きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(2)・木曽のタイガー

2010年09月14日 | 思い出探し
父は、木曽山林高等学校に入学するため、単身 樺太の泊居から布団袋と柳行李を一つを持ち、連絡船と夜行列車を乗り継いで長野にやってきた。

初めて内地(本州)にやってきたのである。
旧制の高等小学校を卒業したばかりということは、現在の中学3年生ということであり、今更ながらに当時の人達(子供達も含めて)の人としての力強さを思わずにはいられない。

子供を送り出す親も親だが、それに応えて旅立つ子も子であり、現在のような子離れのできない親、親離れのできない子ばかりの状況からは想像もできない時代があったのである。
強い目的意識というか、現状から這いあがろうとするパッションが国家だけでなく一般庶民のレベルにも強く感じられる。一言でいえば「昔の人はアグレッシブだった」。

入学後の父は、内地の奴らには負けないという強い意志を持って、猛勉強とともに剣道部の主将として活躍し、「成績はトップだった。二段の昇段試験は京都の武徳殿で受けた。長野県内では山林学校は強い方で自分も木曽の虎(タイガー)と呼ばれて、周辺では鳴らしたもんだ・・・。」が父の口癖であったが、昔の写真に写っている学生帽に丸縁メガネ、色黒で、細面の精悍な顔をした好男子を見ると、いかにもリーダーという貫録で、さぞや女学生にもモテたのではないか?と思われるのである。

父と共に写っている学友達も皆、大学生だと言われても不思議でないくらいしっかりした体つきと顔をしているのであった。

木曽山林高等学校を無事卒業した父は林野庁に奉職する。
樺太に帰郷し、泊居での営林署の新米署員としての生活がいよいよ始るのである。

思い出探し(1)・父母のこと

2010年09月14日 | 思い出探し
母が残してくれた写真から、生まれたばかりの私。
もこもこに綿入れの着物を着せられて、昭和24年、群馬県沼田市。

思い出を探す旅の始まりは、今は亡き父と母のことからになる。
両親ともあまり昔のことを話さない人達であったが、たまに夕飯の食卓を囲んで、父が酒を飲みながらポツポツと昔話をしてくれることはあった。
多くは忘れてしまったが、今でも記憶に残っている切れ切れの話を思い出し出し書いてみるところから始めてみようと思う。

父母の一生に大きく影響したのは戦争であった。
両親が終戦の日を迎えたのは樺太の泊居(とまりおる)であったが、連合軍に無条件降伏した前後にロシア軍(赤軍)が樺太に侵攻し、追われる様にして両親やその一族が樺太を去ったのは昭和22年であった。 
その時には私はまだ生まれていなくて、兄が母のお腹の中にいた。
本土決戦というと沖縄と言うことになるが、本土最後の地上戦は樺太で行われたのである。当時の樺太在住日本人は約40万人という。

大きなお腹で、樺太から取りあえずの落ち着き先の青森県浅虫までの道中はさぞ大変だったと思うが、ロシア軍や強制労働をさせられていた朝鮮人の暴動などで殺された人達や病気で亡くなった人も多くいるわけで、また引き上げが適わず現地に残った人達も少なからず居たわけで、そのことを思うと不幸ではあったが運が良かったと言えるのかもしれない。
ちなみにその時 父は27歳、母は22歳であった。

父の母親は滋賀県の人であり、大阪で商売をしたあと樺太に渡ったと聞く。
母ひとり子ひとりの経済的には苦しい生活であったが、父はスポーツ万能で、勉強も良く出来、祖母には随分可愛がられたようだ。 
当時の国民の多くがそうであったように祖母も大変教育熱心で、父は泊居高等小学校を卒業してから、一人で遠く離れた長野の木曽山林高等学校へ進学した。ちなみに、私自身も気仙沼中学校を卒業してから、仙台第一高等学校へ進学して下宿生活をしたが、父が経験した樺太から長野の距離には比べようもない。

父の小学校の同級生の仲良しに歌手のさだまさしさんのお父上の「さた君;父はそう呼んでいた」がいて、戦後も同窓会などがあり、後々まで交流があったようで、さだまさしさんが製作した映画「長江」の発表記念パーティーで長崎のさださんの家(島)に招待されたりしていたのを記憶している。そのお父上も先ごろ他界されたようである。

家の裏には戦後人気があったシャンソン歌手の高英夫(「雪の降る町を・・・」で有名)も住んでいたということも良く話していたのを思い出す。
樺太時代はつらいことも沢山あっただろうに、当時のことを話す父母はいつも楽しそうであったと記憶している。

父母にとって樺太は夢の故郷のままで終わってしまったなあ・・・などと考えていると私もなにか胸が熱くなってしまうのだが、これも歳のせいかな。
学校に進学した後の父の話は、次回に・・・。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

思い出探し

2010年09月14日 | 思い出探し
 自分史をまとめてみようと思い立って09年4月から1年間頑張ってみた。
過去を振り返る作業は結構大変で、鮮明に残っている記憶と、相当努力してじわじわと記憶が蘇ってくるものと、思い出そうとしても全く思い出せないもの(あるいは期間)があって、なかなか難しい作業であったが、ボケ防止も兼ねて続けたわけである。

 50編近く書いて、やっと高校生活まで到達したが、その後書く暇もなく、また当初の勢いがなくなってきて、作業が中断してしまっていた。
 
 暑い夏もやっと終りに近ずいて、さてそろそろ続編を書いてみようという気持ちになってきた。ついては、まず、これまで書いた内容を見直して、文章を加筆・修正してから、先に進もうと思っている。全く律儀な性格は直らないものである。

1日一遍が見直されれば良いと思うが、さてどうなることか?

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