咽び泣くような19世紀のヴィオロンの響きを苦い、熱いコーフィーを嗜みながら聴く。
録音もままならい時代だから、小さな音が、途切れる。サラサーテ実像自身が奏でるツゲネルワイゼンは、
こころの奥底まで、溶かしそうだ。マーネン、マルトー、ナシエッツ、ベチニコフ、ロゼ、
シュムラー、ヴィアルド、ヴォルフイスラエル、イザイ、それぞれ時代のマスターである。
この流れるヴィオロンのかすれた音に身をゆだねるときこそ、自分を取り戻した至高の時間である。まさに、人間の生きている時間など、忘却の片隅におかれそうだが、その一瞬の響きが、贅沢で宇宙の果てまでも届くかとさえ思う。
2014年1月4日
自宅にて、 古賀剛大
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