イ).使用済み核燃料問題は解決策がない
使用済み核燃料の処分方法は、
A;直ゴミ方式で、乾燥貯蔵する方法
B;再処理方式で、廃液をガラスに混ぜて貯蔵する方法
の2通りがあり、日本はBを取っている。
何故Bか?――私は、高速増殖炉で再利用することは建前でしかないのではないか?と感じた。
再処理した廃液が安定化するまでに10万年以上かかると言われている。日本では、再処理工場も動いていないし、中間貯蔵施設も十分でない、勿論貯蔵施設も決まっていない。
日本の陸地はまだ6万年しか経っていない、と言われている。
誰が、責任をもって管理しうるのか?
そのような中で、例えエネルギーとして効率性があっても(本当は、効率的ではないのであるが)、このようなエネルギー源を使うことは妥当でないと思う。
加藤寛氏は「日本再生最終勧告」(ビジネス社)で「少なくとも『原発即時ゼロ』の端緒を見届けない限り、私は死んでも死にきれない」と言い残して亡くなったが、その根拠は「政・官・業の癒着で経済合理性を無視した原発が作られ、事故を起こしたことが許せない」と言うものである。
ウ).再稼働への動き
*安倍総理は、2月28日に「規制委員会によって、新しい安全文化を作る。従って、安全を確認された原発は再稼働する」と言っている。そのためのツールとして作られたものが、次の2つである。
*2月27日の「原子力災害対策指針」=避難基準
*7月予定の「新安全基準」=津波対策、テロ対策
ここでは、「再稼働」が前提となっており、「いかにして国民を納得させるか」に注力されている。(3.10の放送では、実は消防車からの給水は構造上、原子炉まで50%以下の水しか届いていなかったが、そのことの評価もキチンとされないまま、全国の原発に消防車が配置されている、とあった。自分できちんと考えて対策を取るのでなく、「御上が言うことをやっておこう」という姿勢)
本質的問題である、「使用済み核燃料問題」は議論の対象とされていない。
ドイツが原発廃止をスピーデイに決めた時、「ドイツは、フランスの原発で発電された電力を買うくせに、おかしい」と言う議論があったが、「なぜメルケルは『転向』したのか」(日経BP)を読むと、「原発絶対反対を唱える、緑の党の力が40年もの長い時間かけて地方政治レベルから連邦政治レベルまで強まっていた」ことがその背景にあることが分かった。
「悲観的に考えるドイツ人気質」とも言われるが、脱原発を進め、再生可能エネルギーの普及をとことん進めているドイツに学ぶべきところは多いように思う。
日本的な「のど元過ぎれば熱さ忘れる」あるいは「個人の責任追及は人間関係を壊す」と言うような対応は、グローバル時代にはふさわしくないのではないか?
使用済み核燃料の処分方法は、
A;直ゴミ方式で、乾燥貯蔵する方法
B;再処理方式で、廃液をガラスに混ぜて貯蔵する方法
の2通りがあり、日本はBを取っている。
何故Bか?――私は、高速増殖炉で再利用することは建前でしかないのではないか?と感じた。
再処理した廃液が安定化するまでに10万年以上かかると言われている。日本では、再処理工場も動いていないし、中間貯蔵施設も十分でない、勿論貯蔵施設も決まっていない。
日本の陸地はまだ6万年しか経っていない、と言われている。
誰が、責任をもって管理しうるのか?
そのような中で、例えエネルギーとして効率性があっても(本当は、効率的ではないのであるが)、このようなエネルギー源を使うことは妥当でないと思う。
加藤寛氏は「日本再生最終勧告」(ビジネス社)で「少なくとも『原発即時ゼロ』の端緒を見届けない限り、私は死んでも死にきれない」と言い残して亡くなったが、その根拠は「政・官・業の癒着で経済合理性を無視した原発が作られ、事故を起こしたことが許せない」と言うものである。
ウ).再稼働への動き
*安倍総理は、2月28日に「規制委員会によって、新しい安全文化を作る。従って、安全を確認された原発は再稼働する」と言っている。そのためのツールとして作られたものが、次の2つである。
*2月27日の「原子力災害対策指針」=避難基準
*7月予定の「新安全基準」=津波対策、テロ対策
ここでは、「再稼働」が前提となっており、「いかにして国民を納得させるか」に注力されている。(3.10の放送では、実は消防車からの給水は構造上、原子炉まで50%以下の水しか届いていなかったが、そのことの評価もキチンとされないまま、全国の原発に消防車が配置されている、とあった。自分できちんと考えて対策を取るのでなく、「御上が言うことをやっておこう」という姿勢)
本質的問題である、「使用済み核燃料問題」は議論の対象とされていない。
ドイツが原発廃止をスピーデイに決めた時、「ドイツは、フランスの原発で発電された電力を買うくせに、おかしい」と言う議論があったが、「なぜメルケルは『転向』したのか」(日経BP)を読むと、「原発絶対反対を唱える、緑の党の力が40年もの長い時間かけて地方政治レベルから連邦政治レベルまで強まっていた」ことがその背景にあることが分かった。
「悲観的に考えるドイツ人気質」とも言われるが、脱原発を進め、再生可能エネルギーの普及をとことん進めているドイツに学ぶべきところは多いように思う。
日本的な「のど元過ぎれば熱さ忘れる」あるいは「個人の責任追及は人間関係を壊す」と言うような対応は、グローバル時代にはふさわしくないのではないか?
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