塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

「街を巡る」鴎外の散歩道「三四真地蔵尊」

2008-01-26 03:43:42 | 街を巡る
 天心宅跡からさらに南下すると、東側に開けた広場が現れた。
まだ造成した間近のようで、枯れた芝生が根付いていない。
この広場の奥にパトロールの区の公用車(一見パトカーのよう)
が駐車していた。まだ9時前である。怪しいオッさんが町内を
ウロウロしているのだから、私はマークされたようだ。やまし
いことは一切無いので、根津方面に向けて歩き出した。
 すると、まだ新しいプチ公園が目についた。その中に、地蔵
さんを祀った小さな祠がある。これが、「三四真地蔵尊」。
太平洋戦争末期の昭和20年3月4日、午前8時40分頃、小雪が
舞う谷中地区は、アメリカの戦闘爆撃機・B29の空襲放火を受
け、死傷者500名、全半壊家屋200戸の被害を受けた。
 その悲惨な戦争が終わり、昭和23年、当時の三崎町、初音
4丁目、真島町の有志により、戦災死者の霊を供養するため、
この地蔵尊が建立されている。そんな悲しい物語を背負ってい
るお地蔵さんだ。
 ところで「三四真」“み・し・ま”とは、先ほどの3つの町
名から、それぞれ一字ずつ取られてつけられた名前である。
(台東区谷中3丁目7番地1番)


「街を巡る」鴎外の散歩道「岡倉天心宅跡」

2008-01-25 06:40:26 | 街を巡る
 「ゆうやけだんだん」を下り、まだ、ほとんどの商店がシャ
ッターを閉めている「谷中ぎんざ」を横目で見ながら、通りを
南下する。
 左側に「岡倉天心宅跡」があった。邸宅というよりも、ここ
は日本美術院の本部として天心が院長となり、主幹を橋本雅邦、
評議員に横山大観、下村観山らがいて活動したところ。活動の
中心は、もちろん絵画で近代絵画に新風を巻き起こしている。
 明治39年(1906)12月に院は茨城県五浦に移るまで、こ
こが活動の拠点だった。昭和41年(1966)年、史跡記念六角
堂が建てられ、堂内に平櫛田中作の天心像が安置されている。
(台東区谷中5丁目7番地辺り)

Weekdayの麺処巡り がんこ八代目で塩のコッテリ

2008-01-24 15:51:09 | 拉麺_08
 本日は、午後から打ち合わせで某所へ出かけ、程良く終了した
ので、末広町のがんこ八代目に立ち寄り、正統派がんこの塩を頂
いた。
 がんこ一条流の中では、これまで一番多く伺っている店が八代
目である。ここの塩、オーソドックスであるものの、実に奥が深
い。この味に惚れたお弟子さんの店(八代目直系)も現在3店舗
あり、それぞれ北沢邦男八代目店主の味を継承されている。この
4店舗を順繰りに巡ってみるのも乙なものだ。
 平日の中途半端な時間に訪れたものだから、北沢店主も驚いた
ようで、“仕事、さぼりかい”などとおっしゃる。ま、そこはスス
ーと流して、塩紫蘇800円をコッテリで頂いてみる。このメニュ
ー、券売機にはそのボタンはない。まあ、裏メニューとなるのだ
ろう。それでも誰でもオーダーすれば、快く作って頂ける一品だ。
 コッテリとは豚の背脂で、これを入れると爽快でシャープな塩
味に脂が混ざり合い、見事な濃厚ハーモニーとなって旨い塩味に
変化した拉麺に生まれ変わる。
 オッ、今回は手作り賄い雲呑を3つほど入れていただいた。あ
りがたい。こんな風のきつくて寒い日は、塩のコッテリで大満足。

