きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

居合いは鞘の内にあり

2008年07月31日 | 居合・日本刀
居合い・抜刀術の勝敗は鞘の内にあり・・・。

 初太刀で勝負を決するのが剣術の極意であり、居合いでは刀を抜くまでが勝負で、刀が鞘走った時が最後となります。映画やドラマの斬り合いのように、あるいは剣道の試合のように刀を打ち合って攻防を重ねることはまずありえないのです。 二の太刀は飽くまでとどめなのです。一の太刀で斬り損じた時が、自分が死ぬ時と思った方がよいのです。なにしろ日本刀は重いので、返し技など思うようには出来ません。現代の剣道の試合で見るような、見せ太刀を振るって牽制(フェイント)してから二の太刀、三の太刀を振るおうなぞとセコイ考えをもっても、相手の胆力が優れていて、相打ち覚悟で一撃で倒そうと狙っている時にはおいそれと見せ太刀を振るうことなど出来ません。

 侍と違って、武芸者(芸者)は絶対倒されてはいけないのです。自分が死んでしまっては、これまでの修行が水の泡となるのです。一派、一流を作り上げ、弟子を増やし、後世に名を残すためには、途中で絶対に死ぬことはできないのです。
 どんな手を使っても勝たなくてはならないのです。フィクションですが、宮本武蔵の京都三十三間堂、一乗寺下がり松、巌流島などでの戦いかたが武芸者の実態だろう思います。だまし討ちや不意打ちの類は当たり前だったのです。

 侍の場合は自分が死んでもある意味かまわないのです。侍は主人と「ご恩と奉公」の関係でなりたっている商売で、しかも「ご恩=家禄」は自分がいただいているのではなく字のとおり家がもらってるので、自分の死より家としての「ご恩と奉公」の関係が維持されることが全てなのですから、いかに立派に(江戸時代であれば儒教・朱子学に規定された立派さで)死ぬかがより重要なわけです。
 相手を殺したら、その場で自害するのが立派なのですから、こんなルールでは武芸者はたまったものではありません。侍は映画やドラマでのように簡単には刀は抜けないのです。めったなことで斬り合いなんか出来ません。町人など簡単に無礼討ちなどには出来なかったのです。恥ずかしい死に方をしたら(後ろから切られる、刀を抜かないで斬られる、ふんどしが解けていた・・・など)、士道不心得として、お家断絶にもなってしまうのですから。

 さて、斬り合いの極意は、下の下は相手の刀を払ってから斬ること、下は相手の刀を受けてから斬ること、中は相手の刀をかわして(よけて)から斬ること、上は相手が切り込んでくる前に斬ること、上の上は相手が刀を抜く前に斬ること、と言われますが、もっと言えば相手が戦意を持つ前に斬ってしまうのが一番なのですね。恐ろしい・・・・!!! 

<関東戸山流居合道会>

刀の刃音とは?

2008年07月29日 | 居合・日本刀
 日本刀を振ると「ヒュー」「ピッ」といった音がします。
これを刃鳴り・刃音といいますが、実態は流体(空気)の中を棒体(日本刀)が移動するときに生じる空気振動による音で、野球のバットを素振りした時の「ブーン」「ブッ」といった音や風の強い日に電線がブーンとうなっているのも同一のものです。
 空気振動は棒体(日本刀)の両面から交互に生成され後方に放出される空気の渦であるカルマン渦(Karman Vortex)により生じます。その音の高さは棒体の厚み(日本刀の厚さ)に反比例し、振るスピードに比例しますので。厚みの薄い刀を、速く振るほど高い音がでます。その音を聞けば、刀を振る鋭さが判断できます。「ピッ」といった高く、短い音がでるほど鋭い振りといえます。

 日本刀には両面に樋という溝を切ったものと、切っていないものがあります。樋を入れるのは、自分にあった刀の重さを、刀の強度をできるだけ損なわないようにして実現するための止むを得ない工夫の結果でありますが、実は樋をいれた刀ほどカルマン渦の生成が容易になります。つまり樋を入れた刀ほど、それを振ったときに「いい音がする」訳で、樋の無い刀で刃音をきれいに出すのは(実際の斬り合いでは刃音は何の意味も無いのですが)、相当鍛錬した者でも容易ではありません。一方、実用面で見れば、カルマン渦の生成・放出によって、移動する刀の後部(下流側)が負圧になるため、刀を引き戻そうとする力が作用してしまっているのです。つまり、良い刃音がする刀ほど、空気抵抗が大きく、鋭く振れない刀なのです。

 刃音を嫌って樋の無い刀を使っている武道家もいますが、実は刃音が出ない(出にくい)刀は同じ力で振っても、樋のある刀より速く振れるので、より実践的なわけです。良く通販などで売っている模擬刀はみんな樋が入っています。ヒューと音がした方が素人の人には喜ばれますからね。

