地図を見れば、この近くに坂道が3つある。少し回り道を
してみよう。その一つが「あかぢ坂」。なんだか今の景気の
悪さを反映しているようなネーミング。
この坂名からして、いわれがあるのだろうと調べてみると、
確かにオチのつく解釈が判明した。
まずは、この坂道の近くに明治期の財閥のひとつ渡辺家
(当時の上位5番目、トップはもちろん岩崎家)の大邸宅が
あった。渡辺家初代は明石家治右衛門という名で、省略して
明治(あかぢ)と言ったそうだ。
ところが、この話はまだ先がある。
大財閥の渡辺家は、明治期に莫大な財をなしたが、昭和初
期の金融恐慌で、同族経営の渡辺銀行が持ちこたえることが
出来ず倒産してしまう。地元、谷根千(谷中、根津、千駄木)
の地元住民も、この渡辺銀行に相当な額を預金していたよう
で、倒産時の損害も大きかったといわれている。そんな経緯
もあり、地元の方が皮肉を込めて「赤字坂」と呼んだという。
(台東区谷中2丁目6番地辺り)
してみよう。その一つが「あかぢ坂」。なんだか今の景気の
悪さを反映しているようなネーミング。
この坂名からして、いわれがあるのだろうと調べてみると、
確かにオチのつく解釈が判明した。
まずは、この坂道の近くに明治期の財閥のひとつ渡辺家
(当時の上位5番目、トップはもちろん岩崎家)の大邸宅が
あった。渡辺家初代は明石家治右衛門という名で、省略して
明治(あかぢ)と言ったそうだ。
ところが、この話はまだ先がある。
大財閥の渡辺家は、明治期に莫大な財をなしたが、昭和初
期の金融恐慌で、同族経営の渡辺銀行が持ちこたえることが
出来ず倒産してしまう。地元、谷根千(谷中、根津、千駄木)
の地元住民も、この渡辺銀行に相当な額を預金していたよう
で、倒産時の損害も大きかったといわれている。そんな経緯
もあり、地元の方が皮肉を込めて「赤字坂」と呼んだという。
(台東区谷中2丁目6番地辺り)