きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

気仙沼を訪ねて

2011年08月29日 | 気仙沼
震災後、初めて気仙沼市を訪ねた。

前日、仙台市の善応寺にある両親の墓が倒壊しているのを目の当たりにして気が滅入っていた。

仙台在住の兄からは、気仙沼の状況はまだ酷くてヘドロや蠅の多さなど報道されているものの他に兎に角悪臭がすごいという話を聴いていた。

そんなことで、相当覚悟をして来たが、とくに地元で被災した同級生たちに何と言葉を掛けたら良いか迷いながら出かけてきた。

気仙沼駅から三日町辺りまでは全く旧来通りの町の佇まいであり、悪臭も全くなく、道路も綺麗であり、少し拍子抜け。

浜見山の気仙沼中学校の体育館や校舎の教室には未だ一次非難されている人達がおり、校舎前には洗濯機が並んでいたり、教室の窓には洗濯物が干されたりしていた。

校庭の一角にある仮設住宅の少なさと小ささに驚く。二人用だと1Kの住宅になるようだが、いくら仮設とはいってももう少し何とかならないのだろうか。

港近くの繁華街は無残に破壊されていたが、破壊されたなりに整理されていて、瓦礫など全く無く、道路も綺麗であり、壊れた建物と静けさが奇妙な調和をもって違和感なくその中に身を置くことができる。

誰が造ったか浮きのガラス球を並べた「グランド・ゼロ」のモニュメントがあり、地盤沈下に伴う冠水がそこここにあり、盛り土されて高くなった道路を一般の車両が普通に走っている。

ビルの並び方のせいで津波の水の流れが影響を受けたのだろうか、すごく壊れた建物と見た目それほど壊れていない建物とが隣り合っていたりするのも不思議である。

周りがやられているのに、土蔵だけがシッカリ残っているのにも驚かされる。基本的に建物内に水が入らなければ壊れにくいということなのだろうか。

来年のクラス会までには少しでも復興が進んでいることを願うばかりだが、地元の同級生たちが皆元気で頑張っていることがなによりの安心であった。



気仙沼中学校の教室には未だ一次避難の人達が暮らしている。





校庭の一角に仮設住宅がある。意外に数が少ないのに驚く。遠く見はらすとあることすら分からないほど屋根が低く、暑さが窺われる。





船着き場エースポート側は冠水しているが、冠水面積は想像していたほどではない。





手作りのGROUND ZERO 「風の広場」のモニュメント。





土蔵がしっかり残っている。





こちらの土蔵もしっかり残っている。手前のコンクリート土台の新しさが悲しい。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>