きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

気仙沼中学校体操部

2009年05月11日 | 日々の暮らし
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昭和38年夏、気仙沼中学校体操部、最後列向って左端が2年生の私。痩せているけど、結構腹筋は割れていたのです

 昭和37年(1962年)気仙沼中学校に入学し、すぐに体操部に入部した。
小学生の時から運動は得意な方で、中学でどの部に入ろうか悩んだが、ユニフォームがなんとなくオシャレな感じがして、中学校の出来たばかりの体育館も、世間で良く見るかまぼこ型のそれではなく、正方形の洒落たデザインのコンクリート製の立派なもので、設備も充実していたからだが、「体操日本の将来を担うぞ!」・・・などという大層な思いも多少はあったりして・・・。
 ちなみに、体育館完成の折には、たしかテレビの何かのショー番組の公開録画があり、当時人気があったコメディアンの伴淳三郎(ばんじゅん)などが出演したりして、町全体で祝ったものである。

 新人の練習はきつかった!。なりたて中学生の体は全然体操用に出来ていなくて、毎日毎日筋トレにあけくれて、それでも夏休み前には、床でのバク転、バク中や鉄棒の基本技もそれなりに出来るようになっていて、手はマメでがちがちで、腹筋も割れてきて、多少は体操選手らしい体になってきていたのでした。放課後に暗くなるまで練習し、膝をがくがくさせながら坂道を降りて家路に着く毎日で、家ではバタンキューだったが、結構学校の成績は良く、父からは「文武両道が大切」と言われたが、とにかく何につけても負けたくなかったのは確かである。

 その後、2年生の夏に行われた中学校体育連盟本吉地方大会ではなんと個人総合で優勝してしまった。その直後に「腰椎カリエス」となり、県大会出場を目前にして1年間の闘病生活に入ることになるのだが、この当時はまだ知る由もなかった。
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