<戸山流居合道>
<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

フリーマガジン

2008年07月26日 | 日々の暮らし
 先日、高血圧の薬をもらいに某総合病院に出かけた。
いつものとおり、自動受付を済ませてから休憩室で病院や市が行っている健康セミナーや講習会のテキストや記事に目を通そうと思ったが、今回は側に目新しい綺麗な冊子が積まれていて、表紙には良く見かける「無料、どうぞご自由にお持ち下さい」の文字があり、いわゆる「フリーマガジン」で、健康や医療に関する一見科学的にみえる解説がされていて、その後にそれに関する健康食品やサプリメントの広告が満載という例のパターン。

 掲載されている食品や材料をざっと見てみると・・・黒糖バナナ黒酢、DHA、EPA、サメ生肝油、スクワレン、オメガ3脂肪酸、ベータグルカン、グルコサミン、ラクトフェリン、コラーゲン・・・・などなど。今話題の名前が並んでいて、これらの効果・効用の解説が相変わらず「針小棒大」で・・・。
 私がよくチェックしている独立行政法人「国立健康・栄養研究所」の「健康食品の安全性有効性情報」ではこれらの材料は、「ヒトでの有効性については信頼できるデータが見当たらない」、「○○薬との併用でおそらく有効と思われる」、「適切に用いれば経口摂取でおそらく安全と思われるが、妊娠中・授乳中の使用は避ける」、「食事以外から一度に過剰摂取するときは注意が必要」・・・など慎重な表現になっていて、「こんな実験結果も出ています。」程度のもので、必ずしもヒトを対象にして科学的・医学的に実験検証されていないものばかりであることを認識しておく必要があります。

 例えば女性に人気のコラーゲンについては、「健康食品の安全性・有効性情報」では、「・・・コラーゲンは健康食品として、俗に美容に良い、骨・関節疾患に伴う症状の緩和に良いなどと言われているが、ヒトでの有効性については信頼できるデータが見当たらない。安全性については、アレルギーを誘発する可能性が示唆され、妊娠中・授乳中の安全性に関する十分なデータが無いことから使用をさけるべきとされている・・・」とある(詳細は「健康食品の安全性・有効性情報」を参照してください。)コラーゲンは蛋白質の一種であり、食べると体内で一度アミノ酸に分解される、このアミノ酸を材料に体内でまたコラーゲンが合成される保証は何処にも無いのである。コラーゲンを食べるとコラーゲンができる訳ではないことと、他の蛋白質(肉、魚・・・)を食べてもコラーゲンは合成されることを知っておくべきだし、様々なアミノ酸を摂るべきという点からはコラーゲンという偏った蛋白質を取るより、魚、肉を食べた方がずっと良いのです。

 時間つぶしのフリーマガジンとは言っても、病院に置かれていればそれなりに信頼できる内容と患者さんは思ってしまうのではないでしょうかね・・・あきらかに疑似科学に属する誇大広告満載のこのようなフリーマガジンは病院側でちゃんとチェックして排除すべきではないでしょうかね・・・。フリーマガジンが何たるものかを理解しているヒトばかりではないですからね・・・「なんでこんな良い本がただなの!?」と不思議がっている・・・ありがたがっている・・・おばあちゃんもいるのですから。

 健康食品(健康補助食品)はほんとに要注意です。
ほんとうに効くなら医薬品とすべきで、ただし、そのためには医学的エビデンス(効用の科学的な実証)が必要であり、実験検証のためには、莫大な費用と時間がかかります。健康(補助)食品には十分な科学的エビデンスはありません。どこかの学者が実験した結果「こんな効果があるらしい、ただしラットの実験で・・・」なんていうのを、あたかもヒトに大きな効果があったように書いていたりします。宣伝のうたい文句は、こんな症状の人がこんなに良くなった、こんなに効果があった・・・癌に効いた・・たぐいの経験談ばかり(ゴーストライターの捏造が多い)ですからね。いわゆるバイブル本を使った違法商法もはびこっています。

 ダイエットのための中国茶で死亡した人が出たのもこの間のことですが、新奇なものを試すなら命がけの覚悟が必要ですね。大昔からそうやって試行錯誤を重ねて、多くの犠牲者の下に毒薬と良薬が選別されてきたわけで、何も自分から積極的にそんな実験に協力する必要はありませんね。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>


ハワイのロミロミ

2008年07月24日 | 旅行
 最近話題のマッサージ「ロミロミ」はハワイが起源なのだけれど、今ではオーストラリアやバリでもやっていて、勿論日本でもやっていて、タイ式マッサージや台湾式足ツボが日本ではやっているのと同じで、一つの流行ブランドなのでしょう。

 日本で生まれた指圧にしても日本国内よりはむしろ欧米で人気があり、特に東洋人が行う手技は繊細で「アシアン・ハンド」として好まれているようです。ハワイで「ロミロミ」を有りがたがって受けるのは観光客だけで、現地の人は案外「指圧」や「あん摩」などを受けているのかも知れませんね・・・というか、そもそも「ロミロミ」とはハワイの古代語で「あん摩、指圧」のことで、古代から続く医療の一つでしたが、今ではリラクゼーションをもっぱらとしているようで・・・。

