笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

「脱原子力社会へ」を読むー3

2013-03-26 00:21:09 | 日記
イ).使用済み核燃料問題は解決策がない

使用済み核燃料の処分方法は、
A;直ゴミ方式で、乾燥貯蔵する方法

B;再処理方式で、廃液をガラスに混ぜて貯蔵する方法

の2通りがあり、日本はBを取っている。

何故Bか?――私は、高速増殖炉で再利用することは建前でしかないのではないか?と感じた。

再処理した廃液が安定化するまでに10万年以上かかると言われている。日本では、再処理工場も動いていないし、中間貯蔵施設も十分でない、勿論貯蔵施設も決まっていない。

日本の陸地はまだ6万年しか経っていない、と言われている。

誰が、責任をもって管理しうるのか?
そのような中で、例えエネルギーとして効率性があっても(本当は、効率的ではないのであるが)、このようなエネルギー源を使うことは妥当でないと思う。

加藤寛氏は「日本再生最終勧告」(ビジネス社)で「少なくとも『原発即時ゼロ』の端緒を見届けない限り、私は死んでも死にきれない」と言い残して亡くなったが、その根拠は「政・官・業の癒着で経済合理性を無視した原発が作られ、事故を起こしたことが許せない」と言うものである。

ウ).再稼働への動き
*安倍総理は、2月28日に「規制委員会によって、新しい安全文化を作る。従って、安全を確認された原発は再稼働する」と言っている。そのためのツールとして作られたものが、次の2つである。
*2月27日の「原子力災害対策指針」=避難基準
*7月予定の「新安全基準」=津波対策、テロ対策
       ここでは、「再稼働」が前提となっており、「いかにして国民を納得させるか」に注力されている。(3.10の放送では、実は消防車からの給水は構造上、原子炉まで50%以下の水しか届いていなかったが、そのことの評価もキチンとされないまま、全国の原発に消防車が配置されている、とあった。自分できちんと考えて対策を取るのでなく、「御上が言うことをやっておこう」という姿勢)   

本質的問題である、「使用済み核燃料問題」は議論の対象とされていない。

ドイツが原発廃止をスピーデイに決めた時、「ドイツは、フランスの原発で発電された電力を買うくせに、おかしい」と言う議論があったが、「なぜメルケルは『転向』したのか」(日経BP)を読むと、「原発絶対反対を唱える、緑の党の力が40年もの長い時間かけて地方政治レベルから連邦政治レベルまで強まっていた」ことがその背景にあることが分かった。

「悲観的に考えるドイツ人気質」とも言われるが、脱原発を進め、再生可能エネルギーの普及をとことん進めているドイツに学ぶべきところは多いように思う。
    
日本的な「のど元過ぎれば熱さ忘れる」あるいは「個人の責任追及は人間関係を壊す」と言うような対応は、グローバル時代にはふさわしくないのではないか?
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「脱原子力社会へ」を読むー2

2013-03-26 00:06:07 | 日記
原子力の問題はエネルギー問題

この本では、「なぜ、原子力発電は止まらないのか」の章で、札束と権力で原子力発電所を作ってきたことを検証し、

「グリーン化は21世紀の合言葉」の章で、21世紀には原子力でもなく、CO2問題のある炭素燃料でもないエネルギーを考えるべきことが提唱され、

「地域からの新しい声」の章で、再生可能エネルギーの普及には地域住民取り組みが必要であることを述べ、

「脱原子力社会に向けて」の章で、脱原子力には政治の民主化が必要であること、ドイツにおける緑の党の進出と脱原子力の関係、そして節電の重要性などエネルギー政策と我々の生活の変革の両方を求めている。

この本を読んで、私は、原発問題の究極問題は「エネルギー問題」であると思うようになった。

次に、この本を読んだ機会に考えたことを紹介します。

ア)事故対策に埋没させてはいけない

原発問題の緊急の課題としては「発生してしまった原発事故対策」(住民をどうするか?、廃炉をどう進めるか?、高濃度汚染水・汚染ゴミをどうするか?)を徹底してやることは必要なことである。

しかし、原発問題で考えなくてはいけないのは、それ以上に「使用済み核燃料問題」であると思う。

原発問題を事故対策に埋没させてはならない。

また、今回の原因が何処にあったのかの追求については、様々な事故調のその場しのぎ(民主党政権が自分たちの政権のある間に何とか恰好をつけなくては、と考えたのかな?)の追求ではなく、とことん突き止めるべきである。

極東軍事裁判が東西冷戦によってあいまいな結末を迎えたことにより、戦争についての明確な責任構造や責任者を突き止めないままだったと同じようになりはしないか?

