基地に来ている事になる。

船体が磁化されると、敵国?などが敷設した「磁気感応式機雷」に反応するリスクが高くなるためらしい。今時機雷なんて・・・と思ったら、太平洋戦争で日本近海に敷設された機雷が約15,000発で、戦後ずっと処理作業を続けてきているが、まだ300発ほどが残っていると推定されているとのことで・・・驚き!。
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護衛艦「さわゆき」

2009年05月22日 | 日々の暮らし
DD-125護衛艦「さわゆき」、チョッと離れるとこんなに小さく、スマートに見える。
なんか小回りが効きそうで、「あたご」みたいな衝突事故なんて起こさなそうに見えますが、なにしろ鉄の塊だからネ。ちなみにこの艦は全長130m、2,994トン、乗員200名。

思っていた以上に大きい護衛艦

2009年05月22日 | 日々の暮らし
 「YOKOSUKA軍港めぐり」で横須賀本港から長浦港へ移動する途中、入港してきて接岸準備に入ろうとしている艦番DD-125、護衛艦「さわゆき」の側を通過しました。

 海に浮かんだ船は、遠目に見ていると、周りに比較する物が無いため、大きさが分かりにくい(実感できない)のですが、側で見る護衛艦は一言「でかい!」。

写真は遊覧船の上甲板から撮影。でかすぎて画角内に入いりきらない。
灰色の船体は威圧感があり、まさに軍艦。

最後の時を待つ「標的艦」

2009年05月21日 | 日々の暮らし
 「標的艦」などというと太平洋戦争後に米軍に接収され、ビキニ環礁の水爆実験などに供された日本海軍の長門を初めとする戦艦がイメージされるが、なんと現在でも存在するという。
 自衛隊での射撃訓練の的として、あるいは新規開発した武器の威力を検証するための的として実際の艦船、といっても退役した艦船、の一部がスクラップされるのではなく「標的艦」として使用されているらしい。
 当然、射撃でボロボロにされて海の藻屑となり、海底深くで漁礁となるらしい。

 「横須賀軍港めぐり」で初めて、その「標的艦」なるものを見た。
自衛艦隊司令部の前の岸壁にかなり大きな船で白線の縞(1m間隔)が入った船が停泊しており、艦番は消してあるが、これが2007年に除籍された元護衛艦隊旗艦、ミサイル護衛艦「たちかぜ」だと言う。 
 手前に艦番5103海洋観測艦「すま」が停泊していて全体が見えないが、火器類は取り外されてはいるが、レーダアンテナなどはそのままで、なんとなく勿体ない気がするが、これも自衛隊の錬度を高めるためには致し方ないかな。

 ところで、こんな実際の艦艇を的に使った実弾射撃訓練はいったい何処でやっているのだろう?。もちろん日本の領海内であろうから、宇宙ロケットの打ち上げや、北朝鮮のロケット発射で、操業停止など漁業に影響が出るのであるから、当然なんらかの規制が一般船舶にはあるのだろうが、そんなことが報道されたためしはないので・・・一般市民には知らせなくてもいいのかな・・・どうなっているのでしょうか、などど要らぬ心配までしてしまった。
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イージス艦「きりしま」

2009年05月21日 | 日々の暮らし
「横須賀軍港めぐり」では米軍が4隻、海自が1隻のイージス艦が見れました。
米軍のイージス艦はいつも3~4隻停泊していますが、海自のイージス艦を真近で見るのは初めてでした、とは言っても全く同じ形状をしているので、船首の「艦番」でしか区別はつきませんが。

 日本が保有するイージス艦は6隻、韓国とインドが1隻、アメリカは80隻以上保有しているとのことで、日本全土は3隻でカバーできるそうです。
1隻1,500億円だそうですが、もう日本は十分でしょうね。
DDG-174ミサイル護衛艦「きりしま」が停泊していました(写真)。艦橋横に亀の甲羅のような板状のフェーズド・アレイレーダーが見えています(ちょっとぼけてますが)。ちなみに艦番3桁は実戦配備されている船だそうです。
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横須賀軍港めぐり

2009年05月21日 | 日々の暮らし
「世界最大最強のアメリカ海軍第七艦隊 日本最大の海上自衛隊艦船基地 軍港横須賀の今をその目で」

 というのが「横須賀軍港めぐり」のうたい文句で・・・いつか行こうと思っていた「横須賀軍港めぐり」にやっと行けました。

 午後2時出航の最終便は中高年の団体客や若いカップルに外人さんも混じって、結構賑やかでした。運賃は大人1,200円、これで45分間のクルーズが楽しめます。
 横須賀本港から長浦港に行って、両港をつなぐ新井堀割水路を通って横須賀本港に戻るコースで、お天気も良くて、潮風も気持ちよくて、結構楽しめました。