 ロイアル・ハワイアン・ホテルのエステルームで何年か前に「ロミロミ」を経験しました。
 受付の女性はオリエンタルなカワイ子ちゃんでしたが、実際にマッサージを行ったのは身長190cmを超える、中年の白人のおじさんでした。デカかったけれどやたら優しくて、ちょっとオカマっぽかったのを記憶しています。
 いわゆるオイルマッサージなのですが、前腕を使って背部を広く軽擦するのが特徴と思っていたのですが、なんか結構 雑で、不器用で、あまり気持ち良くありませんでしたし、スエーデン式マッサージとどこが違うかも曖昧な施術でした。
僕の体のサイズに合わない手のでかさ!も落ち着かなくて・・・。

 基本的にマッサージはアシアン・ハンド(オリエンタル・ハンドと言う言葉は最近では使われないようです)が良いですね。 西洋人の特に男の施術者はだめですね(チョッとステレオタイプな思いこみだけど・・・)。もともと近代マッサージはヨーロッパ(フランス、ドイツ)で生まれ、軍人の体調管理や慰安のために行われていました。日本にも明治時代にドイツから帝国陸軍へと伝わりました。よく昔の戦争映画でナチス親衛隊の将校クラブなどのシーンが出てきますが、サウナとオイルマッサージはつきもので、マッチョなお兄さんが施術をしています(女性の施術者は出てきません)ネ。あとはシャンパンとシャンソン・・・これもナチス独逸へのステレオタイプなイメージかな・・・。

 スポーツトレーナーがやるようなドイツ式の力強いスポーツ・マッサージなどは良いんでしょうが、繊細さはやっぱり東洋人でないと出せませんね・・・といっても国民性なのか、韓国人や中国人の施術も結構荒っぽい時があります(あくまで、観光客向けなのでしょうが・・・)。日本人がどのマッサージでも一番上手なのではないでしょうか。


 ちなみに、一緒に「ロミロミ」を受けた女房は「チョッと肩がこっている」と口をすべらせたおかげで、肩をぐりぐりやられて、とても痛かったそうですが、いわゆるドーゼ(刺激)過多で、何日間か痛みが残ったようです。
 一般に観光地でやっている名物マッサージを受けて良い思いをしたことは残念ながら少ないですね・・・、期待しすぎもありますし、チェックが厳しすぎるからかな・・・商売柄ネ。

 ちょっと補足になりますが、「ロミロミ」がハワイ語で「あん摩、指圧」のことであるとするならば、日本では「あん摩・マッサージ・指圧」は今も医療行為であって、それを「ロミロミ」と呼ぼうが「ほぐし」と呼ぼうが、施術を行うには国家資格(厚生労働大臣免許)が必要になるわけで・・・ハワイの●●先生直伝などといっても何の意味も無く、法的には無免許マッサージと見なされるのですが・・・・固いことを言うとネ。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

刀の切れ味

2008年07月21日 | 居合・日本刀
日本刀の切れ味については、剃刀のような切れ味と兜も割ってしまう強靭さについて多くの伝説が残っています。
ケビン・コスナー主演の「ボディガード」で、ホイットニー・ヒューストンがふざけて構えた日本刀(彼女は真剣とは思っていなかった)にケビン・コスナーが投げ上げた絹のマフラー(?)がヒラヒラ舞い降りてきて、刃に触れたとたん音も無く両断されるという印象的なシーンがありましたが、これは西洋人が日本刀に抱いているイメージの一つでしょう。残念ですがあんなことはありえませんが。

一方、太平洋戦争で米軍のブローニング重機関銃の銃身を突撃してきた日本軍の軍人が日本刀で切断した逸話も有名です(連続発射で赤く焼けた銃身なら可能かも知れません?)。

 刀が、シャープな切れ味と鉄をも切ってしまう強靭さを併せ持つということは、刃物としての理想ですが、実は不可能なのです。斬るという目的で製造される刀の構造は、何を斬るのかで変わってきます。戦国時代のように甲冑相手の斬り合いでは重く、肉厚で、平肉の付いた刀(いわゆる、はまぐり刃の)・・・鉈や斧型・・・が有利ですし、甲冑など着ることのなくなった素肌剣法の時代には、肉の薄い、平肉の落ちた刀・・・牛刀や刺身包丁型・・・が有利となります。武器としての用法の変化に伴って、時代時代で刀の構造も変わってきたわけです。
鉄も斬れる刀もあれば、剃刀のような切れ味の刀もあると言った方が正確でしょう。

