きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

河津桜 三浦の見ごろは過ぎました

2009年02月22日 | 日々の暮らし
 先週から今週にかけて、例年では見られなかった大型観光バスまで動員して沢山の観光客が三浦の河津桜+菜の花見物に訪れた。近所を見回しても特に目新しいイベントが行われている訳でもなく、商店会でなにか特別な取り組みをしたとも聞いていないので、どうして今年はこんなに人が訪れるのか不思議でならない。ひょっとして不況のせい・・・風が吹けば、桶屋が儲かる式に・・・?などと考えてしまうが、兎にも角にも多くの人が三浦にこられるのはありがたいことである。ただ、受け入れ側に対応できるキャパシティがないため、昼時にはいつもは閑古鳥が鳴いている食堂のまえにも長い列が出来、お客さんにご迷惑をかけてしまったようだ。
 いずれにしても、桜はすでに上の方には葉が茂ってきて、見ごろは過ぎています。先週が一番良かったかな・・・。
次の人出は、「三浦国際市民マラソン」ですが、その後は夏の花火大会までまた少し静かになります。
<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

夕照橋 無残

2009年02月21日 | 三浦半島ぶらり散歩
 前回の散歩の続き・・・
 金沢八景の平潟湾に架かる夕照橋は湾の入り口を跨ぎ、追浜と夏島をつないでいる。追浜は旧海軍航空隊があったところで、跡地に日産自動車の追浜工場が建っている(今は日産も経営が大変そうだけど・・・)。夏島は伊藤博文が憲法の草案を練ったところで、同じく日産自動車の敷地内に記念碑が建っている。夏島内の小山の上に展望台があり、高性能車や高出力エンジンの開発を競っていた時代には追浜テストコースを眺める(スパイする)絶好の場所だったが、今はどうなのか?

 ところで夕照橋がコンクリート製になったのは何時だったか忘れてしまったが、少なくとも30年前には今の姿であったように思うが・・・その上で牛若丸と弁慶が立ち回りを演じてもおかしくないほど古風な姿をしていて、周囲の景観と一致して美しかったのだが・・・なんと、今は真っ白けに塗られて、周りから完全に浮いていて、醜くなってしまっていた。昔は黒色(こげ茶かな?)で落ち着いた風情だったのに・・・。橋の管理は国土交通省なのか横須賀市なのか分からないが、なんということをしてくれるのでしょう。なにを考えて白く塗ったのでしょう。姿と色が完全にミスマッチで、やすっぽい白ペンキ塗りの夕照橋がかわいそうでした。
近隣の皆さんもこのままほっておく手はないと思いますよ。
<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

青色申告 ついでのお散歩

2009年02月20日 | 日々の暮らし
気仙沼での還暦祝いの会(気仙沼中学校昭和40年卒業生同年会)から戻って、しばらくはその余韻(後遺症)に浸っていたが、何時までもそうしてはおれず、定休日を利用して18日に横浜南税務署に青色申告に出向いた。

 最近、青色申告や確定申告は電子化されており、また書類を郵送しても済むのだが、1年の締めとしてかならず税務署に出向くことにしている。気持ちの問題かな。書類の作成は「弥生の青色申告」で何の苦もなく、あっと云う間にできてしまいますが・・・。

 最近クルマには全く乗る気がしないので、今日も歩き。新杉田からシーサイドラインを使って幸浦まで行き、そこから5~6分間歩くと南税務署。朝9時半には着いたが、時期も早いせいか人はチラホラしかいなくて、税務署員も手持ち無沙汰といったところ。申告書の提出はあっという間に済んで、さて帰ろうと思ったが、あまりに天気が良いのでこのまま帰っても勿体無いという気持ちになり、シーサイドライン沿いに金沢八景まで歩くことにした。