 陸側から見ているのとは一味違った景色が見れて、艦船や設備もなかなか見れないものがあったりして、思わぬ発見もあったりして。ガイドさんの説明も面白くて・・・、唯一つ早朝に空母ジョージワシントンが出航してしまっていたのが残念。

当日見た景色は今後掲載していきたいと思います。

ヴェルニー公園のバラを見ながらの散歩に、ミニクルーズ。
潮風をうけて、チョッと陽焼けして・・・健康的な1日でした。
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ミッキーマウスの木 26

2009年05月15日 | 日々の暮らし
ミッキーマウスの木の成長記録。

後ろの大きい2つが2007年11月に芽が出たものの中で生き残った2本。
手前の鉢の小さいの(実は3本の苗が育っている)が2008年10月に芽が出たものの生き残り。
芽が出ても、キチンと育つのは少ないみたいです。

今年になって、季節外れに開花したものの種で早くも芽が出ているのが1本。
現在親の木には30~40個の実が付いているが、その内何個芽が出るか・・・。今年は、もう一回は花が咲くと思うので、今後が楽しみ、楽しみ。
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巡視船「しきしま」

2009年05月14日 | 三浦半島ぶらり散歩
 5月13日、空模様が心配だったが、まず雨は降らないだろうと思い、妻とY150横浜開港博に出かけてみた。
 平日のいつもの人出よりは多くの人がいて、少しは博覧会らしくなってきた。
 ラ・マシーンの蜘蛛も足を動かしたり煙を噴射したりして動いていたが、人が操縦して自力で歩いていると思っていた妻は、蜘蛛の足が地面に着いていないことと、フォークリフトみたいなのが胴体を持ち上げて移動させているのを見て「がっかり!」していた。「あんなのより、アシモを10体位会場で自由に歩かせておいた方が面白いのにねエ~」などと勝手なことを話しながら赤レンガ倉庫へ移動。
人っ子一人いなかった先週と違ってそれなりの人出だが、本番は夏休み頃かな・・・という感じ。

 第3管区海上保安本部のブースに久しぶりに「しきしま」が停泊していた。
「しきしま」はソマリアの海賊対策に行っていると思っていたが、そういえば行っているのは海上自衛隊の護衛艦で海上保安官は乗船しているだけだっけ。

 「しきしま」という世界最強といえる巡視船があるのに、なんで護衛艦が行く必要あるのかな?。
 なにしろ「しきしま」はプルトニウム運搬船の護衛用(テロリストなどに奪取されないよう護衛する)に建造された大型で重武装の船で、海賊相手ならこの船で必要十分と思うのですがね・・・自決も辞さない訓練された兵士が乗っている北朝鮮の不審船は巡視船に任せて、食うや食わずの漁師などが乗る海賊船への対応になぜ護衛艦が必要なのでしょうか・・・、密輸船、密漁船、不審船、海賊船など小型船舶の取り締まりは海上保安庁・巡視船が得意なはずで、護衛艦はあくまで潜水艦、戦艦、飛行機(ミサイル)などが相手でしょうに・・・やっぱり何が何でも護衛艦を出したい人たちがいるのでしょうね。

気仙沼中学校体操部

2009年05月11日 | 日々の暮らし
写真;
昭和38年夏、気仙沼中学校体操部、最後列向って左端が2年生の私。痩せているけど、結構腹筋は割れていたのです

 昭和37年(1962年)気仙沼中学校に入学し、すぐに体操部に入部した。
小学生の時から運動は得意な方で、中学でどの部に入ろうか悩んだが、ユニフォームがなんとなくオシャレな感じがして、中学校の出来たばかりの体育館も、世間で良く見るかまぼこ型のそれではなく、正方形の洒落たデザインのコンクリート製の立派なもので、設備も充実していたからだが、「体操日本の将来を担うぞ!」・・・などという大層な思いも多少はあったりして・・・。
 ちなみに、体育館完成の折には、たしかテレビの何かのショー番組の公開録画があり、当時人気があったコメディアンの伴淳三郎(ばんじゅん)などが出演したりして、町全体で祝ったものである。

 新人の練習はきつかった!。なりたて中学生の体は全然体操用に出来ていなくて、毎日毎日筋トレにあけくれて、それでも夏休み前には、床でのバク転、バク中や鉄棒の基本技もそれなりに出来るようになっていて、手はマメでがちがちで、腹筋も割れてきて、多少は体操選手らしい体になってきていたのでした。放課後に暗くなるまで練習し、膝をがくがくさせながら坂道を降りて家路に着く毎日で、家ではバタンキューだったが、結構学校の成績は良く、父からは「文武両道が大切」と言われたが、とにかく何につけても負けたくなかったのは確かである。

 その後、2年生の夏に行われた中学校体育連盟本吉地方大会ではなんと個人総合で優勝してしまった。その直後に「腰椎カリエス」となり、県大会出場を目前にして1年間の闘病生活に入ることになるのだが、この当時はまだ知る由もなかった。
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