 現代の抜刀道では畳一畳分を巻いて、一昼夜ほど水に漬けたものを立てて、これを試斬用として使用していますが、これを斬るための刀の切れ味はほとんど刀の横断面形状の如何で決まってしまいます。つまり刀の鎬から刃先までの形状が真平らなものが良く切れます。古刀や軍刀で平肉がたっぷりついたものの切れ味はよくありません(鉄兜を割るには良いかもしれませんが・・・ただし、鉄兜を割る意味がない)。
 抜刀道の名人みたいな人がいますが、「刀7分、腕3分」といわれるほどで、ほとんどはそういう刀を特注で作ったり、磨ぎ師に注文して平肉を落とした刀を使用し、刃筋をしっかり通すことで裁断している訳です。時々抜刀道の大会で刃筋が通らなくて刀を曲げる人を見かけます(演武が終わった後、鞘にはいらない)。こんな刀ではもちろん「兜割り」はできませんし、逆に昭和兜割りとか、平成兜割りとか喧伝される刀は、それように作成されたものなのです。

 ちなみに江戸時代の剣客、針ヶ谷夕雲(無住心剣流開祖)は、「シャープな刃は刃こぼれしやすく、小さな刃こぼれでも相手の着衣に引っかかったりして思わぬ不覚を取る場合がある」として刃引きした(刃をつけない)刀を差していたといいます。この場合の日本刀は斬る武器ではなく、打撃する武器ということになります。鉄パイプで殴られても人は死にますが、まして薄刃の日本刀(刃が付いていなくても)で打撃をうけたら、ひとたまりもありませんね。いくらシャープな刃がつけられていても、鎖帷子を着込まれたらまるで斬れませんし、打撃であれば鎖帷子ではその衝撃力を防ぐことはできませんから、実戦ではこちらの方が有効かも知れません。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

抜き差しならない!?

2008年07月21日 | 居合・日本刀
刀に関連した言葉は沢山あります。
武士の文化が基にあってできた言葉であり、すでにその文化や慣習が廃れてしまった現在でも言葉だけが残っていて、今でも使われています。でもその言葉の起源を認識して使っている人はあまりいないのではないでしょうか。

「彼は社長の懐刀だ」;彼は表にはあまり出ないけれど、さぞ良く切れる人なのでしょうね。

「ここが目貫通りだ」;目貫は刀の柄を飾るアクセサリーです(現在では美術品)。刀をしっかり握るための手がかりとなる実用性もあったようですが、華やかで目立つものです。武士はとてもおしゃれだったのです。彫金の技術の粋がつくされており、家の格式にあったものを使用し、大名家などは金無垢が多いようです。徳川家のお抱え彫工では後藤家が有名で、小判などもここで作っていました、現在の造幣局かな。

「A氏とB氏が市長選で鎬をけずっている」;鎬は刀身の側面にある筋(一番厚くなっている)で、刀の強度を高めるための構造ですが、これが削れるほどはげしく切り結ぶ(刀を打ち合う)ことです。ちなみに相手の刀を受けるのはこの鎬の部分で、刃では受けません(欠けちゃいます)。

「彼女と抜き差しならない関係になる」;鞘と刀身がぴったりあっていて、刀を滑らかに抜いたり納めたりできるのが理想です。刀が曲がったりしてうまく合わないのをムリに鞘に入れようとすると途中で引っかかって、抜くも納めるも出来なくなってしまいます。にっちもさっちもいかなくなります。

「もとの鞘に納まる」;もとの鞘に刀が納まってめでたしめでたし。一旦抜かれた刀が、斬り合いの後、無事に納刀できて一安心。

「土壇場に追い詰められる」;土壇場とは罪人が首を切られる場所です。土壇場に引き出されて、座らされたら、万事窮すと諦めるしかありません。

「彼の優秀さは折り紙付きだ」;折り紙とは刀の鑑定書のことで、代々研ぎ師でもある本阿弥波家がその刀の真贋や価値を判断して保証書として発行しました。名刀「正宗」などは豊臣秀吉と本阿弥家が組んででっち上げた名刀であるともいわれますが、当時は千利休の「ルソン壷」などのようにいわゆる目利きが幅を利かした時代であり、価値観が大きく変わった時代なのでしょうね。

「奴もついに地金がでたね」;日本刀は中心部が軟鉄(硬さが低い粗悪な鉄)で表面が鋼鉄(炭素含有量の多い高級な鉄・玉鋼)で出来ています。折れず・曲がらずと言われるのはこのためです。非常に美しい表面をしていても、研ぎ減ってくると(特にコストダウンするために表面層の厚さが薄くなっている刀は)、下の粗悪な鉄が顔を出してきて、強度が下がりますが、美術的価値も低くなってしまいます。

「切羽つまった結果、とんでもないことをする」;切羽は刀の鍔を両側から挟んで中子(なかご;刀の本で、柄の中に入る部分)に固定するための楕円型の薄い板です。鞘の鯉口と接触していますが、これが詰まると言う表現は、刀が抜けなくなることで、追い詰められた状態かな・・・。