「街を巡る」鴎外の散歩道「大椎」

2008-01-24 06:40:44 | 街を巡る
 大寒波到来、1月13日、この日の朝は非常に寒い。風も
時折強く吹き、風の鳴る音が耳に届く。昼に伺う麺処があり、
それまでの時間、街巡りをした。今回は、森鴎外の散歩道と
呼ばれている道程をそぞろ歩きした。
 JR日暮里駅で下車し、御殿坂を上り谷中方面へ。坂道を登
り切り、少し下りかけた右側に延命院のエントランスがある。
“ゆうやけだんだん”の手前にあるので、ここを訪れた方は
ほとんど、目が“だんだん”に行っているので、この延命院
を見過ごしているのだろうな。いや、寺があること自体判ら
ないかもしれない。それというのも、あまりにもこの“だん
だん“が有名であるからだろうナ。
 しかし、少しの時間でよいから延命院を覗いてみたい。門
前を少し入ってみると、右側に大きな老木が出迎えてくれる。
これが、延命院の「大椎」(おおしい)である。
 天保7年(1836)の「江戸名所図絵」巻5「日暮里惣図」
に、この椎の全容が描かれているという。平成9年では5.5
mあった巨樹が、平成14年(2002)5月には幹内部の腐朽
が原因で南側にかかっていた大枝が崩落。鉄柱で支えられて
いる姿がイタイタしかった。
 現在、樹齢600年を越えているという東京都指定天然記念
物である。大切にしたい。
(荒川区西日暮里3丁目15番地辺り)

「街を巡る」関口・目白台界隈「日無坂」

2008-01-23 06:35:08 | 街を巡る
 最後は、坂道巡りで以前訪れた「日無坂」(ひなしざか)。
この坂は、神田川の谷底から目白台に上がる急な坂道で、日
中でも陽が差さないと言われる。写真の右が「富士見坂」で、
二つの坂が合流している珍しい坂道だ。この富士見坂で雪が
降れば、絶好のソリ遊びが出来るだろう。それにしても、こ
の角にある邸宅は、味のある風景となって廻りにとけ込んで
いる。
 次は、夕暮れ時にこの坂道を訪れたい。きっと素晴らしい
夕日と坂道のシーンが撮れるだろう。いい坂道である。
(文京区目白台1丁目と豊島区高田1丁目の境辺り)

「街を巡る」関口・目白台界隈「幽霊坂」

2008-01-22 06:37:26 | 街を巡る
 清戸坂を目白通り方面に少し上れば、日本女子大学の塀に沿
って坂道がある。これが「幽霊坂」(ゆうれいざか)だ。昔は
この近くに本住寺があって、寂しい坂であったようだ。
 またこの辺り、昭和41年までは、旧雑司ヶ谷町と呼ばれてい
た。この町名は、延享3年(1746)に付けられ、現在は通りを
隔てた豊島区に町名が残っている。
(文京区目白台2丁目9番地辺り)

Weekdayの麺処巡り がんこ西早稲田でゆず塩

2008-01-21 21:27:41 | 拉麺_08
 「がんこ一条流」の直系店が減っている。以前は10店近くあっ
たのが、現在、4店舗だけになってしまった。まず、二代目・福
井(伊藤良治店主)、八代目・東京・末広町(北沢邦男店主)、十
一代目・行徳(三田毅店主)、十八代目・大阪(松由晃一郎店主)
である。
 さて、がんこが喰いたい。夜の部となれば、どの店も終了してい
るか、やっていないのである。しかし、ハードルを少し下げると
あるんですヨ。総本家分家の西早稲田店(小川克也店主)がある。
 それも、FILEさんのブログを拝見すると、本日、「ゆず塩」が
提供されているとあり、ご本人はお昼に召し上がったのである。
ならば、私もそのゆず塩の一杯を頂くため伺うことにした。
 実は、昨日(20日の日曜日)、仕事の帰り落合にあるがんこ八
代目直系の小滝橋店に伺うも、定休日だった。以前は日曜もやっ
ていたと思ったが、トホホであった。しかたなく帰宅途中の西武
新宿線・都立家政駅で下車し、麺や 七彩へ伺った。しかし、であ
る。夕方の5時前であったが、店頭には「百食分の麺、完売」の
ペーパーが椅子の上に載せられていた。2度目のトホホであった。
 で、そのリベンジもあり、本日、仕事を切り上げて、がんこ西
早稲田店へ向かった。こちらは、夜はだいたい9時頃まで開けて
おられるので、以外と行きやすい。
 さっそく、ゆず塩800円を注文する。冬場になると柚を使用し
た麺の提供店が増える。昨日も恵比寿のAFURIで頂いてきた。
 器に顔を近づけると、柑橘の爽やかな香りが立ち上っている。
確かに柚である。スープを含んでみる。柚胡椒の攻撃的な刺激が
口の中で暴れまくるようにのど元に達してくる。すこし、柚胡椒
が利き過ぎているのか、と思いきや、それは一瞬だった。
 柚の刺激も良いが、本日のこちらの塩気は、いつもより強い。
柚胡椒も塩気も、どちらも強すぎるためバランスがいけない。
しかし、このスープは最後まで飽きさせない強力な刺激で、本日
の寒気を忘れさせる一杯だった。柚入り鶏つくねは、こちらでは
お初のトッピングなのかな。
 1月30日(水)は、イベント日でコラーゲン入りの「塩コッ
テリ」が提供される。

