石原慎太郎氏、逝く
癌を含め、体に障害もできたが、まだまだ、国家に必要な論客である。故賀屋興宣氏の後を受け、新政経研究会の朝食会に、時の政治家を呼び、巷に喧伝したのは、40年前にもなるか。諸外国からは、右翼と報じられていたが、記者には、正当な一言居士の論客としか、印象がない。三島由紀夫の生き方が、石原には、大きく影響したのは、事実。楯の会の国士、三島由紀夫が、現実の行動を起こし、日本の今日に檄を飛ばした実践活動を、石原は、羨望の眼で見たのではないか。しかし、三島由紀夫は、あるがままの国士として、一命を国家にささげた。石原は、政治家になって、日本国を真実の独立国家を目指したのは、間違いない。時の政治家、田中角栄を相手に、首相の座を争った勇気は、多くの国民の後ろ盾があり、如何に、石原が、正当で清潔な政治的理念の下で、天下に号令をかけたかったかが読み取れる。記者は、石原に一度は、国政を担ってほしかったと今でも本気に考えている。楯の会に近い記者だから、言うのではない。記者は、いかに日本国、我が国が、左に旋回しているかを、また、いかに左に汚染されているかを熟知していたからだ。
現在の日本は、そのスパイラルから、脱出しようともがいている事実は、国民が認めるところであろう。一字の憲法さえ変えることができない潜在意識に洗脳されているのだ。石原が、国政を担っていたら、我が国は、国際的には、強いリーダーシップの独立国家になっていたのは、狂っていない見識であろう。政治家、作家 のジャンルを超えて、燃える戦士を失ったような気がする今日である。
冥福を祈る。 日本時事新聞社 論説委員
古賀剛大