「恋の鞘当」;侍同士がすれ違うときは、相手を左に見ながらとなります。相手から抜き打ちで胴斬りされないようにということですが、これが右側通行の始まりであるらしいが・・・?。相手を左側に見ながらすれ違うと、腰に差している刀の鞘が当たる可能性があります。特に昔のように道幅が無い道路では、お互いに鞘がぶつかり合わないように注意してすれ違ったわけです。ここで、相手に遺恨があってけんかを売る場合(いわゆるガンツケかな)には意識して鞘を当てにいったのでしょうか(まともな侍ではまずありませんが)。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

音楽家の肩こり

2008年07月19日 | 日々の暮らし
 飛び込みでマッサージのお客さんが来ました。頚と肩のコリと腰痛を訴えていて、時間が無いのでマッサージを30分して欲しい・・・とのこと。
 頚が太く胸の厚みも並ではないので、「何かスポーツをされていますか?」とたずねたのをきっかけにいろいろ話していただきました。患者さんはクラシックの音楽家で埼玉に住んでいるが、三浦市の中高校で吹奏楽部の指導を十数年間しており、コンクールが近付くと頻繁に指導に来ているとのことで、指揮棒を振ったりしていると肩がこってしまうし、また頚がいつも張った感じで辛い・・・とのこと。 また自分自身も管楽器(トランペットよりデカイと言っていたが)の奏者であり、吹く時に頚の筋肉を強く緊張させる必要があり、そのため頚が太くなったと言っていた。背筋の発達も、良く来るウインドサーファー達並に発達しており、コントラバスのような相当重い楽器を使っているのかもしれないと思いつつ、あっというまの30分が過ぎました。

 さて、呼吸運動とは、言うまでもなく胸郭の運動によっておこる肺の拡張と収縮によりますが、その運動に使われる筋肉は呼吸筋とよばれます。横隔膜や胸壁筋が主体になりますが、実際には頚部、胸部、腹部の筋も共同して働いています。さらに姿勢をしっかり支えるためには腰部や下肢の筋も使われますし、また楽器を演奏するため指を速く正確に動かすためには上肢帯といわれる肩回りの筋肉の緊張も必要になりますネ。

 吸気で使用される筋、すなわち胸郭を持ち上げる筋は頚部にある胸鎖乳突筋、斜角筋、肩甲挙筋、胸部にある大胸筋、外肋間筋、肋骨挙筋、それに横隔膜です。呼気で使用される筋は胸部にある内肋間筋、肋下筋、胸横筋、腹部にある腹直筋、内腹斜筋、腹横筋、外腹斜筋などです。
 
 さて、頚肩のコリは使用する筋肉のオーバーワークにともなう筋の損傷とそれにともなう筋緊張による血行障害が原因の一つですが、ほかに重要なのは横隔膜と肩こりとの関係です。頚には7個の椎骨がありますが、各椎骨の間から頚神経という末梢神経が出てきており頚や肩や上肢などの運動や感覚を支配しています。この内第3頚神経(C3)は頚部を、第4頚神経(C4)は肩部を、第5頚神経(C5)は上腕外側の三角筋あたりをそれぞれ支配していますが、実はこの3本の神経は下に下って横隔膜も支配しており、横隔神経と呼ばれています。
 なんで頚から出た神経がお腹の方にある横隔膜を支配しているかというと、昔ヒトが魚類だったころ(現代でもさかなちゃんが居ますが・・・)のエラの名残だといわれています。前に「ウオーター・ワールド」という映画でケビン・コスナーが演じていた両生人間のエラが耳の後ろにありましたが、この位置だと頚神経が支配するにはピッタリですね。

 横隔膜自体やそれに近接する臓器、例えば肝臓、胃、心臓、肺、などに異常がある場合、横隔膜に分布している横隔神経の神経終末(感覚受容器)が異常をキャッチして脊髄を通って大脳皮質の体性感覚野に信号を伝えますが、この信号伝達の過程や大脳皮質での情報処理の過程で、もう一方の神経支配領域である頚、肩からの信号と錯綜してしまい、頚、肩に異常があると誤解し、反射的に防御的筋緊張を発生させてしまうのが内臓から来る関連痛・コリといわれるものです。
 鍼灸師は常に肩こりの原因を、筋肉そのものの問題、末梢神経の問題、中枢神経(脊髄、大脳)の問題、内蔵の問題、さらには心因性の問題と分けて鑑別を行うよう心がけているのです。前にも書きましたが、肺がんから来る肩こりもありますからね。
管楽器奏者は横隔膜のオーバーワークによる肩こりも推測される訳ですね。

(鍼灸マッサージサロン・セラピット)