 小柴港を過ぎて、八景島を左に見ながら、海の公園へ。テニスの壁打ちをしている中年のおじさんや、ジョギングや犬の散歩をしているおばさんを見かけたが、ほかに人はいない。16号線を迂回して走ってくるクルマだけが多くてうるさい。
 道路は広くて綺麗で、海が近くて、松林が綺麗で、道路沿いにはおしゃれなマンションも多いが、見上げればベランダのエアコンや洗濯物やその他の生活用品の有り無しでみると、かなりの空き室が有りそうだ。未だ完売せず・・・というところか。今はマンション販売は大変で、不動産屋の倒産も多いが、かといって大幅値下する訳にもいかないのでしょう。
 安ければ買っちゃうのだけれども、ちょっと交通が不便だし、近くにショップは少ないし、シーサイドラインは料金がめちゃ高いし、まあクルマを使うことを前提にすれば良い物件なんだけど、これから住むには魅力ないなあ・・・やっぱり歳をとってくると、街中の何でも近くにあるマンションが良いなあ、多少空気が悪くても・・・などと考えながら、ひたすら歩く。
 夏島を過ぎ、夕照橋を越えて平潟湾へ。湾内は静かで、レジャーボートやヨットが沢山係留されていて、とても綺麗。おばさんが一人一生懸命キャンバスに向かっていました。途中のベーカリーでクッキーをお土産に買って、京浜急行で杉田に戻りました。

京浜急行金沢八景駅まで約2時間の散歩は実に爽快でした。
<鍼灸マッサージサロン・セラピット> 

三浦のさくら祭り

2009年02月16日 | 日々の暮らし
 三浦の河津桜が満開になり、いつもは閑散としている三浦海岸駅前は昨日の日曜日に続けて今日も人が沢山だ。高齢者ばかりが目に付くのは平日だから仕方がないとして、皆やたらと元気です。お目当ての小松ケ池公園まではちょっと距離がありますが、みんな賑やかに、楽しそうにウオーキング。結構結構。写真は早朝でまだ人出の無い頃のものです。

宴のあと

2009年02月14日 | 気仙沼
 気仙沼中学校昭和40年卒業生還暦祝・同年会に出席してから6日経ち、出かける時にはまだ七分咲きだった三浦海岸駅前の河津桜もほぼ満開となりました。11日の建国記念日には多くの見物客が小松ケ池公園に訪れていました。7日の同年会の気仙沼は時折小雪がちらついて、道路の水溜りには氷がはって、まだまだ冬の趣でしたが、三浦は余寒はあっても、春の足音がすぐそこに聞こえています。

 父も母も無くなり、現在 気仙沼には身内が誰も居ませんが、事あるたびに声を掛けてくれる同級生と暖かく迎えてくれる友達はありがたいと思います。還暦を迎えるまでには、人それぞれに様々な人生があったはずで、その時々に悩んだり、喜んだり、挫折したり、後悔したり、あの時ああすれば良かった・・・との未練も少なからずあるのですが、振り返れば真にあっという間の60年で、不思議な気持ちがします。

 現在の自分自身や同年会に参加した女性たちを見るにつけて、58歳でこの世を去った母が惜しまれます。当時33歳の私からみた母親は、次第に体も小さくなり、顔の皺も増えて、歩き方も頼りなさ気で、ときどき田舎に帰るたびに「母も大分老いたなあ~。」というのが実感で、守ってあげたい存在でしたが、自分を含めた現在の同年代にはそんな感じは全く無く「アラ還」などと言って、精神的にも肉体的にも益々盛んで・・・。

 あらためて思うのは、実は母も子供の自分が思うほど老け込んではいなかったのではないかと言うことで・・・心身ともに現在の自分と同じくらい充実していて、守ってもらっていたのは実はまだ子供の自分の方で・・・と思えば思うほど、一層惜しまれます。昨夜、母の夢を見たのも、同年会に参加した後遺症で、感情がまだ高ぶっているのかも知れません。

 次は何時みんなに会えるだろうか?。還暦を過ぎれば古希はあっという間に来ると言われるが、いつまでも若い気持ちと健康な身体を維持していけるよう努力したいと思っています。
<鍼灸マッサージサロン・セラピット>