日本の責任追及は、いつも尻切れトンボだ。(トカゲのしっぽすら切らない)

3月10日のNHK特集では、政府事故調の有志が「官僚体制に問題有りと思ったが、時間的にそこまで追求できなかった」といっていたが、様々な大事故は官僚機構の中にある無責任体質(庇い合い、事なかれ)によっていることが多いので、もし、本当に官僚機構まで追求できたら、今後の様々な事故の再発防止効果は大だとおもう。

原発問題は、究極問題は「エネルギー問題」である。落ち葉や木炭という自然エネルギー源から、石炭・石油という化石エネルギー源に代わったが、いまや次のエネルギー源を必要としている。

もともと、原子力は「つなぎのエネルギー源」と考えられていたが、「トイレなきマンション」と言われている「使用済み核燃料問題」があり、今回の原発事故により少なくとも日本ではつなぎとしての役割も疑問視されてきている。

3.11の総理会見では、NHK記者の質問に対し「使用済み核燃料問題については、処分地を住民の意見も聞いて慎重に選ぶ」と答えているが、これは、まったく展望がないままの口から出まかせ(NHK記者の質問は提灯持ち)でなければいいが。
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「脱・原子力社会へ」を読むー1

2013-03-25 23:53:41 | 日記
大学時代の仲間の勉強会で、「脱原子力社会へ」(長谷川公一・岩波新書)を読みました。
四回に分けて私のメモを紹介します。

その1ー「3.11」と一くくりでいいのか?

これまで、地震、津波、原発問題を「3.11」ということで言われていても不思議に思わないで過ごしてきたが、今年はこの本を読んでこのメモを作っている最中だったので、いろいろ考えながら報道、慰霊祭、総理記者会見を見ていて「これはおかしいな」と思った。

我が国は、8月15日を終戦記念日として全国戦没者慰霊祭をやっているが、朝鮮・中国に対する侵略行為やアジアの人々を戦火に巻き込んだことを没却している(=太平洋戦争の本質を見えなくしている)のと同じようにならないか?

つまり、地震や津波は自然災害であり確かに多くの人命や財産が失われたが、人々は台風と同じように「自然災害」として受け止められるし、復興は時間の問題として解決可能である。(だから、岩手、宮城の人は、前向きに取り組める)

しかし、原発問題は明らかに自然災害ではなく、復興の見通しは全く立たない。にもかかわらず、「3.11」と一くくりにすることは、あたかも「原発問題も所詮は地震や津波と同じことだ」と言うことに(=原発問題の本質を見えなくすることに)なっていないか?
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「さくらに寄す」を吹きました

2013-03-25 22:51:56 | 日記
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」

これは、三重・松坂にある鈴の屋で国学を学び、「古事記伝」を著したことで有名な本居宣長の歌です。

先日のテレビで日本人はどうやら奈良時代頃から桜が好きだったらしいと言うことをやっていました。

小学校以来の音楽苦手、楽器駄目の私が、4年前の春に篠笛教室に入って、最初の曲「さくら さくら」を苦労しつつ吹きました。

若くて、美人で、優しい愛の鞭のT先生のお蔭で3月24日の発表会では「さくらに寄す」に挑戦しました。

私の設計では、出だしは「子供の頃」に家族や悪友たちと楽しんだ<花見>を、次は角館「武家屋敷」の華やかな<しだれ桜>を、続いては金沢「兼六園」のふくよかな<菊桜と噴水>を、更には復興を祈念しつつ会津「鶴ヶ城」の<八重の桜>の落花を、それぞれ思い出しながら吹き、最後は家内と旅した時は葉桜だった「吉野山」を満開の<千本桜>と思い込んで、また3月3日に観た能「二人静」の<舞と笛>を思い浮かべつつ、しみじみと吹き終えたいと思っていました。

何時もは、舞台に上がったとたんに楽譜が飛んでしまうのに今回は、それもなくスタート出来て「よしよし」と思っていたら、何やら想定外の事が起きまし
た。

なんと、右ひざがブルブルしだしたのです。しかも、だんだんと大きくなるではありませんか。

こうなっては、設計図どころではありません。

音は間違うわ、息は続かなくなるわ、指は動かないわでどうにもなりません。

家の練習の時の50%以下の出来でした。

三重・秋田・金沢・会津は、いずれも転勤で住んだ土地です。

それぞれの土地に桜の名所が有りますが、雪国では春を待ちわびていた老若男女が、一斉に満開の桜の下に繰り出して、地酒を酌み交わして歌い、騒ぎ、楽しみました。

「さくら さくら 弥生の空は 見渡す限り 霞みか雲か
匂いぞ出ずる いざや いざや 飲みに行かん」と言うことで、今回も帰りには打ち上げで飲みに行きました。

ビールがおいしかったです。

なお、娘が撮った映像をyoutubeにアップしています。

「2013年3月24日武彦」または、
http://www.youtube.com/watch?v=HQUZfUZX_sI
でご覧頂けます。
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駆け込み特訓

2013-03-24 07:35:51 | 日記
消費税の値上がりが有るためか、はたまた家内の癖が移ったのか、今日の発表会を前にして昨日は人前で三度も吹きました。

内二回は近くのコミュニティセンターの笛の教室で皆さんの笛の練習時間を割いて、先生が本番さながらの練習をさせてくれました。感謝です。

緊張して何度も間違いました。

最後には、先生が模範演奏までして下さいました。ありがとうございました。

やれやれと思って帰宅しました。

夕方、会社の後輩が息子さんが難関を突破して気象大学校に入学されたと言うことで一家で挨拶に来ました。

ところが、我が家内はここぞとばかりに「明日の練習になるから、笛を吹いてあげなさい」とのたまわったのです。

恭しく笛を取りだして三度目の特訓となりました。

お陰で、夕食にワインを飲んだら、気持ち良くなり、うたた寝をしてしまいました。

果たして今日の本番は、上手く行きますやら。

神のみぞ知るです。
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