気分はリーサルウェポン

2008年07月17日 | 旅行
 バンコクで休暇をすごし、帰国予定の当日にチョッと時間の余裕ができたので、さっそく現地のツアーデスクに電話して連れて行ってもらったのが、バンコク警察の射撃練習場。広い屋外の射撃場にたった一人、インストラクターのタイ人のお兄さん(警察官のアルバイト?)もついて、ひと時を射撃三昧。気分はブルース・ウィルスかメル・ギブソンか・・・のつもりだったが、映画のように片手で機関銃のようにハンドガンを連射するなんて・・・はっきり言って不可能でした。あれは、あくまで撮影用で空砲ですので弾丸が飛び出て行くエネルギーの反動もないし、火薬の量も少なくしているために、あんな風に扱えるのだとあらためて実感しました。

 日本の警察では昔から「月夜に霜の降るごとく」心静かに拳銃をかまえて、引き金は指で引くのではなく銃把を手全体で握り締める要領でドンと撃つ!・・・と教えるらしいですが、それでもなかなか当たりません。止まっているターゲットにも当たらないのだから、動き回る犯人に当てるなんて、しかも致命傷は負わせないように、などはまず無理でしょうね。
 
 この日はS&W357マグナム、コルト45口径オート、ベレッタM929mmオートなど心ゆくまでぶっ放し、帰りの機内はぐっすりでした。海外でしか経験できないことの代表が射撃(無免許でも出来る)なので、海外旅行の際に近くにシューティングレンジがあると、まず出かけていきます。これまで、グロッグ17、M16A2ライフル、ベレッタのライフル(名前分からず、近未来型)、ルガーのライフル、モスバーグのショットガン、などを経験しています。

 平和主義者の私がなぜ射撃なのかは旨く説明できませんが。射場に足を踏み入れる時の緊張感と射場を出る時の開放感、ターゲットに照準している時の緊張感とドンと撃ったあとの開放感が快感なのですね。緊張と弛緩の繰り返し・・・自律神経系の活動が交換神経優位と副交換神経優位の間を適度に振り子のように揺れ動くことが心身には必要であり、緊張しっぱなしや弛緩しっぱなしは心身に悪影響をあたえます。私にとっての射撃も一言で言えば「単純に、ストレス解消」ということですね。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

タイ古式マッサージとレディ・ボーイ

2008年07月15日 | 旅行
 2001年夏、一念発起してというと大袈裟だが、タイ古式マッサージを学びに初めてタイに出かけた。按摩、指圧、マッサージ(ドイツ式、スエーデン式)など一通り学んでいたが、アーユルベーダやロミロミやタイ古式マッサージなど引き出しを出来るだけ多く持っておこうと、まずは近いところからということで、タイにしたわけで・・・。

 日本のスクールでも学べるのだけれど、それじゃ面白くないし、料金も高いので、ネットや雑誌でタイの学校を調べ、ワットポースタイル(南方系)はバンコクのThe Wat Po Traditional Medical School、チェンマイスタイル(北方系)はInternatinal Traininng Massage(ITM)と決め、直接電話で予約して(ITMではなんとあの有名なチョンコル先生自身が電話に出てくれました・・・受付がいなかったのかな・・・?)、航空券はHISで購入し、宿は現地に行ってから何とでもなると、50過ぎのおじさんがバッグパッカーのお仲間入りです。


 バンコクの学校の先生はタイ人ですが日本語を上手に話し、生徒は全員日本人。エステティックサロン経営のおばさんや、観光がてらの女性グループ、どっぷりタイに浸ってしまった風の若い女の子などが生徒で、大分に観光化されているように思われましたが、ここで30時間のマッサージと6時間のフットマッサージのコースを終了しました。汗ダクダクの毎日でした。

 その後、ITMで60時間のコースを終了しました。ITMはチョンコル先生じきじきの指導で、助手が(なぜか)ポーランド人のおじさん(自分もだけど)、生徒はイギリス、ドイツ、南アフリカ、アメリカ、マレーシア、など国際色豊で、日本人は私を入れて2人で、やっと外国で勉強していると言う感じがしたものです。
 毎朝、マントラを唱えて、ヨガをやって、講義があって、6時間のマッサージの訓練は非常に楽しく、エキサイティングであったことを覚えています。
 タイ古式マッサージを学ぶなら・・・加えて少しの冒険心があるのなら、日本ではなくチェンマイのITMが絶対お奨めです。そのほかにも小さな学校はいくつかあるので、機会を作ってまた別な学校に行ってみたい・・・と思いつつも時間がとれなくて、しばらくはタイとご無沙汰でしたが、その後、久しぶりに女房といっしょに観光で行くことができました。