FILEさん

「街を巡る」関口・目白台界隈「清戸坂」

2008-01-21 06:41:55 | 街を巡る
 薬罐坂を下り切ると不忍通りに出る。ここが坂道となり
「清戸坂」(きよとざか)である。「清土坂」とも呼ばれ
る。不忍通りから目白通り(清戸道)に合流するため、
“清戸道に上る坂“と呼ばれたのが由縁である。
 江戸の頃、歴代徳川将軍の鷹狩り場への街道でもあった。
(文京区目白台2丁目と雑司ヶ谷1丁目の境辺り)

Weekendの麺処巡り AFURIでゆず塩

2008-01-20 18:04:22 | 拉麺_08
 本日の天気は晴れ、夜から雪に変わるとTVの予報士が語って
いた。空から白くて冷たい結晶がフッてくるなら、恵比寿の
「AFURI(阿夫利)」(アフリ)に伺おう。
 グランドオープンした2003年・初夏の頃は、よく伺ってお
り、中村店主が厨房で造り上げた一杯の塩を堪能したものだ。
あの頃は、カウンター下の足置き台に枕木を使用していた関係
で、コールタールの異臭が店内に充満して問題になったことが、
走馬燈のように思い出として蘇ってきた。
 ZUND-BERの2号店であり、中村屋(弟)と味は継承されて
おり、文句なく旨い。昆布、鰹や鯖節、煮干しの旨味がふんだ
んに生かされたスープが好きだ。
 午後から目黒のスタジオでビデオの音入れがあり、そのチェ
ックのため立ち会うため、終了が何時になるか判らないので少
しお腹に入れておこう。朝イチで開店と同時に入店。ゆず塩
850円と、ここでは外せない味玉100円のチケットを購入して、
待つことしばし。
 奥の壁に掛かったビデオモニターは、「幸せの黄色いハンカ
チ」が始まっている。厨房では店長以下3名が黙々と調理して
いる。以前は女性スタッフが数名見られたが、朝はローテが違
うのか男性のみ。
 登場したゆず塩、ゆずの香りがほのかに立ち、淡麗なスープ
は、ロバート・ワイズ監督の「サウンド・オブ・ミュージック」
(1964)の映画の冒頭、ジュリー・アンドリュースがオース
トリア・ザルツブルブの山並みをバックに唱う姿が浮かんでき
た。どうも、店内で流れる映画は、いろんなシーンがフラッシ
ュバックしてくる。それにしても、このスープは爽快な雰囲気
にしてくれる優れもので、旨い一杯、大好きな塩拉麺である。

AFURI(阿夫利)
渋谷区恵比寿1-1-7  03-5795-0750
11:00~翌4:00 無休


「街を巡る」関口・目白台界隈「薬罐坂」

2008-01-20 06:22:48 | 街を巡る
 三丁目坂を登り切って、さらに西に向かう。目白台2丁目
のところで右に曲がり、その先に下りの坂道が見えてきた。
ここが「薬罐坂」(やかんざか)、「夜寒坂」とも呼ばれて
いる。
 江戸の頃、坂の東側は松平出羽守の下屋敷があり、明治維
新後、上地され国有地となった。現在の筑波大学付属盲学校
一帯にあたり、西側には広い矢場があった。
 薬罐坂のヤカンとは、野犬や狐のことで、獣が出る寂しい
坂道だったようである。また、夜寒坂とは“夜さむの里道”
という風雅な呼び方もされていた。
(目白台2丁目と3丁目の境辺り)