 その時はあくまで観光で、女房をチョッと驚かせようと、レディ・ボーイのショウに連れて行きました。タイのオカマちゃん達はレディ・ボーイと呼ばれています。一般的にはショーに出ているようなオカマ芸人達を言うのかも知れません。町の土産物屋やホテルのボーイ、レストランのウエーターなど沢山のオカマちゃん達がいますが、彼らor彼女らもレディ・ボーイと言われているのかは定かではありません。バンコクで有名なオカマショウは日本人が多く住むスクィンビット地区の「マンボ」とアジアホテル内にある「カリプソ」で見られます。カリプソの方が老舗で、ショウは洗練されています。ホテルのコンソルジュも大概はカリプソを薦めます。内容は見てのお楽しみですが、結構たのしめます。何しろタイはオカマの本場なのですから。観客の中にも日本の観光客のオカマちゃんたちがいてキャーキャー言って、もう何がなんだか分からない世界でした。
女房の感想は「面白かった!」と「胸があるんだね!!!!」でした。

 <鍼灸マッサージサロン・セラピット>

寝刃合わせのこと

2008年07月13日 | 居合・日本刀
 大分前になりますが、山田洋治監督の時代劇2作目「隠し剣・鬼の爪」を見ました。この中で主人公がいよいよ明日斬り合いに行くという時に、日本刀を土間に山盛にした砂(砂利)の中に切っ先からザッ、ザッと差し込んでいるシーンがありましたが、あれを「寝刃合わせ(ねたばあわせ)」と言います。
 日本刀の波紋や地肌の美しさは観賞・鑑定の重要な要素であり、武士たちは魂である刀に美しい研ぎをかけ、錆びさせることの無いように大切に保管していた訳で、良く浪人がさび刀を差していていざと言うときに抜けなかったり、抜いたら「赤いわし」だったり、というシーンがドラマなどでありますが、まず作り事と思った方が良いですね。わずかの脂があれば錆びさせることはありませんし、いかに暮らしに困っているとはいえ、将来の仕官を夢見る浪人が武士の魂といえる刀を錆びさせることはありませんね。実用本位の考えで刀を見ている武芸者でも、仕上げの研ぎはしていなくとも、白研ぎぐらいはしている訳で、赤錆状態は考えられませんね。
 いろいろな刀を扱ってきましたが、鉄質の良い刀は普通に保存していればまず錆びさせることはありませんね、ただし安物の軍刀は錆び易いような気がします。

 ところで、このように刃先までシャープに研ぎ上がった状態の刀は実はあまり切れません(現在の美術刀剣では刃先まで研ぐことはありませんが)。トイレットペーパー(巻いたもの)を横にして刀の刃を当てて引き切りしたときどれだけ食い込むかで比較できますが、シャープに研がれた刃は滑ってあまり食い込んでいきません。ここで「寝刃合わせ」が必要になります。たとえば少し荒めの砥石で刃先を軽く両側から軽くすってやったり、映画にあったように砂山に数回付き入れることによって、刃先をノコギリの刃のように(ミクロ的に見ての話ですが)に荒らしてやることによって刃の食い込みが格段にアップするのです。まさにザクという感じで深く食い込みます。これはあくまで着衣や肉体に対する切れ味をアップするためのもので、これで甲冑が切れるようになるわけではありませんが。

 寝刃合わせは武士の作法の一つであり、戦に出かける前にはかならず行ったもので、そのため日常的にも土間などに砂山を備えておいたわけです。映画の主人公は下級武士で生活も苦しいようですが、武士の魂(士道)を忘れていないということを示しています。さらに真田紐で柄を巻き締めているシーンもありましたが、あれも斬り合いの最中に刀の柄が折れたり、割れたり(いわゆる柄割れ)しないようにしているのです。チョットしたシーンでしたが、リアルで、さすが山田洋治監督と思ったものでしたが、残念ながら映画そのものは今ひとつで、「たそがれ清兵衛」には及びませんでした。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

がんばらない あきらめない

2008年07月12日 | 日々の暮らし
 「椿三十郎」リメーク版を観ての感想は「まあ、許せるかナ~」。「隠し砦の三悪人」を観た感想は「ナンダこれは・・・口あんぐりの子供だまし、がっかり」。そこで「山桜」に期待していた訳だが、居合仲間に先を越されての感想が「ぜ~んぜんつまらなかった、立ち回りもほとんどないし・・・」との事で。最近では「たそがれ清兵衛」がピカイチとおっしゃるご本人は、かなりの武闘派で映画を観ても、その中の剣技そのものを厳しくチェックするたちなので、致し方ない感想かなと思いつつ、チョッと興味を削がれた感じ。

 戸山流居合道を始めてから20年近くなり、週1回の練習が楽しみの一つとなっています。団塊の世代が大量に定年退職する昨今、リタイヤ後の人生をどう過ごすかが話題になっています。「男は(女も)死ぬまで仕事をすべき」と日頃思っていますが、定年をなんとなく迎えてしまってから、さあ仕事を探そう・・・と思ってもおいそれと自分にあった仕事が見つかる訳でもなく・・・。ボランティアや趣味で時間を過ごそうと思っても、定年になってから何か新しい趣味を見つけるのにはかなりのエネルギーが必要ですし、見つかっても続かないのが現実で、家でゴロゴロ無為な時間を過ごしてしまい、実権を完全に握ってしまった奥さんに邪魔にされる人もいるようです。

 濡れ落ち葉とか粗大生ごみとかいわれたくない人たちは、自分の世界に逃避しようと、家に立派なAVルームを造ったり、フォークギターを買ったり、中高年バンドがはやったり、陶芸教室に通ったり、毎日ウォーキングに出かけたり・・・活発ですが、なんとなく会社勤めの必死さ、一生懸命さを定年後にも引きずっているようで・・・。

 私も団塊の世代の一員で、なんでも頑張ってしまうけど、すぐ飽きてしまうという性質(熱し易く冷めやすい)があるようです。なにしろ自分達の生きてきた時代は社会が大きく変革していった時代なわけで、社会、環境、生活、科学、技術、音楽、スポーツ、遊び・・・・などなど、あらゆるものが次々と変化していった時代で、それを牽引(あるいはスクラップ・アンド・ビルド、創造と破壊)してきたのが団塊の世代なわけで、一つところに留まっていられない性分が染み付いてしまっているのでしょうか。そんなことで、私の次の計画は・・・居合道は刀が振れる間は続けることにして、60歳になったら学生時代にやっていた弓道に再挑戦することですネ。実はスキューバダイビングやサーフィンもしたいのだけれどチョッと手を広げすぎかなア~。ただし基本的考えは「がんばらない。あきらめない。」で、これは患者さんの病気への対し方としてあるお医者さんが言った言葉ですが、そのまま自分の生き方としていただいてしまいました。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

「触られる」・・・治癒のメカニズム(1)

2008年07月10日 | 日々の暮らし
 傳田光洋の「皮膚は考える」と「第三の脳」の2冊がおもしろい。生体と環境との物理的境界としての皮膚には、バリアー機能や感覚受容体が存在するのみではなく、なんらかの情報処理システムが形成されている。その役割を担っているのが表皮(皮膚は表面から角層、表皮、真皮からなる)を作っているケラチノサイト(細胞・・・その死骸が角質)であるとして、その様々な機能・役割を最新の研究結果をベースに解説したものである。

 温熱覚、触圧覚、振動覚、痛覚などの感覚受容器は真皮と皮下組織に存在し、表皮は角層を作るバリアー機能がメインと思っていた私の浅はかな認識は見事にひっくり返った。真皮の厚さが1~4mmに対して、表皮の厚さは0.06から0.2mm。この薄い表皮の中に恐ろしいと言うか、素晴らしいというか、未知の機能が隠されている、ということが近年少しずつ科学的に解明されてきているらしい。脳も皮膚も共に外胚葉から出来たものであるから、「第三の脳」的機能を持ち合わせても当然かもしれないと思わせる内容で、解説に説得力がある。

 自律分散型の制御システムは機械工学の世界では当たり前であるが、ヒトの場合「脳」が全てで、脳による集中制御という考えに偏よりすぎていたように思われる。脳がコンピュータ、筋肉がアクチュエータ、感覚受容器がセンサーなどと簡単な構成では語れないものがある。最近は各臓器にも何らかの情報処理機能があると言われだしており、この前見たTVでも心臓移植した人の人格が変わってしまう・・・つまり心臓だけでなくドナーの人格も移植されてしまう(心臓にメモリー機能がある)といった事例が紹介されていたが、脳の2倍の重さの皮膚にもそんなことが起こりうることは当然と思える。

 正統派医学(西洋現代医学)では、内臓、血管、神経、骨、筋肉・・・等は部品として扱われるため、簡単に破壊したり、切除したり、移植したり、人工物で置き換えたりしているが、もし臓器に情報処理機能やメモリー機能があるとしたらどうなのだろうか。東洋医学をはじめとした世界の伝統医学や、現代医学の前期に盛んであり、今でもある意味勢力をもっているホメオパシー医学では心身一元はあたりまえの考えであるのだが、科学的解明が進んでいない現在は未だ異端扱いされているのが残念だ。

 東洋医学の思想としては「皮膚も人体の情報ネットワークの一部を構成する」というのは当たり前の考えであり、経絡、経穴を基盤として、お灸や鍼、その他様々な方法で刺激(入力情報)を身体に加えることにより、痛みを和らげたり、傷の回復を早めたり、臓器の働きを高めたり、免疫力を高めたり、自律神経を調整したり・・・を、当たり前のように行ってるわけであり、接触鍼、散鍼、超浅刺、など皮膚を対象にした鍼法も数多く存在している。ただし、未だ科学的に解明されていない部分が多いのが実情で、そんな効果は眉唾と思っている人も多いのではないかと思う。

 日本の医学の分野では「東洋医学の研究」といっただけで異端者扱いされるようで、それに関連する研究に研究費を出してくれるところは無いらしく、鍼灸の研究分野でも欧米に差をつけられてしまうのは残念である。

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